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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
72/223

6章 呪われし地へ 3-17

 頭を締めつけられるような痛みに堪えながら、ルシカは片膝をついて体を起こした。ふらつく頭を左手で押さえ、右手の杖に意識を集中する。


 『万色の杖』の先端に嵌められている虹色の魔晶石が、強められていく彼女の魔導の力に呼応するかのように光を放ちはじめた。ルシカは左手を頭から放し、空中にすべらせるように真横に薙いだ。


 頭上に、魔文字と円で描かれた魔法陣が展開される。


「地面に伏せて!」


 有無を言わさぬほど緊迫したルシカの声音に、テロン、クルーガー、ティアヌが咄嗟とっさに従った。


 ドン! 行使された魔法は『衝撃光インパクトライト』だ。頭上高くに凄まじい光量が爆発し、大気を揺るがし砂岩を震わせながら、虚空と地表を瞬時に駆け抜ける。


 強烈な光と衝撃は、集まりはじめていた不可視の存在を散り散りに吹き飛ばしたらしい。仲間たちを苦しめていたわらい声がブツリと途切れる。


 ティアヌはホッとした表情で立ち上がったが、テロンとクルーガーは構えを解かず、油断のない眼差しを周囲に向けたままだ。


「まだ、終わったわけではなさそうだ」


「ああ、そのようだな」


 クルーガーと言葉を交わしながら、テロンは魔導の力を遣ったばかりのルシカを自分の背にかばった。ひやりと冷たい気配が、通ってきたばかりの『船の墓場』から押し寄せてくるのを感じる。急速に下がっていく気温に、吐く息が白く凝りはじめた。


 ティアヌがブルッと身を震わせ、温もりを失っていく唇を噛んだ。


「敵の正体……何なんでしょうか」


「おそらく『邪霊ゴースト』だわ。本来冥界にいるはずの存在が居座っているのね……。周囲の可哀想な死霊たちを掻き集めてよろうことで、この現生界に留まり続けている」


 魔力の流れを視ることのできる目を狭めるようにして、沈鬱な表情のままルシカが語った。船に留まっている霊は、命を奪われ彷徨い続けている悲しい魂でもある。死してなお理不尽に囚われている状態を、たとえ自分に襲い掛かってくる敵であっても痛ましいと思っているのだろう――テロンはルシカの想いを理解した。


「冥界の元凶を倒して、霊たちを安らかに眠らせてやろう」


 ルシカは驚いたようにテロンを見つめ、すぐに頷いた。


「うん。そうね、戦いを長引かせるわけにもいかないし」


「全力でいくぞ」


 テロンは気合いを篭め、『聖光気せいこうき』を発動させて身に纏った。


 ふたりの遣り取りを見ていたクルーガーも、すぐにひと続きの詠唱を完成させた。自分の剣に火属性の魔法効果を付与エンチャントし、刀身を赤い輝きを宿らせる。彼自身の努力で習得した魔術の力であった。


 ティアヌも腰に手挟んであった短杖ワンドを手にして、魔法詠唱に備えている。


 周囲の朽ちた船や岩陰から白い煙のような影が次々と立ち上り、一行の眼前に渦を巻くように集まっていく。急速に濃度を上げ、実体と見紛うほどにはっきりと形を成した。


 ひとの背ほどもある巨大な髑髏どくろは、海風に晒されて風化したかのようなリアルさだ。上半身の骨格が下に続いているが下半身はなく、四本の腕を生やしていた。凄まじい殺気を放つ虚ろな眼窩がんかで、生きている者たちをめつける。


「これって、目を合わせて相手を金縛りにする技を使ってくる相手ですよね。それに、物理攻撃は通用しないはずです。魔法属性をもつならば大丈夫だと思いますが」


 ティアヌは知識のなかから覚えていることを引っ張り出していた。この現生げんしょう界で生み出された武器というものは扱いが少々厄介である。同じ世界の存在には攻撃能力もすこぶる高いが、幻精界や冥界など別次元の存在にはまるで通用しないのだ。だが、強めた魔力マナで魔法効果を付与すれば、魔法的なものに影響を与えるほど攻撃力を高めることができる。


 クルーガーの剣はヴァンドーナから贈られた特別な魔法剣だが、相手に合わせて魔法属性を上乗せしているのだ。


「あいつの手にも捕まらないよう気をつけてね。生命維持のための魔力マナを奪われて、あっという間に寿命が尽きてしまうから」


 精神を集中させ、準備動作を終えていたルシカは、仲間たちに防護と強化の魔法を行使した。温かな白い光が幾重にも仲間たちを包み込むと、テロンたちは体がすっと軽くなるのを感じた。


「ありがとう。でも、無理はするな」


 乱れる息遣いと苦しそうな気配に気づき、テロンは肩越しにルシカを振り返った。


 先ほどの攻撃魔法、仲間にかけた複数の魔法、どれも威力も効力も素晴らしいものであったが、体内の魔力の消費もまた大きかったはずだ。結界を破られたときに跳ね返ってきた衝撃も、彼女の魔力と気力を削いでいるに違いなかった。


「うん……ごめんね」


 素直にルシカは数歩下がり、へたり込むように膝を落とした。呼吸を整えながら、少しでも気力と魔力の回復を図ろうとする。


 魔導の技の行使に刺激されたのか、『邪霊ゴースト』は腕の一本を伸ばし、術者であったルシカを捕らえようと前進してきた。


「させるかよ!」


 クルーガーが剣を構えて踏み込み、進む『邪霊ゴースト』との距離を一気に詰める。


 勢いよく振るわれた剣は、伸ばされていた骨の腕に食い込んだ。同時に、刀身に付与されていた魔法の炎の力が解放される。


 ゴゥオオオォォ! 刀身から炎が噴出し、『邪霊ゴースト』の腕まるごと一本を絡めとった。剣に傷をつけられ、灼熱の炎で焼かれて、冥界の存在はゾッとするような殷々(いんいん)たる叫び声を発した。別の腕を素早く振り上げ、反撃とばかりに振り下ろす。


 クルーガーは頭上に剣を持ち上げ、かろうじて硬い骨の一撃を食い止めたが、それでもなお押し込まれてくるあまりの重さに耐えかね、後方に倒れ込んだ。ここぞとばかりに『邪霊ゴースト』が骨の手を伸ばしてくる。


「兄貴!」


 間一髪、『聖光気せいこうき』を身にまとったテロンがその腕を横から殴りつけ、逸らした。起き上がるクルーガーの横に着地し、テロンは裂帛の気合いとともに『衝撃波』を放った。


 胸部に打撃を受けたゴーストがひるんだ瞬間、ティアヌが詠唱を完成させた魔法『電撃の矢(ライトニングボルト)』が飛んだ。具現化された火花を散らす一筋の閃光が、ゴーストの頭蓋の眉間に突き刺さる。


 ビシリ!! 緊迫した大気を貫き通すような音とともに、深い亀裂が入った。


 思わぬ手痛い攻撃を受け、『邪霊ゴースト』は怒り狂った。ギョロリ、とりもしない眼球で魔術師の姿を捉え、うつろな眼窩で睨みつける。


 魔法を放ったまま顔を上げていたティアヌは、「しまった!」と視線を逸らす前に、まともにゴーストの凝視を受けてしまった。途端に体が硬直する。


 ヒョヒョヒョ……。


 冥界の髑髏がわらった。空虚な口腔の喉奥のあたりに、不気味な紫の光が明滅しているのが見える。動きを封じられたエルフ族の整った面差しに、冷たい汗が生じる。


「ティアヌ!」


 クルーガーが叫ぶと同時に、剣を構えて走り出す。『邪霊ゴースト』は、ティアヌを捕らえようと腕を伸ばしている。


 湿気で固められた砂の地面を力任せに蹴って、クルーガーは大きく跳躍した。渾身の力を籠め、全体重をのせた魔法剣を振り下ろす。骨ばかりの腕が、付け根の肩の一部とともに粉砕された。


 『邪霊ゴースト』は凄まじい声を轟かせて身をよじった。いまだ灼熱の炎に包まれたままの腕が振り回され、まだ空中にあったクルーガーの体を捉える――。


「何ッ!?」


 予期せぬ反撃に、クルーガーは避ける暇がなかった。押し寄せる強烈な熱に、腕をあげてその身をかばい、目蓋を閉じるのが精一杯だ。


 だが、炎はクルーガーの体に当たらなかった。


 クルーガーは目を開き、驚いた。まるで見えないカラに阻まれたかのように、炎に巻かれた骨の腕が彼の体を打ちのめす寸前で静止していたのである。


 兄の窮地に思わず飛び出しかけていたテロンは、ハッとして後方で控えていたはずの魔導士の少女を振り返った。ルシカが、クルーガーに真っ直ぐに両腕を伸ばして額に汗を浮かべていた。稀有なる色彩の瞳に無数の輝きが現れている――彼女の魔法に違いない。


 『邪霊ゴースト』の動きが止まった隙を、テロンは逃さなかった。気を練りながら空中に跳び上がり、髑髏の額にある亀裂に向けて渾身の『衝撃波』を叩き込んだ。


 メキョッ。気味悪く響き渡った鈍い音とともに、髑髏の額のほとんどが大きく陥没する。


 ギャアアアアアアアアァァァァ!


 『邪霊ゴースト』から、怨念に満ちた悲鳴が発せられた。


「体が動く!」


 敵の視線が外れたことで金縛りが解けたティアヌは、攻撃魔法の詠唱を開始した。すぐに呪文は完成し、『邪霊ゴースト』の周囲の大気がゴウと唸りをあげて激しく渦を巻きはじめる。


「『真空嵐ウィンドストーム』か!」


 ティアヌの魔法に気づいたテロンとクルーガーは、拳と剣を引いて素早く後方に退く。


 大気の渦は烈風となり、次いで無数の真空を生じた。真空の作り出す見えない刃に、『邪霊ゴースト』の骨だらけの巨躯がガリガリと削られ、細かく砕かれていく。


 魔法効果が終息し、烈風がそよぎとなって鎮まると、割り砕かれた『邪霊ゴースト』の姿が晒された。頭蓋は形を失っており、正視できぬほどにおぞましい状態である。


 ヒョヒョヒョヒョヒョ。


「この期に及んでもなおわらっていやがる……」


 気を緩めることなく構えたままであったクルーガーが、魔法剣の柄を握りしめる。その横に立ち、テロンも同じく構えを解かぬままに、『邪霊ゴースト』の様子を見つめていた。


「まだ気は緩められない……。いったい何をするつもりなんだ」


 『力の壁(フォースウォール)』を遣ったことで再び膝を落としていたルシカは、異様な気配を感じ取って顔を上げていた。


「あいつの体、破片になっているわ!」


 『邪霊ゴースト』の下半身から上半身、そして頭蓋の下部分から次々と、崩壊するように細かな破片になって砂の上に降り積もっていくのだ。それらは不自然なほどに鋭利な無数の破片となっている。


 パリパリ……ピキピキ……。不気味な音は途切れることなく続いている。さらなる異常に気づいたのはテロンだった。仲間たちに警戒を促すために彼は大声を発した。


「油断するな! 奴の破片が浮いている!」


 仲間たちがハッと破片に注視したときには、すでに遅かった。それらは全員に向け、宙を切り裂き飛び掛かってくるところだった。


「うわ!」


「キャアァ!!」


 突然のことに、テロンたちは腕を上げて顔や目をかばうのが精一杯だった。何千、何万という破片の乱舞を受け、巻き起こされた風に容赦なく仲間たちの血飛沫が交じる。


「また来るぞ!」


 テロンが叫び、痛む腕を突き出すように『衝撃波』を放った。同時にルシカが『力の壁(フォースウォール)』を全員に向けて行使する。


 クルーガーは剣を空に向かって振りかざし、剣に付与していた魔法を一気に解放した。小さな竜巻のような炎が踊り、宙を飛ぶ破片の数を減らした。


 だが、鋭利な刃となった破片の数はまだまだ多い。容赦のない攻撃は止むことなく、四人の体は徐々にあけに染まりつつあった。


「テロン」


 ルシカは傍にいたテロンに呼び掛けながら、『万色の杖』を自分の足元の地面に突き立てた。


「少しだけ、お願い。時間を」


「わかった」


 テロンは頷いた。ルシカは目を閉じ、魔導行使のための精神集中を開始した。


 再び破片が空に浮かぶ雲のごとく集まり、動きはじめた。一行を包み込むように通過しようとしている。


 テロンはルシカの前に立ち、『聖光気せいこうき』と『衝撃波』で破片の嵐を少しでも減じようと試みる。クルーガーとティアヌも彼女の傍に駆け寄り、それぞれの剣と魔法で迎えうつ。


 全員に行使したばかりの『力の壁(フォースウォール)』も、すでに効果が切れている。


 魔導の技を遣うために完全な無防備状態となったルシカを、仲間たちが防ぎきれなかった破片が容赦なくえぐっていく。それでもルシカは凄まじいまでの集中力を発揮し、準備動作を中断させることはなかった。


「形あるものよ、分子へせよ!」


 ルシカが『真言語トゥルーワーズ』を叫んだ。稀有なるオレンジ色の大きな瞳に、白い魔導の輝きが踊る。地面に突き立てた『万色の杖』の魔晶石が燦然と輝き、ルシカは自分の胸で印を組んでいた両手を天に向けて差し伸ばす。


 瞬間、空間が歪みを生じた。魔導特有の青と緑の輝きが吹き上がる魔導の力場となってルシカの華奢な体から放出され、一行の頭上に巨大な魔法陣を描いた。


 ズンッ!!! 天から圧し掛かるような衝撃が訪れ、一瞬、周囲の色が失せた。


 テロン、クルーガー、ティアヌが本能的に地面に伏せた。だが、三人の体には衝撃が届くよりも先に細かな白い輝きが降り注ぎ、僅かも脅かされることなくしっかりと護られていた。ルシカの魔導だと気づいたテロンが顔を上げると、もう周囲は静かになっていた。


 飛び回っていた破片も、『邪霊ゴースト』も、危険であった敵の姿は跡形もなかった。


 湿った砂の地面には、波紋のように衝撃が駆け抜けた跡が刻まれており、その中心の場所にルシカが倒れていた。彼女の傍には、まるであるじに寄り添うかのように『万色の杖』が転がっている。


 ルシカの放った魔法は、魔導士のみ使うことのできる最上位魔法のひとつ『分解ディスインテグレイト』であった。同時に、仲間たちに向けて『力の壁(フォースウォール)』と『完全魔法防御パーフェクトバリア』を行使したのである。


「ルシカ!」


 『万色』の魔導士といえども、常軌を逸した膨大な魔力を短時間で一気に消費したのだった。ぐったりと倒れ伏したルシカに駆け寄り、テロンはおそるおそる彼女を抱き起こした。意識はなかったが、体は温かく、胸がかすかに上下している。


「ルシカ……良かった。生きている……」


 心底ほっとしたテロンは揺らぐ瞳を伏せ、安堵のため息をついた。ルシカの額にそっと唇を寄せる。


 続いて、クルーガーとティアヌも起き上がった。周囲に刻まれた魔法の痕跡と、ルシカを抱きしめているテロンの様子を見て、クルーガーはふっと息を吐いて視線を逸らした。


「さァて……と。やっと『はぐれ島』に到着ってわけか……」


 ルシカの魔法により、立ち込めていた灰色の霧が吹き払われている。いまや、邪神を召喚せんと企む男の居る神殿へと続く道が、はっきりと眼前に現れている。


「とんでもない足止めを食らったな……。間に合うといいが」


 厳しい表情で発せられたクルーガーの言葉に、テロンは顔を上げた。彼はルシカを横抱きにして立ち上がり、彼らの進むべき道の先へと視線を向けた。



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