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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
69/223

5章 ソサリアの千年王宮 3-14

「感謝している。あなたがたには、本当に世話になった――」


「タナトゥス、アレーズさん。どうしてここに」


 ルシカがもっともな疑問を口にして、驚きに見開いていた目をしばたたく。クルーガーが、テロンとルシカの傍に歩み寄りながら割って入った。


「あのときの話は既に決着のついたことだ。今はハイベルア周辺の村の生活向上や開墾のために知識を活かし、尽力してくれていると聞いていたが」


 タナトゥスの隣に進み出たアレーズが、彼らに向けて深々と頭を下げる。


「ありがとうございました。今度は、わたくしたち兄妹がお役に立てないかと参じたのです」


 タナトゥスは改めて王子たちと宮廷魔導士の前で片膝を落とした。


「命を助けていただいた。恩も返さず、此度の危機を傍観できるはずがありません」


 そう語った彼の瞳は、覚悟を宿して大魔導士ヴァンドーナに向けられた。その視線につられるように、ルシカたちの視線もヴァンドーナに集まる。タナトゥスは言葉を続けた。


「噂には聞いております、『時空間』の大魔導士ヴァンドーナ殿。我々が来ることは『予知プレディクション』で知っておられたはず。我らは何をすればお役に立てるのですか?」


「うぉっほん」


 老魔導士は咳払いをひとつして、おもむろに顔を上げ……孫娘の急かすような視線に慌てて眼を逸らした。長く白い髭を手でしごきながら口を開く。


「まあ、そういうことじゃ。どうしても協力してもらわねばならぬ」


「おじいちゃん。いったい何をするの?」


「『障壁シールド』じゃ。王都の地下にある魔法陣を発動させる」


 落ち着いた声音で告げられた言葉を聞き、ルシカが目をまんまるに見開く。他の者は意味を理解できず、首をひねっている。


「どういうこと、おじいちゃん。ハーデロスが復活してしまうということなの? だって、おじいちゃんには見えているのでしょう……この国の未来が!」


 取り乱し気味に問い掛ける孫娘に、ヴァンドーナは目を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。


「何が起こるというのですか」


 テロンとクルーガーの声が重なる。ヴァンドーナは『時空間』の魔導士として、類稀なる能力を有している。ある程度の限られた範囲ではあっても、未来を見通すことができる――これまでに何度かあった事実だ。


 だが、ヴァンドーナは目を伏せた。


「すまぬ、ルシカ。テロン、クルーガー、そして皆よ。今回は未だわしにも見えておらぬのじゃ。だからこそあらゆる事態を考え、準備をしておるだけじゃよ」


 ヴァンドーナは落ち着いた口調のまま答え、瞳を揺らして彼を見つめているルシカの肩をポン、ポンとなだめるように軽く叩いた。


「おじいちゃんにも見えない……。それで地下にある、あの魔法陣をつかおうと……? でも――」


 ルシカの視線を受け、タナトゥスは頷いた。


「確かに俺とアレーズは、命を救われるのと引き換えに魔導士として保有すべき量の魔力マナうつわを失った。しかし、『障壁シールド』の魔法陣を発動させるには、自身の魔導の力は必要ではないと記憶している。魔法陣そのものが強大な魔力をもつゆえに、魔力の流れを制御することのできる知識と経験があればよいのだと」


 兄の言葉を、妹のアレーズが継いだ。


「五つの頂点に座する術者たちが魔力の流れをまとめ、正確に操らなくてはなりません。私たちは魔導士として生きてきたので、流れの扱いには慣れておりますから」


「五人の術者って?」


 ルシカの疑問には、祖父ヴァンドーナが答えた。


「このわし、タナトゥスとアレーズ、そして今こちらに向かっておるはずのダルメス、そしてそこに居るメルゾーンじゃ」


 疑問に満ちた視線が一気に集中したので憮然としたメルゾーンだったが、すぐに立ち直って声を荒げる。


「な、何か文句があるのかっ?」


 ルシカは思わず口を開きかけたが、結局、ふーっと大きく息を吐き出した。ぐっと背筋を伸ばし、納得したように微笑んでみせる。


「その件に関しては、わかったわ。あたしたちがハーデロスを降臨なんかさせないもの。『障壁シールド』なんか発動させなくてすむように、ね」


「もちろん、降臨なんかさせないさ」


「ああ」


「もちろんです!」


 ルシカの言葉に、テロン、クルーガー、ティアヌの三人が力強く頷く。


 おそらく皆が皆、そんなつもりで言ったわけではなかったのだろうけれど、メルゾーンはずっしりと落ち込んだのであった。





 王宮の東の棟、最上階には、天体観測のためのドーム部屋が設置されている。


 ひとの背丈より何倍も大きな天体望遠鏡が中央に据えられ、立派な天球儀、さまざまな種類の観測器が壁にずらりと収められていた。資料や掛図、巻物、梯子、書き物や調べ物のための机、休憩のための長椅子も置かれている。


 もとは、遺跡で発見されたグローヴァー魔法王国期の天文台を移設したものだ。王宮が建造されたのちに移されたらしいが、長い間使用されないまま放置されていたのである。ルシカが宮廷魔導士に就任した際に完全修復された。そして今、ルシカの一番のお気に入りの場所でもある。


 ルシカは天体観測ドームの外側にある一角、テラスのように張り出したところに立っていた。明かりも灯さず、ひとりで満天の星空を眺めている。


 王宮の中央棟と西の棟、さらに大きな港を越えた西方には、星明かりの中に浮かび上がる大河ラテーナが海と合流する三角江エスチュアリーが横たわっている。さらにその先の夜闇の向こうには、広大な草原と白き砂漠が広がっているはずだ。


 東方のゾムターク山脈の峰々の連なりは、黒いシルエットになってゴツゴツと連なり、星空を切り取っていた。南東の方向に視線を移すと、ひときわ天高くそびえるゴスティア山の黒い影が突出している。


 ゾムターク山脈から北へと視線を移動させれば、遠い水平線の星空の交わる果てに『魔の海域』があった。黒々とした油断ならざる海が広がっている。


「クリストアとも呼ばれる『はぐれ島』……」


 その海を目指すかのように突き出た岬の先に、自然ならざる領域がある。そこに、ハーデロスの神殿があるといわれているのだ。


「心が真っ黒に塗り潰されてしまうみたいな、波動のようなものを感じる。少しずつだけれど、確実にどんどん強くなっている……」


 今すぐにでも、旅立ちたかった。


 しかし、あせってはならぬ、と祖父ヴァンドーナに言われたのだ。明日の朝、王宮の大広間に集まるようにと、国王ファーダルスからも皆に向けて言い渡されている。邪神召喚を阻止するためにも、まずは現地まで無事にたどり着かなければならない――そのためにも冒険者や傭兵たちを募り、大人数で進む道をひらくことが必要なのだということだ。


 『無踏の岬』の大湿地帯や、クリストアと岬を繋ぐ『船の墓場』の浅瀬は、移動だけでも自殺行為といわれるほどに危険きわまりない土地だ。だからこそ、いくつものグループに分かれた大人数で向かい、魔物や魔獣、邪霊や妖霊たちの狙いを分散させることが最善の策なのだ。


「そう……わかっている。わかってはいるの、でも……」


 自分のなかで膨れあがる焦りの気持ちを抑え込むために、ルシカは胸の上で両手を重ね、そっとため息をついた。


「ルシカ」


 彼女の背後から、低いがよく響く声が掛けられた。


「ルシカ。話があるんだ……いいか?」


 ルシカの心臓が、とくん、と跳ねあがる。星明りの中に立ち、ルシカを見つめるテロンは、この上なく真剣な眼差しをしていた。


「……うん」


 テロンは静かに歩み寄り、ルシカの横に立った。


 ふたりは天体観測ドームのテラスの端に並び立ち、しばらくの間、まるで天蓋のように空を覆い尽くす星空を眺めていた。


 すぅ、と一筋の流れ星が夜空を駆け抜ける。


 ルシカはそっと傍らのテロンの顔を見上げた。それが小さなきっかけになったかのように、テロンが動いた。見上げるルシカと、星空から彼女に視線を移したテロンの視線が交わる。彼女の大きな瞳に自分の姿を見たテロンは、意を決して口を開いた。


「ルシカ。俺は、ずっと考えていた。悩んでいたんだ。一番大切な君を連れて、このまま危険の真っ只中に飛び込んで……。それで本当にいいのだろうか、後悔することにならないだろうか、と」


 ルシカはすべらかな頬を緊張気味に強ばらせて、彼の話を聞いている。テロンは言葉を続けた。


「どんな時も、何があっても一緒にいこう――それは俺の本当の気持ちだ。だが、心のどこかでは、万が一にもルシカを失いたくない、そんな気持ちもあるんだ」


 ふいにルシカの瞳が揺れ……テロンは思わず言葉を切った。星明りに照らされてあおに染まる瞳のなかに、今にもこぼれそうな無数の星粒が盛り上がる。やがて小さな星空はあふれて、かすかにきらめきながら、頬を伝わっていった。


「……まさかテロン。今回の旅は、あたしを置いていくっていうんじゃないでしょうね。テロン……テロンは……」


 細く震える声が、言葉を紡ごうとした。だが、その先がなかなか出てこなくなり、ルシカが小さくしゃくりあげる。


「わかっているよ」


 テロンは歩み寄り、ルシカの背に腕を回した。静かに抱き寄せ、抱きしめる。テロンは彼女のすべらかな頬にそっと触れ、涙をぬぐった。


「わかっているんだ……俺もルシカも、互いの気持ちが痛いほどに。それでも想いを伝えたかった……はっきり俺の気持ちを、言葉で」


 テロンはひとつ呼吸して、その想いを声に乗せた。


「――俺には、君が必要だ」


 ルシカの瞳から目を離さずに、テロンは言葉を続ける。星明りの静かな夜に響く、低く心地よい、力強い声で。


「もう離れたくないんだ。これが俺の気持ちだ。この旅が終わったら、ルシカ……俺と結婚してくれないか。ずっと……ずっと俺の隣に、居て欲しい」


 ルシカの目が見開かれた。次いでポロポロと零れ落ちた涙は、先ほどまでとは違う、温かな涙だった。目元を微笑ませるように頬を緩めたルシカは、彼の胸にしっかりと抱きついた。


「……うん……うん、テロン……」


 テロンの胸の衣服をきゅっと握ったまま、ルシカは何度も頷いた。


「ありがとう。俺は……ルシカを泣かせてばかりだな」


 大切な少女を腕いっぱいに抱きしめながら、テロンはつぶやくように言った。抱きしめる腕に僅かだけ、力が篭められる。


「そんなことない」


 広い胸と力強い腕に包まれながら、ルシカは繰り返した。


「そんなことない。ありがとう、テロン」


 そしてルシカは顔を上げ、自分を見つめる深く澄んだ青い瞳を見つめ返した。そこに自分の泣き顔が映っていることに気づいて、ゆっくり口の端を上げるようにして笑顔になる。そして自分の想いを伝えるため、唇を開いた。


「――たとえ世界のどこであっても、どんなことがあろうとも、あなたの隣に居たい。ずっとずっと、あなたを愛しています、テロン」


「ああ、俺も。ルシカを愛している――」


 ルシカは静かに目を閉じた。最後の涙が、静かにこぼれ落ちる。


 テロンは、ルシカの頬に添えていた指で、そのふっくらとした唇に触れた。その唇がわずかに開く。自分の唇を、そっと重ね……込み上げてくる狂おしいほどの愛しさに、テロンはルシカを強く抱きしめた。


 天空からの星の光がふたりを包み込む。重なり合う影は、いつまでも離れることはなかった。



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