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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
67/223

4章 破られた封印 3-12

 それは、『隠れ里』の大きなにれの木が倒れたときのことだった。


 ミシミシという奇妙な音を聞き、遊んでいた幼いティアヌが暗くかげった頭上を見上げると、木の幹が視界を覆い尽くしていた。


 その瞬間、激しく突き飛ばされて地面に転がり、ティアヌは起き上がって、振り返った。その幼い瞳に、木の幹の下から突き出ていた二本の腕が映った。乳母としてその場に居合わせたルレファンの母が、その身を犠牲にしてティアヌを救ったのだ。


「……あれは族長の息子だからと、母君が僕を救ったわけでは」


「黙れ!」


 叫ぶルレファンの目の周囲は、どす黒く変色していた。先ほど肩に刺さった黒塗りの短剣の毒のせいなのか、内なる闇が濃くなったせいなのかはわからない。


 ティアヌを睨みつける、ぎらぎらと輝く赤い瞳ばかりが凄まじい感情を物語っている。


「他人に見向きもされぬ、たったひとりの家族を永遠に奪われた、この俺の心がおまえにわかるか。おまえはいつも俺に、こうしたほうがいいよ、ああしたほうがいいよ……善人ぶって口を出しやがって。訳知り顔で同情しやがって!」


 ルレファンは肩で息をしながら喚いていた。


「しかも、外の世界に憧れるだって? ふざけるのも大概にしろッ!!」


 エルフ族の寿命は他種族より長い。先王の時代の苛烈な戦争、その前にも、激しい戦が幾度も起こった。つらく厳しい地獄のような時代を生き延び、里に逃げ込んできた大人たちが、今もなお数多く里に留まり暮らし続けている。


 外の世界で何が起こっていたのかを、ティアヌやルレファンは幼少の頃から繰り返し聞かされていた。ティアヌですら『隠れ里』から飛び出すまで、外の世界に絶望していたくらいだ。


 世界に絶望し、母を失ったルレファンには、生きていく為にすがるものが、希望が、もう何も残されていないのだ……。


「母を奪った里なんて消えてしまえ! ティアヌ、おまえも、互いに殺し合う世界も、行き場を失った俺自身も全部、全部消えてしまえ!!」


「ルレファン……!」


 友人だったはずの相手の名を叫びかけたティアヌは、気づいた。ルレファンに腕を掴まれていたリーファが目を開いていたのだ。


「……む!」


 殺気を感じて思わず突き出したルレファンの腕に、ダガーが突き立った。柄を握っているのは、先ほどまでぐったりしていたリーファだ。


「父と……母と……みんなの仇」


「グゥゥッ……こ、この小娘!」


 ルレファンがリーファを床に叩きつける。


「リーファ!」


 ティアヌが悲鳴のような声で叫んだ。そのとき、炎獣との戦いでルシカが『万色の杖』を振り上げていた。同時に、力ある『真言語トゥルーワーズ』が彼女の唇から発せられる。


「元居た世界にせよ!」


「な、何だ……?」


 ルレファンが戸惑った声を発した。白と黄色の魔導の光が空間にあふれたのだ。


「ルシカの魔導の技『送還センドバック』だ」


 テロンが、戸惑う仲間たちに伝えた。


「何でい、それはっ?」


 ザアドがテロンに訊き返す。


「あの炎獣を魔法で元居た世界、冥界に送り返すんだ。もしあれを呼び出した術者や炎獣そのものが魔法効果に抵抗レジストしたら荒れるぞ――みな、下がるんだ!」


 テロンは説明しながら自分も最前線から退いた。できる限りルシカの傍に近づいて周囲を警戒する。


 白と黄色の光はルシカ自身の頭上にも輝き、炎獣の周囲には輝く魔法陣が具現化された。魔法陣が炎獣を絡め捕らえようとするが、バチバチと凄まじい音を立てて空間が軋み、小さな衝撃の渦が幾つも現れた。周囲の床が破裂するように割れていく。


 『万色』の魔導士は額に汗を浮かべながら、焦りを感じていた。


 行使した『送還センドバック』の魔法は発動したが、炎獣の抵抗レジストが想像以上に強く、完全に送還するまでに手間取ってしまいそうだ。加えて、魔導の力を行使しているときは魔導士自身が完全に無防備になってしまう。


 大魔導士ヴァンドーナほどの実力と経験があるならば、同時に複数の高等魔法を扱えるが、ルシカにはまだその自信がない。無理をすれば、せっかく発動した魔法が霧散してしまう可能性があった。


「もう少し……!」


 ルシカの魔法は、炎獣の抵抗を着実に退しりぞけている。もうすぐ決着が着く、そう思ったときだ――ルレファンが憤怒の表情で『破滅の剣』を床に突き立てた。再び闇の穴が開き、そこから長く巨大な影が現れる。


 そいつの動きは素早かった。長い胴体でルシカの体に巻きつき、グッときつく締めあげる。華奢な彼女の呼吸が止まり、全身の骨が激しくきしむ。ルシカは苦痛に顔を歪めながらも魔法への集中を続けた。


 この世のものとは思えぬほどに歪んだ頭部をもつ大蛇である。テロンはその頭部に力任せの一撃を叩き込んだ。彼の『聖光気せいこうき』が大蛇の表皮を焼き、頭蓋の一部を陥没させた。


「あぁあ……ッ!」


「ルシカ!」


 だが大蛇は僅かも緩むことなく、ルシカの体を圧迫し続けている。加勢しようとしていた仲間たちに向け、大蛇の尾先が矢継ぎ早に振り下ろされている。双子の王子以外の全員が、なかなか近づくことができないでいた。


 ルシカが苦痛のあまり閉じていた目を片方開いて、テロンを見た。オレンジ色の瞳には白い光が明滅している。さらに、ググッと大蛇の胴体が強く締まった。ルシカの腕も首も腰も足も、今にも折れてしまいそうだ……。


「テロン、油断するな!」


 クルーガーが、ルシカから目を離すことができず動きを止めていたテロンを叱咤し、同時にテロンに向けて振り下ろされた大蛇の尾を剣で逸らした。かえす魔法剣で、蛇の胴体をざっくりと切り裂く。


 テロンはすぐに我に返り、大蛇の頭部に向けて跳躍した。狙い澄ました衝撃波を、大蛇のぎょろりとした眼球に向けて繰り出す。


「ルシカ!」


 大蛇がひるんだ隙にルシカの体を締めつけていた部位に手を掛け、慎重に、だがありったけの力を篭めて引き剥がす。大蛇の力が緩み、ルシカは意識を失うことなく魔法効果を継続させることができた。


「うおぉぉぉぉぉぉ!」


 テロンの身を包む『聖光気せいこうき』が輝きを増し、大蛇の胴を引き裂いてゆく。ルシカの体は完全に開放されつつあった。


「させるか!」


 ルレファンが叫び、王子たちに向かって呪文の詠唱をはじめる。その肩に複数本のナイフが突き刺さり、ルレファンは堪らず苦悶の声を洩らした。フォーラスがどこかに身を隠し、ナイフを投げているのだ。腕と肩から血を流し、ルレファンはついに膝をついた。


 ジャアアアアアアアゥッ!


 大蛇が断末魔の悲鳴をあげる。テロンによって胴を引きちぎられ、さしもの冥界の大蛇も存在を保てなくなったらしい。悲鳴はどんどん小さくなっていった。


 同時に、炎獣の苦悶の声も聞こえた。輝く魔法陣が完全に炎獣の体を取り囲み、元の世界へと還すため、その構成要素を分解しはじめる。


 ルシカの気力と魔力が、炎獣の抵抗を圧倒したのである。炎獣が完全に消滅したのを確認し、ルシカは意識を失った。


「……ルシカ!」


 テロンは倒れかかるルシカの体を受けとめ、鼓動と呼吸を確認して安堵のあまり抱きしめた。彼を援護し続けていたクルーガーが剣を下げ、ふたりの隣でホッと息を吐いた。


 ティアヌは膝をついた幼なじみにゆっくりと歩み寄った。


「もうやめよう、ルレファン……。君がやろうとしていることは意味がない、間違っているんだ」


「寄るなッ!!」


 ルレファンはよろめきながらも立ち上がった。自身の血が飛び散って濡れた顔を上げ、ぎらぎらと光るふたつの瞳でティアヌを睨みつける。


 その瞳に込められた強い憎悪と怒り、拒絶の眼差しに気圧けおされたティアヌの足が止まった。


「俺は俺だ。俺が決める……」


 ルレファンは傷の痛みと毒にあえぎながらも、激しい口調で言葉を続けた。


「ティアヌ、おまえも消えてしまえ! 跡も残さず『無の女神』に喰われるがいい!」


「あきらめが悪いよ、あんたッ」


 威勢のよいシムリアの声が響いた。


「邪神でも何でも、神を人間族やエルフ族に操れるわけがない。どんな種族にだって無理さ。逆に喰われてしまうのがオチだよ!」


「フッ……それでも構わないさ」


 ルレファンはにやりと笑った。顔を上に向けて、吠えるように叫ぶ。


「『無の女神』ハーデロスよ! 貴様のこの世への降臨のためだ。俺に力を貸せ! 俺を『無の神殿』へと招き入れよッ」


 左手と右手を持ち上げ、それぞれの手に揃った神器を天に掲げた。すなわち『赤眼の石』、『青眼の石』、『虚無の指輪』、そして古代五宝物『破滅の剣』を。


「……え」


「な、何?」


「耳が……ッ!」


 ルレファンの言葉が終わると同時に、音ではない音が周囲を――おそらくこのディーダ湖全域を激しく揺さぶった。地下空間を照らしていた建物本来の照明魔法も、維持魔法すらも打ち砕かれ、喪失の衝撃が波紋のごとく広がっていく。


「クククッ……アーッハッハッハッハ!!」


 ルレファンはわらった。全身が黒いオーラを発する。目には見えないが、空間を圧する強大な力が急速に満ちはじめる。真っ直ぐに立つことも、呼吸すらもままならず、全員が床に倒れるように膝をついて苦しみ悶えた。


「……これがハーデロスの力かッ!」


 テロンが苦しみながらも叫ぶように言った。ようやく意識を取り戻したルシカもまた、苦しそうに喘ぎながら、それでも励ますように声を発する。


「うぅ……みんなッ! 精神をしっかり保って、自分の存在をしっかり感じるの!」

 

「こ、この……ッ」


 クルーガーが強靭な精神力で腕を伸ばし、剣を掴んだ。黒いオーラと圧倒的な気配を身に纏い、ルレファンに向ける。


「無駄だ」


 エルフ族の男はゆっくりと、倒れたままのリーファに歩み寄り、意識のない少女を左腕に抱え上げた。自身の肩に刺さったままのナイフに気づいて苛立たしそうに投げ捨て、右手に『破滅の剣』を握り直す。


「さらばだ」


 そう言い残し、背後に出現した黒き歪みの渦の中へ飛び込んだ。


「ルレファン!!」


 倒れたままのティアヌが必死で腕を伸ばすが、渦はルレファンと少女の姿を呑み込むと同時に、宙に溶けるように掻き消えた。


「……リーファ!」


 叫び、ティアヌは床をこぶしで殴りつけた。圧倒的な力で一行を押さえつけていた力は、いつの間にか消えている。


 うおぉぉぉぉおおおおぉぉん!


 不気味な地鳴りと、生き物の咆哮にも似た低い音が『湖底都市』デイアロスを駆け抜けた。音が消えると同時に、ゴゴゴゴゴゴ……という地響きが伝わってくる。


「いけない!」


 テロンの腕に抱かれたまま、緊迫した表情でルシカが叫ぶ。


「デイアロスを包んでいた障壁が、結界が崩れる――湖水がこの都市に流れ込んでくるわ!」


「すぐに脱出するんだ!」


 クルーガーが声を張りあげる。そして、三人の冒険者に向き直った。


「シムリア、もう俺たちの入ってきた昇降機は使えない。君たちが通ってきた抜け道に案内してくれないか」


「たとえその魔法陣が効力を失っていても、あたしが繋げるから」


 ルシカが、細いがしっかりした声で言った。


「――わかった。こっちだよ!」


 どこに居たのか、マウが何かを持ってきて、ティアヌにそっと差し出す。それはリーファの短剣ダガーだった。


 ティアヌが受け取ったことを確認して、マウはクルーガーの肩によじ登り、しっかりと掴まった。一行が駆け出す。


「ティアヌ、早く来い!」


 仲間の呼び声を受け、ティアヌが走り出す。手の中のダガーと、少女の面影に固く誓いながら――。


「リーファ……僕が必ず、助けます!」





 その日、ディーダ湖の水位が突然、大きく下がった。何か不吉な前兆だと周囲の人々は不安がったが、それは前触れでしかなかったのである。


 ――本当の災厄は、はじまったばかりだ。



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