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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
64/223

3章 湖底都市デイアロス 3-9

「あなた、さっきあたしたちのことを『黒い奴らの仲間か』って訊いたよね。何か知っているの?」


 後方に立っていたルシカが進み出て、警戒心の欠片もない様子でシムリアに問い掛けた。浮かべている魔法の光も彼女の動きに付き従うように移動したので、光の届く範囲がわずかに変わる。


 ルシカの手に握られている杖は、高価そうな石をめ込んだ見事なものだ。古代魔法王国の五宝物のひとつであることまでは見抜かれなくとも、並大抵の魔法使いでは使いこなせぬ品であることくらいは理解できたであろう。


「ええ。さっき言ったわね」


 シムリアと名乗った女戦士は、案の定、ルシカに疑うような眼差しを向けている。まるで緊張感のないルシカの態度が、自信たっぷりの侮れない相手であると誤解させても無理のない状況ではあった。ルシカは単に、世間知らずなところが抜けていないだけなのだが。


 テロンはさりげなさを装いながら、何かあればルシカをかばうことのできるよう、目立たない位置に移動しておいた。


「あ~、それより、順序立てて話すほうが早いと思いますよぉ」


 張り詰めた雰囲気に、ティアヌがいつもの口調で割って入る。


 場違いなほどにのんびりした口調に加え、ひとかけらの害も無さそうな笑顔だ。先ほどまでのフォーラスとの遣り取りの緊張感は微塵も残っていない。仲間たちはもちろん、冒険者たちも脱力してしまった。


「僕はティアヌ。見ての通りエルフ族ですが、もちろん怪しい者ではありません」


「自分で言うのか」


 薄い胸を張るティアヌの横から呆れたような口調でクルーガーが突っ込むと、巨漢の男がいかつい肩をひょいと上げて、口の端をグッと引きあげた。どうやら、彼なりに笑ったらしい。


「おもしれぇ連中だねぇ」


 たのしそうな大男の隣で、赤毛の女戦士が深いため息をつく。気を取り直したシムリアは自分の仲間たちを手で示しながら、順に名を紹介した。


「こっちはザアド、さっきのはフォーラス。ふたりとも調子が良すぎて困りモノだけど、頼りになる冒険者仲間なんだよ」


「あ、冒険者なんだ……」


 シムリアの言葉に、ルシカが納得したようにつぶやく。


 冒険者――この大陸においては立派な職業のひとつである。魔獣退治から遺跡の宝探し、簡単な作業から厄介な仕事まで何でも引き受ける、自分の腕と技量、そして仕事の報酬のみを支えとして暮らす者たちの総称だ。


 このソサリア王国でも広く認知されており、陸路を使う商人たちにボディガードとして雇われることも多い。気の合う仲間たちと集い、一攫千金を狙って遺跡探索で宝物を狙うことも少なくない。


「で、この遺跡に何かお宝はないかってね、来てみたわけ」


 ニッと笑ってシムリアが締めくくる。


「だがよくこんな、今までろくにひとが入ったことのないような遺跡を選んだな。湖の底、現在も稼動しているかもしれぬ魔法の罠……どんな危険が待ち受けているかもわからないだろうに」


 呆れているというよりは、むしろ相手の身を案じて発したようなクルーガーの言葉と声音に、シムリアがふと顔を逸らす。その横でフォーラスが、人差し指を左右に振ってみせた。


「あんた、わかってねぇなぁ。人の手が入らず、荒らされていねぇからこそ、貴重な宝に出会える可能性は計り知れないんじゃねぇか」


「それは一理あるな。……けれどいったいどこから、この都市に入ってきたと?」


 それまで黙って聞いていたテロンだったが、興味を惹かれて口を開いた。ルシカがこのデイアロス遺跡への扉を開く前、すでに同じ経路で誰かが入り込んでいたとは思えなかったからだ。


 シムリアたちはそこではじめて、ルシカの斜め背後に立っていたテロンに視線を向けた。魔法の光球を手に浮かべたルシカの背後は闇に沈んでいたので、動き以外にたいして注意を払っていなかったらしい。


 話していた相手と瓜二つの顔に驚いたシムリアたちに、「双子なんだ」とクルーガーが簡単に説明する。


「ふぅん……仲の良い身内がいるってのは良いことね。まぁ、白状すると、ここまで来られたのは偶然だったといえるわね。この湖の周囲にいくつかある遺跡のひとつが、この遺跡の内部に通じてたのさ」


 シムリア、ザアド、フォーラスの三人は、以前からこのデイアロスを狙っていたのだという。けれど湖をぐるりと調べてもそれらしい入り口を発見できず、いかにも怪しそうな湖の島へは不可思議な水流に邪魔をされ、船で渡ることも敵わなかった。


「古代グローヴァー魔法王国が崩壊して、誰ひとりとしてまともに探索に成功していないと伝えられている巨大遺跡だぜぇ。ほとんど手付かずのままの状態で残っている魔法都市と聞いたら、血が騒ぐってもんだ」


 言葉を続けるシムリアの横でフォーラスが肩をすくめ、両腕を広げた。


「そりゃ無理もするだろ? 価値のあるお宝に当たれば、がっぽり稼ぐことができるんだからさ。それで一生安泰、駄目ならそれまでってのが、俺たちの生き方だ」


 だが、さすがに手ぶらで帰るわけにもいかず、シムリアたちは湖近辺の小さな遺跡に潜り込んだらしい。


 内部を探索している途中、棲みついていた野生の魔獣たちと戦闘になった。その影響で壁面の一部が崩れ、奥に隠されていた小部屋で、この遺跡に通じていた魔法陣を発見したのだという。


「きっとその魔法陣は、非常時に相互通路を開く移動手段なんだわ。何かあったときの緊急魔法『脱出エスケープ』みたいな……。ね、発動したときどんな色の魔法が展開されたの? 詳しい構造がわかれば特定できるんだけど」


 ルシカが身を乗り出すようにして、その魔法陣の様子を聞きたがった。


 瞳をキラキラと輝かせているルシカの表情を見たテロンは、刹那、温かい笑みを浮かべるところだった。彼女は本当に遺跡や謎、伝承の類に目がないのだ。


 単に話を聞きたがっているだけの無邪気なルシカの様子だったが、いまだ警戒心を捨て切れていないシムリアは口を閉ざした。


 沈黙を補うようにザアドが大きくため息をつくようにして言葉を続ける。


「まぁ、でもよ、なかなかお宝探しってわけにもいかなくてな。着いてからあちこち見て回ったんだが、守護生物ガーディアンは今も壊れずに動いているしよ。追いかけられたりして、散々な目に遭っちまった」


 大男がため息をつくと、巨大な空洞を吹き抜ける風のような音になる。ザアドは意味深な様子で声を低めた。


「それで……途中で見たんだ。探索していたときに」


「何を?」


「何をです?」


 好奇心の程度は同じくらいではないかと思えるふたり――クルーガーとティアヌの声が重なる。


「黒い服着たやつらが大勢、移動していくのを見たのさ。地下に潜っていくから気になって後をつけた。そうしたら、いかにも怪しそうな祭壇に群がって、何か儀式のようなものをはじめたんだ。あれはゾッとしたね」


 シムリアが嫌なものを見たといわんばかりに、眉を寄せた。物怖じしないルシカが気軽な様子で女戦士に問いかける。


「ねえ、シムリアさん。ひょっとして奴らって、こんな紋様をかたどった大きな聖印みたいなものを掲げていなかった?」


 ルシカは『万色の杖』を片腕に挟むようにして支えたあと、空いた左手の指で円を作り、それに右手の指を真っ直ぐに立てて左の指に重ねるようにして、ふたつの半円に区切ってみせた。


「おお、それだよそれ」


 ザアドがポンと厚い両手のひらを打ち合わせる。


「やつらが床に描いてたぜ。何かの血を使ったみてぇな赤黒い塗料で、円に真っ直ぐに禍々しい剣が突き刺さったような図柄だった――」


「待ちなよ!」


 鋭い声をあげ、シムリアがザアドを制した。警戒した眼で眼前の一行――ことにルシカを睨みつける。


「なんでそんなことを知っているんだ、あんたたち。まさかとは思ったけど、奴らの仲間だったなんてことは――」


「違う!」


 クルーガーがきっぱりと言い切った。ひた、と真剣な面持ちでシムリアを真っ直ぐに見つめる。青の瞳と翠の瞳が、正面から向き合った。


「彼女は――ルシカは、我がソサリア王国の『宮廷魔導士』なんだ。そして並ぶ者がいないほどの知識量と実力を有する『万色』の魔導士でもある。やつらの仲間だからじゃない、調査や文献で得た知識として、知っているんだ」


「クルーガー?」


 クルーガーは驚いたルシカの声にも構わず、堂々と名乗りをあげた。


「俺はソサリア王国の第一王位継承者、クルーガー・ナル・ソサリア」


 シムリアはしばらく青い瞳から目を逸らさなかった。やがて、ふっと口もとを緩める。


「ふぅん、王子、か。普通の男じゃないとは思ってはいたけど。なるほどねぇ……どこのどいつかわからない行きずりの冒険者に身分を明かしたのは、こちらを信用しているんだと言いたいわけね」


 クルーガーは真剣な面持ちのまま、口もとだけで微笑した。


「まあ、そういうことかな」


「俺たちは黒装束たちの企みを阻止するために、ここへ来たんだ」


 兄の言葉に続けるように、テロンは口を開いた。足元に降ろされたマウが「そうー」同意の声をあげる。


「こいつら、嘘はついちゃいねぇよ。俺にはわかる」


 重々しく頷きながら、ザアドが言った。


「うるさいねぇ、そんなことはわかっているよ!」


 シムリアは仲間に向けてぴしゃりと言い、クルーガーたちに探るような視線を向けた。


 いかにも誠実そうな眼差しをした双子と、大きなオレンジ色の瞳できょとんと見返してくる小柄な娘。ひょろりとしたエルフ族の青年、幼さの残る顔立ちに似合わぬほどきつい眼差しをした少女。そして、床をポテポテと歩き回るいかにも無害そうな白いかたまり――。


 風変わりな取り合わせの一行を順に見回し、シムリアは大きくため息をついた。


「あたしは魔法だの何だのはよくわからない。でも、あの黒い奴らの儀式は、もう完成間近だったと感じたよ。雰囲気でね」


「何ッ!」


「本当か!?」


 声をあげかけるクルーガーたちを制し、シムリアは彼らに向けて手招きをしながら駆け出した。


「こっちだ! やつらを阻止したいなら急いだほうがいい。案内するよっ」





「あと、どれほどの時間が要るのだ?」


 デイアロスの封印神殿、最深部――。


 最下層に灯された光では届かぬほどに高い天井には、奇妙なほどの圧迫感をもつ闇が溜まっており、不可思議な紋様を織り成す石床には赤黒い円と剣とがべったりと描かれている。


 歪んだ力場を保持し、さらに強めるため、黒い装束を身に纏った男たちが集っている。


 その黒い集団の傍で、ひとりだけ黒ではない色彩に身を包んだ丈高い影があった。堂々とした骨格と立ち姿は、見紛うことなく男のものだ。


「……もう一度問う。あとどれほどの時間が必要なのだ」


 発せられた声は、言葉を向けられた者の肌を刺し貫く冷気のように容赦のない響きを含んでいた。


 その声に秘められた苛立ちを感じ取り、問われた黒装束の男の体に震えが走る。だが、黒装束の男は怯えを覆面の内に隠したまま、ことさら丁寧に膝をつき、眼を合わせぬようにして深々と頭を垂れた。


「そんな礼儀など何の足しにもならん。お前たちには答えるだけの舌もないのか」


 吹雪の声の男はつまらなさそうに言い捨て、目の前で膝をついている男を侮蔑の眼差しで見下ろした。


「お、おそれながら……」


 今は亡き、偉大なる指導者ダームザルト様が居てくれたら――それが黒装束の男の本音であった。彼はこんな野蛮な他種族の者に膝をつかなければならないことをひどく悔しく感じていたのだ。


 だが、重い口を開いて答えた声にはそのような真の感情を微塵も感じさせぬように努め、淡々と言葉を並べてみせるのであった。


「もう間もなくにございます、ルレファン様。もうしばらくのご辛抱を」


 男は、膝をついたまま動かない影のような黒装束の男から視線を上げた。その動きに赤銅色の髪がさらりと流れ、先端の尖った耳があらわになる。上げた瞳に目当ての物を映し、にんまりと笑みを浮かべた。


「……アレさえ……手に入れば……」


 男の赤い両眼に、もうすぐだという期待と、まだかという焦燥と、ふたつのほのおが燃えあがる。


 男の眼前には『祭壇』があった。むろん、神々への信仰を持たぬ魔法王国の建造物の内部である。それは祭壇では在りえない。とてつもない魔力を持つ五宝物を封印する結界のためのいしずえだった。


 しかし、数千年来(おとな)う者さえいなかったデイアロスの深部、裾の長い黒装束を身にまとった人影が多数、手にしている邪神の聖印をかたどった杖で祭壇を取り囲み、祈りを捧げている様子は、この場所を神殿だと呼ぶに相応しい雰囲気をかもし出していた。――ただし、邪教のそれである。


 複雑な紋様が絡み合うように刻みつけられた祭壇には、触れただけで魂ごと弾き飛ばされそうなほどに強力な魔法の力場が展開され、その中央にひと振りのつるぎがあった。刀身は黒い金属で作られている。いや、金属なのかどうかも定かではない。それは、内から光を発してでもいるかのようにギラギラと闇色に輝いていたのである。


 表面にはびっしりと高等魔法語が並び刻まれ、かなり大型の剣であり、明らかにひとの扱う長さではなかった。二リール(メートル)近くの長さがあるのだ。光のあふれる力場のなかに納められていてもなお、黒く禍々しい波動を脈々と発し続けていた。


「美しい……」


 魔剣を見つめたまま、男はうっそりと微笑んだ。剣の美しさは、人智を超越したものの持つあやしい美しさだった――思わず手にしてみたいという誘惑を感じずにはいられぬほどの羨望と渇望。その剣は、彼が求めていた絶対的な力と滅亡の象徴でもあった。


 祭壇の周囲には、ハーデロスの聖印を掲げた黒装束の男たちが並び立ち、結界をぐるりと取り囲んでいる。


 結界は、すでにその効力の大半を失っていた。だが魔導の技によって施され、徹底的に管理されていたはずの封印魔法を解除しようとしているのは、魔術ではない。すでに揃えられた『赤眼の石』、『青眼の石』、『虚無の指輪』という品々を通し、ハーデロスが神界からこの現生げんしょう界へと直接おのれの力をふるいはじめているのだ。


 赤い瞳を持つエルフ族の男、黒装束を纏う邪教徒たちは、封印結界そのものがハーデロスの『無』に喰われて完全に消失する、そのときを待っていた。





「確かに、間もなく封印が解かれてしまいそうね」


 最下層である封印の間の天井は、王宮の図書館棟がすっぽりと入るほどの高さがある。


 床からかなりの高さにある壁内部に設けられた通廊の窓から『遠視マジックアイ』の魔導の技を遣い、下の様子を窺っていたルシカが厳しい面持ちで仲間たちに報告した。


 通廊から窓までは背丈を超える高さがあったので、ルシカはテロンに肩車されている。テロンの筋力にしてみればルシカの体重は羽のように軽いのだろうが、ルシカの姿勢が実に危なっかしいものであった。


 テロンの横で、クルーガーが落ち着かなげな面持ちで彼女の様子を見守っている。無理もないか、と思わずテロンは苦笑をもらしてしまった。


 弟であるテロンが間違っても彼女を落とすことがないのは彼も承知しているだろうが、確かにルシカは馬に乗っているときにもいつだって落馬しそうなのだ。ハラハラさせられっぱなしで苦労しているテロンに向け、クルーガーは自分の馬と馬術なら問題ないからとよく交代を提案していた。


 しかし、兄の馬上にあっても彼女のバランスが危なっかしいのは変わらないと、テロンは思うのだが。


「しかし、奴ら魔導士じゃないんだろう? どうして魔術師たちが厳重であるはずの封印結界を解くことができるんだ」


 難しい顔をしているクルーガーが、ルシカに訊いた。


「封印を解いているのは彼らじゃないわ。魔術師が何人居たって、魔導の技で管理されている上級結界の解除はできないもの。結界そのものが、喰らいつくされようとしているの……『無の女神』の力によって」


「なんだって? では、ハーデロスはすでに揃えられた祭器を介し、神界からこの世界に干渉しはじめているということか!」


「すでに手に入れた祭器……『赤眼の石』と『青眼の石』のことか! では、わたしの村を滅ぼしたやつらが下に居るんだな!」


 リーファは叫ぶと同時に勢い良く駆け出した。少女の腕を、間一髪、傍に居たティアヌが掴んで止めた。


いては事を仕損じます」


 落ち着いた声音で言う青年の顔を、リーファはキッと激しい眼差しで見上げ、何か言おうと口を開きかけた。


「僕も一緒に行きますから」


 続いて発せられた言葉に、リーファが目を見開いて動きを止めた。唇を噛みしめ、ゆっくりと頷く。あらがおうとしていた力が抜けたことを確認し、ティアヌは手を離した。


「もう時間がないわ」


 ルシカがテロンの肩から降りながら緊迫した声を発した。確信を籠めた眼差しで仲間たちを見回す。


「封印結界が……最後の魔導コードが消失してしまう」


「よし、降りるぞッ!」


 ルシカの言葉を聞いたクルーガーは、迷うことなく決断を下した。そしてシムリアたち――三人の冒険者たちを振り返る。彼が「どうする」と訊く前に、冒険者たちからいらえが返ってきた。


「あたしたちも行くよ! なんだかこの世界の危機ってな感じの話じゃないか。あたしたちも無関係ではない、そうだろ?」


 シムリアの言葉に、ザアドとフォーラスが頷く。クルーガーは真剣な眼差しのまま、口元をほころばせた。


「よし、ではともに行こう!」


 テロンたちは駆け出した。封印の間の最下層へ向かって。



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