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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
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3章 湖底都市デイアロス 3-8

 テロンたち一行を乗せた昇降機は降下を続け、都市深部の一角にある暗闇へと真っ直ぐに吸い込まれていった。


 下に押しつけられる感覚と同時に減速し、完全に停止する。入ったときと同じように壁の一部が消失し、開け放たれた扉のようにぽっかりと開いた。訪れた者を『湖底都市』へといざなうかのごとく。


 昇降機から降りた場所は、どこかの建物の内部らしかった。目が慣れぬうちは視界が利かず、ただ足音の反響により、がらんと空虚で天井が高く、相当に広い空間であることがわかるのみ。生き物の気配はない。


 それでも一行は警戒を緩めることなく、淡い光の見えるほうへ向かって歩み進んだ。彼らの予想どおり、光の先は建物の外へ続いていた。


「これは――!」


 その場所にたどり着いた仲間たちは、驚愕のあまり目を見開いて立ち尽くした。瞬きを繰り返したあと、瞳を輝かせて眼前に広がった光景を眺め渡す。


 はじめに驚きから立ち直り、『湖底都市』ディアロス内部へと一歩を踏み出したのはルシカだ。


「……すごいわ……」


 彼女の感動の大きさを表すように揺れ動いた小さな肩に、やわらかそうな金色の髪がふわりとかかる。テロンも彼女に並び立ち、改めて感嘆の溜息をついた。


「壮観だな。こんな都市があったとは」


「なんと……素晴らしい」


「だけど、怖くもありますねぇ」


「こんなもの、造ったというのか……?」


 仲間たちも次々と建物から歩み出てきて、各々の感想を洩らした。


 そこには『湖底都市』の名に相応しい、魔法王国期の大都市デイアロスの、想像を遥かに越えた景観が広がっていたのである。そこには、青、蒼、碧、紺碧、濃藍――世界を構成している凛と澄んだ色のすべてがつどっているかのようであった。


 まるで別世界へと迷い込んだような感覚だ。現代の建築では実現できぬほどに洗練された高層建造物、なめらかな街路、幅広く効率的な道の繋がりと構造――明らかに、このディーダ湖自体が自然の産物では有り得ぬと思われた。水面まで一千リール(メートル)はありそうだ。


 湖底は地上と同じく多少の起伏はあるが、なめらかな平地となっている。


「――ッ、ここには空気があるんですね!」


 突然ティアヌが声をあげ、思い出したように自身の口を押さえた。


 テロンも我知らずひそめていた呼吸に気づき、ゆっくりと深く吸い込んでみた。遥か過去に封じられた湖底だというのに、清浄な空気が満たされていることに驚いてしまう。特に息苦しく感じることもなく、かびの匂いもまったく感じられない。


 彼が何より驚いたのは、都市全体が水を通さない巨大なドーム状の結界に覆われていたことだ。


「今も魔法が活きている。何千年も時を経ているとは思えないな……。それにこの光景――まるで深海の底に立っているかのようだ」


「……古代魔法王国のほうが現代より文明が進んでいたということか」


 テロンの隣に立っていたクルーガーが、光の波紋のごとく模様を変える結界を見上げ、感心したようにつぶやいた。


 遥かな昔、ここが人口数十万を抱え、まだ都市として機能していた頃には、湖底全体に明るい光が灯され、地上に積み上げられた星屑のごとく華やかにきらめいていたのであろう。


 だが今は、遥か上の水面から差し込む光のみが光源であり、広い都市の奥のほうはあおい闇のシルエットに沈んでいた。その物寂しさと静寂が、かえってこの場所をひとの領域に在らざる、一種の聖域であるかのように静謐な気配すら漂わせていたのである。


 後ろを振り返ると、高い塔のようなものが遥か頭上へと繋がっている巨大な建造物があった。


「なるほど……この塔の中を降りてきたのだな」


 仰け反るように首を反らせ、リーファが呆然とした表情のまま言った。彼女の様子につられるように一行が上を見ると、水面と思われる遥か上に黒々とした円い盆のような影があり、塔の先端部分と繋がっていた。


「あれが、入り口の島なのね」


 ルシカが納得したように姿勢を戻し、傍らに立っていたテロンに視線を向ける。テロンは彼女に頷いてみせた。


「あの中を俺たちは降りてきたということだな。……しかし遺跡だというから、地上に残るものと同様、もっと崩れかけた様子を思い描いていたが……ここは少し手を加えればすぐにでもひとが住めそうだ。保存状態は最高だな」


 感心したテロンがルシカと話していると、クルーガーがふたりの傍に歩み寄ってきた。


「スケールが大きすぎて、常人の理解を超えている。古代魔法王国とはいかなる叡智と技術に満ちあふれたものだったのか、興味は尽きないな」


 彼は都市の真上から奥闇へと投じていた視線を戻し、言葉を続けた。


「だがテロン、ルシカ。遺跡の調査のほかに、俺たちにはやるべきことがあっただろう」


「――そうだ、感心している場合じゃない」


 テロンは仲間たちを振り返り、自分自身にも言い聞かせるように低くよく通る声で言葉を発した。


「この間にも、敵の手が『破滅の剣』に伸ばされているかもしれないんだ。すぐに出発しよう」


「とは言っても、どこへ行けばいいんだかなァ」


 クルーガーが片手を腰に突き当て、肩をすくめた。ルシカが頷き、デイアロスの巨大建造物群に瞳を彷徨わせながら口を開く。


「……確かにそうね。この都市全てを探索していたら、月単位の時間が必要になりそうだもの。規模が大きいだけじゃないわ。内部はかなり複雑に入り組んでいるはずだから」


「わるいかみさまのもの、しんでんにある、ちがう?」


 周囲をポテポテと歩き回っていたマウが立ち止まり、ルシカを見上げるようにして言った。


 問われたルシカは顔を伏せるようにして、深く考え込んだ。金の髪がふわりと揺れ、すべらかな頬にかかる。


「うーん、どうかしら。グローヴァー魔法王国を統べていた魔導の民に、神への信仰というものがなかったの。魔導の力こそが神々に与えられた叡智そのものだったから。今に残る『神殿』と呼ばれる建物には、手に負えなかった魔導の技や品が納められていたのよ。封印や結界により厳重に管理されて――」


 そこまで語ったルシカは、ハッとなって自分の口に手を当てた。


「そうよね、『破滅の剣』だってそのひとつに数えられるはず。それなりの設備が整った建物に保管されていると考えれば……」


「なるほど! つまり、神殿みたいな建物を探せばいいんですね!」


 顔を輝かせて意気込んだティアヌに、遠くを見透かそうと都市の奥に視線を向けていたクルーガーが言った。


「だが、その建物の規模すらわからない状況で、特定するのは難しいぞ。でかい建物なら、この周囲に見えるだけでも何十とある」


「――手に負えない品なら、さっさと壊してしまえば良かったのに」


 眉を寄せたリーファが、当時の魔導士たちに向けて吐き捨てるように言葉を発した。彼女の感情には、傍らに立っていたティアヌが穏やかな口調で応える。


「そうですねぇ、本当に。……しかし、強大な魔法の宝物は、その分とてつもない手間と代償をつぎ込んで作られます。壊そうとすれば、その品が強力であれば強力であるほど、相応の代償が必要になるんですよ」


 テロンはルシカを見た。


 彼女は黙したまま静かに目を閉じていた。魔導の技によって何かを探ろうとしているのだろうか。手にしている『万色の杖』の先端にある虹色の魔晶石が、さまざまな色合いに変化している。


 ふいにルシカが顔を上げ、目を開いた。稀有な色彩であるオレンジ色の双眸に白い光が踊るように輝いている。見つめていたテロンと視線があったので、もの問いたげな瞳で彼をきょとんと見つめ返す。瞳の白い輝きはゆっくりと消えていった。


「どうしたの? テロン」


「あ、いや。なにか調べているようだったから」


 心配になって、と言葉を続けなくとも彼女にはきちんと伝わっていたらしい。ルシカはテロンに微笑んだあと、杖を手にしていないほうの腕を上げた。都市のある一点を指し示す。


「あの方向から、強い魔力マナの波動を感じるの」


「『破滅の剣』のものか」


「いいえ、そうじゃない――」


 ルシカは首を振って再び瞳に力を込め、自分の言葉を確認するかのようにその場所を見つめながら言った。


「この気配はおそらく、『破滅の剣』の力を抑え込み、内に保管している『封印の結界』のものだわ。つまり、やつらはまだ『破滅の剣』を手に入れていないということ。でも……どんどん結界の力が弱まっているのがわかる」


「なるほど。見方を変えれば、感じて探すこともできる……か」


 クルーガーが感心したようにつぶやきながらルシカを見つめた。そして我に返ったように顔を上げ、仲間たちに向けて声を張りあげる。


「よし。やつらが完全に結界を破って『破滅の剣』を手に入れる前に、たどり着こう! そこでやつらをとっ捕まえてやろうぜ!」


 それを聞いたマウが頷き、クルーガーの鎧の肩によじ登る。兄の言葉に、テロンも力強く頷いた。


「ああ。なんとしても阻止しないとな」


「そうね。魔法は任せて。そうと決まればさっそく――」


「あ、ちょっと待ってください、ルシカ。この薄闇のなかで明かりを灯して進むのはまずいと思いますよ」


 『光球ライトボール』の魔法を行使しようとしたルシカを制し、慌てたようにティアヌが口を挟んだ。厚くもない自分の胸板をトンとこぶしで打ちながら、にっこりと笑う。


「僕が先頭に立ちましょう。エルフ族は暗くても目が利きます」


「ならば、俺も一緒に先頭に立とう」


 クルーガーが進み出て、腰に帯びている魔法剣の柄を叩いてみせた。それを聞いたマウがクルーガーの肩から降り、テロンの肩によじ登る。


「では行こう。各自、警戒を緩めないようにしてくれ」


 テロンの言葉に、全員が頷いた。クルーガーとティアヌが先を進み、リーファとルシカ、そしてテロンが最後尾を守るように続く。


 あお静謐せいひつな空間に建ち並ぶ整然とした建造物は、いにしえの権力者たちの眠る巨大な墓石のようであった。静寂に支配された街路のあちこちにある驚異的な光景に嘆息しながらも、テロンたち一行は奥へ奥へと進んでいった。


 目指す場所には、ひときわ巨大な建物が鎮座している。


 ソサリア王宮の建物と同じほどの規模をもつ、飾り気のない神殿めいた建物だ。ルシカが指し示しているのは、この入り口から奥深く潜った場所で間違いないらしい。


 入り口と思われる四角い穴をくぐり抜け、建物内部に入ろうとしたときだ。先頭を歩くティアヌが、ハッとしたように足を止めた。聴覚に優れた耳が、ひくりと動く。


 テロンはティアヌの様子を正しく読み取り、全身を緊張させた。感覚を研ぎ澄ませ、建物内部にぐるりと視線を奔らせる。


 仲間たちも各々の表情を引きしめ、眼を見交わした。どうした、などと訊くことはしない。クルーガーが音を立てずに愛用の剣の柄を握ってみせる。


 ティアヌが微かに頷き、テロンたちは何事もなかったかのように巨大建造物の内部へと足を踏み入れた。


 天井は高く、内部の広さも相当なものである。外観からは想像もつかなかったほどに様々な装飾が随所に施されていた。


 華美なものが好まれなかった王国中期のものとしては珍しい、生きていると見紛うほどに見事な彫刻の像があちこちに飾られ、ようやく闇に慣れた視界に入ったときに人影かと錯覚してしまい、際限なく緊張が高まってゆく。


 明かりを灯すための燭台は見当たらなかった。かわりにすべらかな表面をした球状の置き物が卓上や壁に取り付けられており、よく磨かれた水晶のようなパネルが幾つも暗い天井に整然と並んでいる。


 広いホールの先へは、何本もの通廊がのびていた。


 ルシカが無言で方向を指し示す。魔導士である彼女は結界の放つ魔力を感じているのだ。仲間たちは無言で頷き、彼女の導きに従った。


 ――廊下へと続くホールの端に差しかかったときだった。


 突然、闇のなかに鋭い光がひらめいた。


 ガキィィンッ!! 金属同士のぶつかる凄まじい音と同時に、闇を切り裂く火花が散った。目にも留まらぬ速さで引き抜かれたクルーガーの剣が、闇奥から繰り出された必殺の一撃の白刃を受け止めたのだ。


「どりゃあッ!」


 雄たけびと同時に繰り出されたアックスの重い一撃は、テロンの拳が刃の横っ面を叩いて軌道を逸らした。斧はかなりの重量があるらしく、そのまま床石を叩き、粉々に破壊した。飛び散った破片の落ちる音が派手に響く。


 テロンは大きく一歩踏み込み、斧を握る相手に素早い一撃を加えた。強引に距離を押し開き、その隙に仲間たちの状況を確認した。


「チッ」


 闇の向こうから聞こえた悔しそうな舌打ちとともに、空気を切り裂いて迫る数本の短剣ダガーの気配。ティアヌの眼前に飛び出したリーファが、自分のダガーで次々と叩き落とす。


「――ルシカ!」


 テロンの声とほぼ同時に、すでに準備動作を終えていたルシカの手から、輝く光球が放たれた。碧い月の光のように冴え冴えとした魔法の光が広がり、瞬時に周囲の闇を押し除ける。


 クルーガーの長剣をかなりの強さでギリギリと押してくる幅広の剣(ブロードソード)を支える腕は、意外にも細かった。その人物をも光は照らし――。


「君は!?」


 クルーガーが驚いたように口を開く。だが、驚いたのは相手も同じだったらしい。


「あ、あんたはっ」


 印象的な翠の目を見開き、赤毛の髪を振って声をあげたのは、ミディアルの街の通りでクルーガーが出逢った女戦士だった。


「こんなところで何をしているんだッ!?」


「あんた、あの黒い奴らの仲間なのっ!?」


 クルーガーと赤毛の女戦士の声が重なった。そのふたりの声に、臨戦態勢をとっていた仲間たちの動きが止まる。


「シムリア! こいつら知り合いなのか?」


 テロンに再び挑もうと得物を振りかぶっていた巨漢の斧使いが、赤毛の女戦士に声を掛けた。重量のある大きな戦斧を振り上げたまま動きを止めても、微動だにしていない。


「まぁね。ちょっと恩があるのよ」


 シムリアと呼ばれた赤毛の女戦士は、剣を押していた力を抜いた。


「これは失礼をしてしまったな。レディに剣を向けるものじゃない」


 クルーガーもまた剣を引き、流れるような動きでさやに戻した。まだ剣を握っている相手を目の前にして、逡巡のかけらもない。


 シムリアは一瞬、ポカンとした表情になったが、次の瞬間ぷっと吹き出した。肩上で切りそろえられた髪が楽しげに揺れる。完全に剣を下ろし、構えを解く。


「本当にあなたって、面白いひとね。――どうやら、あたしの勘違いだったらしいわ。黒い奴らの仲間と違うみたい」


「あ~、こいつら、違うんですかい」


 巨漢の男は、名残惜しそうな様子で戦斧を背中の留め金に戻した。まるで遊んでいたおもちゃを取り上げられた子どものようだ。


「まぁったく、姉御は顔のいい男に弱いんだからなぁ」


「フォーラス。馬鹿言ってないで出ておいで」


 シムリアは背後の闇を振り返り、剣を持っていないほうの左手を腰に当てた。


「へいへい」


 だるそうな返事が返ってきて、黒っぽい色の皮鎧を見に着けた男が魔法の光が届く範囲に入ってくる。


「暗闇の中からいきなり斬りかかる、というのは、あまり感心できませんね」


 とがめるようなティアヌの言葉に、フォーラスという名の盗賊シーフの男は、肩をひょいとすくめてみせた。痩せた口もとに皮肉っぽい笑みが浮かぶ。


「さすが、礼儀を重んじることで有名なエルフ様だぜ」


「な」


 いつも穏やかなティアヌの顔色が変わった。頬が朱色に染まり、繊細な手指に力が籠められる。


「ティアヌ」


 テロンは落ち着いた声音で、ティアヌの名を呼んだ。静かに響いたテロンの声に打たれ、ティアヌがハッと我に返る。下唇を噛み、うつむいた。


「すみません」


 盗賊シーフの男にではなく仲間たちに向かって、しょんぼりと肩を落として謝った。リーファが、そんなティアヌを心配そうに見上げている。


「フォーラス!」


 ガツンと小気味よい音が響く。シムリアが、シーフの男の頭をこぶしで殴ったのだ。まるで姉が弟を叱りつけるときのように屈託のない口調であったが、殴った力も容赦のないものであったらしい。痩せ気味の男は脳天を抑えてうずくまった。涙目になっている。


「痛ぇ……。ちぇっ、口より手のほうが早いんだからさぁ」


 ぼやくフォーラスを放っておいて、シムリアはクルーガーたちに向き直り、腰に手を当てて真っ直ぐに立ったまま弁解するように口を開いた。


「悪かったわ、いきなり斬りかかったりして。そっちの魔術師さんの言うとおりだわ」


「いえ、そんな……」


 ティアヌは首を振り、額に手を当てて目を閉じた。次に開いたときには、いつもの穏やかな表情に戻っていた。



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