2章 ふたりの王子 3-5
確かによく似ている、とテロン自身も思っていた。
どちらもクセのない真っ直ぐな金髪をしていて、空のように青い瞳、母譲りの端正な顔立ちは、ふたりを双子だと知らない者がそれぞれを別場所で見たら、同一人物だと思い込んでしまうほどによく似ている。
けれど注意深く見れば、体格は全く異なっているのだった。どちらも人間族にしては長身であったが、テロンのほうが兄よりさらに拳ひとつ分ほど高く、より筋肉の発達した体格をしている。クルーガーはどちらかといえばスラリとした印象だ。流れるように涼やかな仕草も印象に一役買っているのであろう。
そも、クルーガーはテロンのような胴着のみを着用することはなく、軽いものではあったが金属でできた鎧を装着し、腰には重厚な長剣を帯びている。昼間の普段着ならば、余程のことがない限り間違われることはなかった。
また、ふたりは髪形も違っていた。クルーガーは普段真っ直ぐに伸ばした髪を背に流しているが、テロンは動きの邪魔にならない程度には短めに整えたほうが落ち着くのであった。
考えてみれば物心ついた頃から、あえて自分の衣服の色や行動、得意分野などを相手とは違うものにしようと躍起になっていた憶えがある。それでも、ふとした行動や好みは重なることも多く、互いに苦い笑いを浮かべて目を見交わしてしまうこともしばしばなのだが……。
「なるほど、双子か」
最初の驚きから立ち直ったあと、リーファは興味なさげにつぶやき、視線を逸らせた。そんなリーファに、クルーガーが快活そうな笑みを顔に浮かべ、陽気な調子で声を掛けた。
「さて、こちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「か……かか可愛い、おじょうさん……?」
にこにこと破顔したまま視線を向けてくるクルーガーに、不意打ちを喰らったようにリーファが頬を引きつらせた。少女らしい戸惑いが、冷たく取り澄ましていた顔に浮かび、みるみる頬が赤く染まる。少女はなんとか平静を取り戻すと、押し殺した声で叫ぶように名乗った。
「お嬢さんなどではない。わ、わたしはリーファという名前だ」
「えぇっと、はいはい。失礼しますね。僕はティアヌといいます。『隠れ里』出身のエルフで、魔術師です」
あくまでのんびりとした口調を崩さないまま、不自然なタイミングでティアヌが割って入る。クルーガーは、気さくな笑顔をして「そうか、よろしくな」と片手を挙げて快活に応えた。
「……本当に変わらないよな、兄貴は」
テロンは目の前の遣り取りを見て、こめかみを指で揉み解しながら言った。その横ではルシカが、このふたりの遣り取りも変わらないみたい、といわんばかりの表情で、それらの光景を呆れ顔で眺めているのであった。
「それで、クルーガー。ここに居るのはおじいちゃんから何か言われたからだよね。だってあたしたち、この街に立ち寄るなんてひとことも王宮に知らせていなかったもの」
騒ぎ疲れたのだろう、いつのまにか腕の中で眠っていたマウを別のソファーにそっと降ろしながら、ルシカが訊いた。体を起こし、細い腰に手を当てて首を傾げてみせる。
「そのとおりだ、さすがルシカ。祖父の動向には鋭い勘だ」
クルーガーはこの上なく愉しそうに笑いながら、彼女に流すような目を向けた。ルシカがすべらかな頬を膨らませ、自分より背の高い相手を上目遣いで見上げる。
「最近、クルーガーってばおじいちゃんに似てきた気がする」
「それは光栄だ」
ルシカの言葉に、クルーガーはニヤリと笑って言葉を返した。マウを降ろしたことで両手が自由になったルシカが彼に歩み寄り、横腹に向けて軽くこぶしを突き出すと、クルーガーが「イテ」と笑いながら応じる。
「おじいさんって、どなたです?」
目の前で繰り広げられる騒ぎに目を丸くしていたティアヌがようやく立ち直り、彼らに向けて尋ねる。
兄クルーガーとルシカの遣り取りを、いつものごとく呆れながら眺めていたテロンが、彼らに代わって説明をした。
「ルシカの祖父、『時空間』の大魔導士ヴァンドーナ・ガル・メローニ殿のことだよ。彼は未来を見通す魔導の力をもつといわれている。彼女は大魔導士の唯一の弟子でもある。ルシカ・テル・メローニ。このソサリア王国の宮廷魔導士なんだ」
「きゅうてい……宮廷魔導士ですか」
「そして俺の名はテロン・トル・ソサリア」
今さらだなと頬を掻きつつ、背筋を伸ばしたテロンは改めてティアヌとリーファに向けて名乗った。そして、自分たち双子がソサリアの現国王ファーダルスの息子であることを明かした。
「何と……王子殿下でしたか」
驚きのあまり、ティアヌの切れ長の目が丸くなった。背筋を伸ばし、表情を引きしめる。
「そのことはあまり気にしないでもらいたいんだが――」
テロンが苦笑した。安全を考え、旅の途上で不必要に身分を明かすことはしないのが常だったので、困ってしまう。
「この者たちは信用できるから心配ない。それに、詳しく説明すると約束したんだ」
テロンは兄に彼らのことを保証しておいて、ティアヌとリーファにこれまでのいきさつを話しはじめた。
「黒装束を纏った集団が、『無の女神』ハーデロスの信者として各地で暗躍している。今回、ラシエト聖王国との友好関係を危うくさせる事件を起こしたのも、トット族とフェルマの民、ふたつの村を襲うための陽動だったのではないかと思えるんだ」
実際、数日の間、国境付近の魔法の動向監視が止まっていたのである。その数日間というのは、リーファの話を聞いて判明したフェルマの村襲撃の日と一致していたのである。もちろん、トット族の集落襲撃も含まれている。
「連中は頭がいいわ。こちらも、すぐに行動するべきだと思うの」
ルシカは厳しい表情で言葉を継いだ。今はじめて事情を聞いたはずのクルーガーが、彼女に向けて心得顔に頷く。
「俺がここに来たのは、ヴァンドーナ殿にこれを預かったからなんだ」
クルーガーは荷物の中から平たい箱のような布包みを取り出した。慎重に包みを解かれ、部屋の中央にあるテーブルの上に載せられたものは、かなり重量があるもの――古い書物であった。表面に刻まれている文字は、魔文字ですらないようだ。
「古代魔法王国期の文献ですか」
ティアヌとリーファは、身を乗り出した。魔術師であるティアヌにも理解できるものではなかったらしく、書物の表紙に綴られている文字らしき羅列を見て首を捻っている。
「これは『真言語』の表記文字!」
テロンの隣で、驚愕したような声が発せられた。見ると、隣にいたルシカの顔色が変わっている。
『真言語』は、一字一句が魔法陣と同じほどの影響力をもつ、魔導士にしか扱うことのできない文字、或いは言語である。魔導士の力を継ぐ者が少なくなった今、危険な書物として厳重に扱われるしかなくなり、けれど綴られた叡智の価値は計り知れぬほどに大きい、値をつけることができぬ遺物となっているのだ。
王宮の文官たちとは別に、日々ルシカが解読を進めている書物が、この類のものである。王宮の図書館棟には今も、分類を待って眠る膨大な数の『真言語』の書物が保管されている。彼女の祖父が、その中から送って寄こしたのだろうと思われた。
「これを届けるために、よく外出が許されたわね。『真言語』は扱い方を間違えるとすごく危険なのよ」
ルシカは書物の頁を慎重に繰りながら、クルーガーに向けて言葉を発した。
「いや、抜け出してきた」
クルーガーがあっさりと応える。
「……兄貴らしいが、ルーファス殿に同情するよ」
額を手で覆いながら天井を振り仰ぎ、テロンは長い溜め息をついた。王宮の騎士隊長兼お目付け役は、礼儀や稽古に厳しいだけでなく、極度の心配性でもある。
「同感ね。帰ったらまた、補習の渦のなかに叩き込まれちゃうわよ、クルーガー」
ルシカも書物から目を離さず、うんうんと何度も頷いている。
「ルーファスって、どなたです?」
ティアヌの疑問には、テロンが答えた。ルシカは気になる箇所でもあるのか、真剣な表情で書物の上に身を乗り出し、眼を往復させるのに忙しい。
「ルーファスというのはは、ソサリア王国の騎士隊長の名だ。俺たちの幼少の頃からの教育係で、兄貴の剣の師匠でもある。王宮を無断で抜け出したんだから、あとでこってり絞られるだろうな」
夢中になって読み進めているルシカを見守っていたリーファが、急いたように口を挟んだ。
「この本の内容は? やつらの企みに、何か関係があるんでしょう?」
「ヴァンドーナ殿が寄こした古代の文献だ。たぶん、今回の事件と関係があるんだろう」
クルーガーもひどく気になっているらしい。読み進めているルシカの様子から目を離さず、見守り続けている。『時空間』の大魔導士は、時々未来を見通す力を発揮する――とはいえ、好きなように起こる事象の全てを『知る』ことはできないらしいが、テロンたちはこれまでに何度もその類稀なる能力を目の当たりにしてきたのだ。今回の行動も意味がないはずがない。
「ん……そうね、端から端まで解読するのは時間がかかるけれど」
ルシカが書物から目をあげた。そのとき、夜明けの太陽のようなオレンジ色の瞳に、白い光がきらりと踊ったようにテロンには見えた。並ならぬ魔導の力を行使しているときに、ルシカの瞳に宿る光だ。ルシカ本人が自覚しているかどうかはわからないが、共に行動しているテロンはその事象に気づいていた。
『真言語』は一字一句が魔法陣のようなものだと聞いているから――解読するだけでも相当な気力と魔力を使っているに違いない。また無理無茶をしているんだな……と、テロンはルシカの体のことが心配になってしまう。
「神界からの召喚に関する記述がいくつもあったわ」
テロンの心配を知ってか知らずか、ルシカは瞳に籠めた力を緩めようもしないまま口を開いた。
「順を追って説明するね。――魔導士たちの言い方でいうと、この次元は五つの世界から成り立っているの。今、私たちの在る現生界、幻精界、星界、冥界、そして神々が住まうという神界。神々の世界は住まうとはいっても、私たちと同じ感覚じゃないわ。計り知れないほど強大な力を持つ存在が、そこに『居る』ことは確かだと思うけど」
ルシカはちょっと言葉を切った。
「うん、話が逸れちゃいそうだったから戻すね。幻精界はティアヌにとっては馴染み深いものだよね。この世界に干渉している四大元素の源は、幻精界の精霊たちだもの。エルフ族に伝わる魔術の大半が、その力を利用しているはず」
エルフ族であるティアヌが頷く。それらの魔法が『精霊魔法』と呼ばれているゆえんである。
「じゃあ、神界からの召喚って、神の力をこの世界で使うっていう意味なのかい?」
クルーガーが口を挟んだ。
「むしろ、神そのものを呼び出そうって意味だと思う」
ルシカの声が部屋に響いた。テロンには、その言葉で一気に部屋の温度が下がったように思えた。
「神を呼び出すだって? 古代から栄え続けていたグローヴァー魔法王国が二千年前に突如滅びた原因。それが確か、『神の召喚』ではなかったか?」
テロンはルシカを見つめながら問うた。彼には、ヴァンドーナと書庫で話していたときにそのような話題になった憶えがあったのだ。
正確な記述が何ひとつ残されていない、古代魔法王国の滅亡と真相――古代魔法王国から継がれていたはずの歴史の鎖の輪はそこで失われ、一度ぷっつりと切れているのだ。
ヴァンドーナが『時間』と『空間』の魔導の力を高め、磨きあげてきた理由も、その謎が知りたかったからだと、テロンとルシカのふたりに語って聞かせてくれたことがある。彼の生涯をかけた古代魔法王国滅亡の謎を解くための鍵として、最も有力な説が『神界からの神の召喚』であるのだと。
計り知れないほどの強大な力と、圧倒的な存在感を持つものを、直接この世界に引っ張ってこようとしたらしい。その影響はあまりにも甚大で、たぶん誰にも、予測はおろか想像すらできるものではなかったのだろう。
実際、グローヴァー魔法王国期の遺した世界地図と、現在の世界地図を比べてみると、いくつも一致していない箇所があるのだ。
このトリストラーニャ大陸の北に存在していたはずの大陸が、現代には無くなっているのである。――まるまる、ひとつの大陸が、である。もちろん他にも数多くの島の有無や、地形の違いが世界中にある。とても全て数えあげられるものではない。
「昔話には聞いたことがあるが……まさか本当にあった出来事だというのか」
リーファの瞳には、珍しく年齢相応の怯えの色が浮かんでいた。部屋中が静まりかえり、耳に入るのはいまも寝ているマウの規則正しい寝息だけとなった。
「あれっ?」
ルシカが突然、重苦しい静寂には似つかわしくないほどの素っ頓狂な声をあげた。




