2章 ふたりの王子 3-4
「な……何故、貴方様がこちらに!」
『大陸中央都市』という別名を持つ、大陸有数の規模を誇る大都市、ミディアル。その名のとおり大陸中央部に位置している貿易商業都市だ。
ソサリア王国の南街道を中心とした陸上交易の要であり、住んでいる人口の規模もさることながら、ひっきりなしに出入りしている隊商の数も凄まじいものがある。年々人口は膨れ上がる一方で、歴史ある都市が最初に建造した当時の外壁は、すでに都市の拡大とともに内部に没している有様であった。
そのかつての外壁の城門横に立っている警護兵が、仰天して声を発したのだ。
兵士の目の前には、王宮騎馬隊の名馬のなかでもひときわ立派な体躯をもつ馬が一頭、堂々たる様子で立っていた。装甲こそ着けられてはいないが、戦場を駆け巡る軍馬に相応しい、見事な葦毛の雌馬である。
だが、兵士は馬に驚いたわけではない。その馬上で手綱を握っている人物に度肝を抜かれたのであった。以前王宮で執り行われた式典の際、かなり遠くからその姿を見ただけであったが、見間違うはずがない。
馬上の人物は、言葉を失って呆然としている兵士に向かって親しげに笑いかけた。
「警備ご苦労。どうやら、ひどく驚かせてしまったようだな」
低いが涼やかな声が、明瞭でよどみのない発音とともに兵士の内耳を揺さぶった。陶然とした面持ちで見上げていた兵士がハッと我に返り、慌てたように姿勢を正して片膝をつく。
「こっ、これはとんだご無礼を。――申し訳ございません!」
兵士の大声に、周囲を歩いていた人々が何事かと立ち止まる。街中に埋没している城門付近は特に人通りが多く、商店も並んでおり、街通りの賑わい真っ只中といった状況である。目立つことこの上ない。
馬上の人物は「困ったな」とつぶやき、馬から降りた。僅かの隙もない、優雅な身のこなしである。
濃紺の外套で隠されてはいたが、引き締まったしなやかな身体に装着されている鎧は装飾の施された見事なものであり、腰に提げられた長剣も見事な業物であることが窺える。馬から降りる際、兵士の目にちらりと映ったのであった。
そして、そのどちらの金属も不思議な光沢を帯びていた。魔法に精通した者が見たならば、それらが魔法で強化されたものだとすぐに理解したであろう。
涼しげに澄んだ夏空のような青い瞳と爽やかな笑顔は、見る者に好感を抱かせるものだった。上品に整った顔立ち、すらりと伸びた手足、さらりと流れるクセのない金髪は長く、動きの邪魔にならぬよう背に放ってある。
「礼儀を重んじる心には感謝しているが、今日は公用ではなく私用で来たのだ。あまり目立ちたくはないので、礼儀は忘れてくれて構わんぞ」
「はっ。して、わたくしに何か……?」
まだまだ声の大きい兵士に苦笑しながらも、青年は言葉を続けた。
「私の弟のテロンは知っているな? ソサリア王宮の宮廷魔導士のルシカ殿は、わかるか?」
「はっ。おふたりとも存じ上げておりますが」
「ならば頼みたい。ふたりがこの都市に着いたら、この先にある宿に来るように伝えてくれないか」
「はっ。それでは、他の門の警備の者達にも伝言を――」
「いや、その必要はない」
さっそく伝令のために仲間へ呼びかけようとした兵士を、青年がきっぱりと制した。
「しばらくしたら、『ここ』に来るから」
「……は?」
兵士が戸惑い、間の抜けた返事をした。その表情を見た青年が、何とも愉しそうな顔でニヤリと笑う。
「じゃあ頼んだぞ」
青年はそう言い残し、自ら馬をひいて悠然と歩きはじめた。
「あ、馬ならわたくしが」
慌てて追ってくる兵士に、青年が振り返る。
「私用であるから構わずともよい。それより伝言の件、頼んだぞ」
「は……はッ!」
兵士は慌てて直立不動の姿勢を取り、内心首をひねりながらその背を見送るのであった。
「ひゃああぁぁ」
トット族のマウが、ルシカの腕の中から身を乗り出すようにして賑やかな声をあげていた。周囲に向けてキョロキョロと忙しそうに体を動かしている。つぶらな瞳がキラキラと輝き、この上もなく嬉しそうだ。
マウを支えているルシカは、必死であった。万が一にも落としてはならじと、丸々としたミルク色の胴体を何度も懸命に抱えなおしている。
彼女の横を歩くテロンは、気が気でなかった。他人として眺めているのならば実に微笑ましい光景であったが、この調子ではルシカのほうがマウより先に疲れてしまうに違いない。
けれど当のルシカはマウに優しく言葉を掛けながら、一緒に街の様々な発見をして心から楽しんでいるらしい。幼子に話しかける彼女の優しさにあふれた笑顔に、テロンが見惚れてしまうこともしばしばであった。
「腕が疲れたら言ってくれ、ルシカ。俺が代わるよ。それにしても今まで人里とは無縁で暮らしてきた子どもに、いきなりこんな大勢のひとを見せて大丈夫なのかな」
「大丈夫でしょう」
テロンの問いに答えたのは、ふたりの後ろを歩いていたエルフ族のティアヌだ。さらにその斜め後ろには、何かを深く考え込んでいる様子の少女リーファが続いている。
「子どもは考え方が柔軟なので、たいていのことは自然に受け入れますから」
「そういうものなのか」
「だいじょうぶよ、テロン。そのうち飽きて、寝ちゃうかもね。子どもってそういうものじゃないかな、心配しないで」
ヨイショ、とマウを抱えなおし、事も無げにルシカが微笑んだ。女性というものは子どもを相手にするとき、想像以上にタフなものなのかも知れないな、と妙なことに感心してしまうテロンであった。
森を抜けて街道に出た一行は『大陸中央都市』ミディアルに到着し、振興住宅地区を通り抜ける道を歩いていた。本来の街の城壁の外側に作られた街は活気にあふれ、行きかうひとの数も種族の数も相当に多いものだ。
トット族というものは、多種族との関わりをあまり積極的に持ちたがらない種族である。マウの姿はそれなりに目立ってはいたが、珍しげな視線を向けられるのみにとどまっている。
ソサリア王国は人間族の統べている国だ。自治都市とはいえこの都市にも主要であるのは人間族がほとんどであるが、それ以外にも竜人族をはじめエルフ族や魔人族、南に隣接している国で主要な飛翔族、少数ではあるがそれ以外の亜人族など、多種多様な種族が普通に行き交っているのであった。
そして、集っているのは種族だけではない。交易都市であるだけに、大陸中の文化も集合しているのだ。ミディアルには独特の雰囲気がある。
「そういえば、ティアヌもこんな大きな都市は初めてだよね?」
騒ぎ疲れたのかようやくおとなしくなったマウを抱え直しながら、ルシカが訊いた。
「ええ。テミリアという街にも立ち寄りましたが、ここは比較にならないくらいにひとが多いですね。建物の高さも造りもすべてが違います」
進む先に聳え立っている都市管理庁の高層建造物を眺めながら、ティアヌが言った。
「ですから、とてもとても驚いていますよ」
「ええぇぇ、全然そうは見えないけどなぁ」
のんびりしたティアヌの口調に、ルシカが笑いながら言葉を返している。リーファにもその会話が聞こえたのか、琥珀色の瞳を微笑ませ、口もとを緩めていた。
「リーファは疲れていませんか?」
振り向いたティアヌと視線が合い、リーファが慌てて口もとを引き締める。
「――べ、別に疲れてなんかいない」
「半日ほとんど歩き詰めだったからな。ルシカ、いつもの宿にするんだろう?」
テロンは皆の様子を見て、傍らのルシカに問うた。金の髪が揺れるほどの勢いで、ルシカが元気に頷いて応える。オレンジ色の瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべていた。
「うんっ。もうすぐそこよ」
ルシカの指差す方向、一行が進んでいる道の先に城壁の門のような建造物が見えている。
「あの東門を越えてすぐのところにあるの。さすがにこのあたりでは泊まれないし、ね」
新興住宅地と商業地区は活気があるが、あまり治安が良いとは言えないのも事実であった。それにいつもの宿には、ルシカが大好きなピナアの実をたっぷり使った『タルト』というお菓子があるのだ。ルシカが元気な一番の理由である。
「おいしいんだよなぁ~」
ほけっとした顔になっている。テロンは思わず吹き出すように笑ってしまった。
「おふたりは本当に仲が良いのですねぇ。はじめ『体術家』と『魔導士』だと名乗られたときには驚きましたよ。剣もなく、ふたりだけで大陸を旅することができるとは、相当な腕の持ち主なんじゃないかと」
「旅をするのに必要なのは、剣術や腕っぷしの強さではないんだ。洞察力と相応の知識を持っていれば、どうということはないんじゃないかな」
「テロンの言うとおりね。あとは度胸と方向感覚!」
「ルシカは転ばないようにだけ注意してくれれば、頼もしい旅のパートナーなんだけどな」
「最近は足元をきちんと見ることにしてるもん」
などと言いつつ、石畳に穿たれた轍に気づいていない。テロンはさりげなくルシカの腰に手を回して位置を変え、躓くことのないように配慮した。
視線を戻すと、その様子に気づいていたティアヌと視線が合った。苦笑するテロンに、大いに納得したような面持ちのティアヌが大きく頷く。そんな遣り取りを、怪訝そうな表情のリーファが眺めている。
微妙な雰囲気に気づいたのか、ルシカが優しげな弧を描く眉を互い違いにしてテロンの顔を見上げる。こらえきれなくなったのかティアヌが爆笑してしまい、つられるようにテロンもルシカも笑顔になった。
リーファだけが呆気にとられたように皆の顔を見上げていたが、同じようにうっかり笑顔になりかけ、慌てて口もとをへの字に歪める。
一行が城門に差し掛かった、丁度そのとき。
「テロン様、ルシカ様!」
突然、かなりの声量をもつ男の声に呼びかけられ、テロンとルシカは足を止めた。見回すまでもなく、警備の任についている兵士がひとり、壁際から通りの中央に立つテロンたちに向けて駆け走ってくるのに気づく。
テロンはルシカと刹那だけ視線を交わし、兵士の到着を待った。兵士はふたりの前に立つと、深々と一礼した。
「――突然声をお掛けした無礼、どうかお許しください」
「それはよいが、何かあったのか?」
テロンは落ち着いた眼差しのまま、ゆっくりとした口調で訊ねた。傍らのルシカは平静を保っているが、眉を寄せて僅かに不安のいろを滲ませている。
「はっ。クルーガー様からの伝言をお預かりしております。この先の宿に来るように――との内容です」
「兄貴の?」
「クルー……じゃなくてえっと、王子殿下がこのミディアルに?」
テロンとルシカは「まさか」という表情で顔を見合わせた。
「はっ。少し前にこちらに来られまして……その……もうすぐテロン様とルシカ様がこの場所に到着するから伝えて欲しい、そう仰られまして……その言葉通りに待機しておりましたところ、おふたりの姿を見つけた次第でありまして……」
なんとも説明しにくそうに報告する兵士の言葉に、ルシカは何かピンとくるものがあったらしい。
「もしかして、おじいちゃんが――」
「ヴァンドーナ大魔導士が?」
テロンは驚いて彼女に訊き返したが、少し考えてすぐに得心した。ひとつ頷き、兵士に向き直る。
「なるほど、そういうことか。ご苦労だった、ありがとう」
兵士に向かって微笑んでみせたあと、テロンはルシカとともに振り返り、後方に立つふたりに声をかけた。
「すぐに宿へ向かわなければならなくなった。詳細は、着いてから話すよ。どうせその宿に向かう予定だったし」
「あ、はい」
ティアヌが首を縦に振り、リーファも黙ったまま頷いた。
テロンたちは再び歩き出した。うずうずしていた様子のティアヌが口を開きかける。だが、好奇心いっぱいの彼が問いを発する前に、一行は件の宿の前に到着していた。
ルシカの話していた宿は、通りからひとつ奥へ入った静かな場所にある、三階建ての宿であった。扉横の花壇には季節の花が植えられており、甘く優しい香りが客人たちを迎えた。
交易の街であるミディアルに多く見られる宿の造りだ。一階は飲食ができる食堂になっており、上階にずらりと客室が並んでいる。
扉を入ったところで一行を迎えてくれた宿の女主人に尋ねると、最上階にある部屋を案内された。城砦の内側にある宿のなかでも最上級の客室で、ひとつの大きな部屋から四つの寝室が続いているという豪勢な構造になっている。
テロンは扉の前に立ち、数度叩いた。同時に内側へ向けて声を掛ける。
「兄貴、俺だ」
「入ってくれ」
すぐに答えがあった。テロンは厚みのある木扉を開き、皆を促すようにして部屋に入った。
「やあ、そろそろ到着する頃だと思っていたところだ。テロン、ルシカ」
そう言って親しげに笑いながら片手を挙げ、ひとりの青年が入り口正面のソファーから優雅な動きで立ち上がった。
ティアヌとリーファが同時に「あれ?」と素っ頓狂な声をあげる。驚いたように、呆けたように、目の前に立っている青年とテロンとを見比べながら視線を幾度も往復させた。
目の前の人物とテロンは苦笑を洩らした。同じタイミング、同じ表情で。
テロンはふたりに向き直り、息を吸い込んだ。おもむろに口を開く。
「――紹介しよう。俺の双子の兄、クルーガー・ナル・ソサリアだ」




