1章 森の中の出会い 3-3
「え、あなた、そこまでわかるんですか!」
自分より幾つも歳若くみえる女性の言葉に、ティアヌは驚きの声をあげた。まさか魔法の残滓を見分けたのだろうか――それほどの実力をもった魔法使いであるとは思えなかったのである。
「あたしは魔導士だから。魔力そのものの流れを見ることができるの」
「ま……」
さらりと告白された内容に、ティアヌはポカンと口を開け、目の前の女性を見つめた。細く小柄で、透き通るような太陽色の瞳をもつ、少女と言っても違和感のないほどに幼げな印象の容姿を。
なるほど魔導士と聞いたあとならば、見知らぬ相手に対峙しているというのに落ち着き払った物言いと、隠すことなく告げられた正体も、相応の自信があるからなのだと納得できる。
大陸でも数少なくなったとされる魔導士に出逢えるとは、なんと幸運な巡り会わせなのだろう。ティアヌは感激を通り越し、呆然とした面持ちのまま言った。
「古代魔法王国の末裔といわれる魔導士だと仰るのですか。それはまた何と――」
「エルフに、サラマンダー……やはりこの村に来たのはあいつで間違いないのか」
傍らの少女のつぶやきに、ティアヌは思わず言葉を切って視線を向けた。抜き身の刃のような鋭い輝きを宿した少女の眼差しは、ここではないどこか、或いは誰かに向けられた、静かに研ぎ澄まされた憎悪と憤怒を含んでいる。
「あなた……何か知っているんですね? 初めて僕に会ったときにも、エルフ族だと警戒していましたし」
ティアヌの問い掛けに、少女が弾かれたように顔を上げた。どうやらつぶやいたときからずっと、自分の考えに沈んでいたようだ。一同の視線が集まり、場の雰囲気が静かなものになった。けれどすぐに静寂は破られた。
「わ、た、大変!」
魔導士の娘が、突然大きな声を出したのである。
「――な?」
少女が疑問を投げかける間もなく娘が駆け寄り、彼女の腕を掴んだ。少女の腕には無造作に布が巻かれ、痛ましいほどの赤濃い色が滲んでいる。娘が手早く布をほどくと、今なお流れる鮮血に染まりゆく肌があらわになった。狼の牙にえぐられたばかりの傷が幾つも穴のように穿たれている。
「あなた、ひどい怪我じゃありませんか!」
ティアヌは叫び、蒼白になった。ふたりとも獣たちの返り血で赤黒く染まっており、少女の傷の深さに気づかなかったのである。少女はむっつりと押し黙ったままだ。
魔導士の娘は少女の腕を押さえたまま意識を集中させ、手にしていた長杖で地面を軽く突いた。あたたかな光が出現し、ふたりを取り囲むように空中を駆け奔る。具現化された白い魔法陣に呼応し、同じ色の輝きが少女の腕をふわりと包み込む。
傷が、みるみるうちに癒えていく。傷を負っていた少女はもちろん、ティアヌも目を丸くしてこの光景を見守った。
「うん、これでもう大丈夫ね」
痕も残さず傷が消え失せたことを確認して、魔導士の娘は安堵しながらも、しょんぼりとして言った。
「シャールさんなら、もっと早く気づけただろうなぁ」
「でもさっきの突然の行動なんかは、シャールさんに似ていたと思うぞ」
「行動だけじゃ、駄目なんだもん」
金髪の青年の言葉に含まれた優しさを理解し、魔導士の娘が頬を膨らませる。呆気に取られたようなティアヌたちの視線に気づき――魔導士の娘は照れたように顔を赤くした。
「ごめんね、びっくりさせてしまって。失う血は少ないほうがいいと思ったから、その……もっと優しくふんわり癒せるといいなって思ってはいるんだけれど……」
娘がすまなさそうに謝ると、ポカンとしていた少女が弾かれたように顔を上げた。慌てて首を横に振る。
「その……あ、ありが……とう」
頬を赤らめ、娘に向かってぎこちなく礼を口にする。少女の腕の傷は消え、張りのあるなめらかな肌の表面には、渇いた血が薄くこびりついているだけであった。
「まどーのちから、すごい、すごぉい」
青年の足元で、ミルク色の生き物が嬉しそうに声をあげた。丸っこい胴が独楽のように、愉しげな笑顔とともにくるくると回る。
「そ、そうだ!」
少女は叫び、ミルク色の生き物に駆け寄ってストンと座り込むように身をかがめた。自分の眼の高さを相手に合わせ、琥珀色の瞳に並ならぬ力を篭めて詰め寄る。
「村を焼いたやつのこと、見たか? そいつはいったい何処へ行ったんだ!? ――答えて!」
その迫力と鋭い声音に、ミルク色の生き物は動きを止め、青いつぶらな目をまんまるに見開いた。「ヒッ」とばかりに硬直してしまっている。
あれでは答えられるものも答えられなくなるに違いない、とティアヌは思った。
「あ、あの、ちょっと待ってくださいね。えぇっと……」
少女の勢いを削ごうとして話しかけ、まだ相手の名前も聞いていないことに気づいた。
「えぇっと……やはりここは、まず順序だてて話しませんか? あ、僕はティアヌっていいます。見ての通りの、エルフ族です。この森で道に迷っていたんですよ」
場違いなほどにのんびりした物言いになってしまったが、その言葉に嘘はない。ふたりの若い男女は互いの眼を見合わせ、ミルク色の生き物は金縛りが解けたようにつんのめった。
「それで、彼女は――」
「リーファ」
短く自分の名前を告げ、ティアヌの狙い通り勢いを削がれた少女は深い溜息とともに立ち上がった。彼とは逆の方向に、唇を突き出した顔をぷいと向けてしまう。拗ねてしまったようだ。
「俺はテロン」
青い瞳をした長身の青年が、低いがよく通る声で言った。改めて耳に通しても、洗練されてよどみのまるでない涼やかな発音である。身に纏っている衣服は、飾り気は少ないが上質の織と針運びであることが窺えたし、仕立ても良い。ティアヌは優れた目利きではないが、身に着けている物のどれをとっても価値が高そうだ――こちらも、只者ではなさそうである。
「彼女はルシカ。とある旅の帰りだったんだが、このトット族の村に住んでいたマウに襲撃の話を聞いて、駆けつけてきたんだ」
「そのエルフの襲撃者というのは、何を狙っていたのかしら。こんなに穏やかな村に……優れた細工師が多いけれど、連れ去るのではなく皆殺しだなんて。技術ではなく品として奪う物があったとしか考えられない……」
ルシカという名前の娘は優しげな表情から一転、オレンジ色の瞳に怒りのいろを浮かべた。非道な行いというものを心から嫌悪しているようだ。
「……わたしの生まれた村も、皆殺しにされた」
ティアヌの傍に立っている少女、リーファがぽつりと低くつぶやいた。涙に揺れはじめた琥珀色の瞳を隠すように顔を伏せ、震える声のまま言葉を続ける。
「四日前のことだ。エルフ族の魔術師と黒装束の人間族の男たちに襲撃されたんだ……村は焼かれ、全滅した」
「黒装束の男たち?」
驚きと憎悪に満ちた声をあげ、テロンとルシカが互いの顔を見合わせた。どちらの表情も、厳しく引きしめられている。
「……何か心当たりがあるんですか?」
ふたりの様子にただならぬものを感じ、ティアヌは訊いた。リーファも、相手の答えを待つように息を詰めている。
「半年ほど前になるわ。王国の北の街道で、『黒の教団』と名乗る魔術師の集団が町や村を次々と襲っていた事件があったの。首謀者が失われて組織は壊滅したと思われていたけれど、そうではなかった――」
ルシカはそこで言葉を切り、瞳を上げて傍らの青年の顔に向けて言葉を続けた。
「ラシエト聖王国との騒動を引き起こした黒装束の集団、トット族の集落やこの子の故郷を襲った黒装束の男たち……もしかしたらこのふたつ、繋がっているのかもしれないわ」
「だとしたら……この騒動は、まだ終わっていないということだ」
「あのぉ、話が見えないんですけど。僕たちにも関係しそうなことでしたら、教えていただけませんか?」
置いていかれた子どものように頼りなげな声でティアヌが問うと、テロンとルシカが顔を戻した。ルシカが申し訳なさそうな表情で口を開く。
「――あぅ、そうでした。ごめんなさい。簡単に説明すると、闇の神々のひとつ『無の女神』に仕える闇の信者たちが、揃いの黒装束を着て、王国のあちこちで事件を起こして暴れまわっていたの。あたしとテロンは、そういった事件を解決するために行動しているのよ」
ティアヌは「なるほど、そうでしたか」と頷いたが、リーファはまだ問いたそうな表情で口もとを歪めている。
「それにしても、この村を襲った目的は何だったんだろう」
テロンが集落の惨状に目をやりながら低くつぶやく。その答えは足元から聞こえた。
「きょむの、ゆびわ」
ミルク色の小さな生き物――幼いトット族の子ども、マウだ。
「きょむの……『虚無の指輪』? この村にあったなんて知らなかった!」
ルシカが心底驚いたような声を発した。
「やはり、そうだったのか」
その品の名を聞いて、リーファは心底悔しそうに唇を噛んだ。琥珀色の目をぎゅっと閉じ、ゆっくりと開き、奇妙なほどに落ち着いた声音で言葉を続けた。
「わたしの村から奪われたのは、『赤眼の石』と『青眼の石』だ」
「それらは、ふたつが対になっている品よね。確か、フェルマの村に住むふたつの部族が代々護り続けている魔法の品である――と伝え聞いた記憶があるけど」
「そのとおりだ……村は皆殺しになった。容赦なく、戦えない者でも子どもであっても、村にいた者すべてを惨たらしく殺しまわったんだ! 黒い衣服に身を包んだやつらが、そのたったふたつの石を奪うために。ただそれだけのために……みんなを!」
リーファはうつむき、激しく肩と声を震わせた。その胸に渦巻く感情が悲しみなのか怒りなのか、彼女自身にも判別できていないだろう。ただ歯を食い縛り目を伏せたまま、胸を突きあげる己の感情に向き合い、必死に耐えているのだ。
ティアヌは何か気の利いた言葉を掛けたかった。少女の心痛を僅かでも分かち持ってやりたかった。だが何と言えばよいのかわからず、半端に伸ばした腕の行き場を見出せぬままに動きを止めた。
うつむいたままのリーファの頬に、やわらかい金の髪がふわりとかかる。ルシカがリーファに歩み寄り、静かに抱きしめたのだ。
「つらかったね……ひとりでここまで。でも話してくれたおかげで、やつらの次の目的がわかったわ」
少女の震えが止まった。弾かれたように顔を上げる。ゆっくりと身を起こした魔導士の娘のオレンジ色の瞳と、少女の琥珀色の瞳の視線が交わる。ルシカは言った。
「たぶん、次に狙われるのは『破滅の剣』だと思うの」
「それは、まさか古代五宝物の名ですか?」
首を傾げながらそう言ったのは、ティアヌだった。魔法王国の遺した五つの大いなる力をもつ遺産、『五宝物』。閉鎖された里であっても、口伝えの昔語りであっても、この現生界に育ったものならば知っているであろうほどに有名な伝説の宝物である。
それらはすなわち、『万色の杖』、『生命の魔晶石』、『破滅の剣』、『従僕の錫杖』、『歴史の宝珠』のことであった。
「いつだったか、分類作業のときに解読されたものを読んだ覚えがあるの。必要となる祭器を全て揃えることができれば、この世界を『無』に戻すことができる手段と力が手に入ると。単に力を欲するならば、別の宝物でも良さそうなものだけれど、犯人の狙いとして考えられるのは、最悪の可能性かもしれない」
「『無』って……世界創世の、神話のなかの話ですよね」
眉を寄せながら、ティアヌはつぶやいた。あまりにスケールの膨大な話の内容に、想像することすら容易ではない。
ルシカは言った。
「この世界に魔力が満たされ、物質が生まれ、生命が生まれた。それ以前の何もない状態、それが『無』。始原世界より前、アーストリア世界そのもののはじまりの話になるわ。闇の神々のなかで『無』を司るのが女神ハーデロスだといわれているの」
「始原世界より以前の『無』の世界だなんて。それはいくら何でも――」
ルシカの説明を耳にしたリーファが、琥珀色の目を大きく見開いて呻くように言った。首を振り、言葉を続ける。
「だって、それを目的で動いているやつらだって消えちゃうんでしょ? 世界を『無』に戻そうだなんて……自分たちまで滅んでしまうようなことを願って、何の意味があると言うのよ?」
「そういう愚かな考えを持つ者は、世界に多く存在しているんだ。普通の感覚では理解できない……理解できないほうが望ましいと思うが」
テロンが静かな口調で告げる。青い瞳のなかには激しい炎が燃えているようであった。見掛けは穏やかで優しそうな青年だが、胸の奥には熱いものを秘めているのであろうこととティアヌは感じ取った。
青年の体格は、並ならぬ訓練で鍛え上げられたものだろう。武器を帯びていないようにみえても、ワーウルフを吹き飛ばすほどの攻撃力の持ち主なのだ。あれは魔導の技によるものではなかったはずである。
その眼差しも、様々な世界を見てきたのであろう、年齢にそぐわぬほどに磨きぬかれた強い光を宿している。その彼が言うのだから、そのように狂った考えの者たちも世の中には居るのだろう。だが、それを――。
「――それをエルフ族が実行しているんですよね。そんな同胞が居るなんて……僕は、僕は赦せませんっ!」
「そのとおりだ。止めなければならないな」
テロンがティアヌに向けて頷き、それからパートナーであるルシカに視線を移した。
「ルシカ」
ルシカもテロンの青い瞳から目を逸らさず、きっぱりと応える。
「あたしたちの今回の任務は、まだ終わっていない。覚悟はできているわ、テロン」
「……あなたがたは、いったい何者なんです?」
ティアヌの問いに、ルシカが曖昧な感じに微笑した。全てを話して良いものか迷っているような口調で答える。
「あたしたちは、ソサリア王国の問題を解決して回る役割を担っているの。平和を乱すものを見過ごすわけにはいかないわ。そして、そのことで……できれば誰も巻き込みたくないと考えているの」
「あなたたちの任務に、僕も連れて行ってください! 巻き込むという問題ではありません。僕は……僕は、同族が悪事に加担しているのが許せないんです!」
ティアヌは真剣な口調でふたりに詰め寄り、言い張った。
ルシカとテロンが困りきったように互いの顔を見合わせる。しばらく見つめあったあとに頷き合い、ルシカのほうがゆっくりと口を開いた。
「これまでもそうだったけど、いつ命を落とすかわからないくらい危険な目に遭うと思うけれど」
「承知の上です」
「敵も相当に手強いと思うぞ」
「覚悟しています」
生まれ故郷である『隠れ里』のなかでも、ティアヌは一二を争うほどの頑固者であった。こうと決めたら、たとえ大地の精霊たちが束になろうとも自分の意志を動かせないと自負しているほどに。
「わたしも一緒に行かせてもらう」
リーファまでもがティアヌとともに言い張った。テロンとルシカがもう一度顔を見合わせ、深い溜息をついた。根負けしたようにテロンが自分の額に手を当てて息を吸い、それから微笑とともに頷いた。
「――いいだろう。君たちは信用できるようだし、断ってもついてくるならば、ともに行動したほうが良さそうだ」
「じゃあ、決まりね!」
ルシカが長杖を振り上げ、嬉しそうにぴょんと飛び跳ねた。やわらかそうな金の髪がふわりと踊る。決断をしたあとの気持ちの切り替えが早いのは、彼女の長所でもある。彼女は確信に満ちた様子ではきはきと言葉を続けた。
「街道を南に下れば、『大陸中央都市』ミディアルがある。そこまで行けばいろいろな手掛かりを集められるはずだから、さっそく向かいましょう!」
「手掛かり? どうやって、何を調べるんですか?」
ティアヌの疑問に、ルシカが片目をぱちんと閉じて応える。
「ミディアルにある図書館の資料庫、それに、王都への特別な通信手段。まずは敵の目的を正確に知らなければならないわ。『図書館棟』へ連絡を取ることができれば、もっと詳しい事がわかるはずよ」




