1章 捜索 外-2
「『黒の教団』の指導者ダームザルトのほうが、見つかりました」
兵士は言葉を選びながら報告した。
「構わん。詳しく報告してくれ」
クルーガーは中央の天幕、地図を広げた机の前に立ったまま、兵士に向かって頷いてみせた。ルシカは今、この場にいない。別の天幕で少し眠っていた。その間の指揮をクルーガーが引き受けているのだ。
兵士は、宮廷魔導士の警護のための直属兵だった。おそらく、ルシカの前でむごい内容の言葉を並べれば、一緒に落ちたテロンの状態を想って傷つくのではないかと配慮しているからだろう、とクルーガーにも予想がついた。
「はっ。――死体の損傷を見る限り、大量の出血を残していたのは、少なくともダームザルトのほうだと判断できます。発見された場所は、内海の東にある浅瀬の一角。ぼろぼろになって岩に引っ掛かっておりました」
『竜の岬』は、内海をぐるりと囲むように伸びたふたつの半島からなっている。西にあるほうが竜の頭の部分に似ていて、東の半島が先細りになっており尾の部分に似ていることから、その名がつけられている。
『黒の教団』を追い詰めた場所は竜の頭の部分であり、その外海側である。海流はそこから内海へ入りこみ、反時計回りに巡って尾の部分から外海へ出る。死体は、その外海に出る場所から発見されたということだ。
「やはり内海を海流に運ばれた可能性があるということだな」
ルシカの予想は当たっていた。発見された場所は、ルシカが指示した範囲に含まれていた。だが、テロンのほうは相変わらず手掛かりなしの状態だった。
「それから、もうひとつ別件なのですが――」
兵士が、顔を伏せたまま小声になった。地図を覗き込んでいたクルーガーが机から手を離し、兵士に一歩近づいた。
「――ラムダーク王国とラシエト聖王国が、この場所を監視しているという報告を受けています」
声を潜め、兵士が耳打ちしてきた。
「む」
クルーガーは思わず唸った。
「間違いはないか」
「はい」
「そうか……。連中、また有りもしない可能性を危惧しているのかもしれんな。この忙しいときに面倒な」
クルーガーは端正な顔をしかめた。
テロンの捜索が最優先のルシカは、身分を隠しもせず表立って動いていたのだ。クルーガー自身も従者を連れてはこなかったが、王宮から馬を飛ばしてここまで身を隠さず堂々と駆けつけている。
多くの人員を動かし、こんな辺境、しかも外海に面する場所に、王宮の王子と宮廷魔導士が留まっている。明らかに普通の状態ではない。
もっとも、王子の片割れが行方知れずという事実は、なんとか伏せたままにしてあった。そんな事実が知れ渡れば、国民の動揺を誘うだろう。
「海の向こうには、ラムダーク王国の領地、三日月列島があります。ラムダークと同盟国であるラシエト聖王国が、何か入れ知恵したのかもしれません」
何か目的があってここに布陣していると思われたのかもしれない。無理もない、とクルーガーだって思う――今も多数の船を動かしているのだ。
大陸でも他に例を見ない、類稀なる力を持つ『魔導士』が王国の中心的人物として就任したこと――。それは数世代も昔からソサリア王国を警戒し続けてきたラシエト聖王国とって、不安の種が増えたという事実に他ならない。
ゾムターク山脈の向こうに隣接するラシエト聖王国とは、先王――つまり、クルーガーたちの祖父がソサリアの国王だったときに、戦争をしていた間柄だ。ルシカの両親が出向くことになった事件も、ラシエト聖王国との諍いが原因だった。その結果……ルシカは両親を失った。
「事あるごとに難癖をつけてくる」
クルーガーの苦いつぶやきに、兵士は顔を上げた。
「いかがなさいますか」
「いったん王宮へ戻らねばならないな。王の耳にも入れておく。テロンのことも――話さねばならないから」
そして、ルシカの体力も戻さねば。クルーガーは、こちらに向かっているはずのソバッカ傭兵隊長に後任を任せるよう兵士に伝えると、天蓋を出た。その足でルシカの眠る隣の天蓋へ向かう。入り口にいた護衛の女性に訊くと、先ほど目を覚ましたとのことだった。
「やはりゆっくりは眠れなかったか」
苦笑したクルーガーは「ルシカ、相談がある」と声をかけながら中に入った。ルシカはすでに身支度を整えていて、寝台に腰掛けていた。
「王宮に戻るのね」
『万色の杖』を床について支えにしながら、ルシカが立ち上がる。その足元には魔法陣が描かれていた。
「――これは、まさか」
「転移の魔法陣よ。必要になるかなと思って、起きたあとに描いたの」
「話が早いな。どこまで知っている?」
「特に何も。本当よ。あたし、シャールさんに会わなければ。テロンのことも、陛下に――」
「そうだな。父上には他に伝えることもあるから、俺が行く」
頷いたルシカの顔色は悪かった。白い肌が、なおいっそう透けるように感じる。だが、魔導の力を行使するつもりであるのはわかった。魔法陣をあらかじめ描いたのは、自分の魔力と体力への負担を最小限に抑えるためだろう。
「クルーガー、こちらへ」
ルシカは落ち着いた声音で言いながら、魔法陣の中心にクルーガーとともに立った。そして、ルシカはふらつきながらも片腕を上げた。
魔導特有の青と緑の光が奔り――。全身を包み込んだふわりとした浮遊感が消えると、そこは王宮内の転移の間だった。
クルーガーの視界の端で、ルシカが床に頽れたのが見えた。力尽きて昏倒したルシカを抱き上げ、クルーガーは「誰か居ないか」と声を張りあげた。
扉の外から駆けつけてきた警護兵に尋ねると、癒しの神ファシエルの神官シャールがすでに王宮に到着していたことがわかった。
「すぐにルシカの私室に来てもらえるよう、伝えてくれ。彼女の神聖魔法が必要なんだ」
癒しの神ファシエルの力を借りた神聖魔法には、病気を癒し体力を賦活するものがある。王子の言葉に、その兵はすぐに扉の外へ駆け出した。
ルシカは目を開いた。見慣れた天井に、王宮内にある自分の部屋に寝かされているのだとすぐに理解した。
「ルシカ、目が覚めましたか」
ほんわりとした声と笑顔に、ルシカの顔に安堵のいろが広がる。
「……シャールさん」
「胸騒ぎがして、ファンから急いでこちらへ来たのですよ。メルゾーンも一緒です」
だから安心してくださいね、と語ったシャールに、ルシカは思わず曖昧な笑みを返した。
――メルゾーンが一緒で安心……。そう感じることができるのは、世界広しといえどもシャールさんくらいだよね。
「何か言いましたか、ルシカ」
にっこり笑って見つめてくる黒髪の女性に、慌てて首を横に振るルシカだった。
シャールは二ヶ月前に魔術師であるメルゾーンと結婚し、今はファンの街に住んでいた。幼い頃両親を失くしたルシカにとって、シャールは姉のような存在だ。ときには母親のように思えるときもある。
ルシカは自分の額に触れてみた。高熱は下がっており、ぱっと上半身を起こしても眩暈に襲われることもなかった。ファシエル神の癒しの力と、シャールの祈りのおかげである。
「さすがはシャールさん」
ルシカは嬉しそうに言って、ベッドから起き上がった。手の届く位置に立て掛けてあった『万色の杖』を握る。
「ルシカ、どこへ行くのです?」
「もちろん、テロンを捜しに」
「まあ、テロン王子がどこに居るのかわかったのですか?」
何気ないシャールの言葉に、ルシカの動きが止まる。闇雲に捜し回っていたのでは見つからない――やんわりと、だがはっきりと指摘されたことに気づき、ルシカは肩を落とした。
「ううん、まだ……」
うつむいてしまったルシカを覗き込むようにして膝を落とし、シャールは首を傾げるようにして彼女と視線を合わせた。
「そんなときにこそ、ルシカの魔導の力の出番ではありませんか?」
シャールの言葉に、揺れていたルシカの瞳がまんまるに見開かれた。
「そっか。できる……かな」
「何事もやってみなくては」
気楽な口調で言うシャールに、ルシカは吹き出すようにして笑った。目の端から涙がひとしずく、転がり落ちる。ルシカは顔を上げた。類稀なるオレンジ色の瞳に力を籠め、『万色の杖』に嵌められた魔晶石を見つめる。
「うん。やってみるのは、いい考えだと思う。ありがとうシャールさん」
ルシカは立ち上がり、部屋の中央の空いた場所まで進んだ。深い呼吸をひとつして、背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ。
「『探知』も『方向察知』も、生きている対象には効果がない……。でも生きているなら、それは希望だもの」
昇りたての太陽のようなオレンジ色の瞳を煌めかせ、ルシカは言った。
「そのときにはテロンに照準を合わせられるよう、魔法そのものを変更しよう」
ルシカの中でイメージがしっかりと形を成し、魔導行使のための準備が整う。自分に限界を作ってはならない。『万色』の魔導の力――それは、本来の魔法の理を超えた力なのだ。
ルシカは力の象徴たる『万色の杖』を右手に構え、顔を伏せて左腕を真横に伸ばし、指先で印を組んだ。次いで額に引きつけるように左手を動かし、魔導の光を灯した瞳を上げる。足元に青と緑の光が走り、ふたつの輝く魔法陣が描かれた。
部屋の内部が不可思議な、それでいて美しい魔導の光で満たされ、硝子をはめ込んだ窓がビリビリと凄まじい音を立てる。
「テロン」
ただひとりの存在をあざやかに脳裏に描く。ルシカが真っ先に思い出すテロンは、いつも優しい笑顔だった。
ふいに、何かを感じ取った。微かではあったが――ここから、王都から北東の方角にはっきりと感じる。ぼんやりとした光のようなものだったが、温かく揺るぎのない生命の輝き。
「テロンは、生きている」
壁際まで退き、ルシカの様子を見ていたシャールは、ルシカがつぶやいた言葉を聞いて顔を輝かせた。
魔導の力で具現化されていた魔法陣が溶けるように消え、大量の魔力を一気に消費したルシカは堪えきれず床に両膝をついた。
「大丈夫ですか、ルシカ!」
シャールが駆け寄り、ルシカの肩を支えて彼女の顔を覗き込んだ。
「平気……です。それより、今すぐ発ちます! テロンを、捜しに」
呼吸を乱しながらも確信をもった表情のルシカに、シャールは今度こそ頷いた。
「はい、私たちもご一緒しますわ」
まるでお昼ご飯にでも付き合いますわという返事のように、のんびりとシャールが言った。ルシカは目を瞬き、微笑んだ。
「ありがとう、シャールさん!」




