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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第二部】 《生命の魔晶石 編》
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4章 遺跡へ 2-8

 ごうごうと、耳がおかしくなってしまいそうな凄まじい音が轟き渡っている。


 上流に進むにつれてレーニェ川の流れは速くなり、いつの間にか小さな滝が次々と連続する段差を生み出しているのだった。そしてついには、十五リール(メートル)ほどの落差を分厚い幕のようになだれ落ちる、見事な大滝になっていた。


 一行は滑る足場に苦労しながら、滝壷の縁まで降りた。なるほど、滝裏の空間まで辛うじてひとりずつ歩き進めそうなほどの細い下り道が続いている。


 水しぶきで濡れた髪をかきあげながら、ルシカが案内として仲間たちの前を進むことを申し出た。テロンは反対したが、魔法の干渉を見分けることを説明されて結局は折れ、全身を研ぎ澄ませながら彼女の後に続いた。


 巨大な水壁に思えるほど強固に感じられた大滝であったが、その背後には驚くほど広い洞窟が存在していた。


「これはすごい。地下通路どころか、地下の大広間という規模ですな」


 携帯用の灯を手にしたソバッカが、感心したようにつぶやく。足元を照らす小さな光では、奥まで続く闇の先まで見通すことはできなかった。濡れたような岩壁の表面は、小さな光を反射し、散じて、きらきらと美しく輝いている。


鍾乳石しょうにゅうせきだ」


 テロンは岩壁の表面を指先でこすりながらつぶやいた。つるつると磨き上げられたかのような壁面は、とてもすべらかだった。


「おわっとととと」


 ドスン! かかとの高い靴で足を滑らせたメルゾーンが派手に転んだ。


「あ、滑るから気をつけてね」


 言わずもがなのことをルシカが口にした。渋面になったメルゾーンが凄まじい目で彼女を睨んだが、ルシカは何事もなかったかのような表情をしている。


 テロンは彼女とともに奥へと進んだ。足場は悪く、傾斜したり波打ったりしていて、ひどく進みにくい。


「この辺りは石灰岩なのね」


 今度は地質調査として来たいなぁ、とつぶやきながら、ルシカが感心したように周囲を眺めつつ歩いている。


 足元への注意がおろそかになりがちな彼女に気づき、転びはしないかと心配になってしまったテロンだが、案の定ルシカが足を滑らせた。倒れる前に伸ばした腕が間に合い、彼女の体を支えることができた。


 メルゾーンがなんとも残念そうな表情で舌打ちをする。


 一行は足元に注意を払いながら、奥へと進んでいった。


「まぁ、とても美しいですわ」


 深く水が溜まっている場所があり、光を向けたシャールが嬉しそうな声をあげる。ルシカの浮かべている光が水面近くまで降ろされると、凄まじく透明度の高い水が溜まっており、かなり深さのあるはずの底まで見渡せるのだった。


 広い入り口から奥へ進んでいくにつれ、不思議な光景が次々と目の前に現れた。天井から奇怪な突起のようなものが下に向かって延々と伸びていたり、さらに下からは同じような突起が上へ向かって伸びていたり、といった具合に。


「感心しているばかりではないぞ、気を引き締めて進まねば」


 ソバッカの言葉に、テロンたちは頷いた。鍾乳洞の通路は起伏を繰り返しながらも下方へと続いているようだ。


「この中は寒いな」


 メルゾーンが腕をさすりながら言った。


 確かに、洞窟の中は気温が低く、ひんやりとしていた。滝の裏に回りこんだときに水飛沫を浴びたので、余計に寒さが身にしみる。しかも奥に進むにつれて、少しずつ洞窟の幅が狭くなってくるのだった。


「メルゾーン、前を」


 シャールの声は僅かに遅かった。ゴツン、とかなりいい音がして、メルゾーンが額を押さえてうめき声をあげる。


 ひとひとり通り抜けられるほどの間隙をくぐり抜け、さらに進むと、洞窟は再び広がってゆく様子を見せはじめた。


 唐突に、途方もなく広い空間へ出た。平たい皿を幾つも並べ重ねて水を張ったような、この世ものとは思えないほど美しい光景が、遥か下へと続いている。ルシカが浮かべていた『光球ライトボール』でも届かぬほどの規模があるようだ。


「あ」


 奥を透かし見ようと目をすがめていたルシカが、小さく声をあげた。


「あるわ。『ハイマーの封印』が……」


 一行は注意しながら不思議な場所を延々と下り、さらに奥へと進んだ。すると闇のなかに浮かびあがるように、不気味な光のヴェールのような壁が現れた。まるで巨大な泡の膜の一部が、空間そのものを分断しているかのような光景である。


「触れないように注意してね」


 ルシカはそう言って一行を安全な場所に留め、『万色の杖』を握り直してひとり近づいた。テロンは周囲に視線を走らせながら、彼女の行動を見守った。


 ルシカはしばらく立ったりかがみ込んだり手をかざしたりして、光の色模様が流れ動く半透明の壁を観察しているようだった。やがて彼女は仲間たちを振り返り、慎重な面持ちで口を開いた。


「うん……結界に穴を開けることはできる、と思うわ」


 ルシカはシャールのほうへと視線を向けた。


 事前の打ち合わせを済ませていたシャールは頷いて壁の傍へ歩み寄り、ルシカと並ぶように立った。うたうように囁くように、信仰する神へ祈りの言葉を捧げはじめる。


 同時に、ルシカが意識を集中させるために瞑目した。自身の魔力マナを高めながら、結界の魔力と同調させはじめたのだ。結界の魔法構造を理解し、侵食して、自分の望む形に構成し直していくためである。


 彼女の右手にある『万色の杖』の魔晶石が、様々な色の輝きを放ちはじめた。


 『癒しの神』ファシエルに仕える者は、司祭クラスの実力ともなると、攻撃魔法はもちろん癒しの力も含め、全ての影響を遮断することのできる神聖魔法が使えるようになる。物理的な影響を止めることはできないが、魔法的影響の計り知れない場所に入るためには、唯一かつ絶対的な対抗手段となるのであった。

 

 テロンたちは周囲を警戒しながら、ふたりの魔法が完成するのを待った。意識を集中させている間、ふたりは全くの無防備な状態になる。それが、魔獣が闊歩かっぽする森側ではなく、多少遠回りしてでもこの洞窟を抜けるルートを選んだ理由なのだった。


 まず、シャールの祈りがファシエル神に届き、効果が現れた。体が温かくなったような感覚があり、目の前の結界から受けていた不気味な圧迫感が消え失せたのだ。


 次に、ルシカの魔法が完成した。目の前で不気味な光を放っている『ハイマーの封印』が揺らめきはじめ、ひとり通り抜けられるほどの大きさに、ぽっかりと穴が開いたのであった。


 開いた穴から、何やら嫌なにおいの空気が流れ出てくる。


「効果が続いているうちに、行こう」


 ごくりと喉を鳴らし、テロンが進み出た。ヴェールの穴をくぐり抜ける。そのあとにルシカ、シャール、ソバッカとメルゾーンが続いた。


 しばらく進むと、嫌なにおいが強くなった。洞窟の先が明るくなり、やがて外の光が見えてきた。


「なんて場所だ……」


 呆気に取られ立ち尽くした仲間の中で、うめくように、誰かが言った。出たところは、まるで悪夢のような景色だったのだ。


 大地は赤黒く変色し、木々は、まともな植物とは思えないほどにねじくれて、黒灰に覆われたような幹をしていた。茂る葉はなく、粘土で形を作ろうとして途中であきらめ、のばして叩き潰してまたのばせば、こんな状態になるだろうか。空は見えず、紫色の霧のようなものに覆われている。


「封印されてもなお、これほどの影響を残しているのね……」


 まだ昼間のはずなのに、満足に光の届かぬ地面は暗く沈んでいた。進むのに合わせて、前方からねじくれた木々の影が浮かび上がるように現れ、後方へと消えていく。


 魔力の影響が強くなる方向を見定め、ルシカが進むべき道を探っていく。


「『ハイマーの封印』は『生命の魔晶石』を中心に、ほぼ完全な球状に張られているの。だから空中からも、地中からも、外界とは完全に分断されているわ。発動した当時、植物たちは範囲内から逃れられなかっただろうけれど、動物たちはどうだったのかなぁ……」


「気持ちの悪いことをいう」


 ルシカの言葉に、メルゾーンが不快そうに口の端を歪めた。仲間たちも不安を感じたのだろう、周囲を見回しながら進んでいく。


「とにかく、警戒を怠らないように」


 ソバッカが念を押すように言い、テロンは頷いた。シャールが緊張の面差しで言葉を足した。


「いま、皆さんには癒しの魔法も効かないのですから。怪我なさらないでくださいね」


 戦闘は避けるべき、ということだ。気を引き締めた一行は注意を払いながら進み、森の木々が唐突に途切れた広場にたどり着いた。


 王宮の中庭ほどもある広場である。浸食とは無縁なのか、地面が見事な半球状に穿うがたれていた。その周囲には、すべらかに磨かれた金属質の石がぐるりと一周するように並べられている。


 その奇妙な石の表面全体に、魔法語ルーンがびっしりと綴られていた。彫られているわけではなさそうだ。内部から浮き上がるように、文字が表面に現れているようにみえる。


 ルシカが背負っていた荷物を下ろし、中からヴァンドーナに手渡された箱を取り出した。箱の文字と石の文字とを見比べながら、半球状の窪みの外周に添ってゆっくりと歩きはじめる。


 半周ほどした場所で、彼女は立ち止まった。


「ここが、亜空間との境界面になっているわ」


「境界面?」


「この世界との繋がりを保っている場所のことよ。亜空間を作り出して封印魔法のための魔導の技を収めておく仕組みは、いにしえの魔法王国時代に使われていた魔導技術のひとつなの」


 箱と石の表面の文字の詳細を確認しながら、ルシカがテロンに答える。やがて納得したように彼女は頷き、足もとの地面に箱を置いた。


「魔導士が望むときに望むかたちで仕組みに干渉できるよう、あらかじめ『入り口』を定めておくものなの。『出口』ともいえるかもしれないけれど。でも、定められた場所と手順を無視して強引に亜空間そのものを開こうとすれば、次元の歪みが生じて周囲を吹き飛ばしてしまう……文献によれば、不当な魔法の書き換え防止や機密保持のためだそうよ」


 ルシカは『万色の杖』を握り直し、真っ直ぐに立った。緊張した面持ちで目を見開き、オレンジ色の瞳に力を籠める。


「テロン、これから装置に干渉を試みるから」


「わかった、離れていよう。でもルシカ、気をつけるんだぞ」


「うん。少し時間がかかるかもしれないけど、信じて待っていてね」


 ルシカが彼に向けてにっこりと微笑む。不安を押し隠した、彼を安心させるために作られた笑顔だった。


 テロンは瞳に力を入れて頷いてみせ、窪みから離れた位置――彼女の後方へと、仲間たちとともに下がった。


 ルシカは慎重に腕を動かし、指を組み合わせるようにして虚空へ向け、然るべき印を切った。


 彼女の足元に、光り輝く魔法陣が出現する。鮮やかな緑の光が、ルシカ自身の身体を、周囲を、そして固唾を飲んで見守る仲間たちの顔を薄闇にくっきりと浮かび上がらせた。箱と石に記されている魔法語ルーンを、ひとつひとつ確実に声に出して唱えてゆく。


「――我は望む、接続を!」


 キーとなる高等魔法語『真言語トゥルーワーズ』を言い放つ。杖を真っ直ぐに構え、大地を突いた。


 魔法陣が光を強め、目の前の石の列も呼応するように脈々と光り輝きはじめる。すると、大地に穿たれたくぼみの真ん中に、完全な球状のドームが出現した。


 魔導の力場だ。常人にも視覚的に確認できるほどに凄まじく強力なものだ。


 紫に輝く魔法語が表面を流れるように取り巻いている。それらは幾何学模様のような魔法陣を次々と描き出し、分解されたように散り散りになり、また集まって別の模様を描き、凄まじい速さで流れるように次々と変化した。


 さすがのメルゾーンも、ルシカの後方で気圧けおされたように押し黙っている。


 精神を集中しているルシカの額には、汗が浮いていた。


 さすが、数千年も維持されるよう複雑に精巧に重ねられた封印であった。幾層にも重ねられた魔法プログラムの間に、いくつものトラップが仕掛けられていたのだ。


 ルシカは内心焦りと恐怖を感じていた――ほんの僅かでも気を抜けば、こちらの存在ごと取り込まれてしまいそうなほどに強大な力だったからだ。急激に気力と体力を使い果たし、膝までもが折れそうになる。


 ルシカの様子を見守っていたテロンが、彼女の疲労と消耗に気づいた。


 だが、魔導の力を行使しているときのルシカに近づくことはできない。そんなことをすれば取り返しがつかないことになるだろう――歯を食いしばり、こぶしを握りしめて目を逸らすことなく、見守り続けることしかできないのだ。


 あたしもがんばる、と言ったもんね。テロンの耳に、ルシカの声が聞こえたような気がした。


 ギュウウゥゥゥン! 紫の光が一瞬白く変わったかと思うと、魔法語の流れるドームが急速に収束し、パッと弾けた。直後、何もなかった空間から光の球が出現した。片手に乗るほどの大きさである。


「まさか、あれが……?」


 ソバッカが光の球を凝視したままつぶやいた。


 薄暗く沈み込んだ虚空に浮かぶ光の球は、目を射抜くほどに凄まじい光を発していた。広場の周囲の木々が、うねるように形を変えていく。神聖魔法の庇護がなければ、今頃テロンたちの肉体は怖ろしいことになっていたに違いない。


 凄まじい力を感じさせるゆえにこの上もなく美しくも感じられる光は、滑るように空中を移動し、ルシカの足元の箱の上に移動した。箱の表面で明滅していた魔法語が一瞬、光の球に負けぬほどに強く輝き、箱そのものがほどけるように展開した。


 光の球が、展開した箱の中央に収まった。すぐに箱は元通りに組み上がり、ぴたりと隙間なく完全に閉ざされた。


 ルシカの足もとにあった魔法陣が、地面に溶けるようにすぅっと輝きを失い、跡形もなく消え失せる。


 同時に魔導士の少女の膝が支えを失ったようにがくりと折れた。倒れかかるルシカを、テロンはしっかりと抱きとめた。


「……ごめん……予想してたより……手強かった」


 テロンの腕のなかで憔悴しょうすいしきったように目を薄く開き、全身の力が抜けたルシカが弱々しく言った。


「でも……もう大丈夫、手に入れたわ」


 体の動かぬルシカが、地面に置かれた箱をテロンに視線で指し示した。


「箱の中の亜空間に封じたから、普通に持っていても大丈夫よ」


 気丈にも微笑んでみせた彼女にテロンが応えようとしたとき、地面の内側から嫌な振動が伝わってきた。


「何かが、こちらへ近づいてきます!」


 異常な振動に気づいたシャールが、緊迫した声をあげる。


 ソバッカが、ルシカが倒れたとき転がった『万色の杖』を左手に掴み、右手で長剣を抜き放った。だが近づいてくる気配の常軌を逸した大きさに気づいたのだろう、顔色を変えた。


「いかんッ! みなこの場を離れるんじゃっ!」


 テロンはルシカを横抱きに抱え上げた。仲間たちとともに、来た方向へ全力で走り出す。


 直後、地面が爆発したように内側から弾け、土くれを撒き散らした。


 湿った土の下から現れたのは、得体の知れない大きな影だ。ズルリと重く長い体躯を引きずりながら、一行のあとを猛烈な勢いで追いはじめる。


「俺の魔法で……」


「無駄じゃ、走れ!」


 立ち止まりかけたメルゾーンだったが、文字どおりソバッカに一蹴され、シャールに襟首を掴まれて再び走り出した。


「今は回復魔法も効かないんですよ!」


 シャールが彼女にしては珍しいほどの大声を出した。


 メルゾーンは腰に提げていた魔石のひとつを外し、後方にほうった。まばゆい光が炸裂し、追跡していた怪物の動きが一瞬静止する。


「今のうちじゃ、走れ!」


 ソバッカの叱責に、メルゾーンも今度は全力で走り出した。


「でかいミミズみたいだな。形は崩れているが」


 メルゾーンの言葉を聞いて、テロンは後方を振り返らないと決意した。ひたすらに前を見つめ、腕のなかの温もりを強く意識する。


 一行は走り続け、飛び込むようにして洞窟内に戻った。背後の気配が苛立ったように震える。だが、テロンたちは振り返ることなく走り続け、結界の穴を無事にくぐり抜けて鍾乳洞内に戻ったのである。



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