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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第二部】 《生命の魔晶石 編》
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3章 旅の途中 2-7

 ルシカの言葉は本音だろうが、これでは挑発同然である。


 テロンは、騒ぎになることを避けたいと思った。王子の片割れの誘拐については伏せてあるはずだが、不穏な噂というものは広まるのが早い。


 目の前の魔術師とは、数ヶ月前に顔を合わせている。一方的な恨みねたみそねみでルシカの命を狙い、コントロールできないくせに闇の魔神を解放するという、とてもとても迷惑な騒ぎを引き起こした張本人なのだ。


「ここで会ったが百年目!」


 いや、そんなには経っていない――テロンは口に出さなかったが、心の内でつぶやいた。兄ならば声に出していただろうと思い、つい苦笑してしまう。


「うぬぬ……。どちらが優れた魔法の使い手か、勝負だ!」


「静かな公園で、非常識よ」


「うるさい、小娘。真剣勝負に時も場所もないわっ!」


 メルゾーンが体をかがめ、詠唱を始める。


「本気か」


 周囲には、何も知らず憩う人々がいる。取り押さえようとしたテロンが一歩踏み出したときだ。視界の端で、ルシカの髪がふわりと揺れるのが見えた。


 ザッバアァァァン! まるで滝のように流れ落ちる大量の水が、突如メルゾーンを襲った。


「わぶうっ?」


 魔術師は心底驚いたという顔のまま、あっという間にずぶ濡れになった。魔法行使のための詠唱は中断されている。


 自然にあらざる風の流れが生じていることに気づき、テロンは傍らに立つルシカを見た。魔導士の少女は、優しげな弧を描く眉を跳ね上げ、大きく両の腕を広げている。彼女の前に輝いているのは魔法陣だ。


 ルシカの腕先の動きに連動しているかのように、噴水から一抱えもありそうな水の塊が空中に持ち上げられる。支えはない。陽光に透けた水輪を地面に美しく描きながら、ぷっかりと浮いているのだ。


 『水制御ウォーターコントロール』という魔導の技である。二ヶ月ほど前、テロンとクルーガーの誕生日に、ルシカが水の造形と称して披露してくれた。あのときはもっと大規模だったが。


「おのれっ。卑怯なマネをし、ごぶぉ……げほげほげほっ!」


 言いつのろうとしたところに再び水をかけられ、メルゾーンが激しく咳き込む。鼻から喉に水が入ったのだろう。下を向いたり上を向いたりして騒いでいる。


「お、おのれぇぇぇぇッ、かくなるうえはっ!」


「……なぁに、やっとんじゃ、メルゾーン」


 あきれたような、のんびりした声がテロンたちの背後から聞こえた。顔を上げたメルゾーンが、驚きのあまり跳び上がる。


「おぬしも暇なんじゃのぅ」


 テロンとルシカが振り返ると、そこにはソバッカが立っていた。腰に手を当て、呆れたような顔をメルゾーンに向けている。


「家を飛び出したあと、ダルメス殿にはちゃんと連絡しとるのか?」


 その言葉を聞いて、テロンはようやく思い出した。メルゾーンは、元宮廷魔術師ダルメスの実の息子なのだ。道楽が過ぎ、勘当されたも同然で家出をしていたのだが、ダルメスが自分の後継者に息子ではなく見ず知らずの少女を選んだので、メルゾーンはかなりのショックを受けたらしい。


「う……」


 自分の幼少を知る相手に会ったことで、メルゾーンはすっかり戦意を喪失したようだ。引きつった顔をして後退しかけたところに別の声が聞こえ、再び大きく跳び上がる。


「お待たせしてごめんなさい」


 シャールが広場に到着したのだ。


「知り合いを見つけたと思ったのですけれど、見失ってしまって――」


 言いかけたシャールの視線が、メルゾーンに留まる。途端に、沈み込んでいた表情がこの上なく嬉しそうな笑顔に変わった。


「あらあら、こんなところに」


 メルゾーンが耳まで真っ赤になり、次いで真っ青になった。まるで悪戯を母親に見つけられた子どものように、逃げ腰になっている。


「ずぶ濡れじゃありませんか。そのままでいると風邪をひいてしまいますよ。乾かさないと」


「いや、いい。私は……」


「いけません!」


 シャールはぴしゃりと言った。首を左右に振りかけたメルゾーンの衣の裾をしっかりと掴んで、彼が口を挟む隙もなく引っ張っていってしまう。


「何がいったい」


「どうなっているのかな」


 テロンとルシカは互いの顔を見合わせ、先行するソバッカとシャールたちの後を追いかけた。





 ソバッカの用意した宿は、豪華ではないが感じのいい建物だった。上階に客室があり、一階で食事ができるようになっている。交易の盛んな陸路の拠点都市によく見られる構造だ。


「幼なじみなんですよ」


 食堂の奥のテーブルに着いたシャールが、ほわっとした笑顔で仲間からの質問に答える。隣に座っているメルゾーンは、シャールとは逆方向に首を向けていた。


「歳は離れていますけど、よくいじめっ子たちからかばっていただきましたわ」


「へえ……。ひとって本当に見かけによらないんですねぇ……」


 ルシカが心底意外そうに言いつつ、好物のピナアの赤い実をつまみあげて口に入れた。もぐもぐと頬張ったあと、ほにゃりと幸せそうな笑顔になる。


 メルゾーンがますます不機嫌そうに口の端を歪めた。


「まあまあ、ルシカ殿。こやつ、卑怯で無責任で性格は悪いが、根はいい男なんじゃよ」


 容赦のないソバッカの言葉に、メルゾーンの首ががくっと落ちる。少々吊りあがり気味の目、鼻と顎の線がはっきりしすぎているが、よく見ればかなり整った顔立ちをしていることがわかる。


 メルゾーンはソバッカに襟首を掴まれ、ぐいと引っ張られた。


「おぬしは、父上殿に認められたいんじゃろうが」


「ぐっ」


「よい方法があるぞ」


「本当かっ?」


 メルゾーンが驚いた顔で聞き返し、真剣な表情で耳を傾ける。


「実は、我々は重要な使命を帯びて旅をしておる。仲間に加わり、目的を達成できたら、父上殿も認めてくださるとは思わんか?」


「……旅?」


 ソバッカの目の輝きと何かを含んだ口調に気づいたのだろう、メルゾーンはみるみる顔を曇らせ眉をしかめた。


「それはまさか、とても危険な旅なんじゃ……」


「よぉし、決まりじゃ!」


 ソバッカは、バンッと容赦のない力でメルゾーンの背中を叩いた。


「この魔術師殿が我々の旅に加わることになったぞ」


「ええっ?」


 テロンとルシカは同時に声をあげ、疑うような視線をメルゾーンに向けた。


「わ、私はなぁっ」


 メルゾーンが何かを言いかけたとき。


「嬉しい。とっても心強いですわ」


 シャールから信頼の込められた眼差しを向けられ、メルゾーンは何も言えなくなってしまったのである。





 翌朝早く、交易都市テミリアを出発した一行は、目的地である『終末の森』より少し離れた滝を目指して進んでいた。


 大河ラテーナの支流レーニェ川は、ゴスティア山の南西を流れ、森との境で一度滝として落ちている。その滝裏に、『終末の森』へと続く地下通路があるというのだ。


「数年前の調査隊の報告書にあったの」


 レーニェ川に沿って作られた街道を歩きながら、ルシカが説明した。


「その調査隊を率いていたのが、ダルメス様だったの。だから内容は信頼できると思うわ。森側から近付くのはあまりにも危険すぎる。山の内側から結界に近づくほうが、危険が少ないみたい」


「森からでは、生息している魔獣が多過ぎるからだな」


 テロンの言葉に、ルシカが頷く。支流をさかのぼるルートを進み、残留する守護魔法の影響下にある地下通路に入れば、比較的安全に行けるはずだということだ。





「明日の昼前には、滝まで行けそうですな」


 ソバッカが地図を確認しながら言った。『発火ファイア』の魔法で焚き火をおこしながら、ルシカが頷く。


 街道とはいえ、魔獣や野生の獣に襲われる危険が皆無ではない。


 急いでいることもあり、度重なる戦闘で少なからず疲労した一行は、仮眠を取るため野営の準備をしていた。魔獣には夜行性のものが多いため、昼間に進んで夜中に休んだほうが、結果として距離を稼ぐことができるからだ。


 テロンとルシカ、メルゾーンとシャール、ソバッカの順で見張りをすることになった。仮眠をとる者は毛布にくるまり、焚き火の周囲で丸くなっている。


 火の具合を確認したルシカが、テロンの傍に座った。細い腕が微かに震えていることに気づき、テロンは彼女の肩を毛布で包んだ。


「夜は冷えるな」


「ありがとう。そうね、まだ春先だから」


 すぐ近くにはレーニェ川の流れがある。耳を澄ませば、水の流れる音が聴こえた。雪解け水の奏でる軽やかな音色は、夜の静寂しじまを優しい気配に変えてくれたようで、心が穏やかになる。


 焚き火にくべた枯れ木の爆ぜる音、仲間たちの静かな寝息。遠くで何かが鳴いている声が聞こえたが、周囲に獣の気配は感じられなかった。


 夜空を見上げれば、天蓋のように頭上を覆う古い木々の枝葉の重なる隙間に、細い眉月が輝いている。


「……あのね、ひとつ訊いてもいいかな」


 ルシカが遠慮がちに口を開いた。


「なんだ? 何でも訊いてくれ」


「うん。テロンはどうして、剣じゃなくて体術を使うようになったのかなぁって、ちょっと考えてて」


「ああ、そんなことか」


 テロンは焚き火の炎を見つめ、微笑みながら語り始めた。


「ルーファス殿には今でも言われるよ。幼い頃には剣術を叩き込まれていた。剣ではなく体術を習い始めたのには理由があったけれど、もしかしたら……兄貴と比べられたくなかった気持ちもあるのかもしれない」


 テロンは言葉を続けた。


「……双子だったし、どちらが王位を継ぐのか、俺たちはいろんなことで比べられていたからね。仲の良かった友人たちにも親の立場とかあって、どっちに付いておけばいいんだろうとか、そんな駆け引きみたいなものがあって」


 そんなのが嫌だったんだ、とテロンは語った。


「比べられることに反抗し、兄貴と違う人間であろうとして、いつの間にか特技や趣味も両極端に分かれてしまって。……俺は、兄貴が国を継ぐのに相応しいと思っている。だから、兄貴が王になるときが来たら、俺は兄貴や国を陰で支えたいんだ」


 焚き火の発する熱が、自分の頬に宿ったかのように熱く感じられた。テロンは目を細め、少し笑った。


「陰で支える、なんて、ちょっと偉そうな言い方だろうけれど」


「ん。そっかぁ」


 ルシカが大きく頷き、やわらかな微笑みを見せた。照り返しできらきらと輝く瞳をして、テロンの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「すごいよ、テロンは。優しくて、強くて、思いやりがあって。どんなに小さなことでも見落とさず、自分のできることをきちんと理解しようとしているんだもの」


 テロンの肩に、ことん、とルシカは頭を乗せた。


「だから、きっとできる。テロンなら、できるよ」


 心の迷いをぬぐい去ってくれるような力強い言葉に、テロンは思わずルシカを見た。


 見上げるように彼と視線をあわせたルシカは、まるで太陽のように明るい表情のまま言葉を続けた。


「あたしも、一緒にがんばるから」


 だって宮廷魔導士だもん、と照れたようにおどけた口調で言葉を添える。


 テロンにはルシカの心遣いが嬉しく感じられた。胸の奥底にあった重いものが消えて、心が軽くなったような気がした。



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