3章 旅の途中 2-6
「テロン、こっちよ!」
王宮の東の門で、ルシカが手を振っていた。王宮内での魔法衣ではなく、動きやすそうな淡い色合いの衣服を着用している。小柄な体には大きくみえる旅の荷を背負い、そして右手にはしっかりと『万色の杖』を握っていた。
ルシカの横には、白い神官衣を羽織ったシャールが立っている。ソバッカは実用重視の胴鎧と剣を身に着け、荷物の他に盾を背負っていた。傭兵隊長というより冒険者という出で立ちだ。
「すまない、遅くなって」
テロンの言葉に、ルシカが微笑みながら首を横に振った。朝日に照らされた金色の髪が透けるように輝きながら、肩の上でゆるやかに流れる。
「ううん、そんなことないよ。まだおじいちゃんを待っているところ」
「ヴァンドーナ殿を?」
テロンは怪訝そうに首を捻り、周囲を見回した。そのとき、門から少し離れた場所にある図書館棟の扉が開いて、丈の長い衣服を着た人影が出てきた。
「あ、きたきた」
ルシカが祖父に手を振る。
「おじいちゃ~ん」
そんな様子を見ていると、ごく普通の祖父と孫娘のように思える。
「待たせたのぅ。ほれ、作っておいたぞい」
大魔導士は、小さな箱のようなものをルシカに手渡した。彼女の手にすっぽり収まるほどの大きさのものだ。
テロンは横から覗き込んだ。箱の表面には、魔法文字がびっしりと、まるで模様のように描かれている。
「ん? これって……」
ルシカが眉を寄せた。箱の蓋を開くと、祭りの仕掛け箱のように間の抜けたような音がして、お化けの作り物が飛び出してきた。
「…………」
「間違えてしまった、こっちじゃ」
ルシカが無言のまま、バシンと箱を閉じる。悪びれる様子もなく、もうひとつの箱を差し出すヴァンドーナであった。
テロンは開いた口が塞がらず、ソバッカは目を丸くしていたが、シャールは「あらあら」と言いながらにこにこと笑っていた。
今度の箱にも同じような模様が描かれていたが、魔法語のいくつかがぼんやりと光っている。どうやら本物であるらしい。
「発動方法は、その文字をたどればわかるはずじゃ。亜空間は完璧に外界と遮断されるが、二週間でその効果は消える。扱いには十分に気をつけるんじゃぞ」
「ありがとう、おじいちゃん」
ルシカは素直に礼を言い、箱を背負い袋へ丁寧に仕舞った。ヴァンドーナは表情を引き締め、旅立つ者たちの顔を見回した。
「道中、気をつけるように。皆、頼んだぞ」
「はい」
「承知しました」
テロンとソバッカが、しっかり頷く。シャールは微笑みながら丁寧に頭を垂れた。
「じゃあ、おじいちゃん。そろそろ行くね」
ルシカは荷物を背負い直すと、軽く祖父に抱きついた。
「ルシカ、魔力は誰もが持っている始原の力じゃ。それを忘れるでないぞ」
ヴァンドーナは孫娘の腕をぽんぽんと叩きながら、諭すように優しく言った。祖父の真意を図りかねて戸惑いながらも、ルシカが頷く。
東の門を出たところで足を止めたテロンは、王宮の建物を振り返った。
最上階の大きな窓に人影がある。その影が片手を上げたように見えたので、テロンも片手を上げて応えた。
海と繋がる王都ミストーナからゴスティア山麓まで、カクストア大森林という広大な緑の領域が横たわっている。深く自然豊かな土地は、獣だけでなく魔獣たちも数多く生息していた。森の中の道なき道を進むことは、あまりにも危険であった。ファンの町までは街道を使い、危険な箇所を迂回したほうが、結果的に早く目的地周辺まで進むことができる。
一行は、ファンの町付近まで街道沿いに進むルートを選んで進んでいた。
混乱を避けるため、数日前の地震で騒ぎになっているファンの町には寄らず、手前の交易都市テミリアで旅の必要物資を調達することにした。町の混乱を鎮め、復旧する役目には、ダルメス率いる別の部隊が赴くことになっている。
テロンやルシカたちは、あくまで迅速にくだんの地に入って封印を解き、交換条件である『生命の魔晶石』を手に入れることが最優先なのだ。手に入れたあと、必ずふたりの侵入者からの連絡があるはずだ。
「うっわぁ~。すごい賑やかな街なのね」
大陸でも有数の交易都市テミリアに着いて、開口一番ルシカが感心したように声をあげた。
「まるで田舎者のようなことを言う」
ソバッカがルシカをからかった。ルシカは頬を膨らませ、「田舎者なんだもの」と言い返している。
確かにルシカは、王都を出た幼い頃からずっと、人生のほとんどの年月を国境付近の村ミルトの郊外で過ごしてきた。王都はテミリアより大都市であったが、通りの活気や流れる人の数はテミリアのほうが遥かに凌駕している印象がある。凝縮されている、といえばぴったりだろうか。
ルシカとソバッカの掛け合いも普段と変わらず、ぱっと見れば緊張感の欠片もないように思われた。だが、ガチガチに緊張していては、普段の実力をいつでも発揮できなくなる――冒険者として生きるなら必要なことなのだ、とソバッカが心得として語っているくらいなのだ。これでいいのだろう。
少々騒いでも、こんな人通りの多さでは目立つこともないだろう。街道を進んでいる間ずっと緊張の連続であったテロンは、ふぅっと肩の力を抜いた。
「まあ、こんな街だから、賊もおいそれと我々を追えまいて」
テロンの心のつぶやきを見透かしたように、ソバッカが片目を瞑って寄こした。
「ここで必要なものを揃え、明日早くに出発しましょうかの」
「お父様、とりあえず今夜の宿を決めておきましょう」
シャールが提案し、様々な種族でごった返している通りを見渡した。二階建てほどの低い建物ばかりがぎっしりとひしめいていて、どこに何があるのか、目が慣れなければさっぱりわからない。
「確かに、もうすぐ日が暮れてしまうな」
「私が宿を取って参りますから、そうですなぁ……、テロン殿とルシカ殿はこの通りを進んだ場所にある広場で待っていてくだされ」
ソバッカが、通りの先を指し示した。
「別行動にしてしまって、大丈夫なの?」
戸惑うルシカに、ソバッカは答えた。
「こんな街では、大人数で行動するほうがやっかいなんじゃよ。大丈夫、中央の広場は、この町の通りがすべて交差する場所なのじゃ。迷うことはない」
テミリアは、広場を中心として放射状に広がっている造りをしているらしい。
「噴水があるので、そこで待ち合わせとしましょう」
それでは、と言うが早いか、ソバッカは人込みのなかに紛れてしまった。
「では、必要なものを買い揃えつつ、参りましょうか。あら、あれは……」
「シャールさん?」
シャールが微笑みながらふたりに話しかけた途端、彼女の動きがぴたりと止まった。目を見開いたまま、人混みの一点を凝視している。常日頃からにこやかな表情を崩さない女性なので、驚愕の表情だけでも驚きだったのだが――。
「すみません! すぐに戻りますから、先に向かっていていただけますか」
早口で言い残すと、シャールは走り出してしまい、行き交う人々の中に姿が見えなくなった。
「なんだか、知り合いでも見つけたみたいだったね……」
心配そうな口調で、ルシカが言った。ルシカがシャールの背を探して人混みを透かし見ようと爪先立ちになったとき、小さな肩に通りすがりの男がぶつかった。
「きゃっ!」
「ご、ごめん」
倒れかけた彼女を胸に抱きとめ、テロンが思わず謝ると、ルシカが吹き出すように笑った。
「とりあえず、ソバッカさんの言っていた広場まで進みましょ!」
ルシカは歩き出したが、思うように進めず、人混みの中でぶつかられてばかりいた。見兼ねたテロンがルシカの手を取り、しっかりと繋いで歩きはじめる。
「はぐれないように、俺についてくるんだ」
「あ、う、うん」
テロンは人混みの中を進みながらも、繋いだルシカの手を強く意識せずにはいられなかった。大いなる天恵とも災厄とも称されるほど、強大な力を持つ魔導士かもしれないが、握った手は細く、小さく、やわらかかった。
肩越しに振り返ると、視線を感じたルシカが顔を上げた。さきほどの心細さとは変わり、安心したように落ち着いた表情に戻っている。握り返された手に、少しだけ力が込められた気がした。
テロンとルシカのふたりは、通りを進みながら目に付いた店で、旅に必要なものを買い足していった。
人混みを抜けると、目の前に公園のような場所が広がっていた。予想外なほどに広く開けた場所であり、子どもたちが駆け回っている。多くの緑が茂り、水路が敷かれ、大樹の木陰で休んでいるひともいる。
広場の中央には噴水があった。澱むことのないきれいな水が石柱の先から流れ落ち、周囲に涼しい風を提供している。
「うわぁ、いいところだね」
ルシカが嬉しそうに声をあげた。埃だらけの人ごみから解放され、深呼吸を繰り返している。公園にいる男女は、恋人同士なのか、互いに寄り添うにして歩く姿が多くあった。自分たちも、同じように見られているのだろうか――テロンの歩みが自然と止まる。
「……テロン、どうしたの?」
ルシカに顔を覗き込まれて、ハッと我に返る。
「ごめん。何だって?」
「うん。ソバッカさんたちまだかなぁって。シャールさんも大丈夫かな」
無邪気な様子で首を傾げるルシカに、テロンが応えようと口を開きかけたとき、背後から声が聞こえた。
「うわっ! きっ、貴様は!」
甲高い声だが、きっぱりと男のものだ。テロンとルシカは、ゆっくりと背後を振り返った。聞こえないふりをしようかと思ったのは、たぶん彼女も同じだろう。
そこには予想通りの人物が立っていた。赤と緑を基調にした派手な衣服、赤みがかった金髪、ジャラジャラと魔具やアクセサリーを提げている腰紐、大げさな身振り手振りの自称大魔術師だ。
「我の宿敵! 宮廷魔導士の小娘ではないかッ!」
「……誰でしたっけ」
ルシカの発言は、たぶんわざとだろう。予想通り、相手の男は顔を真っ赤にして声を張りあげた。
「超美形大魔術師メルゾーン・トルエランだ。覚えておけ!」
「いや、もう忘れちゃった。……ていうか、もう忘れたい」
ルシカが、げんなりした顔で答えた。




