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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第八部】《聖王国と時の魔法陣 編》
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1章 魔導の転生 8-2

 暗転した脳裏の闇。その狭間で思い出したもの。失った記憶と、心の奥底の僅かな残滓ざんし。それらは夢というかたちで浮上した。


「俺は……誰だ。どこから来たんだ」


 代わり映えのない日常、夜闇迫る刻限に篠突しのつく雨が降っていた。つんざくような誰かの悲鳴。それはもしかしたら、自分のものであったかもしれない。彼の人生を変えたことが、そのとき確かに起こったのだ。


 瞳を射抜くほどに強烈な光源が、凄まじい振動とともに一気に距離を詰める。次の瞬間には、彼の意識を吹き飛ばしていた――もといた世界から彼を完全に引き離してしまうほどの衝撃であった。


 彼の意識は永劫ともつかぬ時間をさまよい、事象の地平面でも踏み越えたかのような喪失感のあとに引き伸ばされるような感覚を味わい……次元の弥終いやはてのさらに先で再び意識を取り戻した。


 それはあの少女と出逢う前のことだった――はずである。


 蛋白石オパールのような輝きが果てなく星の数ほどに散りばめられた空間であった。その輝きに満ちた場所で、彼は闇そのものであるかのような漆黒のいろをまとった存在と対峙していたのだ。


 その存在は、ひとりの少年の姿をしていた。だが、表情や雰囲気は人間のもつそれらを遥かに凌駕りょうがしている。ただそこにいるだけで相手に畏怖を与え、その眼差しに宇宙そのものを投影することができるほどの存在を、何といえばよいのか――。


われは唯一のもの、称される名の無き存在」


 語りかけられた言葉に、音はなかった。その振動エネルギーを伴わぬ不思議な声は波紋のように広がり、空間そのものを打ち震わせながらこちらの意識に届いた。


 なるほど確かに相手は神であるのか、圧倒的な存在感を放っている。だが、その姿かたちは彼にとって懐かしく、親しみあるものに感じられた。


 少年の背はまっすぐで姿勢よく、肌は白く、手足はすらりと長い。あるはずのない風に揺れているのは、くせのないつややかな黒髪だ。すずやかな眼差しの両の瞳の色彩は、銀と青の煌めきを内に秘めた灰色グレイであった。美術品さながらに整った目鼻の配置、あまりに強い眼力には違和感を感じたが……彼はふいに思い至った。


「お……れ? まさか、俺なのか?」


 それは確かに、幼少の頃の彼自身の面影を内包していたのだ。むろん、これほどまでに整った容姿ではなかっただろうが、懐かしさを感じたのは自分のかつての姿を彷彿とさせたからだろうと思われた。けれど、それ以上に記憶がない。


「いったい、何が……起こったんだ」


 つぶやいてから気づく。自分の声も音を伴っていないことに。


 思わず、自分の姿を確かめようと視線を落とした。だが、あるはずの体はおろか足先すら見い出せず、身動きできている感覚はあるのに、まるで透明にでもなったかのように影も形もない。


 呆然とした彼の意識に、光と闇の両方を纏ったかのような気配もつ少年がクスリと笑ったような気配が届く。


「まさか? いや、しかし……」


「混乱しているな。どうした、この姿に関心があるか――まあ、それは無理からぬこと。この姿は、おまえのかつての姿を模したもの。アーストリア世界に合うよう、われが調節したものだ。どうだ、気に入ったか? 容姿は万人の目にもこころよく映るように整えておいたぞ。瞳の色は黒だったようだが、大量の魔力マナを肉体に詰め込んだことで変化した。魔導の本質は瞳に宿るのだから、これは避けられぬ変化なのだよ」


 からかうような響きを交えつつも、相手の唇は微塵も動いてはいない。


 あるはずのない風がひときわ強く吹き、相手の黒髪がさらりと揺れた。灰色グレイの瞳が細められ、少年の指が流れるように典雅な動きで額にかかった髪を横に払う。もちろん、それは視線の主である自分が意図したことではないだろうが、その人智を超越した美と所作は彼の心を打ちのめした。


 意識が……魂がおののくが、彼はなんとか自分を持ちこたえさせた。


「それが俺の体……? そんな容れ物を用意して俺に与え、いったいどうするつもりなんだ」


 彼は震えながらも尋ねた。その震えが戦慄なのか歓喜ゆえかは判然としなかったが、どうしてもはっきりさせておきたかった――『神』と呼ばれて然るべき存在が、ひとりの人間に何を期待しているというのか。


 だが、少年は気怠けだるげに答えた。


「どうもせぬよ。この肉体はおまえに与えるつもりで作ったものだ。趣向を凝らし、必要となるだろう能力を付与したが、基本的にはもとの肉体になぞらえただけのこと」


「神とやらの与えてくれる恩恵には、かならず見合った犠牲があるはずだろう」


 相手のいらえに彼はいぶかしみの視線を向けた――肉体を持たぬ今の自分が相手にどう見えるのかは定かでなかったが、不条理なことに対して黙っていられる性分ではなかったのだ。


「ひとの運命をすでに決定したようなことを言っておいて、ただ気まぐれにそうしたといわんばかりの態度じゃないか」


「ほほぉう、これはこれは。さすが我の見込んだ者よの。……不服か? おまえはわれと向き合っても、おくすることがなく挑んでくるか。たのしいことよのぅ」


 黒髪の少年の姿をしたその存在は、さざめき笑うような気配を周囲に散じた。人形さながらの端正な容れ物のほうは超然として、微塵も笑っていなかったが。


「いやはや。不服とするはおかど違いというものであろう。おまえの肉体は手の施しようもなくバラバラになっておったのだぞ? それをわれが集めて復活させたのだ――次なる世界に適応できるよう、わずかばかりの余禄も与えて。このように好ましい肉体ならば、あの者の気をくこともできよう」


 音を伴わぬその声には、からかうような響きがあった。だが、語られた内容はすっかり彼を打ちのめしていた。そんな彼の心の内を知ってか知らずか、相手は超然と言葉を続ける。


「我から与える叡智と魔導の力を天恵とするか呪いとするかは、おまえ次第だ。ふむ、おまえの犠牲とやらがどうしても問いただしたいというのならば、答えてやろうぞ」


 唯一の絶対的存在は、彼に告げた。


運命さだめや限界に縛られることのない我のこまとなるもの――その駒を支え、まもる者が必要なのだ。我では直接に手指を伸ばせぬ。無数に連なる次元と世界を含めた全ての宇宙――盆をひっくり返すような事態を引き起こすことにでもなれば、喜ぶのは『無の女神』だけだ。それでは面白くない」


 周囲の不可思議な光景が消失した。さまざまな濃さの闇が多重に重なり合った……いや、まるで多次元の宇宙が房のごとく繋がり合ったような世界を垣間見た気がした。だが人智を超えたそれらの光景は、常人より優れているはずの彼の理解力をもってしても、とうてい処理しきれるものではなかった。


「ただ波紋はもんを生じ、均衡を乱すことが我が望み」


「均衡を乱す……? いったい、何の」


「むろん、世界の」


 神は強く思念を打ち響かせた。


「すべての色を有し、万物を万色に染めることを可能とする――その魔導の力を継承する者が真に目覚めるためにどうしても必要な布石なのだよ、おまえは」


 煌めいていた周囲が色彩をなくし、崩壊しはじめる。彼の意識は、どこかの場所を目指して凄まじい速度で移動をはじめた。


 最後に聞こえたのは、神のつぶやきであった。


「おまえはその内の一石に過ぎぬ。波紋というものは、どこかへぶつかればさらなる波紋を生じる。互いに干渉し、打消し、強め――いや、あるいは」





 次に目を開いたとき、彼の瞳に映っていたのは闇ではなく、天井だった。


 豪華ではないが美しい彫刻が要所を縁取り、正確な五角形の辺を延長して繋げたかのような星の模様が大きく描かれていた。いや、それは星ではない――五芒星ごぼうせいと呼ばれるものだろう。ぼんやりとした視界の中でも、その見事な装飾は彼の心を揺さぶった。


 もっとよく見ようとして目を見開いた途端、ズキリとした痛みの強さにうめいてしまう。目覚めたばかりの瞳に、部屋を満たしている光はまぶしすぎた。


 光量を少しでも減じようと眉を寄せて目を細めたとき、近くで生き物の動いた気配があった。布の動く気配があり、光がやわらかなものになる。


「お目覚め、ですか?」


 聞いたことのある声が、耳に心地よく響く。


 視線を天井から下へと移動させると、そこに蜂蜜色の髪と大きな瞳をした少女がいた。その頬にも額にも血の跡はない。怪我などしたことのないようにすべらかな肌が、弱められた光の中でもくっきりと浮かび上がるように際立ってみえた。


 何かとてつもない夢の余韻を引きずったように緊張したままだった意識が、ほっとするような温かさとともにゆるんでいく。夢の詳細は覚えていなかったが、少女と出逢ったときのことは覚えている。


 意識を失う直前までの森での記憶をたどり、彼は今の状況を理解した。


「……無事、だったのか」


「はい。おかげさまで」


「そうか……よかった」


 心底安堵したように息を吐くと、少女はまじまじと彼を見つめ、それからにっこりと微笑んだ。


「あなたのおかげなんですよ。どうもありがとう」


「……俺の?」


 ふたりは崖っぷちから転落したはずだった。満足な受身を取れたとも思えない。それがどうして助かったのか、なぜ礼を言われることになったのか、さっぱり理解できなかった。


 返答に困ってしまい、彼が無意識に首を巡らせたとき、そこが広い部屋であり、寝台ベッドに寝かされていることに気づいた。着ているのは上質な布で作られた寝巻きである。機械ではなく、手で縫われたかのように丹精で丁寧な針の運び。ひどく高そうな品だ。


 そう思って周囲をまじまじと見直してみれば、体に掛けられている寝具も、木製の家具もたっぷりとしたカーテンも、そして少女の着ているシンプルなドレスすらも、質の良い高価なものであると気づく。


 いわゆるお嬢さまなのか――だとすれば、どこか浮世離れした態度も、丁寧でのんびりとした口調も頷ける。彼女の父親というのは金持ちか、貴族とか上流階級とかいうものに違いない。


 彼はすこしばかり口の端を歪めてしまう。身分や階級、権力などという言葉に微かな反感を覚えたのだ。


「俺たち、崩れた崖っぷちから落ちたはずではなかったか?」


 口調が冷たいものになってしまったのは、反省すべき点だ。すぐに口調を改め、やわらげて言葉を続ける。


「俺が下敷きになってクッションにでもなったというなら、それは自然にそうなっただけだ。別に礼を言われることではないと思う」


 少女はそんな彼の様子を不思議そうな視線で見つめたあと、ぱちぱちと大きな瞳をしばたたかせ、それから彼のもとへ歩み寄った。手を寝台の掛け布の上に置き、体を伸ばすようにしてふわりと彼の顔を覗き込む。


「でも、お礼を言いたいの」


 蜂蜜色のヴェールの内で、少女はにっこりと笑った。笑うと、肌色が抜けるように白いせいか頬がほんわりと薔薇色に染まる。明るい色の瞳が、楽しそうな光を宿してきらきらと輝く。


 その神秘的な虹彩をもつ大きな瞳に自分の姿が映っていることに、彼は気づいた。


 その姿はまぶたの裏にうっすらと残っている、超然たる相手と同じ面差しをしていた。ただしこちらのほうは、まるで家への帰り道を失ってすっかり途方にくれた迷い子のように、ひどく頼りなさそうな表情をしている。


「あなたは、とぉっても強そうなのに、魔法で木々を焼き払おうとか、ぜんぜんしなかったでしょう? あなたのほうがたくさん傷を負っても、木々に優しい気持ちを向けていたわ。おかげでわたしたち、助かったの」


 彼にやわらかい笑顔を向けながら、少女は唇をすぼませて言葉を続けた。まるで特別な秘密でもささやくときのように魅惑的なしぐさだが、表情は無邪気そのものだ。


「落ちるわたしたちを、『樹擬人トレントリ』たちが救ってくれたの。森のみんな、あなたを好きになったみたいね。すごかったの、崖の途中から一気にぼこぼこぼこぼこって根が出てきて。まるで広げられたネットみたいに絡み合って広がってね、わたしたち、それに包まれて助かったんです」


「へぇ……?」


 彼はぽかんとした。空中に伸び上がった根と凄まじい形相をしたドラゴンの姿が脳裏に閃く――あれは、やはり夢ではなかったのだ。魔竜と呼ばれる生き物から必死に逃げたことも、植物とは思えない動きをしていた木々たちも。彼女から噴き出した不可思議な炎のオーラも、無数に負った傷の痛みも、すべて。


 そしてハッとしたように、彼は自分の腕を目の前まで動かして眺めてみた。傷はきれいに消えていた。痕跡すらない。


「あ、怪我はおとうさまが治してくださったの。『完全治癒パーフェクトヒーリング』を使ったから傷の跡は残りませんでした。おとうさまは『生命』の――」


 そのとき、部屋の扉が開いた。少女は言葉を切った。


 重々しい木製の大きな扉は、軋みひとつ上げなかった。ふいを突かれて彼は驚いたが、少女は焦ることなくゆっくりと体を起こして真っ直ぐに立った。


 入ってきた男は、いかめしい顔と堂々とした物腰、丈高い学者然とした偉丈夫だった。思わず対峙する者の背筋が伸びてしまうほどの佇まいであったが、同時に親しみやすいあたたかな雰囲気も併せ持っている。


 しかも、全身から輝く気配のようなものを放っていて、それ自体が細やかな文様を描くような流れをもっていた。まるで血液か体液のようだが、それほど視界を塞ぐようなものでもない。色のついた涼やかな空気を、音楽の旋律のように体内に巡らせているかのようだ。


 命の輝き(オーラ)が目に見えたらこんなふうであろうか、と彼は思った。


 そういえば、彼のそばに立っている少女も、体の内にそのような流れを持っている。だからこそ彼女は、まるで光り輝いているように見えるのかもしれなかった。


 そうか、と彼は今さらながらに悟った。これが彼女の語っていた『魔力マナ』なのだと――。


「そろそろ目覚める頃合かと思い、来てみたのだ」


 部屋に入ってきた男は、慈愛に満ちたよく通る低い声で少女に語りかけた。


 少女に向けられた信頼と愛情に満ちた視線に、この者が父親なのだろうと彼は悟った。目の前に立ったその男は、まだ四十にも満たない年齢だろうに、すでにひとの世の様々を見てみがきぬかれたかのような眼差しをしていた。


 寝台の上で上体を起こした彼に、娘に対するものと同様の優しげな視線を向け、男はゆっくりと言葉を紡いだ。


「――どうやら大変な目に遭ったらしいな、少年よ。だがもう心配はいらぬ、ゆっくりと休んで体を癒しなさい。わたしの名はルキアス・リム・メローニ。古きメロニアの都があった場所をこの地から代々見守り続けている魔導士の子孫であり、このソサリア王国の南東地方にあるミルトという土地の領主としてこの屋敷に住んでいる」


 その深い眼差しに見つめられた瞬間、彼は全身に電気でも通ったかのような衝撃を受けた。


 不快なものではない。むしろ心地よいものだった。まるで歴史に名を残した憧れの有名人に、現実に対面できたときと同じ戦慄がはしったかのように。


 ルキアスと名乗った男は言葉を続けた。


「自身の記憶がないことは、娘から聞いている。そして、そなたの体の内に流れるのは、このわたしでも及ばぬほどに濃い魔導の血と膨大な魔力マナであることも。驚嘆すべきことだ。それほどまでの力を秘めた魔導士が我が領内を訪れていようとは」


 ルキアスは目を細め、息を吐いた。


「このわたしでも察知することができなかった。驚きではあるが、興味もある。それにそなたが魔導士だというのならば、この現生げんしょう界に数少ない我らの貴重な同胞はらからともいえるのだ。世界は広い。ゆえに、この出逢いは大変に喜ばしいことだと、わたしは思っている」


 彼はぽかんとした表情で動きを止め、それからようやく口を開いた。


「俺のなかに……何があるのだと今おっしゃいましたか? 『まどう』とはいったい……『マナ』という言葉も俺には聞き覚えがありません。この世界についてさえ、俺は何も知りません」


「何と……」


 ルキアスと名乗った男は表情を消し、穴が開くほどに彼を見つめた。


 まるで自分が裸のままに曝け出されているかのような心もとなさを感じ、彼は思わず目を逸らしそうになった。だがすぐに瞳に力を込め、黙ったまま静かに男を見返した。


 男は彼の瞳を見つめたあと、ゆっくりと気遣うような微笑を浮かべて言った。


「なるほど……それほどまでの可能性を秘めていても、そなたはまったく書き込まれておらぬ書物の白紙のような状態であるというわけか。それは由々しい事態だ。そのままではいずれ自分の力に戸惑い、内外問わず破滅を引き起こすことになるやもしれぬ」


 ルキアスは言葉を切り、しばし沈黙して天井を見つめた。何かを深く考えているようだった。


 彼は待った。少女も何かを言いかけて口を開いたが、すぐに思い直したのか口を閉じた。


 やがて心が決まったのか、ルキアスは視線を戻し、穏やかな微笑とともに口を開いた。


「事情は分からぬが、状況は理解した。安心しなさい。学ぶ気があるのなら、わたしがそなたに魔導と世界のことわりと知識、そのすべてを伝授しよう。わたしが後見となってそなたを支え、しるべとなってそなたを教え導けば、魔法の遣い手として道を踏み外すことも迷ってしまうこともあるまい。……どうだ?」


「え」


 突然の言葉に戸惑い、彼は再び言葉を失ってしまった。だがその横で、少女が心の底から嬉しそうに歓声をあげて手を叩き、ぴょんと跳びあがった。


「つまり、この屋敷にわたしたちと一緒に暮らし、ゆっくりと学ぶべきことを学びなさいという意味ですよね!」


「そのとおりだ。娘も、ともに学ぶ友だちができて嬉しいようだし」


 父親は娘に視線を向けた。少女はにっこりと笑って大きく頷き、少年のほうに向き直った。


 少女の懇願するような熱い視線に、彼はぽかんとしたまま硬直していたが、やがてゆっくりと頷いた。


「……ありがとうございます。正直、右も左もわからないこの状況で、どうしたら良いのか途方に暮れていました。なにもかもが失われ、変化して……おそらく家族も知人も見い出せない場所だと思いますし。そもそもこの世界は俺の――」


「よい、よい。それ以上は語らずともよいではないか。重要なのは、そなたが今この瞬間から、わたしたちの家族になったということだ。そなたのように性根の真っ直ぐな、優しさを兼ね備えた者ならば安心だ。抱えている事情や生まれは問題ではない」


「すてき! これからよろしくね、えぇっと……」


「そうさな、名前がないと不便だな。そなたに呼び名の希望はあるか?」


「え、いえ……特に」


「ならば、ヴァンドーナという名はどうだ。魔法王国期より前から伝わる古き言葉で、『尊ばれるもの』という意味がある」


 ルキアスは微笑んだ。


「ちなみに娘はルレアという。『優しき光』という意味だ」


「お父さまは、言葉をとても大切にしているんですよ。それこそ古今東西、たしゅた――んっと、多種多様な言葉の数々を、です。教わるほうはいっぱいありすぎて大変なんだけど! これからあなたもあたしと同じく、勉強ばかりで忙しくなると思うわ。でも一緒にがんばれば、勉強もうんと楽しいと思います!」


「魔導の遣い手は、歴史や言葉をはじめとする知識の継承者でもあるからな」


「ねぇヴァンドーナ。おなかすいてないですか? それとも屋敷を案内します? あぁ、すっごく嬉しいです、ヴァンドーナ!」


「これこれ、ルレア。一度に誘ったら困ってしまうだろう。落ち着きなさい。まずは彼に着替えをもってきてあげなさい」


「はぁい!」


 少女は弾けるような笑顔で返事をして、体をくるりと回してスカートの裾をひらめかせたあと、すぐに続き部屋の奥から着替えを持って軽やかな足取りで戻ってきた。


「ヴァンドーナ……俺の名前……」


 少年は試すようにその言葉をつぶやいてみた。耳慣れない響きだったが、悪くない、とも思った。


 なによりあたたかな陽射しにあふれる室内で、屈託なく笑う少女と父親――そのふたりの家族になって新たな生活がはじまることに、彼は妙にワクワクするような、胸の高鳴りを感じていたのである。



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