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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【番外編3】 《南国の花嫁 編》
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3章 願いのゆくえ 外3-5

 メリダの丘。名の由来は、遠く魔法王国中期までさかのぼる。


「幻精界と現生界の繋がりを論理化させて、『精霊魔法』を確立させたエルフ族のメルリアーダ王。ながく種族の専用魔法として伝えられていた力がふるわれた場所だと、僕も伝え聞いてはいたけれど」


 ディアンが赤く澄んだ瞳で周囲を眺め渡しながら、しみじみとつぶやくように言った。

 

「たぶん真実なんだろうね。こんな凄い光景、地学や自然現象では説明がつかないもの。……でも、こうして魔法王国が遺した場所に居ると、どこかホッとしたものを感じている僕がいる。畏怖や恐怖を感じさせる光景なのに、とてもなつかしい気持ちになるんだよ。……変だと僕自身も思うんだけど」


 遠目に見えていた緑と茶の色彩が織り成す縞模様の正体は、通常ではあり在り得ぬほどに超常的な地形の連なりだった。なだらかな緑たゆたう草原くさはらの丘に、幾筋もの深い亀裂が走っている。まるで途方もなく大きな獣の爪が容赦なく大地をえぐっていったかのように大地はぜ割れ、凄まじい深さの断崖絶壁を形成しているのだ。


「いや、そんなことはないさ」


 リューナは声に力を篭め、けれど静かな口調で親友にこたえた。


「本来は居るはずのなかった時代に存在しているんだ、自分の居た場所がなつかしくて当然だと思うぜ。確かに、すっげえ不思議な巡りあわせだよな。俺は、ディアンと出逢えて良かったと思ってるんだけどさ」


「それはもちろん僕も同じさ、リューナ。この時代に来られたこと、心から感謝してる。なにより君たちやエオニアとこうして一緒にいられるんだし。……実は、王国解体のあとで僕はずっとひとりぼっちだったから、君を封印魔法で未来へ送り出したあと、すごくさみしかった。リューナやトルテと同じ時代に生まれていればなぁって、ため息をつきながら何度思ったことか」


「そっか。……そうだな」


 リューナは口もとを微笑みのかたちにして、深海色の瞳を遠く離れた場所へと転じた。


 ふたりが座っている場所は、メリダの丘で一番眺めの良い頂上付近だ。地上では樹々の葉や蔓蔦に遮られてやわらいでいた陽光が、ここでは強烈な日差しとなって天空から降り注いでいる。伸びやかに生い茂る草の上に吹き渡る風がなければ、汗の噴き出すような暑さを感じていただろうほどに。


 視線の先にあるのは、勢いのある緑の領域の間を縫うように走る青の煌めきと水霧の立ち昇る光景――陽の光に透けるような水霧の合間に見えるのは、色とりどりの人工的な建造物群と、それらの中央にそびえ立つ大樹のような塔の集合体だ。


 王都ロウロナと、飛翔族の王の居城である。


「なんだか思い出すよな、あの王国末期のときのこと。フェリアさんに連れられて、治水技術を教えてもらいに来たんだったっけか。やっぱ混乱の最中さなかにあったから揉め事もたくさんあったし、エルフ族のなかで部族間の争いが起こって……そうだ、あのときも精霊魔法のひとつが暴走しかけたんだよな」


 グローヴァー魔法王国に繁栄した五種族のひとつ、エルフ族の王()べる豊穣の地。緑と水に織り成された潤いと清浄の大都市トレントリアが在った時代のことだ。


「この地では精霊魔法の扱いが、世界の他の場所と比べて特に難しいからね。それはいまの時代でも変わらないんだ」


「幻精界の影響を強く受ける土地だからこそ豊かでもあり、危険もあるんだって言ってたな。フェリアさんはどうしてだか知ってたような口ぶりだったけど」


「王国解体のあと、エルフ族の大半がこの地を離れてしまったようだね。気候も相当に変わってしまった。当時は魔導の技術が住みやすく環境を制御していたらしい」


「それが失われたから、植物も気候もすっかり変わっちまったってわけか。そういやさ、フェリアさんたちは……その、なんていったらいいのかな。元気だったのかな? ダルバトリエのおっさんとのことも気になるんだけどさ」


「僕が未来へ飛ばされる前までは、みんな元気だったと伝え聞いていたけどね。そのあとのことはやっぱりわからない。未来では、王国末期からしばらくの間の時代の記録が残っていなかったって、本当の本当だったんだね。ロウロナ王都の図書館の禁書や文献を並べられた棚にも無かった」


「いろいろあったもんな。俺たちも苦労したし」


 二千年前まで繁栄を極め、僅かな間に滅亡したグローヴァー魔法王国。その末期に人間族の王と飛翔族の王として奮闘していた青年ふたりは眼を見交わし、それぞれの思い出を胸にタリスティアルの国土を眺め渡した。


「一度は放棄された都市の跡に、またひとが暮らしはじめて、新しい国が興されたわけだ。俺たちの国と似たような歴史があるんだな」


「ふふ。ひとの歴史なんて、そんなものかも知れないね。規模が変わったとはいえ、今でもこうして遠目に眺めると当時の面影があるだろう?」


「だな。緑と水色のきらきらした景色は変わらねえや。しかしおい、すっげぇな! 山羊ってのは、あんな垂直に近い絶壁でも落ちねぇのか?」


 首を巡らせたリューナの目に留まったのは、裂け目のひとつがほぼ垂直に落ち込んでいる中途で、器用にも岩の割れ目に蹄をひっかけるようにして佇んでいる角のある動物だった。落ちかけているのかと思わず腰を浮かせたら、山羊はさっさと崖を登りきり、なにごともなかったかのように駆け走っていってしまった。


「ん? ああ、そうなんだよね。翼もないのに度胸あるなぁって、いつも感心してしまうよ。……そういえばソサリア王国では見なかったね。でも食事には、チーズやクリームを使った料理が頻繁に出ていたような記憶があるんだけど」


「ソサリアは貿易国だからな。そのへんの事情はトルテが詳しいぜ、国内外の情勢とか景気とか流通とか。資料だけでなく自分の足で市場まで行って調べたりして。にしては迷子になりかけるわ、足もとやらは全ッ然見てねぇわで怪我をするわ。ッたく、危なっかしくて放っておけねぇったら!」


 口もとを捻じ曲げるようにして苛立たしげに発せられたリューナの言葉に、けれどディアンはたのしそうにくすくすと笑った。


「ふふ、放っておけない、ね! そういえばリューナ、ふたりの仲ってどこまで進んでいるんだい?」


 唐突にさらりと問いかけられ、リューナは思わず「へ?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。一拍遅れて、頬やら首筋やらがカッと熱くなる。気温も突然、急激に上昇したようだ。けれど、そんなリューナの様子に目をぱちくりと瞬かせた親友の邪気のない表情に、一転、急速に落ち込んでしまうのであった。


 リューナのあまりの落胆ぶりに、今度はディアンのほうが慌ててしまう。


「あ、いやごめん、なんていうかその」


「いや、いいんだ。俺……正直、これ以上どうすればいいのかわかんねぇ。待てばいいのか、押し倒せばいいのか? なぁディアン、『大好き』って言葉は愛しているのとは違うのかなぁ。口にキスまでしたのにさ、トルテのやつ、普段、ほとんど態度が変わんねぇんだぜ。進展なんて……したいけどさぁ、できねぇっていうか」


 言葉を切った途端、ガクリと勢いよく首が落ちてしまう。無意識のうちに足もとの草をブチブチと抜いていたことに気づき、リューナは慌ててそれを放り出した。


 緑の葉の切れ端は吹き渡ってきた風とともに、さらりと空中を流されてゆく。


 風の行方を目で追うと、その向こうに小柄な影がふたつ見えた。トルテとエオニアだ。なにやら楽しそうにお喋りしながら、山羊たちに囲まれて座っている。風に吹かれて煌めいている金色の髪と薄桃色の髪、可愛らしい色の衣服や白い翼がふわふわと揺れ、ふたりの少女の様子には、見つめているだけで心の底まであたたかくなるような華やぎと安堵感があった。


「そういうディアンはどこまでいったんだよ」


「結婚するんだもの、キスまでっていうのも変な話じゃないか。エオニアは自分の気持ちに、とても正直なひとだから。僕も心から彼女を愛してる。だから、さらにその先、互いの奥深くまで求めるのは自然なことだろ?」


「お、おまえの口からそんな言葉が……くそおぉぉぉッ」


 こぶしを握りしめ、少々遣り過ぎなほどに悔しがってみせたリューナだが、半分以上は本音だったりするのが悲しいところだ。意を決して勢い良く顔を上げ、そのまま掴みかかるようにして親友に詰め寄る。


「なぁ、教えてくれよディアン! 友だち以上恋人未満なキスと、マジで結婚まで誓った相手との本気のキスとは、どう違うっていうんだ? 口に触れただけじゃなくて、どうすりゃ相手をその気にできるってんだ? 教えてくれよ!」


「ま、まさか僕が君に対して実践してみせろとか言わないでよ!」


 急いで身を退こうとしたディアンの態度に、我に返ったリューナのほうが慌ててしまう。


「ぶはッ! なわけあるか。……わりい、なんか必死になっちまった。どうにもこうにも」


 両腕を空に突き上げるように伸びをしながら後方へ仰向けに倒れ、リューナは古来より男というものが数え切れぬほどに繰り返してきたであろう言葉を空へ投げた。


「女心ってやつは、ホントわっかんねぇよなぁ……」


「そうだね。僕も同じように悩んでいたこと、たくさんあるよ。ところで、さっきの質問についてなんだけど――」





「男の子同士って、どんなお話をしているのでしょうか? なんだかとっても真剣な表情をしているみたいですね」


 吹き渡る心地良い風に目を細め、サラサラとなびく髪を押さえながらトルテが訊いた。


 ふたりの周囲には、タリスティアル固有種の山羊たちが集まっていた。頑健そうな体躯、褐色の混じった白い毛は長く、人間族としては小柄なトルテと同じほどの高さに頭部があるが、剣呑そうな二本の角がある。到着したばかりのリューナたちには警戒している仕草を見せ、頭突きをしてやろうと向かってきたのだが、エオニアの匂いを嗅ぎ取ったのだろう、すぐに人懐ひとなつこそうな様子に変わった。子連れの母山羊は、ふたりが持参した容れ物にたっぷりと乳をしぼらせてくれたのである。


 問われたエオニアは肩をひょいと持ち上げ、微笑した。擦り寄ってきた山羊の背を撫でながら口を開く。


「さぁ。ふたりとも過去の世界では王様だったんでしょ。お互いの国の経済情勢とか魔導士の行く末とか、難しい話をしているんじゃない?」


「リューナがそんなお話をするなんて、想像がつきませんけれど」


 トルテの言葉と表情があまりにあっけらかんとしていたからであろう、エオニアが明るい笑い声をたてた。


「トルテちゃん、いつかはリューナくんと結婚するんでしょ? だったら彼なりにソサリア王国の未来を考えなくちゃって思っているかも知れないわよ。トルテちゃんも一応、王位継承権を持つ立場なんだし、王位に就かなくてもそれなりの役割があるでしょうし」


「結婚、ですか」


 トルテは、トクンと鼓動が響いた胸に手を当てた。もう一度、ちらりと草原の上で議論をかわし合っている黒髪の青年に眼を向け、それから目の前の友人に真剣な眼差しを向けた。しばし逡巡したが、意を決したように口を開く。


「エオニアさん。あの……変なこと、言っちゃうかもですけれど、聞いていただけますか」


 思いつめた様子の彼女に驚き、エオニアは姿勢を正した。気配を察したのか、ふたりの間に割り込もうとしていた山羊たちが離れ、周囲に散って草をみはじめる。


「あたし……ずっと、隣にリューナが居るのが当たり前だと思っていました。これから先も変わりなく傍に居て、一緒に時を過ごして、いつかおとなになったら結婚するのかなって。あたし、まだまだ自分が子ども同然で、魔導士としても未熟だから、そんな時が来るのはもっとずっと先のことだと……信じ込んでいたんです」


 話しながら、トルテは自分の頬が熱くなっていくのを感じた。


「でも、エオニアさんとディアンが結婚するって聞いて。ディアンとリューナ、エオニアさんとあたし、同じ年齢ですのに。もうあたしたちもそんな歳になってたのかなって、心の底から認識してしまいました。それに最近、リューナと居るとドキドキが止まらないんです。これってすごく変ですよね……?」


 真っ赤に染まった頬を両手で挟むようにして語った友人を、エオニアは呆気に取られたように見つめていた。ハッと我に返り、少女の手を掴んで引き下ろして、両手で包むように握りしめる。どちらも細く小さな手であったが、トルテのほうはエオニアの手より熱く、微かに震えていた。


「あのね、トルテちゃん。それって、すっごく自然なことなんだよ」


 ツインテールに結い上げた金色の髪が、びっくりしたように跳ねる。


「そ、そうなのですか?」


 うつむいていたトルテは顔を上げ、エオニアの赤く透けるようにきれいな瞳を見つめた。


「そんなの当たり前だよ。好きなひとといるとドキドキして、どうしようどうすればいいのかなって頭が空回りして、顔もほっぺも熱くなっちゃってね。思わず変な態度取っちゃったり、それを後悔したり、思い出すだけで泣けてきちゃったり。それって、とってもよくあることなんだよ」


「よく、あること……なんですか」


「そそ。だってそれって、トルテちゃんがリューナくんを、きちんと男性として意識してるってことでしょ。恥ずかしがるのも普通のことだし、ドキドキするのも普通なの。しないほうが変だって」


 手を握られたまま、トルテは眼を閉じて考え込んだ。やがて顔を上げ、見つめるように見守り続けていてくれたエオニアが、励ますようにしっかりと頷いてくれたのを目にして、この上なく安堵したように微笑んだのである。





 蔓植物を文字どおりの命綱にしながら大樹の幹をつたいおりた幼子たちを待ち受けていたのは、まるで別世界のように驚異的な光景だった。


 キュイが見つけた大樹は、ナルニエの予想どおり、地下空洞の底に広がる大地に根を張っていた。こずえに近い上の部分が地上に出ていたのだ。全体の大きさは地上の同種のものと同じ、もしくはそれらを上回るほどの規模である。


 地上の樹々の根が絡み合うように這い回る天井の岩盤は、決して薄いものではない。崩落した穴から差し込む光が、さながら地上の雲間から差し込む太陽の火箭ひやのごとく地下空洞を彩っている。


「すぅっごいねぇ、ピュイちゃん、キュイちゃん。地面の下にも森があるよ! それに海も」


 さらに驚くべきことに、地上の森と比べても遜色のないほどに多種多様な植物が存在していたのだ。こんもりと生い茂る緑、枝葉を広く虚空へ伸ばした緑、足もとにある地面までもがびっしりとコケめいた緑に覆われている。


「ピュリリェ、ピピィリリリピユーユ」


「海じゃなくて、ちてーこっていうの? それってどんな――ひゃっ!?」


 静かな水をたたえた暗い水面に近づいたナルニエは、足元に張り出していた植物の根につまずき、何やら弾力のある温かいものの上にぼすんと倒れ込んだ。


 まるで詰め物をたっぷりとした寝枕のようだ。おかげで打ち身をこしらえずに済んだが、モコモコ、もふもふと、何やら奇妙な手触りがする。


 体の下敷きになっている物体から、潰されたように悲しげな細い鳴き声が聞こえ、ナルニエは飛び跳ねるように慌てて起き上がった。



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