7章 護るべきもの 7-20
トルテは稀有なる色彩と魔導の力を宿すオレンジ色の瞳を見開いたまま、眼前に迫るアウラセンタリアの地を呆然と見つめた。
信じられないことだが、精神を集中させて何度確認してみても、幻精界の中心の地から感じる気配は変わらなかった。揺るぎのない大地や呼吸する大気のように、生まれたときから当たり前のように彼女の世界に在り続けていたもの――。
「……い、おい、トルテってば!」
肩を掴まれて揺さぶられ、ようやく我に返る。リューナが眉を寄せ、必死の形相で彼女の顔を覗き込んでいた。
「どうしたんだよ! トルテのかあさんがここに居るはずないだろッ?」
普段取り乱すことのない自分がどんな顔をしていたのか、トルテはリューナの表情で気づかされた。深く息をついて呼吸を落ち着け、それでもまだ震えている唇でなんとか言葉を紡ぐ。
「はい、でも……間違いないんです。この魔導の気配は、ルシカかあさまのものです」
「そんな――だって俺たちが出発したときに、宮廷魔導士は王弟殿下と外交で出掛ける直前だったじゃんか。どんなに早く帰ってきてもこっちがフルワムンデに着くくらいになるだろうってハイラプラスのおっさんが言ってたよな。一番近くて到達できそうな扉ってのが、俺たちの通ってきたやつなんだぞ」
「でも」
トルテは口ごもった。幻精界への扉は、どこにでもあるわけではない――それは間違いない。だからこそ自分たちは、大陸中央を分断する絶壁と高峰の並ぶフェンリル山脈を海路で迂回し、危険な山岳地帯と遺跡を越えて閉ざされていた扉に到達したのだ。混乱する思考を振り払うようにトルテは首を真横に振った。
リューナの言いたいことはわかっている。母がこの幻精界へ入り込んでいるはずがない。
そういえば、現生界に居るはずの母は無事なのだろうか。『千年王宮』の東区域にある図書館棟で、いまも魔導書の分類に追われているのか、それとも――トルテはぎゅっと目蓋を閉ざした。
まぶたの裏に思い描かれたのは、銀色の髪をさらりと流し、穏やかなオレンジ色の瞳でいつもにこにこと人好きのする笑みを浮かべた端正な顔立ちの魔導士だ。
ハイラプラス・エイ・ドリアヌスシード。古代魔法王国の末期から現代に渡ってきた『時間』の魔導士は、トルテとリューナのもとを訪れ、トルテの母であるルシカが近いうちに生命を絶たれるであろうことを告げた。原因と助かる手立ては不明であったが、間違いなくそのどちらもが幻精界にあるというのだ。
その話はあまりに突然で突拍子もないものだったが、ふたりは信じた。それが他でもないハイラプラスの言葉だったからだ。
「そう……ハイラプラスさんはこうも言っていたんです」
トルテは言葉を続けた。
「物事は早すぎても遅すぎても意味を成しませんが、然るべき物事は落ち着くところに落ち着くものであり、全てをあるがままに受け入れる覚悟もまた、望まれるべき場所に至るためには必要なものなのです、と」
「トルテ、おまえの記憶力ってホントすっげぇよな……」
リューナは一瞬ぽかんとして彼女を見つめたが、すぐに表情を引き締めた。ニヤッと微笑み、彼女を元気づけるためにわざとらしいほど陽気な声を張りあげる。
「だったらさ、気にすんなよ! どうせすぐにわかることだろ。今まで驚くことばかり連続だったんだからさ、俺は今さらなにがあったって絶対に驚かねぇったら」
ガゥルルルルルッ! リューナの言葉が切れたタイミングで、スマイリーが唸り声を発した。
「それみろ! スマイリーだってそう思うだろ。だからトルテは気に――」
「違います! これは警告ですッ」
トルテは叫んだ。「なにッ」とリューナが前に向き直ると同時に、岩山のように巨大な影が『月狼王』の前に現れる。
スマイリーは『常闇の地平』から結晶の壁を回り込み、アウラセンタリアの地に入り込もうとしているところであった。鼻先にズシャリと雪崩れるように降りてきた、長大なる体躯をもつ生き物か進路を阻んだのだ。
すぐ目の前で、怒りに歪んだ醜怪な頭部に眼球が燃え上がった。ぞっとするほどに鋭く長い牙をもつ口蓋がかぱりと開く。
スマイリーは急制動をかける代わりに、無機質な大地を思い切り蹴りつけた。突進していた勢いを跳躍力に変え、回避しようと試みる。背の上を気遣う余裕すらなかった。
「うわッ!」
「キャアァッ」
あまりの負荷に、全員が転がり落ちかける。トルテの腰をかっさらうようにしてリューナがスマイリーの背に伏せた。同時に宙に浮いたナルニエの小さな腕を掴み、ピュイの翅の付け根に足首を引っ掛けて落下を防いだのだから、リューナの反応は素晴らしかった――彼の体の下にかばわれたトルテは素直に感心した。
押し付けられるような圧迫感と同時に、肌を突き刺すほどに冷たい空気が掠め過ぎる。まるで氷属性をもつ生き物が呼吸するときに発する冷気のようだ。
ぐるぐると切り替わる視界と姿勢に翻弄されながらも、トルテは目蓋を押し上げた。なんとか後方を振り返る。
自分の目が信じられぬほどに、巨大なものが背後に迫っていた。スマイリーは次々と壁を蹴って跳躍を繰り返し、背後に迫る追っ手をなんとか振り切ろうとしている。
トルテはスマイリーとの心の繋がりに意識を集中させ、乱れる心を押さえ込んだ。上位幻獣である『月狼王』のスマイリーでさえ恐怖と焦りを感じている。
背後に差し迫る追っ手がなんと呼ばれているものなのか、トルテはすぐに思い至った。
「……レヴィアタン……」
震える喉からその名が滑り出る。聞きつけたリューナが、目を見開いて聞き返した。
「あれがそうなのかッ?」
『巨大魔海蛇王』と称される始原の生き物、伝説にしか語られぬ超然とした存在――それがトルテたちを乗せているスマイリーに襲い掛かってきたのだ。
縄張りに侵入してきたものたちを喰らおうとしているのか、彼らの目的を見通して戦いを仕掛けてきたのかはわからない。だが、執拗に彼らを追い続けている。スマイリーがいかに巧みに身をかわそうとも、このままでは逃れられない。
「そ、そんな、どうしよう」
ナルニエの声は震えていた。
リューナが悔しそうな声で「いまは逃げ切るしかない」と答えながら、肩越しに背後を振り返る気配があった。
「すっげぇ。あれが始原の存在かよ……現実離れしすぎて実感がないくらいだ。大きさは古代龍とケタ違いだぞ。――っとピュイ、怒るなって。別に莫迦にしてるわけじゃないだろ!」
リューナの口調は余裕げだが、本能的な危険を正しく感じ取っているのだろう。トルテがちらりと見上げた彼の顔は、緊張のために蒼ざめていた。
「う……!」
ふいにズキリと重い痛みと熱を感じ、トルテは目を押さえた。
「瞳が……この下はひどい魔力の渦です、リューナ。もうあまり時間がなさそう……」
魔導を宿した瞳は、文字どおり閉じることのできない眼であった。スマイリーの背に顔を伏せていても、眼下に渦巻く凄まじいまでの魔力の存在を視覚的に感じることができる。
「ラウミエールのおっさんが言ってた、地上へと噴き上がるはずの魔力が集められて爆発しそうになっているってのは、この場所で間違いなさそうだな」
「はい」
言ってたというのとはちょっと違いますけれど――トルテは心のなかでつぶやいた。『影の都』の統治者ラウミエールは、幻精界に住まう種族の常として、肉体という殻を持たぬ存在なのだ。現生界に生きるトルテたちとは存在している『状態』が異なっているゆえに、大気の振動による音声として言葉を伝えることがない。
「そういえばナルちゃんは、どうしてこんなにあたしたちと同じなのかしら……」
それは、とても重要なことである気がした。スマイリーの毛並みの艶やかさとリューナの腕の温かい重みとを感じながら、トルテが思考を巡らせようとしたそのとき。
ジャアアァァァッ!
威嚇とも怒りともつかぬ大音響が背後から叩きつけられた。同時に凄まじい悪寒が背筋を駆け抜ける。思わず振り返ったトルテの瞳に、相手の長大な体躯を駆け上がっていく魔力の剣呑な光がはっきりと判別できた。
「来ますッ、スマイリー!」
「やばいぞ! みんなしっかり掴まって伏せてろッ」
トルテの叫びと同時にリューナの緊迫した声があがる。彼自身は跳ねるように上体を引き起こし、素早く背後に向き直った。激しく揺れるスマイリーの背の上で姿勢を保ちながら、両腕を虚空へと振り上げる。
スマイリーとレヴィアタンの間に駆け奔ったのは『完全魔法防御』の魔法の光だ。
「いけない、それでは防ぎきれません!」
トルテは思わず叫んだ。展開された魔法陣は確かに、魔法攻撃を防ぐための障壁を作り出すものだ。けれどレヴィアタンの喉奥から駆け上がってきた凄まじい光量は、リューナの障壁だけで吸収できるものではなかった。
トルテは飛び起き、自身も魔導の技を行使しようとした。空間が爆発したかのごとく白熱する。視界が眩い光に塗り上げられ――。
「ばかやろっ」
リューナがトルテに覆い被さり、強引に押し倒す。同時に、凄まじい衝撃が彼らの居る空間に叩きつけられた。
鼓膜を殴られたかのような内耳の痛みと、肌の粟立つような不快感。けれど背後の気配を読んでいたスマイリーが素早く位置を変えていたおかげで、青白い破壊光の奔流の直撃は避けられた。
だが駆け抜けた光と衝撃は、前方にあった結晶の壁を一瞬で破壊していた。方向転換をする間もなく、スマイリーは破片の飛び散る空間へ突入せざるを得なかった。
「――クソッ!」
凍りついた結晶の破片が、微細な刃となってトルテたちを襲う。ナルニエの悲鳴とピュイの啼き声がトルテの耳に届いた。無意識に展開したのだろう、『生命』の温かみをもつリューナの魔導の力が、スマイリーの背に伏せたトルテたちを護るように包み込む。
だが、空中でスマイリーが体勢を崩した。加速による重圧が消え、突然の浮遊感がトルテの体に押し寄せる。ぞくりとする感覚と不安のあまり身が竦み、腕が宙を泳いだ。
落ちているのだ。
トルテは知らず閉じていた目を開いた。赤に染まって遠ざかってゆくスマイリーの背が見える。自分たちの血だろうか。だがそこに仲間たちの姿はない。
「トルテ!」
呼び声が聞こえた。首を真横に向けると、リューナがトルテに向けて必死に片腕を伸ばそうとしているのが目に映った。痛みに頬を引きつらせながらも、彼女に向けて真っ直ぐに――。
彼の腕は赤に染まっていた。腕だけではない、脇腹や首、脚も。先ほどの破片の雨から仲間たちを守ろうとして魔導の力を発動させたが、自分自身は大変な怪我を負ってしまったらしい。
傷ついたもう一方の腕にナルニエを抱え、ぐるぐると目を回してしまったピュイが彼の傍に浮いている。いや、彼らとともに落ちているのだった。
トルテは蒼白になった。時が歩みを遅くしたように彼女には感じられた。
赤い光を放つ大地は遥か下にある。『浮遊』の魔導か、『治癒』か、他に必要なものは――トルテは咄嗟の判断を迷った。魔導の技は一瞬で魔法陣を構築する。ただし、相応の精神集中と心構えが必要になる。
トルテの魔導の名は『虹』――必要に合わせた複数の魔法を重ね合わせて行使することができる力だ。けれど、ソサリア王国の誇る大陸最強の宮廷魔導士ルシカそのひとのように、複数の魔法陣を同時展開できるわけではない。
一瞬の迷いが命取りになる。それはトルテが常に懼れていたことだった。
「リューナ――」
そうだ、まず彼らの落下を止めなければ。複数の相手を対象とするには、『遠隔操作』は不向きだ。トルテはなんとか腕先を動かして魔法陣を紡ごうとした。間に合わないかもしれないというヒヤリとした考えが彼女の胸を突き上げる。
涙のにじむ視界のなか、トルテが『浮遊』の魔導を行使しようとしたそのとき、やわらかな衝撃に包まれた。落下したときのものではない。ひと呼吸遅れて、空中で誰かの腕にすくい上げられたのだと理解する。
トルテは目を見開いた。視界に飛び込んできたのは懐かしい父の顔――現生界のソサリア王宮に居るはずの彼女の父、テロン・トル・ソサリアそのひとであった。
驚きのあまりトルテは叫ぶことも忘れ、呆けたように父の顔を見つめた。
秋空のように涼やかに澄んだ青色の瞳。意志の強そうな口もとは迷いなく引き締められている。鍛えられて鋼の強靭さとしなやかさをもつ腕は、包まれているだけで彼女にこの上ない安心感を与えてくれる。
幼少の頃にはどんなに泣いていても、父の腕に抱き上げられれば必ず泣きやんでいたと母から聞かされていた。
「テ――」
危ういところでトルテは言葉を呑み込んだ。呼び掛けられたと思ったのか、父はちらりとトルテに目を遣ったが、すぐにまた視線を前方に戻した。
テロンは結晶の壁の傾斜を次々と蹴って落下速度を緩めたあと、彼女を抱えたまま危なげなく地面に降り立った。
「リューナ、ピュイ、ナルちゃん!」
トルテは急ぎ顔を上げ、彼らの姿を探そうとした。
その必要はなかった。リューナたちは強大な魔導の輝きに包まれ、安全に地上に降ろされるところであった。『浮遊』の魔法による力場が、彼らを取り巻くように光り輝いて見える。仲間たちの無事を確認し、トルテはホッと胸を撫で下ろした。
「怪我はないか」
問われた父の声に視線を向けると、いつもと変わらぬ穏やかな眼差しがあった。だが、トルテは気づいた。目の前の父には決定的な違和感があったのだ。歳が――若すぎる!
ぽかんと呆けたように目を見開き、問われても反応を見せなかった彼女を心配したのだろう、父がもう一度同じ言葉を発しようとして口を開きかける。
「あ、あの――」
「トルテ! 無事だったんだな、良かった。それにしてもいまの魔法、いったい誰が」
着地すると同時に彼女に向けて走り寄ってきたリューナは、幼なじみの傍に立つ丈高い男を見上げ……「あ」というかたちに口を開いた。
リューナはたっぷり五呼吸分ほど動きを止め、相手を見つめていた。さらにその背後から歩み寄ってきた女性を目にしたことで、完全に固まってしまう。
小柄で細やかな姿、肩をふわりと覆うやわらかそうな金色の髪、すべらかな肌、そして明るく快活そうなオレンジ色の瞳。そしてなにより、眩いほどに光り輝く魔力の内なる流れと、濃い魔導の気配。
万能魔導の遣い手である『万色』の魔導士ルシカ、そのひとであった。ただし、父であるはずのテロンと同様、かなり若い印象だ。魔導士としての先達であるトルテの母の、自信にあふれた落ち着きのある面差しとはまるで違う。
女性はさっと片腕を宙に滑らせた。白い魔導の輝きが煌き、一番の重傷者であったリューナを含めた全員の傷が、心地良いぬくもりとともに癒されてゆく。
描かれた魔法陣の美しさと正確さ、無駄のない動きと確実な魔法効果。歳若くとも相当な実力を有していることが、トルテにもはっきりとわかった。
凄い――トルテはごくりと唾を呑んだ。憧れと焦燥というふたつの感情に引き裂かれてしまいそうになる。
トルテとリューナは驚きのあまり呆然と動きを止めていたが、父と母も目を見張るようにして魔導士の少女と青年、そして幼女と子龍の一行を見つめていた。特に注視されていたのは、父譲りのクセのないまっすぐな金髪、母譲りの魔導の力を宿した稀有なる色彩の瞳――他でもないトルテであった。
「あなたたちはいったい――」
ルシカのつぶやきは、ここに集った全員の疑問を代表したものであったように、トルテには感じられた。
テロンはルシカと顔を見合わせた。口にせずとも、疑問は互いに同じであることがわかる。
魔導を宿している瞳にオレンジ色の虹彩をもつのは現在、ルシカだけであったはずだ。いや――テロンは自身の考えをすぐに改めた。生まれてきた彼らの娘が、ルシカの瞳の色を受け継いでいるのであった。
魔導の血とともに受け継がれてゆくというのならば、目の前の少女は遠い血縁なのかも知れない。そう考えれば、面差しがルシカと似ているのも頷ける気がした。
ルシカが先ほど示唆したとおり彼らが魔導士であるのならば、考えられぬ可能性ではないだろうとも思われた。相当の実力をもつ魔導士のはずである。テロンとルシカが対峙していたレヴィアタンは攻撃の対象を新たに現れた気配に転じ、彼らの眼前から移動したのだから。まるで、彼らより警戒すべき敵が現れたかのようにあっさりと。
移動したレヴィアタンを追いかけた彼らが見たのは、月狼の上位種である『月狼王』のしなやかな体躯と恐るべき跳躍力、そして敏捷な動きであった。
確かに強敵であると判断されたかもしれなかった。さらに、上位幻獣の背に乗っていたのが、現生界では数えるほどしか存在していないはずの魔導士がふたりという驚異的な一行であるからだ。
「ね、あなたたち、だいじょうぶ?」
突っ立ったまま動きを止めていた彼らに、ルシカの心配そうな声が掛けられた。まるで金縛りでも解けたかのように、金色の髪をツインテールに結い上げている少女のほうがビクリと反応する。
「お、おか――」
少女が急き込むように何かを言いかけたとき、傍らに立っていた黒髪の青年が疾風のように動いた。少女の口を手のひらで覆い、言葉を止めたのだ。
テロンとルシカは驚いて青年を見つめた。いかにも歳相応の、元気がありあまっていそうな様子、けれど若さだけでは語れぬような芯の強さを眼差しに感じる。
ふたりが身に纏っている長旅向きの衣服は質が良く、テロンたちが現在着ているものより技術の発達したものであるように見受けられる。
だが、全体の印象といい布の織りといい、ソサリア王国で着用される衣服であることに間違いはない。テロンはあまり被服学には詳しくないが、他国に赴くことが多いゆえに敏感に気づいたのだった。
青年はもごもごと口ごもりながらも、背筋を伸ばして言葉を発した。
「あ、い、いや。えぇっと……おか、おかしな場所に出てしまったなと思ったんだ。だよな? そ、それよりさっきの魔法、助かりました。俺たちはこの世界を破滅の危機から救うために『影の都』に頼まれてきたんだ。けど、あんなにでっかい奴がいたんで驚いてしまって」
あはは、と青年が笑い、「そうだったよな?」と金色の髪の少女に念を押すように言葉を向ける。
少女のほうはオレンジ色の大きな瞳をぱちくりと瞬かせたあと、うんうんと肯定するように首を縦に振った。青年が少女の口から手を離す。
テロンの後ろで、ルシカがハッと息を呑んだ。ふいに何かに気づいたかのように。テロンが背後を振り返ると、ルシカは何でもないというように首を振り、優しげな弧を描く眉を下げて穏やかに微笑した。
少なくとも、目の前の者たちは敵対するような人物ではないらしい。テロンは彼らに向き直った。
「君たちは、俺たちと同じ現生界からこの世界へ来たのか? とにかくここは危険だ。話せば長くなるが、とりあえずあのレヴィアタンが戻ってくる前に、この結晶の要たる場所を突き止めなければならないんだ」
「要たる場所?」
リューナとトルテの声が重なる。ルシカが微笑み、テロンの言葉を継いだ。
「あなたたちがこのアウラセンタリアに来たのは、あたしたちと同じ目的なのでは? この幻精界本来の魔力の流れを取り戻すためには、どうしてもこの蓋のように被さっている結晶を取り除かなければならないの。魔導士であるあなたたちにはわかると思うけれど、この結晶は自然のものではないわ。ここにあってはいけないものなの」
「そうなのか?」
リューナの言葉に、トルテが頷く。「リューナは魔力の流れを感じることができませんものね」と微笑みながら。
少女はテロンたちのほうを向き、戸惑ったような面持ちで言葉を発した。
「でも、これを全て壊さなければならないとしたら、かあ――いえ、あたしたち魔導士が魔法を遣っても、この規模ですもの、何週間もかかってしまいそうです。その間に膨れあがった魔力の渦が爆発してしまったらどうしましょう」
「そうね。だからこそ、要になっている場所を探っているの。どんなに堅固に積み上げた要塞であっても、基礎を破壊されれば全体が揺らいで崩壊するわ。ここも『増幅』という魔力の流れをもった魔法陣のような構造をしているから、その場所を突き止めて壊すことができれば――」
「そうか! 魔法陣は一部を断ち切られれば効果が消えてしまう。この結晶の蓋も同じことがいえるって訳なんだな。すっげぇ! それなら何とかなりそうだよな、トルテ!」
「はい。みんなで力を合わせれば、きっとうまくいきますね!」
「俺はテロン、彼女はルシカ。リューナ、トルテ、ふたりとも宜しく」
「え、ど、どうして俺たちのことを」
「先ほどから、互いに呼んでいたぞ。何か困ることがあるなら名は聞かなかったことにするが」
「い、いえあの、それでも別に構いま――」
リューナがへどもどと答え、トルテが彼を見てくすりと微笑んだときだ。ふたりの背後から、緊迫してはいるがひどく可愛らしい声があがる。
「ねぇ、それより狼さん、だいじょうぶなのかな?」
それまでおとなしく成り行きを見守っていた幼女ナルニエが口を開いたのだ。傍らでピュイも心配げな顔をして、首を周囲に巡らせている。
「スマイリーはレヴィアタンをあたしたちから引き離して、連れ回してくれているんです。あたしたちが攻撃の魔導の技を遣わなければ、注意を惹きつけていられるだろうって言っています」
まるで仲間のひとりであるかのような話しぶりと、意思疎通のできているような内容の言葉に、テロンは内心驚いた。スマイリーというのが上位幻獣の名なのだろう。
「ならば彼が頑張ってくれているうちに、我々も目指す場所を突き止めよう。――ルシカ、その場所はわかったのか?」
声を掛けると、彼女はにっこりと微笑んでテロンに応えた。確信に満ちた眼差しと指先で進むべき方向を指し示す。
「こっちよ。このまま真っ直ぐ。奥にひとつ、何処とも隣接していない尖った場所があるの。その真下がアウラセンタリアの中心――『源』よ」
「よし、急いで向かおう」
テロンの言葉にルシカが頷き、移動しようと駆け出した。だが、その脚は危なっかしげにふらついている。連続して遣い続けている魔導は、確実に彼女の気力と体力までをも削ぎ続けているのだ。テロンは妻を追い、腕を伸ばした。
「――ん? あ、ちょっと待って。あたしは平気だから」
「ルシカの『平気』だけは心配なんだ」
テロンは有無を言わさず彼女を抱き上げ、頬を染めるような表情でぽかんと見上げてきた青年と少女に向けて言った。
「彼女は魔力だけでなく、ひどく体力をも消耗しているんだ。無理をさせるわけにいかない――お産のあとだからな」
囁くように付け足した最後の一言に、少女が息を呑む。けれど少女は何も言わず黙って頷き、青年のあとに続いて走り出した。
地響きのような振動が急速に近づいてくる。テロンもすぐに彼らを追い、要たる場所へ向けて急いだ。




