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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第七部】 《双つの都 編》
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4章 領域を統べる者 7-12

「ナルを捕まえたのは、あんたの考えじゃないってことなのか? すっとぼけるのもいい加減に――」


「待ってください、リューナ。このひと、少なくとも嘘は言っていません」


 怒鳴りかけたリューナを制したのは、トルテだった。背丈が小さいので、リューナの胸と腕に手を絡め、体重の軽い体で懸命に押し留めている。目が合った彼女は、頷いて一歩前に進み出た。


「教えてください。どういうことなんですか? 鎧のひとたちの言っていたことと違うみたいですから、きちんと聞かせてください――あたしたちにわかるように」


 リューナの目の前で、小さな頭部と金色のツインテールが揺れている。自分のほうが四歳も上になってしまったというのに、相変わらず落ち着いているのは彼女のほうだ――リューナは口をへの字に曲げて閉ざした。


「どうやら、そうせねばならぬようだ。そもそものはじめから語ろう」


 ラウミエールは低く落ち着いた、音を伴わぬ波動のような言葉をリューナたちの心へ直接響かせた。椅子に座したまま片腕の先に顎をかけ、豊かに流れ落ちる青みがかった黒髪を空いた片腕で無造作に背に放りながら。


「かつて、双つの都――『影の都』と『光の都』は地と天に隣り合い、この世界の中心にあった。都は広く美しく、暖かな光の恵みと夜闇の憩いの刻を共有していた。都の中央を貫き、縫いとめるかのごとく、アウラセンタリアと呼ばれる柱が天と地を繋いでいたのだ」


「アウラ……センタリア?」


 トルテが細い首をちょこんと傾げた。クセのない金色の髪が揺れ、細い肩を覆った端からさらさらとこぼれ落ちる。ラウミエールは頷き、思念の言葉を続けた。


「世界の隅々まで吹き渡る風のように巡る、万物の根源たる魔力マナの流れ。幻精界に生きるものたちの体と生命を支える活力そのものでもある。我らは魔力によって飢えを満たし、傷を癒す。魔力は大地へ染みこむ現生界の雨露のように地下へと吸われて地脈を通り、再び収束して地下から地上へと噴き上がるのだ。その場所こそがアウラセンタリア、我らの言葉でいう『みなもと』のことだ」


「源……」


 リューナは口の中でつぶやいた。思わずトルテに目を向けたが、彼女も首を傾げるようにして彼を見ている。


「非常に重要な場所であるが故に、『影の都』が地の部分を、そして『光の都』が空を護っていた。双つの都がかつて何と呼ばれていたか……その名は引き裂かれたときに失われてしまい、そなたらに伝えることはできぬ。空間は歪み、双つの都は遠く分断され、引き離された民は道理を無くし、すでに行使する魔法のコントロールすら失いつつある」


「引き裂かれた原因はなんなんだ?」


「そなたらの世界から迷い込んだ始原の生き物、レヴィアタンだ」


「なっ……」


 リューナは思わず驚きの声をあげた。トルテも大きな目を見開いている。この幻精界へ渡る前、通ってきた遺跡の入り口を抜けた広間で見た、あのいかめしく恐ろしげな表情をした巨大な像の頭部がまざまざと思い出された――あれの本物が、この世界に入り込んだんだって?


「そなたらの歴史でいう有史以前、遥かに時をさかのぼった始原の現生界は、この幻精界と近い位置にあった。最も古き生き物、知恵ある存在のひとつであったレヴィアタンだが、その巨躯ゆえに種を維持することが難しく、ゆっくりと、だが確実に数を減じていった。あるときついに孤独の存在となってしまった最後のレヴィアタンが、世界と世界を繋ぐ次元の狭間をこじ開け、こちら側の大地へと移動した」


 ラウミエールは再び瞑目し、重苦しい波動の余波を放った。


「そのときに幻精界から現生界へ、様々な精霊や膨大な魔力マナが漏れ散じた。それはそれで、双方の世界にとって良い刺激となり、結果としては憂えることもなかったのだが……渡ってきた本体のほうが、新たな問題を生じることになった。破滅へと繋がる契機けいきとなってしまったのだ」


 言葉とともに、リューナとトルテの前へ星がひとつ飛び込んできた。幻影の星は震え、くるくると回った――周囲の星の雲を絡めとりながら膨れあがり、眩いほどに輝きを増してゆく。ついにはパシュッ! と鋭い音を立てて凄まじい光量を発し、掻き消えてしまった。


「これと同じように、掻き集められた魔力が膨れていって、やがては弾けてしまうというのですか?」


 星が弾けたときに思わずリューナの腕にしがみついたトルテが、身を起こしながら訊いた。リューナはトルテの肩を支えていた腕を解き、座したままの男に顔を向けた。


「それを引き起こしているというのが、レヴィアタンだというんだな。でもなぜ今になってこんな騒ぎが起こったんだ? 時間の流れが違っているといっても、すっげぇ前のことなんだろ、俺たちの世界からレヴィアタンが入り込んだのは。それが今までどうしていたんだ」


「眠っていたのだ」


 ラウミエールは答えた。うっすらとまぶたを開き、言葉を続ける。


「たどり着くなり眠っていた理由は未だ解らぬ。我らは害なきものの生命を悪戯に奪うことはせぬ。共存を願い、互いを尊重する。そうでなければ、属性の相反する種族が上下に隣り合い、ともにひとつの地を護ることなどできはせぬ。そも、の始原の生き物が眠りについた場所はアウラセンタリアの中心ではなかった――我らの都から遠く離れた場所であったのだ。幻精界は広い。我らの都に影響がないのならば、と……これまで放置していた」


 それでも都市の周囲には幾重もの障壁を張り、外部からの進入に対する警戒は怠らなかったのだという。都に属さぬものが突き抜けたときには、都の現し身たるラウミエールの思念の網にかからぬ筈がなかった。その筈であった。


「けど、レヴィアタンはいつの間にか、ぐるりと都に囲まれた真ん中にある空間に入り込んでいたというわけか。察知できなかっただなんて、監視体制に問題があったんじゃないのか?」


 リューナは男を睨みつけ、腕組みをした。


「監視体制に問題はない。私自らが都の隅々までを見通し、感じ取っているからだ。都に住まう者以外の出入りはなかった。巡回していた兵たちの交代も滞りなく、思想や意識にも異常はなかった。兵も民も、都たる私が意識を掌握している。我らは集合体、幻精界の最上位にある種族は全体でひとつの生命でもある。ただ数名を除いては」


「数名を除いては?」


「実体を持つようになった者たちのことだ。現生界で長い年月を過ごしてきた者たちのなかには、そなたたちのように実体をもつに至った者がいるのだ。その理由や仕組みまではわかってはおらぬ。けれど、その者たちは、そうではない民たちから懼れられる存在となっているのが現状――我らと記憶を共有することなく、独自の概念を持ち、真意すら測ることのできぬ意思ある存在だからだ」


 そこまで聞いたリューナはやっと、ラウミエールの真意を理解することができたと思った。


「あんたもしかして、そいつらの関与を疑っているんじゃないか? 部下たちのなかにいるなら、現地に向かわせることができないんじゃないのか?」


 闇の領域の統治者はもくし、答えとした。


 肯定、ということか――理解したリューナは唸った。だから、俺たちに白羽の矢が立ったのだな……目覚めたという怪物に対抗できそうな現生界の『魔導士』で、都とは無関係。賭けてみるには最適の人材ってわけだ。


「ひとつ、聞かせてください」


 トルテが言った。


「レヴィアタンが目覚めたことで魔力の巡りという円環が乱されてしまい、あなたがたが破滅の危機にあるということですが、都に属していない外の幻獣たちも……同じなんですか?」


「そうだ。もし魔力が完全に途絶えるか、逆に爆発して吹き荒れることにでもなったとしたら、種族や姿かたちに関係なく、枝葉を広げる樹々や花、草の一本に至るまで、全てのものに影響するであろう。幻精界に留まらず、異なる次元であっても隣り合っている世界――現生界も無事では済まぬだろう」


「俺たちの世界も?」


「むろんだ。『光の都』の消失、対になる『影の都』の滅亡――それは幻精界からふたつの領域が消え去るということに他ならぬ。現生界も影響を逃れられぬ。光というものの加護を失った世界がどうなるのか、憩いを断たれた生命がどうなるのか、もはや説明は要らぬであろう」


 リューナとトルテは互いの顔を見合わせた。トルテはオレンジ色の瞳を揺らしながら、リューナを見つめたまま口を開いた。


「ねぇ、リューナ――。この世界が消えてなくなってしまったら、ナルちゃんやスマイリーたちも……危ないということですよね」


「それどころか、俺たちの世界だってどうなるかわかんねぇってことだよな。エルフの魔術師も言ってたじゃんか。現生界の自然の営みというものには、幻精界と深い繋がりがあるって」


「確かに、そうですね。あたしたちの世界で風が吹くのも水が流れるのも火が燃えるのも、精霊たちの力が係わっているんですもの」


「ピュイル」


 トルテの足もとに座り込んでいたピュイが、同意するように頷いた。彼女が腰を折って視線を下げ、子龍と視線を合わせる。トルテは微笑みながら、ピュイの頭を優しく撫でた。


「そういうことならリューナ……あたしたち、この事態を放っていくわけにはいきませんよね?」


 トルテがしゃがみこんだまま首を傾げつつ、リューナを見上げた。訊かれるまでもない、何とかしなければならないという思いはリューナも同じだ。


 リューナは、椅子に座したままのラウミエールに向き直った。


「あんたの言い分はわかった。その場所に行って、俺たちにレヴィアタンをどうにかしてくれってことなんだろ。けどひとつ訊きたい。どうしてあんたが直接行って相手を退かすなり倒すなり、なんとかしようとしないんだ? あんたからはすっげぇ魔力を感じる。俺たちふたり――ッてぇ! ピュイもいたか、忘れてた。とにかく俺たちに頼む前に、自分でなんとかできそうな気がするんだけど」


 子龍に噛み付かれたリューナが尻をさすりつつ視線を向けると、黒髪の男は閉ざしたままの眼差しを彼らに向けた。リューナも背筋を伸ばし、気圧されることのない瞳で見つめ返す。


「私には、動けぬ事情があるのだ」


 ラウミエールはリューナの視線を受け、微笑した。それは、どこか苦悩を含んだように痛ましさを感じさせる笑いだった。


「『影の都』と『光の都』は、互いに互いを必要としている。我らは支え合い、ふたつ合わさることで完全な力を行使することができる。そんな片割れがあるとき幻精界から現生界へと渡り、あろうことかそこに定住することを選んでしまった。都は力を失い、消滅しかけた――」


 リューナは眉を寄せ、トルテが息を呑んだ。


「統治している者が離れただけで、都市に影響が出るというのか」


「個々が完全なるひとつの生命として独立しているそなたたちには理解できぬかもしれぬな。そなたらの目に、我らがどのように見えているかは理解している。けれど別次元の見方で視れば、我らはいまとは全く異質な存在として映るだろう。――心臓部である統治者を失った双つの都は傾き、次元の海原うなばらに転覆しかけていた。私はそれを、己が魔力全てをもって双方を支えることで均衡を保ち、現生界にいた光の統治者を呼び戻したのだ。都の危機に気づいた彼女は、向こうの世界で手に入れたもの全てを捨てて戻ってきた。彼女にとっては……言葉に尽くせぬほどの辛い選択であったろう」


「命である魔力を全てして、双つの都を護ろうとしたのですか。もしかしてあなたはすでに……」


 トルテがつぶやき、目の前に座したままの男の脚に目を向けた。


 男は頷き、本来膝があるはずの部分の衣の上に手を当てた。声を低め、静かに話を続ける。


「……先ほども言ったように、都の民たちは実体をもつようになった者を恐れている――むしろ信頼できぬものとして見ているのだ。『光の都』の統治者であるファリエトーラもまた、愛ゆえに実体をもつようになってしまった。だからこそ、彼女が此度の騒動の原因であるレヴィアタンをアウラセンタリアに招き入れたと考えている者さえいる。けれど――私は彼女ではないと思っている。愛に惑おうとも決して民たちを見捨てなかった彼女が民を滅ぼすことは、絶対に在り得ぬ。私はそう信じている」


 ラウミエールは手を椅子の肘掛けに戻し、何かに気づいたかのようにハッと顔を上げた。


「……どうやら長く時間を取り過ぎたようだ。そなたらには伝えるべきことがまだ多くあるが、できそうにない。あの者がこの部屋を目指し、足早に向かっている――そなたらの連れである幼子おさなごを取り戻す機会が失われることになりかねぬ」


「あの者……て、誰のことだ?」


 ラウミエールはリューナの問いには答えず、腕を振り上げた。くるりと長い指をひるがえし、椅子から離れた空間へ向けて振り下ろすと、そこにぽっかりと通路がひらけた。黒く塗られたような闇色の空間だが、閉鎖された空間ではないようだ。微かに埃っぽく湿った空気が、停滞した室内の空気を押し退けながら流れ込んでくる。


「優しさをもつ青年と娘、そして始原の龍の忘れ形見よ。残念だが、悪しき意図は触手を広げ、確実に実を結びつつある。事態は悪いほう、悪いほうへ向かっている。けれど私は最後には、全てがあるべき場所へ落ち着くものだと信じている。さあ、そこから目指す場所へと抜けられるぞ」


「ちょっと待てよ。あんた、俺たちがこれからアウラセンタリアへ向かって事態を収拾しようとすると、どうして思うんだ? このまま逃げちまうとは思わないのか」


 試すように投げかけたリューナの問いに、ラウミエールは微笑んだ。


「思わぬよ。特に暁の瞳もつ魔導士、そなたのことは知っているからだ。この世界で、過去と未来は繋がっている。出逢いには、どれひとつとして無駄なものはない。運命は最後には、全て円環を成している。けれどいまはそれを語るときではない……さあ、きなさい!」


 力強く発せられたラウミエールの思念と同時に、リューナは入り口のほうから近づいてくる気配に気づいた。ピリピリと首筋の毛が逆立つような、嫌な気配だ。殺気と苛立ちが入り混じった、はっきりとした敵意――。


「トルテ、行こう! 俺たちまで捕まったら、ナルのやつを助けられなくなる」


 リューナは虚空へ穿たれた通路に向けて一歩踏み出し、トルテの腕を掴んだ。彼女は頷いて歩き出しかけたが、ハッと目を見開いて足を止めた。


「待ってください。あなたは、もしかして――」


 トルテがラウミエールを振り返る。だが、ラウミエールの「急げ!」という思念と迫り来る気配に促されたリューナは、彼女の肩を抱きかかえるようにして穿たれた通路へと飛び込んだ。ピュイもふたりを追って飛び込んだ。子龍とはいえ重量のある体にドンと突かれ、リューナはトルテともに完全に通路の入り口から先へと転がりこむ。


 リューナたちの背後で、通路の入り口が急速に塞がれていく。閉ざされかけた隙間から、リューナは見た。星の海に満たされた室内に、足音高く踏み込んできた黒鎧の男を。ラウミエールのように純然たる魔力マナそのもので構成されたからだではなく、実体という外殻をもつ闇の戦士を。


 男は間違いなく、ラムダと呼ばれていた男だ。部屋の内部に、椅子に座した統治者以外の姿がないことを知り、強面を歪めて鋭い舌打ちを響かせる。


「現生界の魔導士たちをどこへやったのだ! 暁の瞳をした魔導士はどこだ。ここへ案内したと兵から報告を受けている」


 統治者たるラウミエールに、語気鋭く叫んだラムダが詰め寄る。


「あやつらの存在も必要なのだ。光の民はすでに捕らえた。『光の都』の反逆を裏付ける間者スパイは見せしめになる。民の疑念も確信に変わり、とりあえずの矛先を逸らすことができる。その間に現生界の魔導剣士と魔導士どもが終止符を打ってくれるだろう」


「終止符? まるで何もかもが終わるような口振りであるな」


 椅子に座したままのラウミエールは、悠然とした面持ちのまま口もとに笑みを浮かべた。


「ここには誰もおらぬぞ。青年らは平穏を願う民たち全ての願いであった危機回避に向け、すでに旅立った。現生界に住まう者たちはそなたより親切であるようだ。自分の同胞はらからかえりみぬ者よりも、というところか。……さて、私はこれから、この騒ぎを引き起こすに至った真の狙いそのものを見極めねばならぬ」


「……すでにいない、だと? 」


 ラムダは低くつぶやき、次の瞬間、荒々しい声で叫んだ。


「まさか……! あやつら、牢へ向かったのかッ!」


 こぶしを音高く握り締めながらラウミエールを凄まじい眼差しで睨めつけ、『陰なる軍勢』を率いる男は足もとに唾した。黒鎧を鳴らしながら凄まじい勢いで身を翻す。そのまま部屋から出て行ったのだろう、虚空に穿たれた通路の隙間から見ていたリューナの視界から黒鎧の男の姿は見えなくなった。


 そのリューナの視線に気づいていたらしいラウミエールは、ちらりと彼のほうに視線を流し、何気なく指先を動かした。通路の入り口が完全に閉ざされる。ラウミエールの表情は、彼に急ぐようにと伝えていた。


 リューナはようやく虚空から視線を引き剥がし、背後で彼を心配そうに見守っていた魔導士の娘を振り返った。


「さぁトルテ、レヴィアタンのいる場所へ向かおう。ナルを助けて脱出しようぜ。こんなところに置いていけるかってんだ!」



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