3章 幻精界の友 7-9
失敗は許されねぇ――ギリッと奥歯を噛みしめ、重量のある長剣を片腕で揺るぎなく眼前に構える。
リューナの残る片腕は背に回され、ナルニエの小さな尻をしっかりと支えていた。万が一にも、落とすわけにはいかない。彼の背に体重を預け、同時に命までも預けてくれたのだから。
「なんとかなりそう?」
衣服の襟元を握りしめる幼女のこぶしが、ほんの僅かに震えている。
「あぁ、なんとかするさ。必ず」
陽気な声になるよう努めながら答え、リューナは眼差しに力を籠めた。狼の体躯をもつ幻獣たちを睨めつける。
幻獣たちの唸り声が高まってゆく。一触即発の気配に、周囲を取り囲んでいた闇が圧し掛かるように濃くなっていった。
「トルテ、いいか。奴らに隙ができたら自分に向けて複合魔導を遣うんだ。ピュイは自分で飛べるだろ、なんとかしろ」
背後に向けて早口に伝え、リューナは口のなかで詠唱をはじめた。
狼の体躯をもつ巨大な幻獣たちは、容赦なくじわじわと、確実に包囲を狭めつつあった。間に合うか――『月狼』たちの肩が沈み込み、しなやかな体躯に並ならぬ力が籠められるのをリューナは肌で感じた。
魔力そのもので構成された獣であっても、狩りをして食物を得なければ生存できないのだろうか。濃い魔力に惹きつけられるなら、他者の魔力を奪い取ることで生きながらえるのか――なぜ自分たちが襲われなければならないのか。次々とこみ上げてくる理不尽な思いを問いただしてやりたいくらいだ。
やくたいもないことに思考を飛ばしつつも、一字一句の誤りもなく幼少の頃より慣れ親しんできた魔術の言葉を唱え切った。魔法効果が現れ、速やかにリューナの全身を包み込む。運動を司る神経のひとつひとつが研ぎ澄まされたように鋭敏になり、全身の筋肉が鋼のごときしなやかさと強靭さを宿した。
「いくぜッ!!」
リューナは地を蹴り、一歩前へと跳躍した。その動きは、まるで地に放たれた雷撃そのもの。魔法の為せる技だ。
凄まじい勢いで間合いを詰められた幻獣たちに動揺が奔る。
幻獣たちの進行が止まった。苛立たしげな唸り声と発し、脚を踏みかえてリューナに――正確にはその背にかばわれた濃い魔力の輝きを放つ幼い体に狙いを定めるため、体勢を変えたのだ。
その隙にリューナは瞳を伏せ、次なる魔法行使のための精神集中を完了させていた。一見無防備なその姿に、巨大な体躯が牙と目をぎらつかせて一斉に襲い掛かる。
腕を突き上げ、ここぞとばかりにリューナは魔導の技を遣った。緑に輝く魔法陣が展開され、虚空に色のついた風が生じた、次の瞬間。
ゥルゴゥッ! という凄まじい音を轟かせ、逆巻く真空の渦がリューナを取り巻き、螺旋を成して一気に天へと駆け上る。幻獣たちは烈風障壁となった魔導の渦に巻き込まれ、次々と宙高く弾き飛ばされた。
鉤爪を大地に喰い込ませ、かろうじて踏みとどまることのできた狼たちも、障壁の内より瞬時に距離を詰めてきたリューナの長剣によって切り裂かれ、或いは遥か後方へと弾き飛ばされていた。
「トルテ!」
叫ぶまでもなかった。視界の隅で魔導特有の輝きが弾け、大輪の花弁のごとき立体魔法陣が瞬時に咲き開く。その細やかな体に飛翔族さながらの自由な翼を得て、トルテが空中に舞い上がる。『飛行』の魔導の技だ。彼女のあとを追い、自前の翅を打ち羽ばたかせるピュイが続く。
背負われたナルニエに向けられていた幻獣の注視が、一斉にトルテへと動いた。素早い三体が垂直同然の崖の斜面へ向けて地を蹴り、僅かな突起を足がかりにしてさらに跳躍する。空中にあるトルテへと一気に迫る――。
リューナは全身の筋肉をたわめて弾丸のように駆け出した。『倍速』の効果を活かした小刻みな跳躍を繰り返して絶壁を駆け登り、空中にあった幻獣たちに追いつく。
「させるかよぉぉッ!」
『倍力』で背丈ほどもある重い長剣を風車のように振り回し、力任せに二体を底へ叩き落す。トルテの眼前に迫っていた残り一体の頭部を空中で思いっきり踏みつけて腕を伸ばし、トルテの腰をかっさらって再び跳躍し――なんとか崖上まで到達することができた。
剣を握っている腕に抱いたトルテを傷つけることのないよう、充分に気を配りながら着地を決める。ピュイも追いつき、傍の地面に突っ伏すように降りてきた。
「みんな……無事か、良かった」
リューナはホッと息を吐き、ようやく自分たちの置かれた状況について考える余裕ができた。
崖上にたどり着いてわかったことだが、ここはどうも広大な大地に深く刻まれた巨大な亀裂の一部だったらしい。亀裂自体はどこまで続いているのかもわからぬほどに長く、光の届く範囲を遥かに超えて左右の闇の彼方へ溶け合わさっている。
リューナが魔法で作り出した光球は、いまも崖の中途の高さに留まっているままだ。覗き込むようにして首を伸ばし、谷底めいた亀裂のなかを見下ろすと、幻獣たちがうろうろと歩き回りながら悔しげな咆哮を轟かせ、絶壁を登ろうと鉤爪を突き立てている様子が窺えた。
ざまあみろ、とばかりにニヤリと笑いながら、覗き込んでいた姿勢を戻したリューナであった。だが次に周囲を眺め渡し、いま立っている大地の広大さと果てのない様子に気づいて、すっかり当惑してしまう。
傍に立っていたトルテが、心細げな目でリューナに体を寄せてきた。
「知りませんでした。幻精界って、こんなにも暗くて広いんでしたのね……。もっと明るくてのんびりとした場所に出るのかと思っていました」
彼女の小さな声が闇に吸い込まれていく。
空と思しき頭上を見上げて目を凝らしてみても、月の光はもちろんただひとつの星明りでさえ見つけることができなかった。
リューナの襟元を握りしめていた幼女が、伏せていた顔を上げた。はっきりとした口調で、ナルニエは言った。
「ここ、ナルの憶えている光景と違うよ。ナルの住んでいたところには、どこもいっぱい、光があふれていた気がするもん」
「幻精界であることは、間違いないんですか?」
「うん」
「俺たち、きちんと次元を渡る光の道を通ってきたよな」
正直言って、道と呼べるのかどうかすらわからない不思議な空間だったが、間違ったという感覚はなかった。出口である場所は確かに最悪だったけどな……リューナは口のなかでつぶやいた。
「光の道というのは、必ずしも知っている場所に出るとは限らない、ということなのでしょうか……」
トルテが首を傾げつつ、周囲に向けて目を凝らしている。魔導の瞳で周囲を探ろうとしているのだろう。
「……確かにあたしたちの現生界とは明らかに雰囲気が異なっています。幻精界だという確信はありますけれど、どの方向へ向かえばよいのか判断できません。暗すぎて……。こんなに広くては、『光領域』の魔法を行使するわけにもいきませんし」
「おいおい、世界中を真昼にするつもりかよ、トルテ」
「だめだよ、お姉ちゃん。とてもじゃないけど、ぜぇぇんぶに魔法をかけようだなんて、魔力がすっからかんになっちゃうよ。だって、世界はすっごぉぉく広いんだもん」
リューナの背から滑り降りながら、ナルニエが言わずもがなの説明をした。しゅたっと着地を決め、得意そうな笑顔になって言葉を続ける。
「ナルたちの住んでいた光の領域と闇の領域だけでも、ものすんごおぉぉぉく広いんだもん。だから――て、あ、もしかしてここって……」
小さな両手をいっぱいに広げて力説していたナルニエが、考え込むように言葉を切る。トルテが先を継いだ。
「闇の領域かも、ということですか? 世界を支える四大元素、そして光と闇。そういえば、森羅万象、現生界の自然の営みというものはほとんど、少なからずこの幻精界の影響を受けていると聞きます。もしかしたら始原より昔には、現生界と幻精界は、親密に繋がっていたのかもしれませんね。だから――」
トルテの話が違う方向へ逸れはじめたとき、リューナの背筋にぞくりと冷たい感覚が走った。弾かれるように振り返った先は大地が裂けた場所、いましがた登ってきた深い亀裂である。
まさか――と思った瞬間、リューナの残してきた魔法の輝きが、まるで鋭利なもので砕かれたかのような衝撃音とともに消失した。周囲の光景が再び闇に塗り込められる。
「――っと、まずいかもな、トルテ」
リューナの研ぎ澄まされた感覚が警鐘を鳴らしている。群れ成す熱い息づかいと鉤爪が岩壁に食い込む無数の破砕音、そして凄まじいまでの憤怒の気配が、自分たちへ急速に迫りつつあるのを捉えたのである。
幻獣たちの気配は、この幻精界ではいやに生々しく感じられる。まるで過去へ飛んだときに出逢った幻精界の獣王スマイリーがトルテの魔導で実体となっていたときのように。
「走れ! トルテ、ナル、ピュイ!」
リューナは皆を急かした。暗闇のなかでほんのりと輝きを発しているナルニエを再び背負い、感覚を頼りにトルテの手を掴んで走り出す。
幻獣たちは諦めていなかったのだ。
そも、野獣や魔獣とは知性の違いがある。姿は狼めいた下位種であり人語を解するほどに賢くはなくとも、それなりの知恵は回る。一筋縄では行かぬ相手であったのだ。執拗に追いすがってくる。
幻獣たちには、闇中であることなどなんの妨げにもならないらしい。別の感覚器を有するのか闇をも見通す視力をもっているのか、揺るぎのない足取りで迫ってくる。追われているほうは岩や段差に躓き、体勢を崩しつつ必死に駆けているというのに。
「厄介だな――クソッ」
背負っているナルニエの尻を支えている片腕で剣の柄を握り、空いていた片腕でトルテの手を掴んでいるのだ。ためらいつつもトルテの手を離し、空いた片腕ですばやく魔導の技を行使した。空中に『光球』の輝きが出現する。
その魔法の輝きを空中に従えるように浮かべて、転びかけるトルテの腕を素早く掴む。
足もとが光に照らされ、駆け走るのが容易くなった。だが、まさに夜闇に輝く月さながら、相当に目立つものを作り出してしまった。仕方がなかったのだ。どうせリューナに背負われているナルニエの、生命たる魔力そのものの放つ輝きは消せやしない。駆け走る先の大地がぽっかりと無かった、などというほうが遥かに危険だ。
「リ、リューナ」
トルテが唇を薄く開き、喘ぐような呼吸を洩らしはじめている。全力で駆け続けているので、息があがりつつあるのだ。
「ピューリ、ピリュイ!」
トルテの傍で必死に翅を動かしているピュイが啼いた。トルテほどの意思の疎通はできないが、言わんとしていることは想像がつく。
「リュ、ナ。どこ……へ、向か……の、ですか」
左右にも前方にも、見える範囲には荒野が続いているばかり。トルテもピュイもリューナほどの持久力はない。野生の狼を超える速度で追いすがってくる幻獣たちを相手に、引き離すことはできそうになかった。ことに、身を隠すこともできぬ礫岩だらけで起伏すらない、どこまでも続く平地では。
「こうも暗くちゃ、どこに何があるのかもわからない。振り切れないなら戦うか……!」
トルテに答えたその瞬間、リューナの首筋が総毛立つ。トルテの体を前方へ突き飛ばし、空いた手に剣を掴んで一閃、すぐ傍まで追いすがっていた月狼の前脚を斬った。
つんのめるように倒れた一体の背を蹴って次の幻獣が踊りかかってくる。圧し掛かられたリューナは手首の返しで戻した刀身で牙を阻み、蹴り上げるようにして強引に狼の体躯を引き剥がした。鉤爪に掻きむしられた衣服の切れ端が視界を掠める。背のナルニエが悲鳴をあげた。
すっかり取り囲まれている。頭上に浮かんでいる魔法の明かりが、絶体絶命の光景をひどくあざやかに照らし出していた。
野生の獣とは明らかに違う煙色の眼球がギラギラと燃え上がり、はっきりと憤怒のいろを宿していた。獲物に出し抜かれ、苛立たしい追跡劇につき合わされて、激しい憤りを感じているのだろう。
「こっちだって、黙って喰われるわけにはいかないんだ」
リューナは愚痴めいた怒りの言葉をつぶやきながら剣を構えた。古代龍の子である幼龍ピュイが雄々しく唸り、体勢を低めて応戦の構えをとる。トルテはリューナの背から降りたナルニエを腕にかばいつつ、精神を張りつめて魔導行使に備えた。
「やるしかねぇか!」
リューナは覚悟を決めた。
誰かが礫岩を踏み割った音をきっかけに、幻獣たちが猛然と襲い掛かってきた。トルテが援護魔法を展開し、あたたかな光が輝きが刹那、リューナの体を包み込む。同時にリューナは「来い!」と声をあげて剣を閃かせ、トルテへ向けられかけた攻撃を自分へ向かうよう挑発した。
跳び掛かってくる幻獣たちに向け、容赦のない斬撃を叩き込む。魔法属性を付与された長剣が幻獣たちの体躯を切り裂き、突き上げ、牽制する。
「むッ……こんな時にッ!」
剣に纏わりついている輝きが薄れている。『武器魔法強化』の魔法効果が切れかかっているのだ。このままでは魔法が消え失せ、武器攻撃そのものが無効となってしまう。リューナは舌打ちした。幻獣は、肉体をもたぬ純然たる魔力そのもの。本来、現生界の金属では傷つけることもできぬ特殊な存在なのだ。
乱戦となったいま、準備動作はおろか精神集中する暇さえないリューナに魔導の技は難しい。光が消えればトルテが気づき、魔導の技で同じ魔法をかけようとするだろう。幻獣たちの狙いが自分に向けられることを承知した上で。
度重なる挑発では、そろそろ幻獣の注意を自分に向けることが難しくなりつつあるのだ。こちらの魔法を遣うしかないか――手にしている剣を投げ置き、喰らいつかれる覚悟で、魔導の剣を具現化する『物質生成』を実行しようとした。
その瞬間、圧倒的な闇の気配が、ズン! と地響きを立てて眼前に降り立ったのである。
「新手かよ!」
凄まじい殺気にリューナは飛び退き、トルテの傍に着地した。首を仰け反らせるようにして頭上を見上げる。
「まぁ……!」
トルテが片手で口を覆い、目を見開いて驚きの声をあげた。ナルニエが喉の奥で悲鳴を呑み、驚愕のあまり硬直してしまう。リューナはギリと奥歯に力を籠め、こぶしを握り締めた。
そいつは、他の月狼とは桁外れな巨躯をもっていた。地の底から這い登ってくるように低い、低い唸り声は、まるで大地に轟く地鳴りそのもの。空のない常闇の空間を震撼させるほどの、圧倒的な存在感。礫岩を踏みしだく脚の一本一本が、図書館棟を支える柱ほどの太さがある。
喉奥から噴き上がり牙の連なりを越えて吐き出される息の熱さ、ずらりと並んだ剣呑な歯並びと鋭い牙。遥かな高みからこちらを見下ろしている巨大な眼球は、満月のように冴え冴えとした光を放っている。その乳白色に輝く眼が周囲をひと睨みすると、他の幻獣たちの唸り声がぴたりと止んだ。
こいつには全力を尽くして立ち向かわねば、勝てるかどうかわからないな。リューナは目をすがめて背負っていたナルニエを降ろし、トルテのほうに押しやって、自身の右腕を真横に伸ばした。瞳に力を籠めて右腕で宙を薙ぐと、なにもなかった右腕の先に魔導の剣が出現した。死闘への準備が整う。
けれど――なんだ、この違和感は。リューナは訝しみ、周囲に視線を走らせた。攻撃を繰り返していた幻獣たちのほうが、この新たな相手を恐れているようにみえるではないか。大きさや気配に圧倒的な差はあるが、同じような狼の外観をもっている仲間ではないのか。
巨躯は揺るぎなく眼前に立ちはだかったまま、動こうとしていない。来ないならこっちからいくぜ――魔導の剣を真天へ向けて真っ直ぐに構え、膝をたわめるように深く沈ませる。
「待ってリューナ! 傷つけないで」
思いもよらぬトルテの言葉に、リューナの動きが止まる。
「なんだって?」
「わかりませんか、リューナ。忘れてしまったのですか?」
逆に訊き返されてもなんのことだかさっぱりわからない。「はぁ?」と、自分でも間が抜けた声だと痛感しつつも首を捻るしかなかった。
グルルルルルルゥゥッ。
頭上から、いかにも忌々しげな不満そうな、憤懣やるかたない唸り声が浴びせられる。まるでいかにもこちらの会話を聞いていて、反応しているような――。
「あ? もしかしておまえ……」
トルテがなにを伝えようとしているかにようやく思い至り、リューナの全身から一気に力が抜けた。
「……スマイリーか?」
答えの代わりに降りてきたのは、巨大な牙顎のひと噛みであった。紙一重で避け、リューナは相手を憤然と見上げ、睨みつけた。
「あっぶねぇなぁオイ! それが久しぶりに逢った仲間にする態度かよ!」
スマイリーは取り澄ましたように喉を上へ逸らし、巨大な後脚で腹のあたりを掻いてみせるのであった。リューナの口もとがへの字に歪む。わざわざ言わなくてもいいのに、トルテがにこにこ笑いながら口を開いた。
「忘れられて心外なのはこちらのほうだ、ですって、リューナ。さっき剣を構えていたように見えたがどういうことだ、と」
「わぁああ、もう! し、仕方ねぇだろ! トルテにとっては一年ほど前のことかも知れねえけど、こっちにとってはあの大陸消失から三年も経っているんだぜ。あぁ、もう、わーったよ、悪かったよ! ごめんな、スマイリー。正直言ってこんな場所で再会できると思ってもみなかったんだよ」
スマイリーは片目でこちらをギロリと睨みつけた。かわいくねぇったら――リューナは不貞腐れてしまった。
「でも、本当に嬉しいですわ、スマイリー! 無事でよかった……周りの幻獣たちは、スマイリーの眷族なんですね」
さきほどまで大気を満たしていた殺気は、すでに微塵もなかった。傷を負った狼も尻尾を垂らし、巨大な『月狼王』たるスマイリーに付き従うように大人しく控えている。
「こいつら、俺たちを喰おうとしたんだぞ」
思わずリューナが愚痴をこぼすと、ナルニエが可愛らしい声をあげた。
「すっごぉい、きれいな狼さん! もしかしてあなた、『光の都』を知りましぇ――知りませんか? もしかしてひょっとすると、乗せて行ってくれちゃったりなんかすると嬉しいんだけどなぁ」
甘えるように狼を見上げている。
「うおっ、その手があったか! トルテ、スマイリーに頼んでくれないか。俺たちいきなりこんな真っ暗な場所に出て、困ってたんだよ。せめてそのトゥーリエっていう都市の位置か方向でもわかれば、ありがたいんだけど」
グルルル、ウゥゥゥ。
スマイリーが考え込むように目を伏せ、鼻を鳴らした。
「そっか、おまえ、こっちの言葉がわかるんだもんな。しかしおまえ、あれから二千年くらい経っているのに、ぜんっぜん変わらないんだな」
トルテがリューナにくるりと顔を向けた。魔法の光のなかでもはっきりと見える大きな瞳が、きょとんと瞬きも忘れたように見開かれている。
「ん? 俺……またなんか変なこと言ったのかな」
「あ、えっとですね、リューナ。この幻精界では、時間の流れ方がまったく異なるんですよ。ある意味、停滞しているともいえます。あたしたちがこの世界を自分たちの世界と同じように認識していると――。え、どうしたんですか、スマイリー。『光の都』まで向かう途中に、なにか困ったことでも……?」
言葉の途中で、トルテが『月狼王』に反応した。以前に繋がれたスマイリーとの心の遣り取りが、今でも続いているのだろうか。怪訝そうな表情になった彼女が『月狼王』に視線を向けようとして顔を仰向けたとき。
突然、凄まじい光量の光がすぐ傍で爆発した。スマイリーが片前脚を上げ、鋭い唸り声を轟かせる。彼の前脚があった大地に、銛のように剣呑なとげのある禍々しい矢が突き刺さっていたのだ。
「――な、なんだよこれッ?」
黒い雷撃でも落ちたかと思っていたリューナは驚いた。決して自然のものではない形状。明らかに知性ある存在によって製造された武器だったのだ。
矢の突き立った角度から射てきた場所を素早く割り出し、リューナとスマイリーが同時に顔を向ける。闇を透かし見ることはできなかったが、いつの間にか離れた場所に異質な気配が数多く生じていた。
堂々とした声音が闇の大地を震撼させ、轟き渡った。
「獣たちは失せろ」
不思議な抑揚をもつ言葉は、背筋の凍りつくような迫力と重圧を伴っていた。周囲の幻獣たちが撲たれたかのように頭部を低め、じりじりと後ずさってゆく。
平然としていたのはスマイリーのみ。その彼もが、僅かに開いた顎の隙間から忌々しげな唸りを発している。
「敵か」
リューナは愛用の長剣を拾いあげた。トルテとナルニエを自分の背後にかばい、魔導の力を宿した瞳に力を籠める。
トルテは思慮深げな眼差しで、声がしたと思しき方向をじっと見つめていた。




