3章 幻精界の友 7-7
テロンは、腕のなかのルシカの体を抱きしめていた。
愛する者の名を幾度も呼び続ける、慟哭のあとのかすれた彼自身の声だけが……静かな室内に響いている。
さきほど王宮内を駆け抜けた悲痛な衝撃――国の民が敬愛し頼みの綱としてきた魔導士を、最も近しい位置で愛し護り続けてきた王弟の叫び――を耳にした、扉の外あるいは少し離れた内廊下にて祈るように息を詰めていた者たちは皆、硬直したかのごとく各々の動きを止めていた。
国王としての責務に何とか区切りをつけ、義妹である親友と双子の弟のもとへ急ぎ駆けつけようとしていたクルーガーの足も止まっていた。回廊の壁に片腕をついてもたれかかり、放心したように青い瞳を床へ向けている。
『千年王宮』で眠れぬ夜を過ごしていた全員が失意に包まれ、悲嘆のあまり涙を浮かべた。星明りに照らされている青みがかった白亜の王宮、その内部に流れていた時間の刻みを停止させてしまったかのごとく、夜明け前の静寂が全てを呑みこんでいた。
「……ルシカ、ルシカ……」
抱きしめた温もりは、まだ失われていない。
しなやかな感触も、やわらかな弾力も、何ひとつ変わっていない気がした。それは、最も愛しきものを失ったばかりの孤独がみせる幻影に過ぎぬかに思えたが――。
テロンは熱いものの流れる顔をあげ、揺れる眼差しで愛する者の顔を見つめた。
夫テロンの腕に抱かれたルシカは、とても安らかな表情をしている。さきほどまでのような苦悶や痛みの翳りは感じられなかった。まるで、いつもと変わらぬ穏やかな夜にテロンの腕に包まれ、すぅすぅと寝息を立てて眠っているかのように。王国の護り手ではなく、宮廷魔導士でもなく、旅の途上にある冒険や戦闘の相棒としてでもなく……ただ、夫テロンの腕のなかでのみ、彼女がみせる憩いと安堵の表情そのもの。
鼓動は僅かも聞こえぬ。呼吸はない。すべらかな頬はぴくりとも動かず。夜明けの太陽色の眼差しはまぶたの内に閉ざされたまま……。
けれど――この感覚は何だろう。ルシカは何と言っていた?
テロンは、心に刻みつけた愛する者の声を思い出していた。
「げん……幻精界。ルシカは、確かにそう言っていた」
待っていて、信じて――そのように聞こえぬこともなかった言の葉が、腕のなかでぐっすりと眠りこんでしまったかのように穏やかな愛妻の面差しと重なる。
幻精界。
一度訪れたことのある、こちら現生界とは時間も空間も異なっている世界で、自分たち家族の身に起こったこと。大変な騒ぎとなってしまった十五年前の出来事を――。
あの時と同じようにルシカの体を抱きしめながら、テロンの心と記憶は過去への思索の糸を探りはじめた。
十五年前の、あの時――。
白き光の奔流が去り、テロンとルシカのみが穏やかな気配に満たされた空間に残されていた。
感覚の戻ってきた体でまず感じたのが、腕のなかに抱きしめていた温もりだった。自分のものではない息遣いと、ゆるやかな鼓動。テロンはゆっくりと目を開いた。
視力の戻った瞳のそばに、ルシカの顔があった。深く眠っているのか意識を失っているのか、目を覚ましてはいないが、とにかく無事なままの彼女に、ホッと安堵の息をつく。
「ルシカ……生きている、良かった。だがここは……いつの間にかどこかに『転移』したのか? ここは一体……」
呼吸するたびに肺に入る大気は爽やかでいて芳しかった。まるで四肢の隅々までが静謐な水で満たされてゆくような爽快感と充足感。胸いっぱいに吸い込むと、心が落ち着いた。周囲を取り巻くように流れる風のなかに、密やかな囁き声と微かな笑い声を聞いたかのように思えたが、空耳だったのかも知れない。
テロンは顔を上げ、腕のなかに匿っていた、細やかな体のあちこちを仔細に眺めた。
体術家であるテロンは魔法使いと違い、生命のもつ魔力のありようを別感覚で捉えることができる。『気』という名に代えた生命そのものの流れを感じる方法で、様々な情報を知覚するのだ。ルシカも、胎内の命も、しっかりと感じることができた。
「命も無事だし、どこも損なわれてはいない。奇跡なのか、魔法なのか、或いは――いや、ともかくありがたい。ルシカが無事なら……そして子どもが無事なら何が起きたとしても構わない」
安堵のあまり力が抜けた。俯くと、自分の額が彼女の額に触れた。こみ上げてくる愛おしさに、そっと口づけると、ルシカが僅かに身じろぎをした。
「ルシカ」
思わず呼びかけると、震えた金のまつげがおずおずと持ち上がる。澄んだオレンジ色の瞳の表面に、この上なく嬉しそうに微笑んでいる彼自身の姿が映る。彼女の唇が開いた。
「テロン。……どうしたの?」
「どうしたも、こうしたも」
声が震えそうになったテロンは口もとに力を籠め、無理に微笑んだ。ルシカはゆっくりと瞬きをしながら夫を見つめたあと、たおやかな手を持ち上げてテロンの頬をいとおしげに撫でた。テロンはその華奢な手を自分の大きな手で包み込んだ。
ルシカが微笑む。
「あたしは平気。おなかの赤ちゃんも大丈夫よ。でも……ここは王宮じゃないのね。あたしたち、どうなったの?」
「わからないんだ」
素直にテロンは答えた。
「白い光が俺たちを包み込んで、気がついたらここにいた。時間がどれほど経ったのか、どこへ居るのかもわからない。けれど、このままここにいるわけにもいかないよな。だってルシカ、君は――」
「そうね。次の陣痛……そしてお産がはじまったら、あたし、どうしていいのか……」
言葉の最後はかすれてしまい、ルシカが言葉を途切れさせる。ふたりの夫婦は、不安に揺れる視線を交わらせた。
「どうしよう……」
心細げな口調は、いつもの彼女とは思えないほどであった。けれど無理もないことだ……テロンは唇を噛みしめた。これから挑もうとしていることは、いままでに経験のない人生はじめてとなる、『初産』なのだ。母を幼いときに亡くした彼女にとって、出産に臨むときの戸惑いと不安、懸念、懼れの感情をどうすればよいのか受け止めてくれる存在をもたなかった。――ならばせめておなかの子の父となる自分こそが彼女をしっかり支えなければならないのだ、ということに思い至り、テロンは腹を決めた。
「心配するな。状況は俺が何とかする。だからルシカは、自分の体のことだけを考えてくれ」
テロンは小柄で小さな妻の体を、鍛え上げた逞しい腕で軽々と抱き上げた。周囲の気配を探るために感覚を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと周囲を眺め渡す。
爽やかな香りのする風が吹き渡る、生き生きとした緑たゆたう草の海だ。草原、というよりは深いものを感じる。濃く強い生命力をもつ、涼やかに長い葉を広げた膝丈の植物が、隙間なくみっしりと生い茂っているのだ。ふたりの足下にあって踏まれていた草も、足を踏み替えたそばから起き上がり、何事もなかったかのように跡も残さず風にそよぎはじめる。
たいした生命力をもっているのか、或いは。周囲の光景は薄明るい霧に閉ざされ、あまり視界はよくなかった。
「ねぇテロン、空が違うわ……青くない。まるでミルクに色粉を落とし込んだみたいに、いろんな色彩が入り混じってみえる」
ルシカの言葉を聞き、テロンも空を見上げた。地表と同じように曇っているのかと思ったが、そうではなかった。空一面が淡く輝いており、太陽というものが存在していない。けれど不思議なことに、真昼のように明るかった。
まぶしさに目が慣れると、ルシカの言葉どおり、さまざまな色彩が判別できるようになった。まるで薄い霧を閉じ込めた泡玉の表面に現れる虹色の膜を、内側から眺めているかのような印象である。
青々とした足下の草海は視界に入る範囲を越え、遥か彼方まで続いているように感じられる。背後には、そう遠くない場所にうっそうと茂る森のような空間があった。木々のどれもが天を衝く大樹と呼べるほどの規模であり、絡み合った枝がみっしりと地表まで届き、ひとが入り込めるほどに間隙は開いていない。
不思議な光景だ。まるで眩惑の魔法でもかけられてしまったのように。テロンは視覚による探りに見切りをつけ、別の感覚を研ぎ澄ませた。周囲の気配を探りはじめた彼を、ルシカが祈るような眼差しで見上げている。
「……ひとの気配ではないが、周囲に何か大勢の集まっているような感覚がある。気のせいかとも思ったが、そうではないようだ。敵意はなさそうだ。妙にざわざわと動いていて、こちらのことに気づいているのか居ないのか。少なくとも襲ってくる気配はないな」
「周囲の……」
ルシカがつぶやき、自らも魔導の瞳を凝らした。キラリ、と彼女の瞳の虹彩に星のような輝きが煌めいた。彼女は途端に口をポカンと大きく開き、目も見開いたまま、驚愕の表情で凍りついた。
「ルシカ? ルシカ!」
彼女の様子に不安を覚えたテロンは、慌てて声をかけた。腕のなかの小さな体に、戦慄にも似た震えが奔ったのだ。
「あ、……ううん、ごめんなさい。あたしはだいじょうぶよ、テロン。ここがどこなのかを理解して、つい」
その言葉に思わず顔を輝かせかけたテロンだったが、ルシカの表情が厳しいままであることに気づき、慎重な面持ちで訊いた。
「つまり……?」
「ここは、『幻精界』だわ。間違いないと思う……。大気にすら濃い魔力が含まれているから。あまりに濃密に満たされていて、すぐに知覚できなかったの」
「現生界のどこか特別な場所という可能性はないか?」
テロンの問いに、ルシカはもう一度瞳に力を籠めて慎重に周囲を見回した。そして力を抜き、テロンの目を真っ直ぐに見つめて答えた。
「少なくとも現生界でないことは確実。間違いないと思うわ。テロンが感じている、周囲にあふれている気配というのはおそらく『風の乙女』だと思うの。ティアヌからの伝言を届けてくれる術の魔力の輝きとそっくり同じものが、たくさん飛び交っているのが見えるから……」
「……幻精界……」
その言葉を反芻し、テロンは眉根を寄せて俯いた。
「ここが幻精界だっていうのか。俺たちの現生界とは違う世界だと――」
ルシカが無言のまま腕を伸ばし、テロンの首筋にすがるように抱きついてきた。そっと腕に力を籠め、申し訳なさそうに小さな声で彼女は言った。
「そうね……どうしたらいいのかわからないわ。『召喚』の魔法も『門』の魔法も、生きて実体のあるものを通過させることはほぼ不可能に近い。意識を奪って物質として対象を運ぶのならともかく、術者が意識を保ったまま次元のあわいを越えて渡ることはできないはず……魔導の技は役に立たない」
「ルシカの『送還』は使えないか? 幻獣をもと居た幻精界へ送り還すことのできる魔法――」
テロンの提案に、ルシカは彼の肩に顔をうずめたまま力なく首を振った。
「幻獣は、純然たる魔力そのもので体躯を構成しているの。容れ物である肉体をもっていないから。あたしたちでは無理だわ。肉体を失うことにでもなったら……そうしたら……」
継ぐ言葉を口にすることができず、ルシカが言葉を途切れさせる。万能といわれるルシカの魔導の力だが、胎内の子どものためにも、危険な賭けをするわけにはいかないのだ。
だが、どうすれば良いのだろう。途方に暮れかけたテロンだったが、諦めるわけにはいかぬと心の内で自分を叱咤し、ルシカをしっかりと抱いたまま歩きはじめた。
「とにかく、周囲を探ろう。ここで時間を潰してしまうわけにはいかないだろう。何とかしなければ」
「……うん」
ルシカが頷き、緊張していたことで疲れてしまったかのようにテロンの腕のなかで力を抜いた瞬間。
「――ウッ! あぁぁ……!」
「ルシカ!」
「痛い……! やだ……どうしよう。テロ……んッ!!」
今度はテロンもすぐに理解した。陣痛だ!
もう産まれてしまうのか、それともまだ猶予があるものなのか――。
テロンは、腕のなかで頬を染めて痛みに耐える妻の体を抱いたまま、周囲に視線を彷徨わせた。薄明るい霧の存在が疎ましい。足を速め、何か助けになりそうな気配を探りながら必死で駆ける。どこへ行けばよいのか、どこへ向かおうとしているのか、それすらもわからないまま本能のままに走り続けた。
そして唐突に、彼の感覚を激しく揺さぶるものに気づいたのだ。
ひどく懐かしいこの気配は――まさか!
「ここだぁッ!! 手を貸してくれ、ルシカが――ルシカが!」
気づいたときには大声で叫んでいた。そしてテロンの期待したとおり、その声に応えてくれたものがいた。
「わかっています。我らはそなたらを捜していた――間に合ったようで良かった」
姿はまだ見えない。感じる気配まで二十リールはある。その彼我の距離をものともせず、滔々と心に響いてきた思念の言葉――その典雅な響きと穏やかな気配。そして、痛みに苦しむルシカがまぶしそうに目を細めた様子で、眼前に現れた者が相手が誰であるかをテロンはすぐに察した。予感が確信に変わった。
「エトワ!」
そう、それは、魔の海域に浮かぶ絶海の孤島でルシカたちとともに出逢った、幻精界に住まう上位種族『夢見る彷徨人』だったのだ。
幻精界を故郷としていた彼ら上位種族は現生界への憧れを抱き、彼らの優れた技術によって次元を渡り、定住の地として『千年王宮』を建設した。けれど魔力の薄さに抗えず多くの仲間たちを失ってしまい、弥終の地へと去ったのである。
『無の女神』によって崩された王都復興のために、その建設技術を学ばんとして、彼らが去ったと謂れのあった魔の海域の孤島へテロンやルシカたちは赴いた。最後の生き残りであったエトワと出逢い、友人となった――。
「だが、君は幻精界へと帰っていったはずなのに」
ようやく距離を詰め、薄明るい霧のなかから浮き上がるようにして現れた白と水宝玉色に輝く姿が視界に入る。テロンの記憶にあった容姿と寸分違わぬ、この世のものとも思えぬほどに整った左右対称の顔に、なつかしそうな笑みを浮かべている。
「帰ったとも、友よ。ここがその幻精界であることをお気づきか。さすれば不思議はなかろう。だがそのような瑣末なことより、暁の魔導士と胎内の子の生命が危機に瀕しているのだ。急ぎ、救わねばならぬ」
「危機」
テロンは思わず声をあげ、腕のなかのルシカに視線を落とした。痛みに呻いていた彼女は、半ば意識を失いかけていた。それでも必死に抗おうとしている。
あの感覚が再び伝わってくることに、テロンは気づいた。狂おしいほどの焦燥感と喪失感に打ちのめされ、息を呑むテロンに、エトワは言葉を継いだ。
「彼女の生命そのものを構成している多大な魔力が、彼女に属する本来のものではないゆえに、分離しかかっているのだ。出産とは、そなたらの世界の大いなる神秘。おそらくそれがきっかけとなり、生命を維持している魔導そのものが不安定なものになったのであろう。このままでは胎盤から赤子が離れるとき、生命維持に必要な魔力そのものを引き裂かれてしまう。結果的に待っているのは、死だ。そなたら現生界の胎生の生き物は母体が死ぬと子も助からぬ。――双方を助けたくば、急がれよ!」
エトワの言わんとしていることがようやく理解できたテロンは、やはりという思いとともに、ルシカと子を失うという恐ろしい可能性に真っ青になってしまう。
「どうすればいいんだ、教えてくれ!」
必死の想いで、エトワに詰め寄る。
「愛しきものを我らに任せよ。我らはそのために都の力で『光の道』を開き、そなたらをここへ呼んだのだから。とはいえ、『転移』の位置が僅かに逸れてしまい、見つけるまでに時間を要してしまった」
「なんとかなるのか?」
「参られよ。今すぐに。我らが『光の都』トゥーリエへ!」
エトワが片腕を宙高く跳ね上げると、頭上に広がっていた空が降下してきた。テロンは驚愕のあまり言葉を失ってしまった。まるで空そのものが天から剥がれたかのごとく、遥かな高みから速やかに雪崩れ落ちてきたのだ。
「あれこそが、幻精界の光の領域を彷徨う『光の都』トゥーリエ。我らの故郷であり、存在の本質。そなたらの瞳には都市として映るはず。案ずることはない、魔力に満ち溢れたこの世界にあれば、我らの力で暁の魔導士の魔力を繋ぎとめることができる」
剥がれ落ちてきた空はあっという間に地表に到達した。実体のない光そのものに包まれたかのように唐突に、テロンの視界が閉ざされる。次に目を開いたときには、そこはもう都市の内部であった。
まるで王宮の正門を思い出させる、凝った造りの柱が立ち並んでいる。ひと柱の規模は王宮のそれより遥かに大きい。表面に幾重にも重ねられた半月状の浮き彫りには、遥かいにしえの文字とされていた帯状の文様が延々と綴られている。
「お産を手伝うものたちだ。名はイシェルドゥ、ソーナ、ユフィリ」
その言葉と同時に、離れた場所から、冴え冴えとした月光を想わせる銀紗を纏ったみっつの人影が進み出てきた。その誰もが、眼前に立っているエトワのように背が高く、左右対称に整った容姿をしている。
関節など存在していないようになめらかな動きで、エトワが奥へ案内するように片手を動かした。
「急がれよ」
エトワについて不思議な都市に踏み込んだテロンは、ルシカを抱えたまま急ぎ足に進んだ。先を歩む幻精界の住人たちは、果たして足が地面についているのかいないのか、かなりの速度で進んでゆく。
彼らが立ち止まった場所は、クリスタルそのものの煌めきをもつ乳白色の外壁に囲われた美しい建造物である。テロンは魔導士ではないが、凄まじいまでに圧縮された魔力の存在を建物の内部に感じた。
テロンがルシカを抱いたまま建物に入ろうとすると、エトワが制した。
「そなたが入れば、そなたの生命たる魔力は微塵も残らぬ。ここからは、暁の魔導士の身、我らで預かる」
イシェルドゥと紹介された、テロンより遥か歳上にみえる女性が進み出て、テロンの腕に抱かれたままのルシカにほっそりとした手を差し伸ばした。痛みと苦しみに閉ざしていた目蓋を薄く開いたルシカの眼差しが、ほんの刹那、テロンに向けられた。その瞳には、「心配しないで、待っていて」という想いが込められていたようにテロンには感じられた。
ルシカの体がテロンの腕を離れ、ふわりと宙に浮く。同時に薄い虹色の膜のようなものが周囲に生じ、彼女の体を包み込む。残りふたりの女性が魔法で封じられていたクリスタルの扉を開き、宙に浮かべられたルシカを中へと導いてゆく。
イシェルドゥがテロンに向き直った。
「破水もまだ見られませぬが、痛みの様子が尋常ではありませぬ。魔力の分離が進んでおりますゆえ、このまま内部にて魔力を繋ぎ留め陣痛を促進させる結界を貼り、なるべく早くお産へと移行できるよう努めるつもりです」
隣に立つエトワが言葉を継いだ。
「体力と気力が尽きてしまう前に、決着をつけねばならぬ。類稀なる魔導の力と万能なる可能性を秘めているとはいえ、暁の魔導士もひとりの娘。死すべき定めに縛られた、限りあるいのちなのだ」
「けれど暁の魔導士さまは、堅固な意志と諦めぬ心をお持ちとみえまする。きっと持ち堪えてくれると信じております。待っていてくれる相手がいることは、何よりも生きようとする力になりますから」
イシェルドゥは意味ありげな眼差しでテロンを見やって、にっこりと微笑んだ。額にかかる長い髪を纏め上げた銀紗の紐が周囲を包む白き光を受け、テロンをいたわるようにキラキラと輝いた。
女性たちのあとに、結界を布く役割を担うエトワが続く。
扉が閉まる直前、テロンは彼らの背に声をかけた。
「ルシカを頼む……!」
エトワが振り返る。ひたと向けられたテロンの眼差しを受け止め、エトワは静かな面持ちで、だが力強く頷いた。重々しく閉ざされた扉の前で、テロンはルシカと、まだ見ぬ我が子の無事を祈って待ち続けた。




