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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第七部】 《双つの都 編》
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2章 遺跡の迷い子 7-5

「そか、感謝なんだ。怒られなくて、よかったぁ」


 ナルニエが心底ホッとしたように小さな手を胸に当て、無邪気な笑顔になる。リューナとトルテ、ピュイ、そして新たに一行に加わった幼女ナルニエは、天井に開いた穴から階上にある別のフロアへと進んでいた。


 そう。結果的には、目指す頂上への近道が見つかったようなものであった。


 リューナが危うく生き埋めになるところだったさきほどの崩落は、頂上へと幾層にも重なっている遺跡の各フロアを縦に『ぶち抜いて』いたのである。穿たれた穴は五階層分ほどに達しており、少なくとも三時間は行程を短縮できそうだ、とトルテが言ったのだ。


 王宮を出発する前に見せられた地図を完璧に記憶している彼女が言うんだから、間違いはないだろう――そういうことなら、抜け落ちた天井に埋まった甲斐があったなぁ、とリューナは妙なことに感心していた。


「ナルひとりでどうしようかって、思ってたんだもん。おねえちゃん、優しいっ」


 そういえば、崩落のあとに、こんな遣り取りがあったのだ。


 瓦礫の下から荷物を引っ張り出し、中身を確認しながらリューナが口を開いた。


「俺、訊きたいんだけどさ。なぁ、ナルニエ。おまえ何千年も生きてきたにしちゃ、そんなちっこいままだなんて。成人するまでに何万年かかるんだ?」


 リューナが素直な疑問をぶつけてみると、背丈の半分ほどしかない幼女に容赦のないジト目を向けられてしまった。何かおかしなことを訊いたのかな、俺……リューナは心の内で首をひねってしまう。


 ナルニエは腰に小さなこぶしを当て、ふーっと息を吐いた。髪が元気に跳ねるほどの勢いで顔をあげると、小さく整った鼻がつんと上を向いた。仕方ないなぁ、といわんばかりの様子で語りはじめる。


「そんなわけないでしょが。ナルたちは、意思を持った小さな粒子のしゅごお――集合体なんだよ。つまり、個々の小さな集合体は、それぞれの規模に見合った姿かたちを取ることになるの。あなたたち現生界では普通かもしんないけど、規模に見合った相応の処理能力しか持てないから、それに相応しい姿で居ないと困ることになるんだもん」


「……へ? つまりさ、おまえは見かけ相応くらいにしか役に立たな――イテェッ!」


 小さなかかとで思いっきり踏まれてしまった。遺跡探索に使っている丈夫な革ブーツなのだが、かなり痛かった。リューナは何故か、要らぬことを口にしては母シャールに爪先を踏まれている父メルゾーンを思い出してしまい――かなり深く落ち込んでしまったのであったが。


「そういえば、ルシカかあさまが言ってました。あたしたちの身体も、小さな細胞がたくさん集まって成り立っている集合体なんですって」


 もの思わしげな瞳を床に彷徨わせつつ、つぶやくようにトルテが言った。いつもの快活さがない彼女の様子を気遣っているのか、ぱたぱたとはねを打ち羽ばたかせているピュイが小さく鳴いた。


「もっともっと大きな集合体が、現生界に渡ってきた話を聞いたことがあるけど、どうなったのかなぁ。ナルだけじゃ、幻精界までかえれないから……扉、開いてほしいんだけどなぁ」


「置いていかれたのか?」


「ううん」


 幼い笑顔がふいに曇り、透き通るように明るかった水宝玉アクアマリン色の瞳にかげりが生じる。


「死んじゃったんだ。残されたのはナルだけ……実体化している集合体が次元を渡れるくらいの扉は、みやこくらいに大きな規模じゃないと具現化できないから」


「幻精界への扉か?」


「そうだよ。そういってるでしょが、リューナ」


「あのな、ナル。たとえ見かけがどうこうでも、歳上に向かってその態度はどうかと思うぜ。トルテが『お姉ちゃん』なら、俺のことはせめて『お兄ちゃん』とかそのくらい――」


「まぁ!」


 リューナの言葉半ばで、トルテが大声を出した。


「そういうことでしたら、あたしたちと一緒に行きませんか? この遺跡を進めば、このフルワムンデ山の頂上に出ることができます。頂上には、幻精界へ続いているという扉があると聞いています。あたしたちはそこを目指していますから」


「うわおっ、それすっごい! ナルも一緒に行ってもいいの?」


「はい。いいと思いますよ」


 トルテがにっこり笑って頷き、リューナを見る。訊かれるまでもない。そういうことなら一緒に行くのが一番いいだろう、とリューナも同意見だったからだ。それでも一応は咳払いをして、重々しく頷いておく。トルテもナルニエも、嬉しそうな笑顔になった。


「ありがとうっ! リューナ……えと、おにいちゃん!」


 そんな遣り取りがあってから一行に加わることになり、ナルニエと名乗った幼女は、すっかりトルテに懐き、ピュイと仲良くなっていた。





「この先は、ずいぶんと雰囲気が変わるんだな」


 進んできた遺跡の各層は、崩落していた場所や亀裂のある場所以外はどこも洗練されたなめらかな石で造られており、そこかしこに張り巡らされた環境維持の魔法陣や、いまでも暮らせそうなほどに整えられた部屋のような空間が設けられていた。


 俗に言われる宝飾品のような宝物はほとんど見つからず、何に使うのやら判然としない機械のようなものは多数あったが、特にリューナたちの興味をひいたのは、古い言語の彫り付けられた石碑のようなものだった。


 静謐な雰囲気に満たされた最後のフロアの最奥から頂上へと続く通路。まるで手作業で掘られたトンネルのように穿たれた、洞穴のようになっている。リューナが「雰囲気が変わった」と思ったのは、その岩壁がなめらかに削られることもなく、ゴツゴツと粗いままの表面だったからだ。それどころか、空間を維持する魔法の気配すらない。


 背をかがめることなく通り抜けられるほどに充分な高さと幅があったが、ここまで通り過ぎてきた通路の美しさとは雲泥の差があった。


「こちらの石碑には、この遺跡の歴史が記されているんですね」


 その入り口横に石碑が設置されている。駆け寄ったトルテが、彫られている文字を眼で追った。


「なんて書いてあるんだ?」


 古代文字を読むことができないリューナは、幼なじみの魔導士の少女に尋ねた。魔導とは知識である――と言われるからには、自分も魔導士ならもう少し勉学に励むべきかな、と少しばかり反省しながら。


「はい。ここにも刻まれているのは、いままで見つけたものと同じ、とてもとても古い言葉です」


 古代魔法王国グローヴァーが大いなる魔導の力をもって世界を統一するより以前、遥か太古に使われていたという文字だ。魔法王国が滅亡したのが二千年前、その王国が栄えていたのが三千二百年間だから――五千年以上昔に使われていた言語だということになる。


「えぇっと……ヴァンド・リア……ロイア……ヨウラ・メイサリア……ユ・マイン……ファン……トゥリア・エランティス……。欠けてしまってきちんと読めない箇所が多いです。魔法王国の魔法技術ほどの保存能力がないからでしょうか。あちこちがボロボロになっちゃってます」


「ん? ヴァンドーナと聞こえたけど」


 その名は、トルテの曾祖父のものだ。つまり母である『万色』の魔導士ルシカの祖父であり、偉大な師でもあった。の『時空間』の大魔導士は王都や仲間たち、そして孫娘の命を救う為に自らの全魔力を遣い果たし、すでに亡くなっている。


「いえ、違います。『』ではなく『土地リア』と綴られていますから。『尊ばれし(ヴァンド)』に連なっていますので、やはりこの遺跡はとても特別な場所だったのだろうと思います。『尊ばれし地(ヴァンド・リア)』……。『ヨウラ・メイサリア』というのが、ちょっとよくわかりませんけれど、『至る』という意味のあるロイアに続いていますから、このトンネルの先にある場所の名前なのかも知れません」


 古代文字というものは、完全に解読されているわけではない。その言語に関して記されている文献があまりにも少なく、そもそも古代と呼ばれる時代に書物というもの自体が存在していなかったことにも理由がある。実際に遺跡へと赴いた冒険者たちによって発見され、岩や壁に彫られた文字を記録として持ち帰られた分しか解明されていないのだ。


「んん~。こんなトンネル、あったかなぁ……ナルたちが住んでいたときには、ここにはなにもなかったよ。あー……実はそんなにはっきりと憶えてるわけじゃないんだけど、少なくともこんなに雑な造り方した通路はなかったと思うよ」


 ナルニエが不思議そうに首を傾げている。眉間に小さなしわを寄せて悩ましげな表情をしたが、すぐに一転、得意そうな顔になって飛び跳ねた。


「でも、『ヨウラ・メイサリア』って言葉はわかるよ。『浮揚ヨウラ』の状態にある『岩盤メイ』で成り立っている土地っていう意味でしょ?」


「まぁ、ナルちゃんって賢いですね」


「えっへへへぇ」


 トルテに褒められ、ナルニエが満面の笑みを浮かべる。


「ピュルティ、ピピュリティルルル?」


「はい、ここだけ雰囲気が異なる通路になっているのは、理由があるんですよ」


 語りはじめたトルテの髪が、サラリと流れるように動いた。風だ。穿たれた洞穴の奥から――いや、洞穴の向こうから外の空気が流れ込んでいるのだ。湿った土っぽい匂いのなかにも、早春の草原を思わせる爽やかな香りが混じっている。


「この穴は、ひとが造ったものなんですよ。昔々、この場所に住んでいた女性に恋をした若者がいて、この地を離れようとした彼女を追って、拳ひとつで掘り抜いたんだと伝えられています。その若者というのは、伝説に名を刻んだ希代の格闘家スターンマリーというひとらしいです」


「この洞穴をぉお? 拳ひとつで?」


 リューナは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「そういう話ですね。おとぎ話と同じくらいロマンチックな昔語りで、真偽のほどはわかりませんけど。でもテロンとうさまでしたら、ルシカかあさまに逢うためにどっかーんと掘り抜くくらいやっちゃいそうな気がしますね」


「むぅ、確かに」


 トルテの後半の言葉は冗談として語られたのかもしれないが、リューナは思わず力いっぱい頷いてしまった。


 ソサリアの護り手であり王弟でもあるトルテの父は、王国の英雄だ。常日頃は穏やかそうな眼差しをしているのに、隙のない鍛えられた体と優れた洞察力、ひとたび戦闘となれば凄まじく強いのである――格闘の技もだが、内に秘められた闘志も、周囲を護ろうとする決意も、そして妻への想いも。


 幼い反発心を抱いていた国王とも、小言ばかりで落ち着きのない父とも違う、尊敬とあこがれにも似た気持ちが自分のなかにあることを、リューナは感じていた。同時に、好きな相手の父親であるだけに、いつか越えなければならない壁のようにも感じているのであった。


「まぁ……歴史のほうは置いといて、とにかく進もう。ここを抜ければたぶん、頂上に着くと思うんだ。扉はそこにあるはずなんだから」


「ほんとっ?」


 リューナの言葉に弾かれたように顔を上げ、真っ先に駆け出したのはナルニエだ。


「ちょっ、待てよ! 頂上に出たところが安全だとは限らないんだぞッ!」


 リューナは慌てて後を追った。


 洞穴は闇に支配されている。魔法の光はトルテが灯していたものなので、追いついてはこない。けれど前方を進むナルニエの体がぼんやりと光り輝いていたので、リューナはなんとか転ばずに済んだ。上へ上へと傾斜している洞穴内を一気に駆け走り、ようやくたどり着いた薄闇の向こうへと飛び出そうとしていたナルニエを、その直前で捕まえることができた。


「すばしっこいやつだなぁ、まったく。この先が絶壁だったらどうするつも――」


 言葉とともに視線を洞穴の先へと向け、リューナは呆然と言葉を切った。


「なんだよこれ……すっげぇ!」


 眼前に広がった光景に改めて叫んだとき、軽い足音ともに背中に軽い衝撃があった。駆け走ってきた勢いでトルテが突き当たったのだ。押されるように一歩、洞穴の外へと踏み出す。


 途端に、濃密な魔力マナの風が吹きつけてきた。


 はじめに見えたのは、こちらへ向けて雪崩れ落ちてきそうなほどに見事な満天の星空だ。それを背景に無数の岩盤が浮いているという、信じられないような光景が眼前に広がっている。驚異的な光景の向こうに、明けの明星だろうか、光り輝く星がひとつ見える。


 それにしてもこの光景! リューナは止めていた呼吸に気づき、ゆっくりと息を吸い込んだ。まるで星の輝きが地表にあふれ、この世界を色あざやかに彩っているかのようだ。


 伸びやかな緑の草の絨毯や、星明かりに輝く翡翠ヒスイ色の葉を風にそよがせる樹々の煌めき、張り出して絡み合った根や編みこまれた樹蔓が空中に垂れるさまが、視界いっぱいに広がっている。涼やかで透明感のある風が吹き渡り、豊潤な香りが潤いを含んで大気を満たしている――。


「なんてきれい……」


 リューナの背に抱きついたままのトルテの唇から、感歎の囁きと溜息が洩れた。


 ここはまだ幻精界ではないはずだ。けれど現生界にしては不思議過ぎるほどに視界が冴え渡り、遥か遠くに浮かんでいる岩石までもがくっきりと見える。今宵は月のない夜だというのに。


 空に浮かぶ岩盤のひとつひとつは、王都の港に停泊しているどの軍船や商船よりも規模があり、飛び石のように巨岩の間を埋め連なっている岩塊ひとつひとつも民家ほどの大きさあった。広い岩塊の上には、さながら放置されたまま自然に伸びゆく庭園のような、花と緑あふれる光景が広がっているのだ。


「あんなに大きな樹まで……ここが、ヨウラ・メイサリアなんですね」


 おごそかな口調でトルテが言った。やわらかな感触とともに、どきどきと高鳴る彼女の鼓動がリューナにも伝わってくる。瞳を輝かせたトルテがリューナを見上げ……ようやくもたれかかるように寄り添ったままであったことに気づいたようで、慌てたように離れた。


「いい加減はなしてくんないかな、お・に・い・ちゃん」


 襟の後ろを掴んだままだったナルニエから、抗議の声があがる。驚異的な光景に圧倒されていて、すっかり忘れていた。


「あぁ、わりぃ」


 ぽん、と地面に下ろすと、女の子の扱いがどうとかぶつぶつと言われてしまった。ピュイが同意するように鳴き、トルテが吹き出すように笑う。眼前の光景に圧倒されていた空気がいつもの雰囲気に戻り、リューナはホッと息を吐いた。


「それにしても、なんて不思議な場所なんだ。それにおかしいぞ。ここがフルワムンデの頂上なら標高は四千リール(メートル)あるんだろ? それなのに空気が薄くない。それにどうやってあんなでっかい岩が空中にぽっかりと浮かんでいられるんだよ」


 周囲を警戒しながら、リューナは導かれるように歩き出した。足下をくすぐるようにさわさわと鳴る草は、誰にも踏まれたことがないのだろう、隙間なくぎっしりと地面を覆い尽くしている。黄色や紅緋べにひ、純白や淡藤あわふじ色の花々がそこかしこに咲き誇り、うっとりとするような甘い香りを大気に振りまいている。


 背後を振り返ると、大地から突き出した岩塊の側面に大きな穴が開いていた。いましがた出てきたばかりの洞穴だ。その周辺だけは、ぼんやりと闇に沈み込んでいる。


 リューナは魔導の力の宿る瞳を凝らした。なるほど――星明かりのなかでもくっきりと景色が判別できる理由がこれでわかった。この特別な場所が、どのような領域であるのかも。


「ここの岩石には、通常よりも濃厚な魔力マナが凝縮されているのですね」


 リューナの視線を追い、同じ事象に気づいたのだろう、トルテが言った。


「幻精界という世界は、この現生界とは比べ物にならないくらいに魔力マナが濃密なのだと聞きますから。だからあたしたちみたいな容れ物となる肉体を必要とすることなく、獣たちも上位種たる種族であっても、魔力そのもので構成されているんです。そんな世界と繋がっている扉がある場所なんですもの」


「扉が開かれたときに洩れ出てきた魔力マナを吸って、この辺りの岩石はほとんど魔石化しちまったというわけか。俺たち魔導の力を継いでいる者の瞳には、魔力の流れが視覚的に捉えられるからな。それでこんなにくっきりと見えているってわけか」


 リューナは不思議な光景を眺め渡して、その途方もない規模に首を振りながら言葉を続けた。


「魔石化しているのなら浮かせる魔法を付与エンチャントするのも容易たやすかっただろうな。すっげぇ規模だけどさ」


「『飛行フライ』や『遠隔操作テレキネシス』の魔法を、ですか? どなたが行使したんでしょう、なんの為に……?」


 トルテが熱心に彼のほうへ身を乗り出してきたので、リューナは慌てた。


「いや、ごめん。そんな気がしただけだ。だいたいトルテが知らないのに、俺にわかる訳ないだろ。それにさ、『浮揚島』自体は在り得ないことじゃなかっただろ? ミッドファルース大陸が『闇の主神』の渦に呑み込まれたとき、ハイラプラスのおっさんが行使した魔導の技――複合魔法だか知らねぇけど、ものすっげぇ広さの大地を空中に浮かせてたじゃんか」


「現代まで残されていた島ですよね。確かにあの魔法でしたら浮かせることは可能でしょうけど――」


「遺跡も扉も、誰かが造ったものだからな。趣味で景観を絶景に整えてみました、なんていう酔狂なやつが……イテェッ! なにすんだピュイ!」


「ピューリ、リリュティ」


「そうだよ、早く行こうよ!」


「実力行使する前に言葉で言えっての。よっしゃ、行こうぜ、トルテ!」


「あ、は、はい」


 ピュイとナルニエに急かされるようにして、リューナとトルテは再び歩き出した。はじめは風化の心配をして慎重に歩みを進めていたが、すぐにいつもと変わらぬ歩調になった。浮かんでいる岩塊は揺るぎなく大地と同じほどにしっかりとしていて、星明りと魔力マナの輝きのおかげで暗闇に捕らわれて足を踏み外してしまう心配もない。


 夜空は晴れ渡り、雲は遥か眼下で渦を巻いている。星明りに青々と広がる雲海の向こうには遠く隔たった地表があり、静かな夜闇にひたされていた。


 まるで夢のなかを進んでいるような感覚が心細かったのだろうか、いつの間にかリューナの手には繋がれたトルテの小さな手があった。その温もりが、彼におそれを知らぬ勇気を与えてくれる。


 けれど――勇気と油断は違うものだ、とリューナは心の内で自分をいましめた。一瞬の心の隙が、この温もりを永遠に失うことにもなりかねないのだから。


「どうかしましたか、リューナ」


 彼女の顔に視線を向けたときとのリューナの心の内を感じ取ったのだろうか、トルテが心配そうな表情で訊いてきた。こんな表情をさせてしまうのだから、自分はまだまだだな、とも思う。


「いや。ほら、足下、そこ境目だから気をつけろよ」


 飛び石のような岩塊を渡り、フルワムンデ山の頂上からさらに上へ、上へと進んでいった。地表より遥かな上空に架けられた不思議な空の道は、まるで星空を目指しているかのようにリューナたちをさらなる高みへといざなってゆく。


 岩塊は孤島のようにひとつひとつが独自の景観を作り上げていた。高さの揃った低木が小さな迷路のように道を成している場所もあれば、綿帽子をつけた背の高い植物がこんもりと生い茂っている場所もあった。


 蔦の絡まる樹々が揺れる座面や登り甲斐のある足場を形成している広場に差し掛かると、ナルニエとピュイが歓声をあげて楽しそうに駆け回った。


 小さな庭園めいた島が連続する光景にも、やがて終わりが見えてきた。


 堂々とした見事な大樹が一本、広い岩盤を貫いて空中に根を張っている。その最奥の島こそが空に浮かぶ楽園の終着点であり、リューナたちの目指している場所であった。


 魔力マナの輝きはいよいよ濃くなり、大樹の存在はいまや夜空に輝くひとつの星のごとく眼前に君臨している。浮揚する岩塊の向こうに見えていた明けの明星は、この大樹であったのだ。



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