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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第六部】 《古代龍と時の翼 編》
176/223

エピローグ2 幸せのかたち

 始原の世界。それは、生まれたばかりの現生界だ。


 洗練されてはいないがどこまでも伸びやかな、自由奔放たる緑のすこやかさ。制限のない流れのままに地表を満たすやわらかな水の輝き。生まれたばかりの生命が、さまざまな形態へと変化しながら無限の可能性を探っている。


 そのなかを飛翔する巨大な影があった。龍だ。


 最初に個として確立した始原の存在。龍は生命と可能性に満ちあふれた世界を、喜びのうちに翔けていた。その姿はひとつではない、つがいとなる仲睦まじい様子の一組である。二体の龍は、温もりあふれる大地で卵を抱いた。ふたりの愛、新しい生命――父と母はにっこりと微笑みあい、慈しむようにそっと卵を見守っていた。


「在りし日の龍たちの姿か」


 テロンは声なき声で囁いた。現実感を失った世界で意識だけの存在になったかのように浮かんだまま、龍たちの生涯を眺めていたのだ。傍にはルシカの存在を感じている。彼女が『時』の魔晶石の力を使って見せている光景なのだ。


「そう……けれどやがて悲劇が起こったの。生まれたばかりであるがゆえに荒ぶる大地が、あるとき卵と母龍を呑み込んでしまった。そのいのちを奪ったのは地中から噴き出した毒性の強いガス。残された龍にも手の施しようがなかった……」


 やわらかな気配がテロンをそっと取り巻く。ルシカの気配は声をともなわぬ言葉で語り続けた。


「残された龍はいとしい家族の復活を望み、自分だけでは生きていられないと感じて永い永い眠りについたの。孤独と絶望は、奥さんとまだ見ぬ我が子を失ったことで龍の心を粉々に砕いてしまった。いつの日か失われたいのちを復活させ、再会できることを強く、強く願い……自らの生命活動を『凍結』したの。願いを叶える方法を、脅威のまなこで探りながら」


「長い年月の間に世界中を探りゆくうち、魔導の知識や知恵を得たというわけか」


「そう。そして自分が神のように崇められていることを知ったとき、神界に住まう神々の存在を知り得たの。ひとびとが神にこいねがった奇蹟を見て、神の力があれば失われたいのちを取り戻せると信じたのよ。だから獲得した魔導の力を使い、長い年月をかけて準備を整えてきた。孤独からの『解放』を願って……。でもこれで、あなたの孤独は終わりとなるわ、古代龍」


 最後の言葉は、テロンではない別の意識に語りかけられたものであった。その言葉が空間に広がり、吸収されたとき、世界が変化した。いや、過去の幻影が消失したのだ。目の前に、魔導の技を行使しているルシカの姿がある。


 テロンは見た。ルシカの差し伸ばした腕先から導くような光が生じ、天高く昇ってゆくのを。古代龍の巨躯が崩れるように力を失い、砂埃を立てて入り口の礫岩の上に覆いかぶさる……。


 天空と地上を結びつけた光の筋は、舞い上がった砂煙を、数多あまたの星屑か光の粉のごとく煌めかせた。それは夢さながらの光景。いつか目にしたことのある……そう、『打ち捨てられし知恵の塔』でルレアとヴァンドーナの魂が旧友の魂を冥界へと導いたときだ。


「次元を渡りゆくための道か……!」


 その光の道のなかに、薄明るい影がひとつあった。大きな体躯をもつ美しいものが一体、ゆっくりと降りてくる。虹色の色合いに透ける鱗をもつ、しなやかな体躯の素晴らしい龍だ。その姿かたちは、テロンたちの背後にある骨格の血肉をもった姿を思わせた。


「古代龍が……」


 誰かのつぶやきで、全員が倒れ伏したままの古代龍を見た。畏れを感じたような誰かのため息が聞こえる。テロンは息を詰め、目の前で起こっていることのすべてを見届けた。


 ゆっくりと、まるで重力のくびきを感じさせぬほどすずやかに、古代龍が起きあがっていた。いや、体そのものは残っている。まるで肉体から解き放たれた魂そのもののような影は、天から降りてきた龍と同じような光の影となって、上へ、上へと、昇っていく。道の途中で待っていた光の龍がそれを迎え、ふたつの影は溶け合うようにやわらかな光そのものとなり、煌めきとなって道の先へと消えてゆく。


 やがて道は細くなり、天空から降りそそぐ穏やかな陽光のなかに溶け消えた。あとには、爽やかな風が吹き渡ったかのように心地の良い空間が残っているのみ。


「ルシカ……古代龍たちが消える直前――」


 テロンは気づいたのだ。龍たちが光そのものとなる直前、その眼差しが、テロンたちの立っている洞穴の奥に向けられていたことを。


「ええ。それに、小さな龍の影がなかった……つまりそれは」


 そのルシカの言葉にピンときたものがあったのだろう。トルテがすぐに駆け出した。『卵』に向かって。


 走り寄ったトルテは卵に手を触れて身を預けるようにしてもたれかかり、耳をすべらかな表面に押し付けた。そしてすぐに身を起こし、言った。


「ルシカかあさま! 生きています、この卵! だからふたりは連れて行かなかったんですね。それに、中からかすかですけれど音がしているみたい」


 その言葉を聞いたルシカが駆け寄り、娘の横に膝をついた。テロンもルシカと一緒にかがみこむ。テロンの耳にも確かに聞こえた――確かにいま、カサリと音がした。まるでちいさく尖ったものが何かを引っ掻いたような。


 テロンはルシカを見た。彼女はオレンジ色の瞳を卵に向け、表面に触れさせた手のひらで何かを感じようとしている。生命は、それぞれに独自の魔力マナの流れを持っているものだ。そして魔導士の瞳は、魔力マナの流れを視覚的に見ることができる。だからであろう、マイナも駆けつけてきた。


「助かりますか? 龍の赤ちゃん」


 問いかけたマイナに、ルシカは眼差しに力を込めて応えた。


「やってみましょう」


 魔導士であるルシカと娘トルテ、そして兄の婚約者であるマイナは、互いに支えあうようにして卵を腕に抱き、持ち上げた。咲き初めの花のようなルシカの唇が震え、そっと開かれる。出てきたのは、歌だ。


 低く、高く、ゆったりと紡がれてゆくメロディー。大地を潤おし冬の終わりを告げる清冽せいれつな春の雪解け水のように、安らぎと友愛に満ちた力ある言葉の連なり。種が芽吹くためのきっかけを与える、ぬくもりの息吹いぶき……。


 それは魔法歌であった。


 魔獣『海蛇王シーサーペント』をも魅了したその歌は、魔導の力を継ぐ者のみが発音できる『真言語トゥルーワーズ』によって綴られるものだ。魔法王国の建国のとき、神界へ到達したはじまりの王たちが手に入れた力のひとつであった古き魔法。それは争いをしずめいのちを育む特別な歌であり、ひとびとの生活に一番身近な歌でもあった。


 ルシカの細い喉から紡がれゆくその歌に、トルテとマイナの声が重なり、溶け合って空間を満たした。その場で耳にしていた者すべてが動きを止め、その歌に聴き入っている。


 歌は卵に告げていた。――さぁおいで、出ていらっしゃい。心配することは何ひとつないわ。あたしたちが傍にいる。あなたはひとりじゃない……!


 テロンは眼を見張り、まばたきをして、卵を見つめ直した。見間違いではない。卵が震えていたのだ――誕生の喜びに、生への期待と憧れに。もはやひとときもじっとしていられないとでもいうように、コツコツと、ガツガツと音までもが響いてくる。


 ルシカたちは声を調和させるように歌い続けながら、そっと卵を下ろした。卵が割れるのを、この上もなくあたたかな眼差しで見守っている。魔導の力を継承する娘たちによって紡がれる歌に導かれ、脚が、翅が、鼻づらが殻の下から出てきた。


 小さな体が伸びをして、ピュイィ、と鳴く。警戒のかけらもない、あどけないしぐさ。


「可愛い」


 トルテが微笑み、その生き物をそっと抱き上げた。歌の余韻とトルテの笑顔に心奪われていたリューナが慌てて腕を伸ばす。


「お、おい。大丈夫なのか? だってそれは……龍、なんだろ?」 


 ピュイイィ!


 警戒するように声高く鳴かれてしまい、リューナはばつが悪そうに手を引っ込め、頬を掻いた。全員が朗らかな笑い声をたてる。やわらかな体躯をもつ龍のみどりごは、フニャア、と得意げにみえる欠伸をひとつした。


「チェッ、まるでスマイリーのときを思い出すなぁ」


 リューナがぼやいた。ルシカと視線を合わせて微笑みあったテロンは、ふともうひとつ増えている気配に気づいた。背後に連なる龍の骨の陰から現れた人影に視線を向ける。その人物はおずおずと足を進め、光の当たる場所に歩み出た。全員が気づき、振り返る。


「エオニア……ッ!」


 ディアンがふらりと一歩を踏み出す。瞳を見開いてその人物を見つめ――つんのめるように駆け寄った。抱きつかれた少女が驚きのあまり小さな悲鳴をあげる。その声で我に返ったディアンは体を離し、まじまじと相手を見つめた。喜びに輝いていた表情が、憂いを含んだものになる。


「エオニア……やはり君は」


 リューナとトルテも傍に駆け寄った。


 薄桃色の長い髪に薄赤く澄んだ両の瞳。頬と着衣は砂埃と涙の跡に汚れ、それでも可愛らしい顔立ちと快活そうな眼差しが本来の明るい性格を反映している。南の隣国タリスティアルに多い陽に焼けた小麦色に近い肌、背に畳まれた白い翼……。けれど背丈は記憶にあるほどに高くなく、歳はトルテと同い年ではないかと思われた。


「わたし……の名前は、確かにエオニアですけれど」


 少女は声を発し、自分の声に励まされるように言葉を続けた。過ぎ去った恐怖に対する頬の強張りがほぐされていくように、言葉は次第になめらかなものになっていく。


「昨日の朝、わたし導かれるようにこの地へ来たの。何かが起こるような、胸がざわざわするみたいな感じがして。そうしたら伝説に聞いていた古代龍がいて、殺されちゃうかと思った。そのとき、そこにいらっしゃる女のひとに遠くから助けられて、逃げて逃げて、ここまでたどり着いたの。教えてもらったように気配減じのまじないを実行して。ずっと隠れてた……」


 その言葉で仲間たちはみな、この少女が助けを待っていた隣国の魔導士であることを理解した。視線を受けたルシカが進み出る。


「無事でよかったわ。遅くなってしまって、ごめんね」


「いいえ。助けていただいたこと、本当に感謝しています。あなたも魔導士ですよね。わたしも魔導士なんです。『解放』なんていう、ちょっと聞き慣れない魔導の名を持っていますけど」


「そっか……そうなんですね。エオニアさんはこの時代のひとで、未来に送り込まれる前の――『従僕の錫杖』を封じられることもなかった、本来のエオニアさんなんですね」


「ディアンと過ごした記憶も想い出もない……。でもこんなのって……! ディアンはあんたを助けようとして二度も危険を顧みず敵の本拠地に!」


「いいんだ、リューナ。彼女に無理強いするつもりはない。彼女の人生は、彼女のものだ。僕はエオニアが無事で、こうして生きていてくれただけで、本当に嬉しいんだ」


 ディアンはそう言って、やわらかに微笑んだ。リューナがまだ言葉を続けようとして親友の顔を見つめ……そこに現れていた想いに口を閉ざす。


 テロンには青年ふたりの気持ちがよく理解できた。リューナの友を大切に思い遣っている気持ちも、ディアンの深い愛ゆえに身を引こうという気持ちも――。思わず口を開きかけたテロンの手に、ルシカのほそやかな手が添えられる。視線が合った妻は、ただ静かに微笑んでいた。彼女にはわかっていたのだ。戸惑うばかりであった少女の、気持ちの変化を。


 エオニアは先ほどとは全く違う眼差しで、改めて目の前に立っている同族の青年を見つめていた。青年の純粋な想いに惹かれたのだ。愛するひとの幸せを何よりも優先している、無償の愛――これが恋せずにいられようか。


 つっかえながらも、彼女は言った。


「あ、あの。もしよかったら話してください、わたしに。わたしたちが過ごしたという日々を。記憶はありませんが、聞きたいです。そしてあなたのことをもっと知りたいんです。教えてください、ディアンさん」


「うわぁっ! それってとても素適なことですよね。ねっ、リューナ!」


 トルテが明るい声で言い、手をパンと打ち鳴らした。その輝くような笑顔を向けられたリューナが「あ、ああ」と慌てて返事をしている。トルテは嬉しそうに頷きながら、言葉を続けた。


「ハイラプラスさんが『憂えることはない』とおっしゃっていたのは、このことだったのですね」


「――そうですよ。さすがトルテちゃん」


 聞き慣れない声に驚き、いぶしげに周囲を見回した仲間たちの眼前で、さらに驚くべきことが起こった。


 倒れ伏したまま息絶え、そのまま残されていた古代龍の巨大な体躯が光となって消え失せたのだ。空中に散じた光は再びこごり、人間の姿をした。光が弱まり、色彩が戻る。中性的に整った顔立ちと長身、さらりとクセのない銀色の長い髪、オレンジ色の希有けうなる色彩をもつ瞳――今度は影も質量もある実体となって現れたその人物は、ディアンも、そしてリューナとトルテもよく知っている人物であった。


「え、えぇぇええッ? ハイラプラスのおっさん!」


「おっさん、は聞き捨てなりませんが。まぁ仕方ないですかねぇ。わたしも相当な年月を経ましたから」


 顎に手を当ててのほほんとそう言った後、にこにこと満面の笑みになって歩み寄ってくるのは、言葉とは裏腹に外見の変化などまったく見られない銀髪の青年――。


 『時間』の魔導士であり研究者である、ハイラプラスそのひとであった。





「あなたがメッセージの本人……王国末期の魔導士」


 テロンは己が眼を疑った。だが、傍らの妻が、いかにも事の次第をわきまえているように落ち着いているのを見て、すぐに得心した。おそらく彼女にはわかっていたのだろう。もしくはあらゆる可能性を考慮してみて、結論に至っていたのかも知れない。


「無事だったのですね、ハイラプラス殿!」


「やぁ、ディアン。私がそう簡単にやられる訳がないじゃないですか。喰われて取り込まれたと見せかけて、実は自らを古代龍のなかに保存していたのです」


「そ、そんなことが。あ、ありえねぇ……」


「何言っているんですか、リューナ。君に伝授した『物質生成クリエイト』という複合魔導の技を編み出したのは、この私なのですよ? その逆もまた然りです」


「トルテがやってたような応用技か。どんだけ人離れして、おまけに人騒がせなんだよ」


 リューナは不満そうに唇を突き出した。心配して損したぜ、とかつぶやいたのが耳に届き、テロンは思わず微笑した。ハイラプラスがぐるりとその場の全員を見回し、迷いのない歩みでテロンの近くまで来て、足を止めた。ルシカの前だ。


「お初にお目にかかります。あなたがルシカさんですね。いやぁ、一度は是非お会いしてみたいという、わたしの願いが叶いましたよ」


 ハイラプラスは親しげな口調でそう言い、腕を胸にあて腰を折るように頭を下げ、王国期の正式なお辞儀をした。顔をあげたときリューナとトルテにウインクをして寄越す。


 ルシカも膝を曲げるようにして優雅な礼を返し、にっこりと笑った。臆することのない明瞭な発音で応える。


「あなたのご活躍は、文献のあちこちで見て感服していました。今回の危機を脱することができたのも、あなたの導きがあったからこそだと思っています。ありがとう」


「とんでもない。そのためには、あなたの類稀なる魔導の力が必然だったのですから。過去からと現代からの知恵者の連携。素晴らしいことですよね。そして愛する者を思い遣る気持ち、友人との絆、民を守り抜くための采配――そのすべてが必要だったいうわけです」


 『時間』の魔導士は語りながら、リューナやトルテ、ディアンとエオニア、メルゾーンとシャール、そしてソサリアの国王であるクルーガーとマイナを見つめた。そして最後にテロンの瞳を見つめ、右手を差し出した。


「そして皆を護り、繋ぐことのできる者の存在が必須でした。トルテちゃんの強い意志はあなた譲りのようですね、テロン殿。お逢いできて光栄ですよ」


「こちらこそ。そして、この時代にようこそ。歓迎しますよ、ハイラプラス殿」


「ありがとう」


「なんでぇ、一気に魔導士が増えやがったな。これで未来は安泰で魔術師なんか用無しだってことにならないといいんだが――イテッ!」


 メルゾーンが要らぬ横槍を入れ、妻のシャールに足先を踏まれて飛びあがる。そのあと、しばし片足で跳ね回る結果となった。「懲りないんだから」とルシカが笑いを含んだ声で言って舌を突き出す。


「おや。そういえばこの時代では魔導士の存在は珍しいと聞いていましたが。でもすでにこれだけ魔導士がいらっしゃるみたいですし、ふたりほど増えても何の支障もないのでは? だって――」


 ハイラプラスがにこにこと変わらぬ表情のまま、さらに口を開こうとしている。ハッとなった様子のリューナが慌てて「お、おい……ちょっと」と口を開きかけるが、間に合わなかったようだ。


「リューナくんも魔導士ですし、トルテちゃんもいます。未来へつながる若者に、こんなに向上心と力のある素晴らしい魔導士が育っているのですから――って、おや? 私は何かいけないことでも言ってしまいましたか?」


「ちょっ、まずいんだよ! 親父にそれを聞かれたら――」


 リューナが大声を出し、悪びれたところのないハイラプラスが首を傾げる。父である魔術師メルゾーンが眼を血走らせ、ずずずいぃっ、と息子リューナに詰め寄った。


「なッ、んだとおぉぉ? リューナ! それはいったいどういうことだッ。おまえまさか自分が魔術師じゃなく魔導士だから、こっちの勉強をいろいろさぼっていやがったってことなのかあッ!!」


「そ、そういうわけじゃねぇったら!」


 掴みかかるメルゾーンの腕をかわしながら、リューナが「トルテ、見てないで何とかしてくれよ!」と叫んでいる。そんなドタバタの渦中で、トルテはきょとんとまばたきを繰り返し、小首を傾げて無邪気にハイラプラスを見上げた。


「それよりハイラプラスさん。ひとつ伺っても構いませんか? どうして過去が未来を変えることができるのに、現代を変えることはできなかったのでしょうか。古代龍には、そんな選択も選べたのではありませんか?」


「それは簡単なことです。私の提唱している『パラドックスの回避』のことでしょう? ――全ての時間軸は、通過してきたものの延長にある。すなわち、その根源を変えて他と結びつくことはできない。過去への介入がなされても、別の方法で現代に起こる事象は必ず実現されるということなのです」


「やはり、そうなのですか」


「どういうことだ? 何の会話かさっぱりわからんぞ。俺たちにもわかるように説明してくれるとありがたい」


 ルシカと同じく、人一倍、好奇心旺盛な国王クルーガーが入ってきた。


「現在の者が過去に飛んで歴史を変えようとしても、現在に起こった事象は変わらないということなのです。けれど、未来は違います。現在の者が未来に飛ぶことで、現在という事象が変化するわけですから。最終的に決定されるのは、時間の流れがそこに到達したときです。リューナとトルテちゃんが現在から未来に飛んだ時点で、未来は不確定なものになったんですよ」


「つまり古代龍にとっては、トルテとリューナのふたりが未来に飛んだことを『知らなかった』ことが誤算となったわけなのね。『歴史の宝珠』はそのために投じられた一石だったと」


「その通りです、ルシカさん。現在は過去を変えることはできない。過去は現在を変えることができる。そして現在は未来を決定してゆくことができるのです」


 ハイラプラスがそう言ってニコリと微笑んだとき、リューナが戻ってきた。


 少し離れた場所で、メルゾーンが両膝に手をついてうつむき、肩を激しく上下させながら立ち止まっている。息子のほうは疲れた様子など微塵もないが、父親のほうはすっかり息があがったらしい。


「運動不足のようだなァ、園長さん」


 クルーガーが茶化すと、メルゾーンは気合いで上体を引き起こした。まだどこにそんな元気が残っていたのやら、ふんぞり返って甲高い大声で怒鳴る。


「学園長と言え! どこかの保育園かと思われちまうだろ。それに俺は、頭脳と魔法が専門だと言っただろうがッ!」


「それは初耳だな」


 クルーガーがニヤニヤと笑いながら応える。そんな光景を、ハイラプラスが「いやぁ、賑やかですねぇ」と妙に愉しそうな表情で眺めていた。ディアンとエオニアも顔を見合わせたあと、ふたり一緒に吹き出すように笑う。


「おじさまたち、とても仲良いんですのね」


「あれを、そう言うのか?」


 伯父たちの遣り取りを興味深そうに眺めていたトルテが言い、リューナは顔を手で覆いながらため息をついた。


 トルテはふと思い出したようにハイラプラスのほうを向き、大きな瞳を懸念に曇らせて口を開いた。


「でも、未来のひとたちはどうなってしまったのでしょう。ラハンさんやルミララさん、ラスカさんたちは?」


 問われたハイラプラスは、ほんの僅かだけ驚いた顔になり、眼を細くして目尻を下げた。それは優しさとあたたかさに満ちた、心からの笑顔であった。


 『時間』の魔導士は少女に答えた。


「彼らの未来はこれから作られるのですよ。まさにわたしたちのいる現代の、その延長にあるのが未来なのですから。他でもないあなたたちの紡いでゆく、未来なのです」


「わたしたち……の?」


「そっか。俺たちの未来が繋がっているんだ……」


 トルテとリューナが納得したようにつぶやいたとき、ふたりの肩に大きな手がポンと置かれた。国王クルーガーだ。


「ならば俺たちでより良き平和な世界を確立し、後世に伝えてゆかねばならない、ということだ」


 ふたりの顔が輝く。


「あぁ、そうだな!」


「はいっ!」


「戻ったら、まずは都市の復興と森の復活ですよね。わたしも手伝います、クルーガー。魔獣たちも森の一部ですもの。みんなも協力してくれると思います」


 頬を染めたマイナが勢い込んで口を開き、シャールも胸の聖印に手を当てながら穏やかに言った。


「自然の再生力は、私たちが神々に祈ることと同じくらい素晴らしいものですわ。心を合わせて取り組めばすべてが良い方向へと叶ってゆくはずです。神々の奇蹟というものは、そうやって起こされてるものなのですから」


 ルシカはクルーガーに歩み寄り、義兄でもある無二の友に向けて囁いた。


「それに結婚式の準備も進めておかないと。国王は民の心の支えであり、希望の象徴なんだから――というのは宮廷魔導士としての意見。クルーガー。十五年も待ったんだもの、幸せになって欲しいの……自分たちのことも大切にしてね」


 クルーガーは眼を見開き、ルシカを見つめた。次いでこの上もなく嬉しそうな表情で口を開く。


「案ずるな。国と民と愛する者と。すべてを幸せにしてみせる。そのためにも――」


「まずは、おなかいっぱいのご飯ですね!」


 元気な声が割って入った。傍の地面で、賛同するように龍の子どもがピィ、と鳴く。


「おまえ最近食い意地張りすぎだぞ、トルテ!」


「あたしも早く大きくなって、リューナくらい背が高くなりたいんです」


「お、俺くらいッ? それはやめとけよ、トルテってばおい!」


 トルテが明るい声で笑いながら、蝶のようにひらひらとリューナの伸ばした腕先をすり抜ける。岩に跳び上がったとき、ズルリと足もとを滑らせた。リューナが慌てて少女の体を抱きとめ、掴んだ部位がまずかったのか顔を真っ赤にして慌てふためいたので、自らも足を滑らせてしまう。


 リューナの上に覆いかぶさるように倒れたトルテは、リューナの瞳をじっと見つめて穏やかに言った。


「だって、歩く早さを同じにしたいじゃないですか。行きたいの、どこまでも。リューナと一緒に」


「ッテテ……て、え? そ、それって――」


「あたしもリューナのこと、大好きですから!」


 少女は無邪気にそう言って立ち上がり、倒れていた青年に向けて手を差し伸ばした。驚いた顔のリューナが少しだけ逡巡したあと、ニッと笑ってその手を掴む。トルテは大真面目に力いっぱい引っ張って、青年が起き上がるのに手を貸した。


「いつまでも頼ってばかりじゃなく、あたしもリューナと対等なパートナーになります。遺跡でも魔境でも世界のどこでも、一緒に行きましょう!」


「あらあら。そういうことらしいわよ、テロンとうさま?」


「どうもこうも。トルテは言い出したら聞かないからな。ルシカと一緒で」


「どんなときでも決してあきらめないのは、テロン譲りなんだから」


「美人なところはルシカ譲りだ」


 テロンは言葉を返してから、コホンとひとつ咳払いをした。そして尋ねた。


「そういえば、ルシカ、『時』の魔晶石はどうなったんだ?」


「ここにあるわ。あまりに遠い太古の光景を甦らせたことで、もうほとんど魔力マナは残っていないけれど、十五年前の光景を映し出すくらいは残存している分で足りると思う。ミディアル都市管理庁のひとたちには朗報かな?」


「そうか、それは良かった。ミディアルのひとたちにも、兄貴たちにとっても」


「ふふっ、あなたらしい気遣いね」


 ルシカはオレンジ色の瞳を細めるようにして笑い、テロンの腕にたおやかな腕をすべり込ませた。王都ミストーナの『千年王宮』へ戻るため動きはじめた仲間たちを追って、ふたり並んで歩き出す。


「好きな相手、愛する者が元気で暮らしていて、そして自分も一緒にいられるなら――それはとても幸せなことだよな。俺はそう思うよ、ルシカ」


「あたしも同じ気持ち。本当にそう思うわ……テロン」


 テロンは穏やかに微笑み、寄り添ってきたルシカの肩を抱き寄せた。長身をかがめるようにして、やわらかな唇に、自分のそれをゆっくりと重ねた。


 互いのぬくもりを確かめ合って顔をあげ、遠く広がる故郷の大地と海と大河を眺め渡し、ふたりは王国を護り支えていく決意を新たにしたのである。





 季節は紅葉と雪の季節を過ぎ、暖かな春を迎えた。


 鏡のような流れを取り戻した大河ラテーナの流域では森林や咲き誇る花々が太陽の恵みを謳歌し、親しき魔獣の守る三角江エスチュアリーでは群れなす魚の銀の煌めきが駆け回っていた。盛大に執り行われた国王婚礼の夜には、『千年王宮』の上空を絢爛けんらんたる真紅の花火と魔導の虹の架け橋がいろどったという。


 聡叡そうえいなる双子の王と王弟は、それぞれの愛妻である魔導士の娘たちとともに、ソサリア王国を永く賢明かつ平和のままに治めたと伝えられている――。





――古代龍と時の翼 完――



1年間ありがとうございました!


ここまでこられたのは、みなさまのおかげです。

思いがけず頂いたすてきなレビュー、あたたかい励ましの言葉、貴重な感想、評価やポイント、本当に感謝で胸がいっぱいです。

この物語は【完結】となりますが、冒険はまだまだ続きます。

またどこかのタイミングでご紹介できればと願いつつ。


お世話になったすべてのかたに、心より御礼申し上げます。

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