5章 相容れぬ存在 6-14
「ねぇ、ティアヌ! ここに古代龍が攻めてくるかもしれないんでしょ?」
「そう聞きましたよ。だから先ほどギルドでディドルク殿がパーティを編成して統括し、リンダと一緒に出て行ったのです。国家からの依頼ということで報酬が良いのだとか」
「報酬のことなんかどうだっていいの! ルシカたちはもう動いているんでしょ? わたしたちもすぐ合流しなきゃ――」
「いまは合流できませんよ、リーファ。それぞれが役割を持って動いている最中でしょうから、すべてが整うまで誰が何処にいるかなんてわかりませんって」
ミディアルの通りの一角で言い争っている一組の男女がいた。ひとりは薄青色の髪と瞳をして、丈の長い衣服を纏い杖を手にしたエルフ族の男、もうひとりは栗色の髪と琥珀色の瞳をして、薄い異国風の布を重ねた衣装と短剣を携えた人間族の女である。
「もうっ! 何でそんなにティアヌは呑気なのよっ!」
「リーファのほうが落ち着いたほうがいいですよ」
リーファと呼ばれた女性が石を敷き詰めた街路を踏み鳴らし、ティアヌと呼ばれたエルフが両手を穏やかに突き出して相方の激昂を懸命に宥めようとしている。
そんなふたりの間に、小さな影が割って入った。
「リーファ、ティアヌ。けんかしている場合じゃないよ。ぼくだけでは一度にはこぶのむずかしいんだ。手伝ってくれないとこまる」
影の主はトット族だ。ミルク色をした卵形の胴体、つぶらな瞳、小さな手足、頭頂からは角が一本突き出ている。通常、彼らは彼らの間でのみ通じる言語を用いており、大陸共通言語ではたどたどしい発音になってしまうのだ。見かけは愛くるしいが、これでも彼は立派なおとなの年齢である。
加えていえば、このトット族の青年は彫金ギルドでも代表的な存在であり、ソサリアの宮廷魔導士と共同して魔導器を作っているという、ミディアル――いや、この大陸でも有名な細工師なのだ。
「わかっているわよ、マウ。だから急がなきゃって、いまティアヌに言ってたところなの!」
それにケンカじゃないんですからね、とリーファは腕を組んで言い放った。マウがギルドの保管庫から運んできた筒のようなものに歩み寄り、両手いっぱいにかかえて歩き出す。小柄な体格に似合わず筋力があるのだ。彼女はフェルマの民なのだから。
かかえた荷に埋没するようなリーファの背に、残されたエルフ族とトット族の青年は大きなため息をついた。
ティアヌとマウは視線を合わせ、互いの瞳のなかに共通する思いを見て苦笑をもらす。残っている荷物をふたりで分け合って持ち、すたすたと進んで行ってしまうリーファの背を追いかけて歩きはじめる。
「リーファは、ルシカたちのことが心配なんですよ。僕もすぐにでも合流したいくらいなのですが」
「じゃあ、なぜ合流にはんたいしているの?」
「反対しているわけじゃありません。相手は古代龍なのですよ。僕のいた『隠れ里』にも伝説が伝えられている始原の存在です。正面切ってドッカンとぶつかっても勝ち目がなさそうなのはわかっていますから、クルーガー陛下やルシカはいまごろ手段を講じて動いているに違いありません。いま合流しようとすれば、確実に足手まといになります」
「ティアヌはそれを、リーファにきちんと説明してあげないの?」
「もちろんリーファだってわかっていますよ。だからこそ、少しずつでも発散させて爆発しないようにしているんです」
「そうなのか……。ふたりはおたがいにわかりあっているんだね」
「当たり前ですよ。――だからこれを届けるという役割をきちんと完了させたら、僕たちはルシカたちのもとに向かいます。マウはエルフ族の部隊のもとで待機するんですよね?」
「うん。まんいち不具合があれば、直せるのはぼくしかいないからね」
ティアヌたちが抱えているのは、弓と矢を収納した筒であった。弓の表面に繊細かつ複雑な紋様を刻みつけるため、凄まじく腕の良い細工師にしか造り出せない品『魔導弓』が封印されている。宮廷魔導士であるルシカが考案し、細工師のマウが作り出す、魔導による魔法を矢に乗せて射ることのできる武器である。
限定的ではあるが、魔導の技を魔導士でなくても扱えるようあらかじめ魔法陣として道具に刻み込んで具現化する――それらはまとめて魔導器と呼ばれている。技術そのもののことを人造魔導と呼ぶ者もあった。
いま現在、この魔導器を造り出せる者はマウしかいない。もっとも、彼の幼なじみの竜人族の少女がひたむきに修行に励んでいるので、製造できる人員がもうひとり増えそうな展望ではあったが。
「そういえば、リンダはもう配置に着いているのですか?」
「うん。ディドルクおじさんの勢いを抑えておけるのは、彼女しかいないし。南門の外側と内側で待機しているはずだよ」
「若いのにリンダも苦労性ですねぇ。――むむ。何ですかマウ、その眼つきは?」
「いやぁ。ティアヌってば、まるで他人ごとみたいに言ってるんだもの」
「……僕、苦労していますっけ?」
「うん。ぼく訊きたかったんだけど、リーファにさ、ケッコンの申し込みはしないのかなって」
「ななななな、なんです突然ッ?」
「もしするのなら、贈り物はぼくが彫金で作ってあげるから、その時は相談して――」
「――ちょっとあんたたち! 何のんびり歩いているのよ!」
前方から容赦のない叱咤が飛んできた。ティアヌとマウは飛び上がるように返事をして、慌ててリーファの後を追いかけていったのである。
湖底に遺跡都市デイアロスがあったとされるディーダ湖とミディアルまでの間には、古代魔法王国期より忘れられた遺跡が多く存在する。ほとんどが大森林アルベルトの緑に埋没しているが、幾つかは現存の建造物として残っている。
そのうちのひとつ、なかば森に埋もれかけた緑の遺跡。その中央の開けた場所に、古代龍を迎え撃つための陣容――その最も中心となる司令部が設けられていた。
中央に張られた天幕で、クルーガーが周囲一帯の地図が広げられた台を前に報告を受け、各方面への詳細な指示を伝令の者や兵士たちに与えていた。
「必要となる魔術師の数は揃ったか? 陣容はどのくらい整っているのだ」
「必要とされた枚数の障壁を維持できる人数は確保できました。現在すでに待機状態です。ミディアルの南西に四枚分、きっちりと隙間なく展開できるかと」
「よし。――エルフ族の射手たちの部隊はどうなった?」
「全員配置につきました。『魔導弓』につきましても、ミディアルのマウ殿から三十セットが届けられている頃かと思われます。それから、そのマウ殿からギルド経由で先ほど届けられた品がこれです。各部隊に、攻撃開始の合図を伝えることができる魔石になります。陛下が総指揮を執られるとのことなので、お受け取りくださいますように、とのことです」
「ありがたい。ルシカが考案したものをこうして実際に造ることができるのは、いまのところ彼のみだからな。しかしあの小さな職人が、これほどまでに比類なき大きな力を生み出すほどの存在になろうとは」
クルーガーは口の端に愉しそうな笑いを浮かべた。トット族のマウとは顔見知りであり、彼が子どもの頃から知っているゆえに、その成長ぶりにはこそばゆい嬉しさを感じてしまうのだ。まるで歳の離れた弟の偉業を聞かされているかのような。
「クルーガー!」
弾むような声がして、天幕の入り口が開かれた。入ってきたのはマイナだ。魔法使いというと丈の長い衣服を好んで着用するイメージがあるが、彼女は若さとその役回りゆえに、丈の短いものを好んでいる。いまも袖のない上着に膝までもないショートパンツを履き、健やかに伸びた肢体を惜しげもなく外気にさらしていた。
彼女の魔導の名は『使魔』。魔獣たちと心を通わせ、また従わせることのできる力だ。専門分野としての力が魔獣使いのものに限定されるので、行使できる魔導の技は中位までに限られてしまう。だが、魔獣使いとしての力はそれをカバーしてなお上回るほどの戦力を有していた。
「マイナ。魔獣たちは配置についたのかい?」
「はい! 魔竜二体と魔狼五体、指示に従ってくれました。プニールはわたしに付き添ってくれて、いま外で待っています」
クルーガーの問いに応じて勢い良く頷いたので、マイナの結い上げた黒髪がぴょこんと揺れた。外に犬でも待たせているような軽い口調であったが、プニールはすでに大きく育ち、全長十リールに達する立派な魔竜である。マイナの魔導の力によるはじめての仲間であり、また、塔に封じられている間もなお心の繋がりが途切れなかった魔獣だった。
名を呼ばれたのが聞こえたのであろう、プニールが天幕の一部を捲り上げるようにして鼻先を突っ込んできたので、マイナと兵士たちが慌てた。
「きゃっ、プニール! ダメでしょ、外で待っててくれなくちゃ」
「いいさ。プニールには俺が戻るまでの間、マイナを護っていてもらうのだからな。男同士の頼みだ――マイナのこと、頼んだぜ!」
クルーガーは顔色ひとつ変えず、天幕に入り込んだ巨大な頭部の鼻先を親しげに叩いた。
クルルゥ、とプニールが穏やかに啼いて同意する。それでも天幕の内部には鼻息による風が渦巻き、さまざまな物品や地図の類が散乱する騒ぎとなった。
クルーガーは天幕の外に出て周囲を取り囲むような遺跡の一角を見あげ、プニールを手招きするように呼んだ。傍に立っていたマイナを抱き上げ、プニールが近づけてくれた鼻先を「ちょっと借りるぞ」と蹴るようにして一気に遺跡の壁上へと跳び上がる。
そこは遺跡で一番高い場所であり、展望台のようになっている場所だった。石造りの足場もしっかりとしている。陽光をいっぱいに浴びた日向の石の温かさと、割れ目から伸びている自然の緑の匂いに包まれている。そこに、『転移』の魔術の為の魔法陣が白い粉のようなもので描かれていた。
「『転移』の魔法陣も用意できたしな。各陣容も整いつつある。あとはテロンとルシカが合流すれば、いつ古代龍が襲ってきても対処できるぞ」
「この魔法陣はクルーガーが描いたのですか? すごいですね。戦いの魔術だけではなく、いろいろな分野の魔法も勉強しているとは言っていましたが、ここまで習得しているとは思いませんでした」
「ん? 何故マイナがそれを知っているんだ」
ニヤリと微笑もうとしたクルーガーが動きを止め、片眉をあげて目の前の少女に問うた。国王としての公務の合間に魔法の知識を独学で学び、少しずつ魔術として習得していたことは、臣下をはじめほとんど知られていないつもりだったからだ。目覚めた後のマイナにも、まだ話していないはずだった。
「いいえ、お話してくださいましたよ、クルーガーが。あ、もしかして――あの、ですね、えぇっと、ひとつだけ……告白しても構いませんか? どうしても伝えたかった言葉があるんです」
マイナは急にもじもじと手指を絡ませはじめ、上目遣いになってクルーガーを見上げた。
「告白? 俺を愛しているとかなら言わなくてもわかっているぞ。まァ、この耳でしっかと聞けたら嬉しいから歓迎だが」
「違います! あ……い、いえ、愛してますというのは、ち、違わないんですけれど。わたしが言いたかったのはそのことじゃなくて、ですね」
マイナは動揺のあまり両腕を振り回しながら言葉を続けようとして、我に返り、深呼吸をひとつした。頬は染まったままであったが、両手をきちんと揃え、この上もなく幸せそうな微笑みを浮かべてクルーガーを見上げる。
「クルーガーは、わたしが塔で錫杖の解除を受けている長い年月の間、時間が許す限り何度も、塔に足を運んでくださいましたよね。そしてわたしに、いろいろな話をしてくださいました」
「そうだが……でも何故それを。ルシカか誰かから話を聞いたのかい?」
「いいえ。あの、わたし……ずっと聞いていたんです。あなたが来てくださって、扉の前でいろいろ話してくださったことを」
聞いていた、と語られて、クルーガーが唖然とする。確かに塔へと通っていたとき、扉の前でマイナに語りかけるようにいろいろな話をしていたことは事実だ。だが、あの塔の内部は亜空間として外界から切り離されているものだとばかり思っていたのである。
マイナは頬を染めて嬉しそうな表情で微笑み、穏やかに言葉を続けた。
「冬の大雪のときのこと、塔の外の様子、ルシカさんの出産の時の大騒ぎのこと、隣国とのパーティで気疲れしてしまったこと、国政会議での騒動のこと、ルーファスさんにわたしのことを納得してもらったこと……嬉しかったこと、吃驚したこと、なさけなかったこと。あなたはわたしに向けていろいろ語って聞かせてくれました。きっとクルーガーは、わたしに本当に届いていたとは思っていなかっただろうけれども、夢見心地のうちに励まされていたんです。本当に嬉しかった――」
マイナは語りながらも、真紅の瞳を潤ませていた。
「あなただけが重ねていく年月のことを思うと、わたしのために待たせてしまうことに後悔を感じてもいました。けれど、国王の仕事がどんなに大変か、どんなにたくさんあるのか、わたしはあなたが迎えに来てくれたあとのこの二週間で、よくわかりました。そんななかでもあんなにたくさん塔に来てくださったこと……時間を作るだけでもすごく大変だったことを知って、とても驚きました。だから、だから」
伝えたかったんです。どうしても。あなたに、ありがとう、と――その言葉は喜びと感謝の涙に滲んで、唇の動きとなってクルーガーに伝わった。
クルーガーは虚を突かれたように硬直していたが、やがてゆっくりと口もとをほころばせた。
「あれを全部聞かれていたと――いや、声が届いているといいなとは思っていたが、実際に届いていたとは……」
クルゥエエエールゥルルル。
ふたりの背後に首を伸ばしたプニールが、からかうような啼き声を発した。クルーガーは珍しくも照れくさそうに頬を掻き、それから微笑して、マイナをしっかりと抱きしめた。
「では行ってくる。計画が恙無く成功するよう、祈っていてくれ。すぐに君のもとに戻ってくるよ」
「はい。クルーガー、どうか気をつけてください」
「俺は大丈夫だ。マイナも気をつけて――プニール、頼んだぞ」
クルルルゥ。
魔竜の答えを聞いたクルーガーは微笑み、すぐに口もとを引き結んで下の広場に戻っていった。
テロンは港に停泊している白亜の帆船――リミエラ号の甲板に立ち、その船を所有している仲間に用件を伝えていた。
天候もよく眼に眩しいほどに輝いていた海面であったが、太陽が傾くにつれて海風も穏やかになっている。そんな海面から顔を突き出しているのは、どれほどに長さがあるのか上からでは判断がつかぬほどに長大な胴体と、事情を知らぬものが見れば悲鳴をあげて卒倒しかねないほど怖ろしげな印象の頭部をもつ魔獣であった。
中型の帆船の横幅ほどもありそうな巨大な頭部には、エラのような突起が並んでいる。蛇のような外観だが、呼吸については空気中でも海中でも問題ないようだ。竜の瞳のように瞳孔が大きく、希有な宝石よりもなお美しい彼の瞳の奥には、はっきりとした知性の光がある。
ウルと名づけられた、『海蛇王』である。本来海に生息し、上位魔獣である彼はルシカやテロンたちと魔の海域での探索の途中で巡り会い、友人になった。その後王都までついてきて、グリマイフロウ老が彼の為に設計した魔導船を一隻もらい、このソサリア王国の北部である三角江内に居ついたのである。
主に食するのは魚であるが大型のものを好むため、ここより北にある魔の海域グリエフ海にまで出かけていってたらふく食べてくるのだ。なので、漁業を生業とする漁師たちと争うことなく、うまく折り合いをつけている。むしろ、海賊等の被害が皆無となり、海上交易が盛んな周辺都市からは喜ばれる存在となっているのであった。
「――ルシカが懸念し、予見している内容はこれですべてだ。あとはウルの判断に任せるよ。ただ、そういう可能性があるのは理解していてくれ」
ウルゥルルルルゥゥゥ。
了解した、という響きの返事であることがテロンにもわかる。かれこれ十六年になろうかという長い付き合いなのだ。
ウルはテロンにそっと鼻先を押し付けてきた。こちらの全身が映りこむのではと思うほどに巨大な眼球が、もの言いたげにじっとこちらを見つめている。それに気づいたテロンは、相手を安心させるように目の前の表皮を優しく叩いてやった。
「おまえの気持ちは理解できるよ。――そうだな。今回も無茶をしないで欲しいが……ルシカは無茶をしたくてしているわけでもないからな。俺たちで護ってやらなくてはならない」
同意するように『海蛇王』の首が微かに上下に揺れた。テロンは眼を閉じ――それからゆっくりと開いてウルに微笑んでみせ、甲板から降りた。そろそろルシカも戻っている頃だろう。王宮へと駆け走る街並みを吹く風は、ひんやりとしたものに変わっている。空の色彩が抜けるように透明になり、西の地表に近い部分から全体へと赤く染まりつつあった。
この王都からは遠い『大陸中央』フェンリル山脈の中心であるザルバーン、そこから迫り来る脅威がミディアル周辺にて目視で確認されるのは、このすぐ後のことである――。




