4章 過去の記憶、闇夜の襲撃 6-10
「……強大な力を持つ邪悪……?」
リューナは反芻するように訊き返した。ぞわり、と背筋を駆け走るような冷たい予感がある。何かとてつもなく重要な秘密が明かされていく気がしたのだ。
「僕は、そいつが移動する際に巻き添えを喰らうかたちで、この世界に放り込まれたらしい」
「らしい?」
「よく覚えていないんだ、その前後のことは」
そう言ったディアンは力なく微笑んでからリューナから眼を逸らし、そのまま操縦席に向かって進んでいってしまう。語るために心づもりが必要なのであろうか――リューナは逸る心を押さえ込みながら友人の背を追った。
「これの操作は、この四ヶ月で覚えたんだ。僕がここに――というより、この時代にたどり着いてすぐにね」
ディアンは機体の内部に視線を巡らせながら言った。一瞬遠い眼をしたので、当時のことを思い出したのかも知れない。
リューナも最前の場所に歩み寄り、機体を操作するための座席を改めてじっくりと眺め渡した。座席そのものは深く腰掛けるものではなく、身体が投げ出されるのを防ぐためのものであり、手足が自由に動かせる設計となっている。手元には操縦桿、足元にはまるで楽器の鍵盤を連想させるものが並んでいた。
操縦席の前の壁一面は一枚の巨大なモニターになっている。計器の類はなく、展開している魔法陣や高度、速度、温度、気圧、傾斜など機体のあらゆる情報、そして前方の景色がモニターに全て映し出されていた。ただしこれでは――機体の真横や後方、そして上下の様子が確認できないのではないだろうか、とリューナは疑問に思った。
ディアンがリューナの視線に気づき、「座ってみたら?」と促してきた。
「いいのか?」
「ああ、もちろんさ。君なら僕より覚えが早そうだし……これはね、魔導の流れが見える瞳の持ち主、つまり魔導士であれば、感覚のままに操作できるシステムになっているんだ。そう、まるで手足のようにね」
百聞は一見に如かず。リューナが操縦席に座ってみる。座席部分はやんわりとリューナの体に沿うようにぴったりと形を変化させ、やわらかに、だがしっかりと固定してくれた。
足元や座席から眼をあげて前方を見た途端、リューナは驚きのあまり瞬きを忘れた。
「……すっげぇ」
眼前に、いくつもの半透明なスクリーンが展開されていた。まるで魔法によって映像を映し出す、とてつもなく精密に具現化された魔導の技『仕掛け花火』のようだ。そこには死角だと思われた真横や後方、上下さまざまな映像が余すところなく表示されている。
もっともいまは、苔に覆われている地面と緑の天蓋、枝根や蔦の絡み合う土壁しか映ってはいない。けれどなるほど、これならどのような動きを行っても障害物や進路の把握に戸惑うことなく、たとえ曲芸めいた飛行であっても困ることがなさそうだ。
「好きみたいだね、こういうの」
リューナの瞳の輝きを見たのだろう、ディアンがくすりと笑いながら声をかけてきた。
「僕の知識も、教えてくれたラスカの受け売りなんだけれどね――LMシステムと呼ばれている人造魔導は、およそ千三百年ほど前に、当時の魔導士と細工師によって原形が確立した技術らしいよ。その数十年後には、機械装置に人造魔導を組み込むことで、魔導による魔法と同じ効果を具現化することができるようになったのだと」
「それってまさか――」
語られた歴史に記憶を打たれ、リューナは口のなかで呆然とつぶやいた。けれどディアンは内なる感情の渦と戦っているらしく、気づかないまま続けた。
「ひとびとが一度は失いかけた魔導の技を、科学という技術で復活させることができるなんてね……それがシニスターの野望を後押しするものになったんだろうけれど」
「シニスター……何者だ?」
ごくりと喉を鳴らして問いかけたリューナに顔を向け、ディアンは厳しい面持ちで答えた。
「すべての諸悪の根源だ。この現生界が誕生した頃よりずっと存在し続けているといわれる『古代龍』さ」
リューナの思考が一瞬、静止した。――古代龍だって!?
「いまでも」
ディアンはこぶしを握り、込み上げてくる感情を堪えようとするかのようにまぶたを閉ざした。
「これが夢でパッと醒めることがあるんじゃないかと思うときがあるよ。それほどに信じられない……言葉にすることで全てが現実となって後戻りができなくなる気がする。けれど君に――話さないわけにはいかないよね」
ディアンが意を決したように眼を開く。そして、静かに語りはじめた。
親友を未来の世界へと送り届けるため、『封印』の魔導を行使して半年――ディアンは空を眺めてはため息ばかりつく日々を送っていた。
三千年以上の長きにわたり現生界を統一してきた魔導の王国の仕組みは解体され、ひとびとは自分たちの足で歩みはじめている。かつての王たちはそれぞれの役割を全うし、それぞれが家族や仲間たちとともに静かな生活へと落ち着いていた。
「けれど僕には……」
先王であった父親は殺害されている。世襲制ではなかったが、優れた力を持っていたこと、そして利用されるために、ディアンは王の座を継いでいた。そのときすでに母親はなく、親族すら残っておらず、また兄弟もなかった。王国が解体され、ひとびとが大陸各地に散っていったあと、彼だけは行くところがなかったのである。
そう……ひとりぼっちで残されたのだ。
友人と呼べる者はいた。けれど、その心許せる友であったリューナは、未来への時を超えるためにディアン自身が行使した『完全封印』の魔導によって長き眠りについた。もうひとりの友人であるトルテも、リューナよりひと足早く『歴史の宝珠』の力によって未来へと戻っている。同じ世界、同じ場所に立っているはずなのに……ただ互いの存在している『時間』だけが違うのだ。
遣りきれない想いに空ばかり見て過ごしていたある日、ハイラプラスが戻ってきた。
「久しぶりですね、ディアン」
銀色の髪は長く白衣こそ着ていないものの、オレンジ色の瞳の輝きは日々研究と探求を続けている者のそれであった。
「やあ、どうしたんです? せっかく全てがあるべき場所に落ち着き、世界はゆっくりと新しくも自然な営みを取り戻したというのに」
にこにこと人好きのする笑顔を端正な顔に浮かべて、からかうような、それでいて常に微笑を含んでいるように穏やかな声と口調は、別れたときと少しも変わっていない。研究に没頭できる静かな生活を求めて大陸の何処かへ落ち着いたはずだったのに――ディアンは再会を喜ぶと同時に、不安になった。
「まさか、何かあったんですか?」
「いえいえ、事件は特に何もありませんよ。ある場所に、これを封印するのを手伝っていただきたいのです」
ハイラプラスが懐から取り出したのは、時間を超えるための装置『歴史の宝珠』だった。とはいっても、リューナとトルテに実際に使われたほうではなく、『これから』使われるほう――ハイラプラスが完成させたばかりのほうだ。自分たちと出逢う前のリューナとトルテの手に無事渡るよう、発見されるはずの場所に封印しておかなければならない品であった。
「そのために、ディアン、あなたの類稀なる『封印』の魔導の力をお借りしたいのですよ。わたしひとりではどうにも手詰まりでして」
ひとり、と語られたところでルエインとの関係がどうなったのか気にはなったが、ディアンには訊けなかった。手伝いに関しては断る理由もなく、むしろ自分が必要とされていることが嬉しかったこともあったので、ディアンはハイラプラスと一緒に赴くことにした。
ハイラプラスが封印の地に選んだ場所とは、古代魔法王国の首都であったメロニアから一日ほど南西に進んだ先にある、魔法王国中期に建てられた都市遺跡だった。
減りゆく人口に悩んでいた魔法王国のひとびとは自然と五つの王都に集って暮らすようになり、たとえ無傷な都市であっても放置されたので、完全なかたちで遺されている都市遺跡は多く存在していた――ディーダ湖底の水中都市や、大森林アルベルトに埋もれゆくその建物のように。
ハイラプラスとディアンは森を横切り、河を渡り、また森に入って目指す場所にたどり着いた。リューナやトルテが生まれる場所に近く、遺跡そのものの保存状態も良かったため、まさにうってつけの場所であった。
遺跡の内部を進みながら、ハイラプラスはディアンに語った。
「わたしは『時間』の魔導士ですからね。『封印』の最上位魔法である『完全封印』の力を行使することができないのです。――そう、この絶対的な魔法の制約から外れているのは万能の力を持つ『万色』の魔導士のみ。あぁ、それから、融合魔導という新しい力である『虹』の魔導士トルテちゃんの例もありますねぇ」
ハイラプラスが言っているのは、魔法に関する制限についてであった。つまり本来魔法には、創造、破壊、時間、空間、召喚、幻覚、察知などの属性があり、魔導士や魔術師は中級までの魔法であればほとんどの種類を使うことができる。だが最上位の魔法となると、魔導士であるものがどれかひとつ、もしくはふたつまでの種類しか行使できないという制約があるのだ。
「ですから、わたしも例外ではないのです。万能なる『神』ではないのですから」
「なるほど、お話はわかりました。僕の力の名は『封印』ですからね。専門魔導が必要とあれば、お役に立てるようベストを尽くします」
「頼りにしていますよ」
ハイラプラスはにっこりと微笑み、次いで遠くを見つめる眼つきになった。励ますようにディアンの背中を叩きながら言葉を続ける。
「神でもないのに万能の力を持つという『万色』の魔導士には、わたしもぜひお会いしてみたいのですが……生まれた時代というものだけは、どうしようもありませんからねぇ。――では、参りましょうか」
たどり着いた遺跡の最深部には、すでに宝珠封印のための用意が整えられていた。多面体で作られたような、独創的な台座が設えられている。
「では、やりましょう。完全な保存状態を維持できるよう、『歴史の宝珠』を『封印』すれば良いのですよね」
「ええ、お願いします。でもまぁ、その呼び名については納得していないのですけれど」
穏やかな笑みを変えないまま、ちょっとばかり不服そうな口調になったハイラプラスに、ディアンは思わず微笑んだ。
「そんなに気になるのでしたら、装置の名称をどこかに表示するなり明記するなりしておいたらどうでしょうか」
ディアンは軽い気持ちで思いつきを語ったのだが、その言葉にハイラプラスの笑顔が翳った。苦笑ともいえる表情が目元と口の端に現れている。
「現代から過去へ戻り、事実を変えようとしても、それは決して変わることはないのです。リューナたちは過去へと時間を超えてやってきて、わたしたちと出逢った――そしてわたしは『歴史の宝珠』という呼び名が使われている事実を知った。つまり、知り得なければ名称を定めてこようなどと、そもそも思うことがないわけですから」
語りながら微笑を消し、ハイラプラスは真顔になってきっぱりと言った。
「現在は過去を変えることはできない。過去は現在を変えることができる。そして現在は未来を決定してゆくことができるのです」
「は、はぁ……。でもそれは、当たり前のことではないですか?」
「そうですよ」
ハイラプラスはいつもの人好きのする穏やかな笑顔に戻り、言葉を続けた。「当たり前のことなのです」と。
ディアンが『歴史の宝珠』を握りしめ、台座に向かおうと一歩踏み出したそのとき。――唐突に、大地が揺れた。
「……え、な、何が……!?」
轟音が高まり、鼓膜を圧する。何かとてつもなく巨大な存在が地下を押し通っているかのように、凄まじい振動が足元から伝わってくる。天井が緩み、一部がごっそりと抜けて地面に崩落した。瞬時に張られたハイラプラスの障壁がなければ、ふたりの体はぺしゃんこになっていたかもしれない。
「うわっ! 今度は床に穴が――」
足元の地面が抜け落ちた。常闇へと続いている異界への口のような、禍々しい気配に満ちた穴が現れる。
どこまで続いているのかも判然としない深淵から、ゴオオォォォォ、と凄まじい咆哮ともため息ともつかぬ音が吐き出されるのを聞き、ディアンは総毛だった。ハイラプラスが微笑みを消し、厳しい表情になって穴の縁に立ちはだかる。
「……どうやら、歓迎されざる地と炎の支配者がお目覚めのようですね」
銀髪の魔導士の瞳が闇底に向けられ、鋭く狭められた。
応えるように、その闇底に眩い光が生じた。まるで星界にある恒星のごとく白熱した、剣呑なるふたつの眼球だ。
――おまえは我が礎となり、我が願いの贄となるもの。光栄に思い、抵抗ひとつなきままに身を差し出すが良い……!
頭蓋をビリビリと震わせるような怖ろしい声が――或いは思念のようなものが打ち据えんばかりに襲いかかってきたが、ハイラプラスは涼やかに銀の髪を戦がせたのみであった。
「ふむ、面白いことをおっしゃいますね。なるほどあなたが……始原のときより神を夢観てまどろみ続けているという『古代龍』ですか」
「ハイラプラス殿! これはいったい何なのです!」
ディアンはいつでも魔導を行使できるよう精神を高めながらも身構えた。だが相手の姿は見えず、感じる気配はあまりに異質なものだ。冷たい汗が頬を伝う。
「自らを神と成さんとし、多大な迷惑を振りまこうとしているご近所さんですよ。我々と同じ、死せる定めに縛られた生き物です」
どこまでも静かなハイラプラスの言葉に揶揄する響きは僅かもなかった。不思議な哀しみに満ちたその言葉に、けれど相手は激昂し襲いかかってきた。
――ダマレェェェェェ!!
怖ろしい圧力をもった衝撃が放たれ、ディアンは木っ端のように吹き飛ばされた。最初の衝撃で意識が遠のき、身を守る魔導の技はおろか、受身をとることすらできなかった。激しく地面に叩きつけられ、全身を襲った凄まじい痛みに、今度こそ意識が途切れてしまう――。
眼を開くと、彼は封印のために設えられていた台座に寄りかかるように倒れていた。手のなかの固い感触に眼を向け、『歴史の宝珠』を握り込んだままであることに気づいた。
「ディアン! それをすぐに『封印』してください! 急いで――」
どこからかハイラプラスの声が聞こえてきた。周囲はもうもうとあがる土煙に閉ざされ、ハイラプラスの姿は見えなかった。だが切羽詰ったその声に、ディアンは素直に従った。
魔力は充分に高められていた。腕を空中に跳ね上げ、素早く魔法陣を展開する。『歴史の宝珠』が手のひらから浮き上がり、速やかに目の前にある台座のなかに吸い込まれるようにして消えていった。
「封印は実行しました! ――どこですか、無事ですかッ?」
視野が狭い。周囲の魔の気配を探ろうと、ディアンは深く瞑目した。
――ディアン、決して諦めないでください。この先、何があっても。
希薄な思念のようなものが心に届き、ディアンは弾かれたように顔をあげた。
急速に満ちはじめた異様な気配に気づき、息を呑む。次元を繋ぐ扉が開きかけていたのである。世界の理が揺らぎ、時間の流れが混じりあう……!
「な……!? うわああぁぁぁぁぁぁっ」
ディアンは絶叫した。飴のように伸びゆく空間に引きずられるように、彼の存在も同様に渦の只中へと曳き込まれたのであった。
「それで――ハイラプラスのおっさんは、どうなったんだ。無事なのかッ?」
ディアンが話を切ったとき、リューナは友人の肩を掴んだ。
「僕にもわからないんだ。意識が回復したときには、もうこっちに着いていたんだ。僕はさっきの神殿跡の前に倒れていたらしい……ラハンたちに発見され、エオニアが介抱してくれたんだ。ハイラプラス殿のことを尋ねたけれど、僕の他には誰もいなかったと言われた」
「そうだったのか……」
リューナは眼を伏せ、次いで先ほどとは違う想いを込めて友人の肩をしっかりと掴んで支えた。ディアンが何とか微笑みの形に口の端を上げ、言葉を続けた。
「古代龍……あいつはエオニアを手に入れたがっている。僕がそんなことは許さない。ラスカだけではなくエオニアまで、ラハンやルミララから奪うなんて。家族は一緒にあるべきなんだ」
「でも、どうしてエオニアは古代龍に狙われているんだ?」
「彼女には秘密があるんだ。何ものにも変えがたい秘密が」
「秘密?」
「うん。それは――」
リューナの問いにディアンが答えかけたとき、機外に閃光が走った。ズウゥゥゥンッ! という地面からの突き上げられるような衝撃と轟音――ディアンの表情がサッと変わった。
「まさかやつらが? ――エオニア!!」
ディアンが叫ぶより早く、リューナはすでに魔導航空機の外に飛び出していた。
「トルテ!」
疾風のように走るリューナの深海色の瞳に、手に現れたものと同じ抜き身の刃の輝きが煌めく。エオニアの傍にはトルテがいる。ひとの為ならば逡巡なく自分で盾になろうとするトルテが。
――古代龍だか何だか知らないが、あいつに何かあったら許さない。トルテを護る為なら、どんな相手でも俺が叩きのめしてやるッ!!




