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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第六部】 《古代龍と時の翼 編》
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3章 出逢いと再会 6-9

 光に透ける蜂蜜色のグラデーションが織り成す景色。そのなかで陰影を描いている高層建築物の間隙かんげきを縫うように、ディアンの操縦する魔導航空機ヴィメリスターは翔け続けた。


 追っ手の影は視界から消えている。だが完全に逃げ切らない限り、また新たな追跡者が背後に現れるだろうことは想像がついた。油断はできない。だが、何度来ても撃退してやる――リューナは自分の利き腕のこぶしを握りしめて思った。


 背中をパタパタと軽く叩かれ、リューナは小窓のような細いスリットから目を離した。背後の気配がトルテのものであることはわかっていたので、警戒はしていない。


「リューナ。ここは危ないから操舵室ブリッジに来るようにって、エオニアさんが」


「あぁ、了解だ。すぐ行こう」


 おそらく操舵室ブリッジというのは、先ほどの操縦席のある空間のことなのだろう。


 危ないというのも納得だな、とリューナは思う。すぐ近くにもリューナが空中に出られるくらいにドデカい穴が開いているのだから。周囲に視線を巡らせてみただけでも、装甲板が爆ぜ割れて風が吹きこんでいる箇所が幾つもあり、外からの光が入り込んでいる。大気は薄く、温度は低い。


 ディアンとエオニアの待つ操舵室ブリッジに戻ると、空気も温度も快適に整えられていた。周囲の壁に展開されている魔法陣の幾つかが生命維持と環境維持のものであることが、リューナの眼にもはっきりとわかる。たいした技術だよな、とリューナは感心した。


「さてと。何が何だかわかんねぇけど、どうやら大変なことに巻き込まれているみたいだな、ディアン」


 片方の眉を上げて微笑みながら声をかけると、親友である青年は表情を和らげた。少しだけ気弱な印象の口元は変わっていなかったが、眼差しは落ち着いたものだ。『封印』の魔導を行使されたとき眼に焼きついていた外見とあまり変わりはなかったが、その表情はずいぶんと大人びてみえる気がした。


「そうなんだ。理由は着いてから話すよ。いまはとりあえず――姿をくらまさないとね」


「『透明インビジビリティ』ですか?」


 トルテが言った。


「いくら何でもそんな単純な」


 思わず傍らの無邪気な幼なじみにツッコミを入れようとしたら、「その通りなんだよ」という笑いを含んだやわらかな声が返ってきて、リューナは思わずよろけてしまった。


「トルテ。君は相変わらず、さすがだね。この機体には人造魔導が組み込まれているんだ。推進装置が具現化している『飛行フライ』の魔法もそのひとつだし、他にもいくつかあるんだよ」


 ディアンは操縦席の前にあるパネルに手のひらをすべらせ、魔法陣を呼び出した。


 それらが展開すると同時に、機体外部を魔導の気配が覆い尽くすのをリューナは感じた。本来、魔導士が行使する技である姿消しの魔法を、人造魔導とやらがこの魔導航空機ヴィメリスターに対して具現化したに違いない。


「すっげぇ! 何でもありなんだな」


 感心したようにリューナが声をあげると、ディアンの表情が曇った。


「実はそうでもないんだよ。僕も――あ、いや、まあいいや。あとから話すから、いまは一刻でも早く安全な場所に移動しなくちゃ」


 リューナはディアンの視線につられるようにして視線を動かした。そこには、片腕をきゅっと握るようにして自分の体を抱きしめ、唇を噛みしめているエオニアが立っていた。





 着いた先は、郊外の古びた神殿跡だった。


 夕闇に沈みゆく空――紺と紫の綿雲が散る背景に浮かび上がったシルエットは、いまにも崩れ落ちてしまいそうに見えた。周囲はうっそうと茂る森や背の高い草ばかりが生えている野原に囲まれていたが、そこかしこに転がっている岩のなかには明らかに人工物だとわかるものまであった。


 ディアンによると、ここにはかつて大規模な都市があったということだ。いまは見る影もなく、自然の営みのなかにそのほとんどが埋没するままになっている。


 近くの塚森に乗ってきた機体を巧妙に隠し、一行は徒歩で神殿跡に近づいた。傍まで来てみると、崩れそうだという印象をさらに強く受ける。だが、案内されるままに倒れた柱と柱の隙間から下に潜り、長い階段を延々と下り続けたあと、そこには驚くべき空間が広がっていたのであった。


「――うわぉ、すっげぇ!」


 リューナは素直に感嘆の声をあげた。


 どっしりとした柱が等間隔にずらりと並び、魔法で作り出した手元の光では届かないほどの奥までずっと続いている。王都にある大聖堂を彷彿とさせる、荘厳な巨大空間だ。なるほど、さっき下へと続いていた階段が長すぎたのもこれで頷ける。


「驚きました……地下にこれほどの空間を有しているなんて」


 トルテがつぶやくように言ったとき、ディアンがよく通る声を空間に響かせた。


「――ただいま戻りました。ラハン、ルミララ」


 尾を引くように反響していたディアンの声が静まると、巨大空間の奥の一角に温かな光が灯った。空間の周囲には幾つもの部屋があるようだ。そのうちのひとつから、人影がふたつ歩み出てきたのである。


「おかえり。あぁ、無事助け出してくれたのだね、ディアン。本当に嬉しいよ……。して、入手した情報に間違いはなかったのだろうね」


「はい、情報は確かでした。ありがとうございます」


 ディアンは礼儀正しく返事をしたあと、自分の後ろに続いていた飛翔族の女性を振り返り、彼らに向かってその背をゆっくりと押しやるように導いた。エオニアは瞳に涙を湛えて微笑みながら腕を差し伸ばし、奥から歩み寄ってきたふたりに向けておずおずと言った。


「ただいま戻りました。おとうさん、おかあさん」


「エオニア……!」


 人好きのする穏やかな面持ちをよりいっそう緩ませて、壮年の男とその連れらしき女がエオニアを迎え、抱きしめた。ディアンはこの上なく嬉しそうに微笑みながら、再会の喜びに泣きむせんでいる親子の様子を見守っている。


「どういうことなんだ?」


 リューナはディアンに歩み寄った。トルテは立ち止まったまま、目の前の遣り取りにオレンジ色の瞳を潤ませている。どうやらもらい泣きをしてしまったらしい。


「よくわかりませんが、再会を果たされたのですね。良かったぁ……。ご両親もエオニアさんも、とっても嬉しそうです」


 リューナは驚き、声をあげた。


「え? で、でも、娘が飛翔族で両親が人間族だなんてことが――と、いうことは」


「うん。推察の通りだよ。彼らは本当の親子ではないんだ」


 ディアンが応えると同時に、壮年の男のほうが眼をあげた。


 その鋭い視線に、思わずリューナとトルテの背筋が伸びる。見慣れない風変わりな格好をした見知らぬ者を査定するかのようにリューナとトルテをじっくりと眺め回したあと、男はにっこりと笑った。


 リューナとトルテが胸を撫で下ろす。トルテは脱力するように息を吐き、つぶやくように言った。


「……何だかメルエッタさんに怒られちゃったときのことを思い出しました」


「わかる気がする。俺も教師の顔した親父に睨まれたときのこと思い出しちまった。――かなり昔の話だけどな」


 ふむ、とひとつ頷き、男が口を開いた。


「どうやら、君たちは間者ではないようだね。はじめて見る顔のようだが、娘の脱出に手を貸してくれたのだろう? 礼を言わせてくれ――ありがとう」


「リューナ、トルテ、こちらはエオニアの育てのご両親で、ラハンとルミララ。彼らはこの神殿でひとびとに学問を教えていた教師なんだよ」


 ディアンが微笑しながらリューナとトルテに向けて言い、次いで親子たちに向き直って言葉を続けた。


「それからラハン、ルミララ、それにエオニアも……驚かないで聞いて欲しいんです。リューナとトルテは僕の最も親しい友人たちで――僕がもといたところで知り合ったんです」


 ディアンがリューナたちを紹介すると、ラハンは驚いたように眼を見開いた。リューナたちをまじまじと見つめ直す。ルミララという母親も眼をあげ、ふたりの娘エオニアも涙を拭おうともせず振り返った。


 三人の吃驚びっくりしたような視線を受け、居心地の悪くなったリューナが頬を掻く。トルテも胸の前で両手を合わせて握りこんだまま、もじもじと頬を赤くしている。


「では、やはり君たちも――いや、こんなところで立ち話もないな。そちらの女の子さんも疲れているようだし、こちらへ来なさい。温かい飲み物と食事を用意しよう」


 ラハンはそう言って妻と娘の肩に腕を回し、くるりと奥に向き直った。ディアンが逡巡なくそのあとに続いたのを見て、リューナとトルテも彼らにいざなわれるままに歩きはじめる。首を巡らせたリューナと眼が合ったトルテが、不安げに小声でそっと問いかけてきた。


「……ディアンが時間を超えてきたこと、あの方たちは知っているのですね」


「うーん、いまのところ何ともいえないけど……さっきの様子じゃ知っているような感じだったよな」


 そうして案内された地下神殿の部屋が、彼らにとって生活の場所になっているらしい。


 そこは先ほどの巨大空間と同じ石造りであったが、住人の工夫と配慮によって過ごしやすくあたたかな環境になっていた。壁には手織りらしい凝ったタペストリーがかけられ、家具は木製で手彫りの美しい装飾が施されている。棚にはささやかながらも見事な細工物や、紙で折られた花がきれいに並べられていた。


「さぁ、どうぞ、椅子はどれでも好きなものを使ってね。いま熱いお茶を淹れてくるから」


 朗らかな笑顔でルミララが部屋の中央を指し示し、続きになっているさらに奥の部屋へと入っていった。父親であるラハンがエオニアをソファーに座らせ、ディアンがトルテをテーブルの椅子に案内している。


 リューナはぐるりと部屋を見回し、薄いパネルのような光が天井に貼りついているさまや、壁に取り付けられている継ぎ目のない金属の箱などを眺めた。魔法なのだか機械なのだか判然としないものばかりである。どうやら生活用品の類らしく、脅威になるような気配や罠は感じられない。


 さきほどの空飛ぶ機械で駆け巡った都市には現実離れした規模と技術水準を感じたが、ここは自分たちの住んでいたときの文化とさほど変わらない印象を受けていた。リューナは首をひねった――考えてみれば奇妙だよな、遙か未来の世界のはずなのに。


 カシャン、と響いた音に顔を向けると、湯気の立っているカップがテーブルに並べられているところだった。


「ハーブティーだよ。わたしが栽培したもので、自然のものだ。それから、いま用意しているサラダも、スープもね。……草ばかりで申し訳ないけれど。合成ではない自然の食べ物というのがなかなか手に入らないもので」


 申しわけなさそうな表情で、それでも精一杯の微笑みを浮かべているラハンに、リューナとトルテは顔を見合わせた。


「あまりおなかが膨れるものではないかもしれないけれど、待っていてね。食事の用意をしているから」


 人数分のカップを並べ終わったルミララが奥の部屋へ戻ろうとしたとき、トルテが立ち上がった。


「あの、あたしも手伝います。それから――」


 トルテが言葉を切り、リューナに顔を向けた。瞳をきらきらさせて口の端を持ち上げているのは、何かを思いついたときの表情だ。


「ね、リューナ。あたしたちが持ってきた食料、みなさんで分けるのはどうでしょうか」


「いいと思うぜ。丁度俺も思っていたところだし。何だか知らねぇけど、いまのうちに体力つけといたほうが良さそうだし、な!」


 ニカッとリューナが歯を見せると、トルテは満面の笑顔になった。すぐにふたりの背負い袋に詰めてあった中身を取り出しながら、驚くラハンたちの目の前で次々とテーブルの上に並べていく。


 それからしばらくのち――。


 トルテが手伝ったので続き部屋の奥から少々賑やかな喧騒が響いていたが――それも落ち着いた頃には、食卓の上には麺麭パンや木の実のパイ、パウンドケーキ、干し肉と香辛料で作ったシチューなどが並んで、ほかほかと湯気を立てているのであった。


「なんと! これはまるで夢のようだ。みなすこぶる良い香りがするし、しかも天然の素材で作られているとは! それにこの味わい……うまいっ!!」


「良かったぁ。ありがとうございます。マルムが聞いたらとっても喜ぶと思います。王宮に帰ったら伝えますね」


 トルテは元気な声でラハンに応え、にこにこと微笑んでいた。嬉しそうなトルテの表情に、眺めていたリューナ自身も幸せな気分になっている。


 よほど気に入ったのだろう、エオニアも年齢本来の若さを発揮して、美味しそうに次から次へと食べ物を口に運んでいる。思い詰めたような表情が気になっていたので、その様子を見てリューナは少し安心した。


「ありがとう、トルテ、リューナ」


 彼らの食事を見守っていたディアンが、ふたりに向けて礼を言った。幸せそうに微笑んでいる彼の視線は、先ほどからずっと動いていない。その視線の先にはエオニアが座っている。


 リューナの傍に座ったトルテがひとつ頷くように首を振って背筋をしゃんと伸ばし、しっかりとした口調で言った。


「やはりディアンは、このまますぐにあたしたちと戻るわけにはいかないのですね」


 訳知り顔で語られたトルテの言葉に、ディアンが眼を剥いて弾かれたように顔を向けた。


 リューナも驚いていた――ディアンを無事見つけたのだから、一緒に『歴史の宝珠』を探し出し、もとの時代に戻るつもりでいたのである。


「どういうことだよ、トルテ。なぁディアン、どうしてすぐに帰れないんだ? 俺たち、ハイラプラスのおっさんの装置でおまえを救いに来たんだぞ」


「あぁ、なるほど。そういうことだったんだね。でも本当にごめん、リューナ、トルテ。僕は……僕は戻るわけにはいかないんだ」


「……理由を訊いていいか? ディアン」


「うん……僕がここに来た事情を含めて、きちんと話さなくてはならないね。ここではちょっと話しづらいこともあるから――場所を変えようか」


 ディアンはラハンたちに席を外すことを告げ、リューナやトルテとともに地下神殿から地上へと戻り出た。


 外は怖ろしいほどにシンと静かで、虫の鳴き声ひとつない。ただ、星明かりだけが蒼く地上を照らしていた。いや――遙か彼方に薄明るい黄色の光が広がっているのが眺め渡せた。かなり遠いが、それがあの大都市なのだということはリューナにもすぐに理解できた。


 大都市の夜というものは様々な色彩が無数に光り輝いている印象がある。だが、その都市はまるで幽鬼のように現実感を伴っておらず、全体が淡く透け通ってる光の蜃気楼のようだと形容したほうがぴったりくるような風情ふぜいであった。夢幻の都市――そんな言葉がリューナの脳裏に閃く。


 そのとき、ガリッという小石を踏んだような音が響いた。


 背後に現れた気配に、リューナたちが全身を緊張させて振り返る。だが、すぐに相手を見定めて構えを解き、ホッと息をつく。


 エオニアだった。自分たちを追って地下神殿から出てきたらしい。


「ディアン――」


 不安そうに表情を曇らせた彼女に、ディアンが急いで駆け寄った。リューナとトルテは並んで立ち止まったまま、彼らを待った。


「心配しないで、エオニア。すぐに戻るから――」


 そう言いかけたディアンの胸に飛び込むようにして、エオニアが勢いよく抱きついた。薄桃色の髪と細い肩が震えるように揺れている。エオニアが小声で何かを打ち明けると、それを聞いたディアンが激しくかぶりを振り、相手を激しくかき抱いた。


 次の瞬間、ふたりの様子を見守っていたリューナとトルテは呆気に取られたように硬直し――次いでふたり同時に急いで回れ右をした。ディアンとエオニアの唇がしっかりと重ねられたからである。


 視線が落ち着かなくなってしまったリューナがトルテに眼を向けると、ぴたりと同じタイミングで見つめ合うことになった。トルテの顔が一気に真っ赤になったのが星明かりの下でもわかる。同時に、リューナは自分の顔も熱くなっていることを自覚してしまう。


 深呼吸を繰り返して落ち着いたあと、リューナは足元に視線を落として言った。


「ディアンが戻れないと言った理由の半分は、わかったような気がするぜ」


「……そうですね」


 トルテがぽつりとつぶやくように応え、リューナの腕に寄り添うようにして小さく言葉を続けた。


「何だか大変なことになっているみたいですし、エオニアさんのことが心配なんですね」


「……好きな相手のことなら、放ってはおけないよな」


 リューナは無意識にトルテの手を取ってまさぐりながらそう言っていた。自分の行動に気づき、思わずリューナが手を離そうとすると、ほそやかな手はリューナの手をしっかりと握り返してきた。弾かれたように眼をあげると、トルテが穏やかに微笑みながら頷いた。


「あたし、エオニアさんと一緒に下で待っていますね」


 トルテはそう告げると、ディアンたちのほうへ駆け戻っていった。幸いにも、ふたりの話はすでに終わっていたようだ。トルテの申し出を受けて、ディアンが安堵したような表情を浮かべる。


「じゃあ……悪いけど、トルテ、彼女のことをお願いするよ。僕たちも話が終わったらすぐに戻るから」


 ディアンの言葉に頷いたトルテは、エオニアとともに隠し階段を降りていった。その背を見送り、リューナはディアンと連れ立って神殿跡の外に踏み出した。踏んだ草が乾いた音を立てる。リューナもディアンも常人より眼が利くので、魔法で明かりを灯すことはなかった。それにこのあたりによく馴染んでいるのか、ディアンの歩みが確かだったこともある。


「追っ手がいるのなら、この場所に危険はないのか?」


「ここは大丈夫だよ。連中には嗅ぎつけられていないから」


 ディアンは自信たっぷりに請け負った。ふたりが向かったのは、魔導航空機ヴィメリスターを隠した塚森である。こんもりとした緑に覆い尽くされた中央部分が、実は大きな空間になっているのであった。魔導の技による気配封じのまじないが張り巡らされており、魔法的にも視覚的にもしっかりと護られた場所になっている。


 ディアンは銀色の飛竜めいた機体に乗り込み、操縦席へとリューナを案内しながらゆっくりと語りはじめた。


「そもそも僕がこの時代に飛ばされることになったのは、ある強大な力を持つ邪悪に襲われたからなんだ――」



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