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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第六部】 《古代龍と時の翼 編》
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2章 ふたつの意思、翔ける翼 6-4

 テロンは厳しい面持ちで耳を傾けていた。


「古代龍に関しては、民間伝承や昔語り程度にしか情報がない、ということだな」


「はい。我々もいま全力をもって文献を探っておりますが、正確な記述は皆無かもしれません」


 兄クルーガーの問いに応えたのは、図書館棟の文官長であった。ソサリア王国の叡智の宝庫であり知識の要でもある図書館棟は、宮廷魔導士の直轄である。


 テロンたちが居るのは、王宮最上階にある王の執務室だ。部屋には騎士隊長ルーファス他、大臣らも含め七を数える王国の要人が集められていた。


 大臣たちは落ちつかなげに体を揺らしている。正体の知れない恐るべき脅威が目覚め、何かを狙って動き出したと聞かされては、落ち着けというほうが無理だろう。彼らの彷徨う視線が自分の傍らに幾度となく向けられているのを、テロンは感じていた。一番の知恵者である宮廷魔導士ルシカの不在が惜しいのである。


 ルシカは寝室で休んでいるはずだ。起き出していなければ良いが……と心配であるが、テロンは不安にざわつく胸を何とか押さえ込んでいた。いまはこちらに集中しなければならない。


 そのルシカが『透視クレアボヤンス』で見たという古代龍について、テロンの双子の兄である国王クルーガーが対策を講じようとしているのである。


「フェンリル山脈の最高峰であるザルバーンが崩れたのは、その古代龍が目覚めたからだということだが――その余波で北壁の一部が地すべりを起こし、ルアノの西にあるハイベルアの街が下敷きになっている。その上にあったタリスティアルの領土内の集落が幾つか不明のままだ」


 クルーガーが力を込めた眼差しで語った。テロンは、兄を含め大臣たちに聞こえるよう声を大きくして言葉を継いだ。


「ザルバーンは山脈の中心だ。周辺都市からの救助隊はハイベルアで手一杯だということだから、ハイベルアより上に点在している村には、王都から『転移』を使い、急ぎ向かわせている」


 外交や治安維持――国政以外の命を下すのはテロンの役割だ。隣国タリスティアルの領土であるフェンリル山脈で古代龍の引き起こした天変地異は、広大なソサリアの南部分にも被害をもたらしている。すぐに救助隊を組織して向かわせたが――実際に向かうことができぬ身としては、少しでも多くの命が助かるよう間に合うことを祈るばかりだ。


「強大な存在であるから、足元の小さな生命には頓着していないということか……こちらにとっては、それでは済まぬと言いたいところだな」


「それはこちらを襲ってくるのでしょうか。そこで目覚めて、すぐどこか余所へ行ってしまう可能性はないのでしょうか……?」


 厳しい面持ちで語るクルーガーに、すがるような眼を向けて大臣のひとりが言った。問われたクルーガーが迷いのない口調で静かに応える。


「伝説に語られるような存在なら、そしてルシカの判断が正しければ、世界の何処だろうと我々現生界に生きる者たちにとって脅威となるのは間違いない。楽観はせず、衝突は避けられぬと思って対策を練っておいたほうがいい」


 大臣たちの眼にくらい影が宿る。伝説の相手に対し、自分たちにいったい何ができるというのか……そのような考えがありありと浮かぶ、絶望にも似た影であった。


 彼らはみな、宮廷魔導士であり『万色』の魔導士であるルシカの実力を知っている。このトリストラーニャ大陸では並ぶものが居ないだろう、彼女の類稀なる魔法行使の力量と知識、そして偉大な魔導の技の数々を。彼女が自分たちの国の味方であり、敵でなくてよかったと何度胸を撫で下ろしたことか。その彼女ですらさきほど魔導の技を撥ね返され、倒れてしまったと聞いている……。


 そんな彼らの表情を読み取り、テロンは心の内でため息をついた。背筋を伸ばしておもむろに口を開く。


「いま論じているのは、もうひとりの魔導士――飛翔族の少女の保護と、塔の処置についてだ。ルシカは言っていた。何としても彼女を助けないと、と。そして塔を遺しておくわけにはいかない、とも」


 大臣たちは顔を見合わせた。互いに目混ぜしながら、押し出されるようにひとりが不承不承口を開く。


「救助のほうはわかります。人命がかかっていることですから。ですが塔のことは……魔法王国中期に建立されたという構造については、他の後期に建てられたものと比べてもあまり値打ちのあるものではないと思います」


 古代に栄えていた先文明グローヴァー魔法王国について、多少は知識のあるらしい大臣であった。


 稼動している遺跡――という点は価値がありそうに思われるが、中期に造られた装置は魔導技術的には優れているものではない。洗練された技術で造られた後期のものに比べると未熟であり、下手をすると現在の魔術のほうが進んでいるかもしれないほどである。


「それはそうだが、あそこは特別な塔だからなァ……」


 『打ち捨てられし知恵の塔』に他とは比べ物にならない価値があったのは、五宝物のひとつ『従僕の錫杖』が造られたという事実があったからだ。ラミルターなる魔人族の王が、その類稀なる魔導の力を注ぎ込んだという装置が現存していたからに他ならない。


 けれどその比類なき叡智も、現在はすべて消去されているので、残っているものといえば塔そのもの――つまり叡智の抜け殻であった。いまなお残されて活用できそうなものといえば、空間保護の魔導の魔法陣や自動制御の仕組みくらいであろう。


「ルシカが宝物ほうもつの構成データすべての消去を完了しているんだ。たとえ復活が目的であったとしても、錫杖そのものを再び造り出すことはできないはずだ。俺もそうは思っているが、彼女自身が気にしているからにはそれなりの理由があるはずなんだ。心の奥底で、何か無視できない可能性を感じているに違いない」


 テロンは一同に向けて確信に満ちた声音で言った。クルーガーが深く頷き、言葉を継いだ。


「ルシカはの『時空間』の大魔導士ヴァンドーナの後継者でもあるからな。彼女の直感を無視することは取り返しのつかないことに結びつくかもしれぬぞ。……だがせぬのは、もし古代龍が『従僕の錫杖』そのものが欲しいというのならば、何故マイナが内部に居たときを狙ってこなかったかということだが」


 そう言うと、クルーガーはこぶしを握りしめて苦痛と憤怒の表情になった。そのような想像をするだけで胸の内に灼熱の炎が燃え盛るのを押さえきれない、というように。だがすぐに落ち着きを取り戻し、自分の顎に手を触れつつ「待てよ……」と言葉を続けた。


「まさか魔導士と塔と……どちらもが揃ったときを狙っていたのか? それにしても、そんなこと未来でも見通せないことには――」


 言い掛けて、クルーガーが口をつぐむ。テロンがさきほどルシカの能力として示唆したように、未来を見通す魔導の技は存在するのだということに思い至ったのだ。ルシカの祖父、『時空間』の大魔導士ヴァンドーナが有していた力――『予知プレディクション』。古代龍がそのような力を持っていないと、誰が言い切れる?


「塔の秘密、錫杖の構成データ……過去の事象や記録をよみがえらせる手段でもあったら、たとえ完璧に消去されていても意味がない……か」


 独白めいた兄のつぶやきに、テロンはハッと顔をあげた。何かが引っ掛かったのである。だが、彼が口を開く前にクルーガーが言葉を続けた。


「とにかく、ルシカが見たという魔導士に問いただせば、何かわかるのではないか? あの場所にいるのだ。無関係ではあるまい」


 再びテロンは考え込んだ。迅速に行動するために妨げになりそうな事柄を頭のなかに並べてみる。


 冒険者たちでも容易に到達できない標高と自然の脅威、ザルバーンの崩壊であちこちが割れ砕けているはずの大地。そこに現れ、いまなお徘徊しているであろう古代龍。大人数で出向いては混乱するばかりで、並大抵の者では移動すら難しく、隠密に行動するのはさらに厳しいものとなりそうだ。


 テロンが口を開こうとしたとき、またもクルーガーが先に言った。


「最善の方法としては、そうだな……救助に関してはやはり俺たちだけで行ってきたほうが早いか」


「俺もそう思っている、兄貴」


 兄も同じことを考えていたらしい。テロンが同意するように頷くと、たちまち騎士隊長をはじめ大臣たちから反対の声があがる。


「陛下ッ! どこの国に、自らが冒険者のように気軽に出掛けてゆく国王がいるというのですか!」


 はっきりと言ったのは、騎士隊長ルーファスだ。双子の王子の幼少からのお目付け役であり、剣術の師範でもある彼は、常日頃から主君に対しても糖蜜にくるむことのないはっきりとした物言いをぶつけてくる。それが先王からずっと信頼をおかれている理由のひとつではあるが。


「だが、それが妥当な判断というものだ、ルーファス。魔導士でなければそもそも、あの場に至るのも困難な場所なのだ。それに加え、古代龍と時を同じくして現れたのだぞ。少女が何か知っていると考えるのが自然ではないのか? 救助ももちろんだが、いまは何より情報が欲しい」


「――私が言いたいのは、何故国王陛下自らがそこに出向かれるのか、ということですよ!」


 もう決断した計画に思考を巡らせはじめた主君を見て、ルーファスが重厚な執務机をバンと叩いて反論する。壮年を過ぎたとはいえ、大陸でも指折り数えられる腕力と剣術の武人である。先々代から受け継がれている頑丈な机であるが、今日この瞬間、まさに今にも割れ砕かれて終わりを迎えてしまいそうであった。


「では訊くが、他の者に任せよというのか?」


 国王クルーガーの冷静そのものの言葉と真っ直ぐに射抜いてくる視線に、ぐぅ、と黙り込む。ルーファスは双子の王子に剣術を教え込んだ師範だとはいえ、すでに腕も体力も俊敏さも、駆け引きさえも上回られてしまっているのだ。


 目の前に立つ国王と王弟、このふたりに匹敵する人物など、国内にはいないであろう。たとえいたとしても、王であるクルーガーは、自分の思いつきの為に他人を死地へと送り込むようなことを是としない。それはルーファスにも、いや、彼だからこそよくわかっている筈であった。


 テロンは、ルーファスの瞳に諦めのいろを見て、たたみかけるように口を開いた。


「だから、俺たちで行くのが最善なんだ」


「テロン様まで……」


 ルーファスがため息をついた。ルシカと並び、王国すなわち国王の決断における良き相談相手である王弟の同意となれば、騎士隊長ごときが反論する余地など無くなったも同然である。だがどこの王国に、国王自らが冒険者よろしく危険のなかに飛び込むという無茶がまかり通るものなのか。


 しかし――双子の父である先王ファーダルスも、即位前の戦乱の世にあって一介の冒険者に身をやつし、大陸を回っていたのだ。ルーファスは観念したようにうな垂れた。そも目の前の主君らは、王子であった頃から自分たちの為すべきことを決めたら、いっかな譲ろうとはしなかったことを思い出したのだ。


 ルーファスの顔に現れた疲労に気づき、テロンはいつかの王宮抜けのときの彼の落胆ぶりを思い出した。そのときと同じため息をついたあと、騎士隊長が表情を引き締めて彼らふたりに頭を下げた。


「御意。留守はお任せください。ただ……一刻も早く、無事でお戻りになられますよう」


「了解した。すぐに戻るさ。……気苦労をかける、ルーファス」


 ニヤリと微笑み、自信たっぷりに請け負いながらも、兄の表情には翳りがあった。彼もまた、幼少からの世話役に老いを見たのだろう。


「俺たちは心配ない。それよりも――」


 国王である兄は表情を引き締めて、もうひとつの本題に入った。その重々しい声音に、場の雰囲気がぴんと張り詰めたものに変わる。大臣たちは慌てて姿勢を正し、耳をそばだてた。


「王国の民を護るために、急ぎ行動せねばならぬことがある」


「――とは?」


「王国の中央を流れる大河ラテーナ、水源となるのはゾムターク山脈の他、もうひとつはフェンリル山脈なのだ。此度の氷河消失で、地下水脈が一気に膨れあがるはずだ」


 そのことが引き起こす現象に思い至り、騎士隊長や大臣たちが息を呑む。


「河川の氾濫が考えられる。流域の都市や村、住んでいる民すべての安全を確保するのだ。食料や必要物資、避難経路の確認を。ミディアルを拠点とし、王宮との連絡を確かなものにした対策本部を置け。各地に王宮直属の魔術師たちを派遣して、その兆候がみられた際には迅速なる対応ができるように」


 クルーガーはさらに細かな指示を出し、大臣たちにそれぞれの役回りを振り分けた。


 大臣たちがばたばたと出て行ったあと、部屋に残ったのは国王と王弟、そして騎士隊長となった。


「陛下――」


 何やら言い掛ける騎士隊長を手で制し、クルーガーは扉を見た。直後、コン、コンと軽やかな音が響く。いつもより幾分か早いリズムだが、クルーガーには誰だかすぐにわかったようだ。嬉しそうな、それでいて苦しいような、微妙な表情になる。テロンにはその気持ちがよく理解できた。自分だってルシカにどう切り出せばよいのか――。


「クルーガー!」


 扉が開くなり駆け入ってきた少女は、真っ直ぐにクルーガーの胸に飛び込んだ。心細かったのだろう、いっぱいに開かれた真紅の瞳が潤むように揺れている。


「マイナ」


 クルーガーは少女を抱きしめ、そして色白の頬をそっと手のひらで包み込むようにして上向かせ、瞳を覗きこむように見つめた。どう切り出せばよいのか言いよどんで口を半端に開いていたが、彷徨うように揺れていた視線が代わりに物語ったようだ。彼女の眼がさらに大きく見開かれてしまう。


「クルーガー……? まさかあそこへ行かれるのですか?」


 怯えと不安をたたえた瞳で真っ直ぐに見つめられ、観念したようにクルーガーが頷く。


「どうしてもというのなら、わたしも……わたしも一緒に行きます!」


「すぐ戻るから、待っていてくれ、マイナ。古代龍は魔導の気配を察するかもしれないらしいから、連れてはいけない。大事な君を危険に晒したくないんだ」


「で、でもっ」


「何も古代龍とやらとじかにやりあおうというのではない。偵察と、飛翔族の魔導士の保護が目的だから、心配しなくてもいい」


「わたし……わたし、嫌な予感がするんです。行ってはいけない、そんな気がするんです!」


 さしも切れ者と謳われるソサリア国王も愛する娘には弱いらしい。泣かせたくはなかった相手の涙の雫を、途方に暮れたような眼をしてすくいあげているばかり。


 兄の窮地にどう口を挟めばよいのかわからず、テロンは困った。が、開け放たれている扉から、その耳に聞きなれた足音を聞き、無意識に背筋が伸びる。いまの兄と同じような顔をして扉へと向き直った。



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