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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第六部】 《古代龍と時の翼 編》
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1章 歴史の宝珠、投じられた一石 6-2

 テロンは、傍らの椅子から立ち上がった愛妻ルシカの表情を見て、何か途方もない、言い知れぬ不安のようなものを感じた。


 不安? ――いや、予感なのかもしれない。


 魔導士である彼女の頭のなかで、どのような考えが巡っているのか。魔法に対する感覚は常人と変わらないテロンには、想像もつかなかった。だが、彼女の感情は理解できる。


 咲き初めの薔薇のようなルシカの唇は、何かを言いかけたときのように半端に開かれたまま蒼ざめて凍りついていた。オレンジ色をした瞳は見開かれ、ここではない光景を映しこんでいるかのように大きく揺れている。


 魔導という力を受け継いでいるゆえに、テロンには感じ取ることもできない何かの兆しを感じたのか――。


「俺が塔へ通っていたときにもずっと、揺るぎないザルバーンの峰は眼によく馴染んだ光景なんだが」


 テロンの耳に、兄クルーガーの声が届く。冷静沈着な兄ですら、ニルアード大臣の報告を受けて戸惑っているようだ。もちろん他人から見ればいまも変わらず堂々とした国王としての姿勢を保っているが、双子ゆえにその言葉の奥底に生じた不安をテロンは感じ取っていた。


 霊峰ザルバーン。このトリストラーニャ大陸が創られた始原のときより変わらず在り続けているといわれる、人の領域を超えた古き自然の聖域であった。歴史に記されている限り――古代魔法王国グローヴァーの時代においてさえも、の霊峰が動いたという記録はない。


「それが今まさに……崩れているだと?」


 クルーガーが言葉を続けながら、大河ラテーナの流れをさかのぼるように視線を動かした。テロンもつられるように眼を向ける。


 フェンリル山脈の最高峰であるザルバーンは、王国の南に屹立きつりつしている絶壁と幾つもの高峰が連なるその彼方かなたにある。さきほどまでは珍しくも、遠い距離にあるこの王宮からもくっきりと眺められていたはずだが……。


 視線を向けた全員が息を呑んだ。遠く連なっていた雄大なる山脈が、すっぽりと白い雲のようなものに覆われ、黒い粉塵のような筋までもが入り交じっていたのである。


 ひとり厳しげな面持ちで無言のまま目をせばめたのは、魔導士であるルシカ。彼女はごくりと喉を鳴らし、傍らに立つ長身の夫――テロンの青い瞳を見上げた。


 妻の視線に気づいたテロンは、すぐ彼女のほうに向き直った。為すべきことを決意した揺るぎない瞳。だが長い付き合いである彼には、その瞳の奥に秘められているわずかな逡巡しゅんじゅんまでを見て取ることができた。


 ルシカが何を懸念しているのか、テロンにはわかった。心配されることがわかっていても、いまここで魔導の技を使うことを承諾して欲しいのだ。いな……彼女はあえて彼に訊こうとしているのではない。ただ、心配する夫の気持ちを深く理解しているゆえに無意識のうちにそう動いたのであろう。


 彼女はいつもテロンのことを気遣っているのである。テロンが彼女を気遣っているのと同様に。


 テロンは口元だけを微笑ませ、彼女に向けてきっぱりと頷いてみせた。信じているから、君の思うとおりにやって構わない、と。


 ルシカがホッとしたように表情を緩めた。次いで真剣な面持ちになって身をひるがえし、魔導行使のためにバルコニーの中央へ走っていく。仲間たちから十分に離れた位置で立ち止まり、両足を揃えて深い呼吸をひとつした。


 その彼女の背に、思わずといった口調でクルーガーが声を張りあげる。


「待てルシカ! ザルバーンは遠いぞ、無理をするな。こんな遠距離から『遠視マジックアイ』で見えるものではないだろ?」


「いいえ。使うのは『透視クレアボヤンス』よ」


 短く答え、ルシカは両腕を広げた。流れるようになめらかな動きで定められているままに魔導のことわりを紡ぎだす。魔導士としての彼女の力が世界を巡る力の流れに干渉し、浸食し、変化を生じさせる。


 彼女の周囲の空間から滲むように幾筋もの光が現れ、空中を飛びはしる。光は、不可思議な模様で綴りあげられた織物のごとき優美な紋様と同心円を描き、消えない夢幻さながらに空中に固定された――魔法陣だ。


 まばゆい陽光のもとにあってもなお、光り輝く魔導特有の緑と青の光。ルシカの細くたおやかな体の周囲に生じた色のついた風の渦は、魔導の力場が生じていることを現している。やわらかな金の髪がなびき、すべらかな肌が彼女を取り囲んでいる魔法陣の輝きのなかで自ら光を発しているかのようだ。


 オレンジ色の瞳の虹彩に、白き魔導の輝きが灯った。彼女は小さなおとがいをグッと持ち上げ、まばたきひとつせぬまま真っ直ぐに霊峰ザルバーンの方向に両の瞳を向けた。


 ――魔導という視覚を得た瞳の内に、肉眼では見渡せないの地の光景を映し出しているのだ。


 テロンは口元を引き締めたまま、これらの光景を見守っていた。魔導の技を行使しているときの彼女の姿は女神さながらに美しい――まさに人智を超える事象を具現化しているゆえに。


 だが――その魔法を使うことで、魔導士がいかに気力と魔力マナを消耗するのかもまた、彼はよく理解していた。『透視クレアボヤンス』なる魔導の技は、『透視』という名で分類される数々の魔法のうち、最上級に位置しているものである。通常は『透視』という力の『名』を持つ魔導士にしか使うことができない魔法なのだ。行使する魔法の格が上がるということは、消費する魔力も大量になってゆくということである。


 通常、不可能だとされる事象も具現化してしまう奇跡の技――『魔法まほう』。その力の根源は『魔力マナ』と呼ばれている。魔力は世界に存在する全てのものの内に秘められており、特に生命を持つものの魔力は強い。


 魔法を行使するということは、術者自身の魔力と意思の力で対象の魔力に影響を与え、そのりようを変化させることである。そして同時に、まるで気力や体力のように、生命そのものである魔力を消費してゆくのであった。


 世界全体でみれば魔力は消え失せているのではなく、周囲に働きかけたエネルギーとして散じてしまっているに過ぎない。だからゆっくりと休養を取ることで、また外部から注ぎ込まれることで魔力は回復させることができる。回復させることができず死に至ってしまうのは、生命を維持することができぬほどに魔力を失ったときのこと。


 そして、魔法の行使をより強力に、より確実に、そして瞬時に行うことができる者たちを『魔導士まどうし』と呼ぶ。彼らは、かつて民の全てが強大な魔導の力を日常のものとし、超常の文明を我がものとして摩天楼がそびえ立つ大都市を築きあげたという、二千年前に滅びしグローヴァー魔法王国の末裔とされるのが常であった。


 ちなみに、魔導の血を生まれつき持たない者が同じような魔法効果を得ようとして呪文の詠唱や魔道具の助けを借り、実現するのが『魔術師まじゅつし』だ。その詠唱時に使われる言葉というものは魔法語ルーンと呼ばれている。


 魔法は本来、創造、破壊、時間、空間、召喚、幻覚、察知、透視などという力の『』によって区分されており、魔導士や魔術師は中級までの魔法であればほとんどの種類を使うことができる。だが上級の魔法となると、魔導士であってもどれかひとつ、もしくはふたつまでの種類しか行使できない。


 けれど、その制限に縛られることのない者が、この現生げんしょう界に生まれることがある。


 現在、その万能の力を持って生まれし者――それが『万色』の魔導士ルシカなのだ。すべての『名』に属する力をあやつり、複数の魔法を同時展開できるという無限の可能性を秘めた存在だ。


 テロンは、ルシカの行使する魔導の邪魔にならない距離までゆっくりと近づき、そこで静かに彼女を見守った。何かあったときには、すぐさま駆け寄って彼女を支えてやることができる位置に。 


「……う……!」


 何の前触れもなく、ルシカの表情が変わった。


 細くまろやかな肩がびくりと震え、苦痛を感じたときのように表情が歪められる。額には汗が生じ、頬は上気して薄く染まった。凄まじい重圧でもかかっているかのように、がくがくと震える膝がいまにも折れそうだ。


 テロンは危うく彼女に駆け寄りそうになった。何とか自制し、足を止める。魔導の技を行使しているルシカの集中を乱すことになれば、魔法効果は維持できなくなってしまう。それどころか、特殊な状況においてはルシカの力を暴走させてしまい、彼女自身の生命を吹き飛ばしてしまう可能性もあった。


 彼女が死ぬ? それはテロンが何よりもおそれていることだった。音が鳴るほどにこぶしをきつく握りしめ、自身の心の内に込みあがってくる想いを押し止める。


「……いけない……させない……ッ!」


 ルシカがつぶやくように緊迫した声を発した。


 何が見えているというのか。何が起こっているのか。彼女は『透視クレアボヤンス』の魔導を維持したまま指先で新たな印を組み、何処かに力を送り込むかのように腕を動かした。新たな魔法陣が彼女の眼前に展開される。


 刹那、押し返されるような圧迫を受けているかのように、ルシカの体全体がピシリと揺れ動いた。片方のまぶたを閉ざしそうになりながらも、必死に魔法陣を維持し続けている。その表情がさらに苦しいものとなっていく。


「……る、ルシカさん……」


 細く震える小さな声にテロンが思わず視線を向けると、マイナが両手を祈りの形に組んでルシカを見つめて立ち尽くしていた。祈りの形は主神ラートゥルのものだ。おそらく彼女の父が司祭だったこともあり、幼少の頃から自然と馴染んでいる仕草なのだろう。


 それよりも、テロンはマイナの表情が気になっていた。彼女はルシカと同じ『魔導士』である。力の『名』は『使魔』という魔獣使いに属するものだが、もしかしたらルシカの行使している魔導の状況がわかっているのかもしれない。


「いまルシカは何を――」


 顔をマイナに向け、テロンが届くか届かないかぎりぎりの小声で問いを発しかけたときだ。


 声にならないルシカの悲鳴が周囲を貫いた! 同時に――。


 ズンッ!!


「うわッ!?」


 魔力の霧散した衝撃波なのか、窺い知れぬ強大な敵が放った力の片鱗なのか。


 壁のように幾重にも重なった気配のようなものが、ルシカが立っていた場所を中心として瞬時にバルコニーを吹き抜けた。さしもの頑丈な『千年王宮』の壁や硝子ガラスも、びりびりと軋るような音を立てる。入り口にいたメルエッタや、後方に控えていたはずの大臣の悲鳴も聞こえた。


 衝撃波はルシカの体を空中高く撥ねあげていた。まるで巨人の手のひらが容赦なく彼女を弾き飛ばしたかのように、細い体が宙を舞う。


 テロンは迷わなかった。床を蹴って跳びあがり、吹き払われたルシカの体を空中でしっかりと受け止めたのである。だが――その体の熱さにドキリとして、思わずルシカの顔を覗き込んだ。


 バルコニーの床に着地したテロンは見た。腕のなかに抱きとめた魔導士の瞳に宿っていた白の輝きが、弾けるようにして消え去ったのを。


「ルシカ!」


 床に片膝をつき、テロンは急ぎルシカの様子を確かめた。顔にかかっていた金の髪を手で除けると、苦痛のあまり眉を寄せまぶたを閉ざした彼女の顔が現れる。肌は紙のように白い。力を失った細い手がするりと滑り、テロンの腕に当たった。気を失っているのだ。


 彼女の瞳――尋常ならざる熱を帯びている。何かあったに違いない。


 テロンは自分の顔から血の気が引くのを感じた。おそるおそる手を伸ばし、彼女の瞳の具合を確かめる。その熱さに思わずビクリとするが……瞳そのものは損なわれていないようだ。テロンはホッと安堵した。


「……ん……!」


 ルシカが意識を取り戻した。まつげが震え、まぶたが上がる。だが、たちまち苦痛に襲われたのであろう、くぐもった悲鳴と同時に瞳を押さえて体を折ってしまう。テロンは震える腕で彼女を抱きしめた。


「ルシカ! どうしたんだ、何があった!?」


 駆け寄ってきたクルーガーが叫ぶように問いを発した。心配のあまり顔色を失っている。マイナはその腕にしっかりと抱えられていた。離れたところで、メルエッタたちも無事だったようだ。


「わからないんだ。兄貴、急いでファシエルの司祭を呼んできてくれないか。ルシカに癒しと賦活の魔法を――」


 テロンが言いかけたとき、彼の頬にやわらかな感触があった。ルシカが彼の頬に触れるように手のひらを添えたのだ。腕のなかに視線を落とすと、唇を微笑みのかたちにしたルシカと眼が合った。


「平気……ごめんね、心配かけて」


 だが彼女の瞳は笑っていなかった。彼女にしては珍しく、震えおののいているようにさえみえる。ルシカは囁くように細く、だがきっぱりと言葉を続けた。 


「あたしは平気……それより大変なのは、ザルバーンなの。大変なことが起こっているわ。あの塔が……そして、何としても彼女を助けないと……!」


「塔……? それはまさか!」


 テロンは顔をあげ、兄クルーガーと眼を見交わした。その兄の隣ではマイナが寄り添うように立っている。の地ザルバーンの近くで塔といえば『打ち捨てられし知恵の塔』しかないはずだ。


 さらに言葉を続けようとするルシカの体を抱き支えるように起こしながら、テロンはそのことを考え、何故か背筋にぞくりとしたものを感じていた。


「あの塔を遺しておくわけにはいかないわ。古代龍が何を狙っているのか、何を為そうとしているのか――すべてはまだわからない。けれど、このままでは――あたしたちに未来はない」


 厳しい表情のまま決然とした口調で、『万色』の魔導士は告げた。





 トルテは悩んでいた。ため息をつきながら、手のひらに握りこんでいた小ぶりの魔晶石を見つめている。


「ハイラプラスさんのおっしゃりたいことはわかったのですけど……。やはり、かあさまに相談しなければなりませんね」


 囁くように発せられた声には、はっきりとした疲労の気配があった。何度も技を行使しようとして、あまりの難易度ゆえに失敗続きであったのだ。


 傍にリューナはいない。彼は『歴史の宝珠』なる古代の五宝物のひとつを持ち出すため、席を外している。できれば彼が戻ってくるまでに自分で仕上げたかったのだけれど――やはり、母を頼るしかない。


 トルテは立ち上がり、自分の決断にひとつ頷くと、手のひらの内に魔晶石を握りしめたまま背筋を伸ばして午後の光が縞模様を織り成す廊下を歩いていった。



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