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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【番外編2】 《白き闇からの誘い 編》
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5章 闇の脅威 外2-9

 相手はようやく力を緩め、ルシカの体を解放した。


 ひねられた肩の痛みにルシカが息をつまらせると、若者の顔が曇った。あざのように跡のついた細い腕を、後悔のいろを浮かべた眼で見つめている。


 ヒカリゴケの放つ薄明かりのなか、ありがたいことに、ようやく完全に眼が闇に慣れてくれたらしい。ルシカは若者を見た。相手が自分と同じほどの歳の青年――つまり十九歳の成人直前くらいであり、身なりからしてラムダーク王国でも貴族クラス以上の地位であること、テロンと同じようにショートに整えられた淡い色彩の髪、濃い色の瞳であることなどが見て取れる。


「……すまなかった。魔法のめくらましか、妖しい地霊のようなものかと思ったんだ」


 相手は弁明するようにつぶやきながら身体を起こし、ルシカの上から退いた。小石の転がる地面に座り込む。怪我をしたらしい右の上腕を左手で押さえ、痛みに引きつる口元を引き結びながらも、まだ何か言いたげな様子でルシカのほうをちらちらと見ている。誤解とはいえ、一方的に襲い掛かったことに後ろめたいものを感じているらしい。


 相手によもやそれ以上の感情が湧き上がっていたことは、ルシカには知る由もないのであるが……。


「いいのよ。その気持ちはわかるわ。普通こんな場所に女の子が居るわけないもん」


 ルシカは乱れてくしゃくしゃになった髪を手ぐしで整え、衣服の汚れを払った。手足を動かした限りでは、さきほどの遣り取りでも致命的な損傷は受けなかったようだ。衣服をそっとめくり上げて腕や脚の痛むところを確かめてみると、赤黒く腫れている箇所がいくつもあった。もともと白い肌であるだけに、相当に目立つ。


「それは、まさかさっき――」


「あ、いえ、ううん。これは違うの。落ちたときの傷みたい」


 ルシカは慌てて首を横に振って衣服を戻し、相手を安心させるように微笑んでみせた。頬にかかった長い髪を無意識に掻きあげるようにして、背に放る。細い首筋を目にして若者は慌てて視線を逸らしたが、何かに思い当たったかのようにまた顔をあげた。


「落ちた、と言ったのか? ではもしかして、俺と一緒に上から落ちてきたというのか」


「そうよ。魔法陣が断ち切られて相互干渉が狂わされたとき、それを引き起こした者の周囲の床が抜け落ちるようになっていたの。古代遺跡にあるのと同じような、一種のトラップね。警告しようとしたけれど、あたしの声はあなたに届かなかったみたい」


 ルシカは頭上を見上げた。闇に慣れた眼にも天井が判別つかないほど、かなりの高さがある。ルシカにつられるように視線を上に向けた若者は、ふぅ、とため息をひとつついて首を振った。


「……よく死ななかったなと思うよ。こんな高さから落ちたというのに。おま――君も無事で本当に良かった」


 心の底から発せられた言葉に、ルシカは微笑を返した。やはり性根は真っ直ぐなようだ、と安心する。


「あたしたちソサリア王国の船で、あなたたちラムダーク王国の船の捜索に来たの。さっき壁の向こうにいたひとたちは、お仲間さんたちなんでしょ? 無事に見つかって嬉しい――全員いるの?」


「ソサリアの!」


 若者の表情がパッと明るくなった。


「そうか、やはり! ソサリアはさすがだ。新王も魔法の使い手だと聞くし、このような魔の海域にも恐れず兵を派遣できるとは、まことに素晴らしい。魔法はいにしえから伝わる大いなる力、非常に有益なものだ。民たちの暮らしも便利になるし、豊かにもなる。……我が父にもそなたらの爪のあかを煎じて飲ませてやりたいくらいだ」


 そこまで一気に語り、若者はふと黙った。


「全員か、と訊かれると……全員ではない。乗組員の半数が母なる海に還ってしまった。船も浮かぶのが精一杯という有様で、ようようここまでたどり着いたのだ。しかし、船を修繕しようにも材料がなかった。俺たちはそのための物資を求めて、さきほどいた場所を探索しようとしていたのだ。時間の巡りはここではわかりにくいが、俺たちが漂着して四日は経っていると思う。そろそろ水も食料も尽きかけていたんだ」


「そうだったの……。それで何とかしようと移動を試みていたのね」


 ルシカは頷き、右手を負傷している相手をおもんばかって両手を若者の左手に差し伸べた。


「あたしたちソサリアは平和の盟約を結びしラムダークを歓迎します。盟友よ、誓いのもとに――。船も生存者のみなさんも、もう大丈夫よ。さぁ、みんなが心配しているわ、早く上に戻らなくっちゃね。協力して苦難を乗り越えましょ。よろしくね!」


 若者も手を伸ばした。けれど、握手のために手を差し出したルシカの思惑とは違っていた。若者はルシカの片手を取り、唇をつけたのである。ルシカは驚き、反応に窮した。頬が赤く染まる。


「――こちらこそ。上まで俺が無事に護っていく。安心して任せてくれ」


 慇懃いんぎんすぎて芝居がかったような口調は、どこまでが本気なのか、冗談なのかわからなかった。が、若者の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。ラムダークの宮廷では、このように挨拶をするものなのかもしれない。ルシカは今までに一度もの国を訪れた経験がないのだ。


「あ……ありがとう。それにしてもさっき、どうやってあの強固な護りの障壁を打ち砕いたの?」


「魔法を付与エンチャントしてある剣で、あらかじめ壁に傷をつけておいたのさ。そこに火薬を仕掛けた」


 若者は少しだけ得意げに語り、腰に提げてある鞘からゆっくりと剣を引き抜いた。左手で掲げられたその剣は周囲の青緑色の光を反射し、闇の中に鈍く輝いた。厚く重そうな刀身、握る部分には宝石が嵌められ、凝った装飾が施されている。その意匠はラムダーク王家の紋章のようにも思えた。暗くてはっきりと確認できないので、ルシカは思わず眼を近づけたが……。


「剣が、剣の魔法が消えている!?」


 若者は呆然としたように刀身を見ていた。何か思いついたのか、次に彼は懐からはこを取り出した。手のひらに乗る大きさで、金属でできている。ひどく頑丈そうなその函には、ルシカにも覚えがあった。ソサリア製の『発火石』の収納ケースだ。


 若者は手のなかの『発火石』を地面に置き、剣の柄で突いた。石は砕け、なかに閉じ込めてあった『発火ファイア』の魔法が解放されて火がポッと明るく燃え上がる――はずであった。


 けれど、繊細な音を立てて砕けた石はそのまま無数の破片となって散らばり、ヒカリゴケと数多あまたの小石に覆われた地面のどこやらにまぎれてしまった。火のひとかけらも現れていない。


「やはり……おかしいぞ。魔法の石なのだし、湿気しけたというわけはないだろう。ここは魔法を消し去ってしまう場所ではないだろうか」


 言われてはじめて、ルシカは自分の魔導の力だけが封じられているわけではなかったことに思い至った。腰の帯をまさぐり、そこに結わえつけてあった皮袋の紐を解く。やはりだった。中に入っていた魔石はどれひとつとして、魔法の気配を残しているものはなかったのである。


「それ……すごいな、全部魔石なのか」


 手のひらに取り出して魔石を確認していると、手元を若者が覗き込んでいた。ラムダークにはあまり出回っているものではないことを、ルシカは思い出した。物珍しいのだろう。


「うん。落ちた衝撃で割れているものはないけれど、いくつか無くなってるみたい。確認してみなきゃ……」


「やはりソサリアはすごいな。魔石がごろごろとあるなんて」


 ごろごろとあるわけではないのだけど……とルシカは心の内で苦笑した。宮廷魔導士という立場上ひとよりは多く所持しているが、決してありふれたものではないのである。魔石は貴重だ。加えて言えば、魔晶石という純粋な魔力マナの結晶であるものは、魔石とは比べ物にならないほどもっと貴重で希少なものになる。


 国内で魔石をいくつも所持しているのは、ルシカの他にはファンの町の魔術学園の学園長であるメルゾーンくらいだろう。脳裏に高笑いする自己意識過剰な魔術師の姿が浮かび、思わずルシカは唇を尖らせてしまう。『闇の魔神』をけしかけられたときは、本当に死ぬかと――。


 ルシカはそのとき、ある事実に気づいた。袋から膝の上にザッとすべての魔石を出し、もう一度確認してみる。――やはり無い、無くなっている!


「『封魔結晶』が……!」


 ルシカはつぶやき、顔をあげた。よほど不安そうな、切羽詰ったような表情になっているのだろう。「どうした?」と若者が問い掛けてくる。ルシカが口を開きかけたとき、どぅん! という鈍い音が地面の揺れとともに伝わってきた。


「なんだ、地震かっ? ……いや、違うな。そのような波の伝わり方ではない」


「まさか……でも……ありえないことではない」


 ルシカは囁くような声で言った。袋を握りしめ、眼を見開いたまま周囲の闇に視線を向け、いやいやをするように首を横に振りながら。


「――ここは魔法の力が失われた場所。護りの水晶の力が消え失せ、『封魔結晶』が地面に落ちて割れたのだとしたら。ああ、もしかしたら、『闇の魔神』が解放されたのかもしれない……!」


 若者は、ルシカの言葉を聞いてはいなかった。再び、ずうぅん、という腹に響くような地響きが伝わってきたのだ。近くはないが遠くもない。だが、明らかにこちらへ近づいている。


「音と揺れの正体はわからないが、ここは危険だ。急ぎ、上へ合流するために移動しよう」


 そう言って立ち上がったが、若者はすぐにふらりとよろめいた。立ち上がった途端、まるで視界がなくなったような目つきをして、地面に向かって倒れこんだのである。


「危ないっ」


 ルシカはすぐに腕を差し伸べた。だが、非力なルシカの腕では支えきれない。ふたりとも小石の転がる地面に倒れこんでしまう。相手の頭部が固い岩盤に叩きつけられないよう、腕で抱えこむのが精一杯だ。


 どうしたの、と問うまでもなく、ルシカは今さらながらに気づいた。傷だ。若者は腕を押さえて平然と喋っていたが、座っていたときには背に足元に隠されていた位置に、血だまりができている。相当な量だ。傷は深い。


 なんとか地面に寝かせ、若者の袖を捲り上げると、大きな裂傷があった。骨にも損傷がある。これほどの傷をこらえたまま、普通に喋り続けていたとは……驚嘆すべき意志の力と鍛えようである。だが、これでは移動もままならない。


 魔導の力は失われているが、なんとか物理的に傷を塞がなくては。ルシカは考え、止血のための布を探そうとした。背にあった荷物は落下の際に失われている。中に入れていたはずの軟膏の瓶すら無くしてしまったことが悔やまれた。腰にある魔石も、今は役に立たない。


 また、地面に大きな振動が伝わってきた。はじめに感じたより、ずいぶんと近づいているような気がする。時間がない。ルシカは自分の衣服の裾を裂いて、手早く仮ごしらえの包帯を作った。裾は少々短くなるが、仕方がない。もし予想が的中していれば、命が危ないのだ。


「ありがとう。えっと……そういえば、君の名前は?」


「あぁ、そうね。お互い名乗っていなかったね。……あたしはルシカよ」


 魔導士だと説明することは躊躇した。この現状では何の意味もないだろうと思ったのだ。むしろ、頼りになる力がひとつ失われていることをわざわざ指摘することで、相手を不安にさせることはないかもしれない。


「ルシカ……」


 若者はつぶやくように繰り返し、次いで目を見開いた。心の衝撃に揺れているかのような瞳でルシカを見たが、すぐに落ち着いたようだ。


「いや、何でもない。気にしないでくれ。俺の名はイルドラ――いやイルド、イルドというんだ」


「イルド」


 ルシカが口のなかで繰り返したとき、今度ははっきりと地面が揺れた。近い。しゅうしゅうという不穏な音までが耳に届く。


 音の根源を追ってふたりは眼をあげ……時の歩みが刹那、停止した。


 すぐ傍まで近づいてくるまで視界に入らなかったのは、立っている場所の高さがこちらと違っていたからにすぎない。闇のなか、ふたりがいる場所からばんやりと見える垂直な壁は、壁ではなかった。それは自然の創りあげた巨大なきざはしの一部であったのだ。


 こちらを怒りに満ちた瞳で見下ろしているのは、あの『闇の魔神』だった……!





「……テロン。どうした?」


 低いが涼やかに響くその声に、テロンは閉じていた目蓋をあげた。双子の兄であるクルーガーが、こちらに視線を向けている。その向こうには、白きもの――エトワの姿もある。


「ルシカのことなら心配ないさ。あいつがちょっとやそっとのことで壊れるわけがないだろう?」


 兄の言葉は、決して気楽に考えて発せられたわけではない。思い詰めると暴走しかねないテロンの心を落ち着かせるため、わざと揺さぶっているのだ。普段、穏やかで落ち着いているとよく言われるテロンであったが、実は兄以上に夢中になったことに対しては向こう見ずに突っこむ傾向があるのではないかと、自分でも感じている。


 普段は、ルシカや兄貴の暴走を止める役回りばかりなのに――。テロンはクルーガーに向けて頷いてみせながらも、心の内で苦笑した。逆に、こんなときにも冷静でいてくれる兄の存在がありがたかった。やはり、ソサリアを治める役回りは自分ではなく兄でないと務まらないな、とテロンは思う。


「――もうすぐ最深部である五階層目に到着するはず」


 エトワは唇を動かさず、直接心に向けて言葉を伝えてくる。彼の視線をたどると、さきほどこの空間に入ったときにくぐり抜けた扉があった位置に、地図のようなものが魔法の光によって描かれているのが目に入った。巨大な空間を表すものが、確かに五つ描かれている。乗った場所が一番上であったとすると、今は上から3つ目の空間までを通過したことになる。


「これは途中で停まることができないのだ。だから最深部まで降りたあと、何らかの手段を講じて壁に穴を穿うがち、上に広がっている自然の洞穴に入り込まなくてはならない」


 エトワは説明した。


「自然の洞穴に、我らの興味はなかった。むしろ魔獣が住み着いている可能性もあった。ここへ来たばかりの頃の祖先は、地形を全て調べたようだが、今はその記録が残っているだけだ。何が生息しているかも把握しておらぬ。今どうなっているのかもわからぬ。我らにとっては無用の場所、本来魔の海域にあるそのままの自然の領域として残してあるがゆえに――」


「ちょっと待ってくれ。……ルシカはそんな場所に落ちたというのか」


 魔獣が生息しているかもしれないというのか? テロンの心中は穏やかではない。一体や二体なら魔導の技で何とかできるかもしれないが、立て続けに遭遇していたらどうする? 魔力マナが尽き果てたとしたら……。


「その洞穴に入るための扉はないということだな」


 クルーガーの声に、テロンの暗い思考は断ち切られた。顔をあげたとき、エトワが応えた。


「扉は、ない。だが壁の薄い場所がある。そこに魔導の技を叩き込もう。我らは本来破壊を好まぬ種族であるが、見殺しをよしとする種族でもない。……そなたらの仲間である、あかつきの瞳をした魔導士の救わねばならない」


「俺の魔法剣で、壁を貫けば話は早いな。テロンの技とともに叩き込めば、固い岩盤でも砕けると思うぞ」


 クルーガーはニヤリと笑い、腰の長剣の鞘を叩いてみせた。エトワが微笑する。


「――そなたらは火薬の匂いがしない。魔法と剣、新旧のふたつの力だけで切り拓こうとしている」


「いや、まあ砲台も所有しているし皆無ではないが――俺たちは剣と体術と魔導でいつも切り抜けてきたからなァ。……て、ちょっと待て。何故ここで火薬の話が出た?」


 クルーガーは、何か重要なことが語られているのではないかという顔つきになっている。兄の穏やかながらも抜け目のない視線を追い、テロンはエトワを見た。エトワは眉を下げ、光を内側から放っているような瞳を僅かに揺らした。


「そう。我らは、急激な燃焼反応を起こす焔硝えんしょうのような物質が苦手なのだ。戦好きな者たちの好む破壊の手段。現生げんしょう界で普及しつつあることを、残念に思っている」


「俺は、あんたたちの技術というのもが、機械を使ったものだと思っていた。物質を燃焼させ、動力を得るものなのではないのか? だったら火薬とそう変わらぬ気もするが」


「事実は全く異なる。我らの使うエネルギーは、大気をけがすものではない。それは――」


 ズンッ! エトワが言い掛けたとき、空間を鋭い衝撃が突き上げた。


 移動していたはずの空間が唐突に停止したのだ。三人はいずれも卓越した運動神経の持ち主であるか、この世界のことわりから外れている存在であったので、姿勢を崩しただけで済んだ。だが、停止した理由がわからない。魔法の地図を見ると、どうも四階層目を通過しようとしている場所で停まったらしい。


「――エトワ、何が起こったんだ?」


 只ならぬ雰囲気に、鋭い口調でクルーガーが訊いた。


「こんなことは初めてだ。魔法効果が侵食されているようだ。この移動装置は造られたときに魔法は使っていなかったが、現在の維持と稼動に関しては、この世界の魔力マナの流れを利用している。だが、なにゆえこのようなことが――」


 そのとき、三人は見た。


 床の上を、青緑の光を放つものが覆いはじめている。白い光が消え、足元からじわじわと闇に侵食されていくようだ。いや、微かな燐光をともなった闇に、というべきか。


「どうやら、お喋りしている場合ではなくなったらしいな」


 足元の変わりようにぞっとしたものを感じ、緊張を走らせたテロンの耳に、場違いなほどに落ち着いた兄の声が聞こえた。



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