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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【番外編2】 《白き闇からの誘い 編》
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4章 封印されし魔導 外2-7

 白き光を纏った人影は、テロンたちより奥に進んだ階段の中途にたたずんでいた。


 幅の広い段は緩やかな傾斜となって通廊となり、段の表面は鏡のように左右に続く燭台の光を映している。それらのほの暗い光の存在を消し去るほどに、人影は強く膨大でまばゆい光を放っていた。


 ひとの形を成していながら、この世界に住まう五種族――人間族、竜人族、飛翔族、魔人族、エルフ族――そのどれにも属さない気配は、まるで光そのもののように自由でよどんだところのない、ひとつとは数え切れぬ何かの集合体であるとも感じさせた。魔導士でもないテロンにさえも感じられる、これほどまでに濃い魔導のれ物となりうる肉体など、通常は存在しないはずであった。


 あまりの光の強さにテロンたちは腕をかざし、眼を細くせばめた。さきほどルシカが悲鳴をあげたのは、余りに濃い魔導の輝きに瞳を射られたせいだろうとテロンは思った。太陽を直視したようなものだ。


 そんな人間たちの様子を相手が思いってくれたのか、放たれていた光量がぐっと弱められた。おかげで、その姿かたちがよく見えるようになった。


 背は高く、人間族のなかでも長身のテロンと並ぶほど。肌は抜けるように白く、この世のものとは思えないほど左右対称に整った美しい顔立ちである。光を透かしたような水宝玉アクアマリン色の瞳を持つ眼球は大きく、鼻筋は真っ直ぐだがそれほど高くはない。


 まるで薄く彫り付けられた美しい壁面彫刻のようだ。性別は見定めようと注視するほどにわからなくなったが、最初に受けた印象では青年だろうと思われた。浮かべている微笑は静かで揺るぎなく、聖人のように穏やかな眼差しをしている。


「ようこそ。――我らはそなたらを待っていた」


 そのものは言った。だが、その薄い唇はわずかも動いてはいない。さらさらと鳴るのは、そのものが身に着けているたっぷりとしたドレープのある純白の衣服だ。頭巾フードもついている丈の長いそのローブには、金属のような光沢の糸を使って全体に細かな刺繍を施してある。


「……ようこそ……?」


 テロンは戸惑い、体術の構えを緩めた。相手からは悪意も敵意も感じられない。どちらかというと友好的な印象さえ受ける。


 クルーガーが剣の柄を握っていた手を戻して背筋を伸ばし、低く落ち着いた声で問うた。


「あなたがここのあるじであるのか」


「そうではない。だが、創造主は我らの先祖である。我らは先祖が魂を解き放ちここを去ったあと、なおここにとどまっているに過ぎぬ。我らの名はフラウアシュノール。の名はエトワである」


 耳慣れない古風な言い回し、心に響くほがらかな音を伴わない声で、白きものは語った。目を細めてクルーガーに向けていた視線をゆっくりと動かし、彼の背後に向ける。その眼の動きを追って後方を振り返ったテロンは、そこにルシカの姿を見た。


 クルーガーの背の後ろから、ルシカが歩み出ていた。オレンジ色の瞳の内に魔導の白い輝きを宿し、恐れ気のない真っ直ぐな眼差しで、緊張のために頬を僅かに強張らせて。


「……『夢見る彷徨人(フラウアシュノール)』……」


 囁くような声で、ルシカがつぶやいた。その言葉にテロンは聞き覚えがあった。記憶をたどり、ハッと顔をあげる。いつか図書館棟で、幻精界に住まう様々な種族についての調べごとをしていたときだ。何故その文献を紐解いたのか、きっかけまでは忘れてしまったが。


「幻精界の最上位種であるあなたがたに、この現生げんしょう界でお逢いできるとは……驚きました」


「ようこそ、あかつきの瞳をもつ人間族の娘よ。そなたは我らのことをよく知っているようだ」


 エトワと名乗った白きものは、左手を横にゆっくりと伸ばして円を描くように胸に当て、うやうやしくこうべを垂れた。どこかの宮廷作法にあるような、なんとも典雅な動きであった。応えるように、ルシカも膝を曲げて優雅な礼を返す。


 エトワは視線の先をルシカの横に移動させた。


「そして――そなたが、いまソサリアと呼ばれている集合体を統べる長なのだな」


「ソサリア王国を統治している王だ。我が名はクルーガー・ナル・ソサリア。こちらの者は弟のテロン・トル・ソサリアという。王宮を建設した者が、よもや違う世界の住人とは思わなかった」


 警戒と緊張を微笑に変えて、クルーガーが白きものに歩み寄り、手を差し伸べた。エトワは戸惑うことなく、差し出された右手を握り返した。


「いやはや。何とも驚くべきことじゃ」


 かくしゃくと段を下り、降りてきた老人が声をあげる。グリマイフロウ老だ。


「王宮を建造した技術は、まこと素晴らしいものじゃ。わしら設計に携わる者や、建設者として現場で働く者たちはみな、その奇跡のような技術に羨望と憧れをいだいておる」


 にこにこと警戒のかけらもない笑顔を浮かべ、白きものを見つめる眼差しには、言葉通りの憧れのいろがはっきりと現れている。その言葉にテロンもここへ来た目的のひとつを思い出し、エトワに向き直って口を開いた。


「俺たちは、その技術を学びたくてここに来たんだ」


「理解している。『透視クレアボヤンス』のような魔法を使い、我らはそなたらの住まう街の様子を眺めることもある。我らは本来、好奇心が強い種族でもあるのだ。――クルーガーといったな、そなたとそなたの父の御世は平和に保たれ続けていること、その手腕と心意気に、我らは感服している」


 思いもかけない言葉に、クルーガーが言葉を失った。だがすぐに立ち直り、嬉しそうに礼を言った。


「そう言っていただけるとは嬉しい。俺はこの命の続く限り、変わらぬ平和が永久とわに続くよう尽力するつもりだ」


「あの……それからもうひとつ、ここに来た目的があるんです」


 おずおずとルシカが口を開いた。握りこんだ手を胸に押し当て、心配に見開いた大きな瞳を揺らしている。


「あたしたちの国の、海側の隣国であるラムダーク王国の船が一隻、この付近の海域で行方知れずになってしまったんです。あたしたちはその船に乗っていたひとたちの捜索と救出のためもあり、ここまで来たのです……何かご存知ありませんか?」


「ここへ通じる水路の手前で、船の破片らしき木片が波間に浮かんでいるのを見たんだ」


 テロンも言葉を足し、真剣な眼差しをエトワに向けた。


「それならば安心するがよい」


 エトワは優美なラインを描く眉を上げ、相手を安心させるような微笑みを浮かべた。しなやかな腕を動かして頭巾フードを背に落とすと、まるで月の光を紡いで糸にしたような髪が肩上に流れた。


「太陽の巡りのみっつと半ほど前に、帆船が流れ着いた。島の外壁にへばりついていたので、我らが水路へ導いたのだ。船の損傷は激しかったが、沈んではおらぬ」


「無事……なのね。良かった」


 ルシカがホッと胸を撫で下ろす。安堵のあまり揺れる肩を抱くようにして、テロンはエトワに尋ねた。


「いま、その船は何処に?」


 白きものは口の端を緩め、水色に透き通る瞳をテロンに向けて答えた。


「そなたらを導いた場所から東隣の入り江に停泊している。我らが彼らの前に姿を現すことはない。それに、いずれそなたたちが来るであろうと予測していた。ここは我らの領域だ。島にたどりついた時点から、死人は増えておらぬ。急ぐことはないはず、あとで場所を教えよう」


「姿を現してはいけない理由でもあるのか?」


 クルーガーの疑問に、エトワがおごそかに言葉を続ける。


「それが、我らの定めであるがゆえに」





「もっと火薬を持ってこい」


 凛然と言い放つ声が、青と白の空間に響き渡った。その声に応えて走り寄る屈強そうな影がふたつ。腕にひどく重そうな黒いものを抱えている。その者たちは壁面につけられた割れ目に取り付き、しきりに何かを突っ込み、固定し、蓋をする。


 白砂の地面に剣を突き立て、柄を握りしめるようにして背筋を伸ばしたのは、動きやすい革鎧を着込んだ青年。額にかかる琥珀色の髪を掻きあげ、緑の瞳を油断なく周囲に向けている。手にしている剣の刀身はうっすらと赤く輝き、魔法的な力を付与された品であることを証していた。


「用意はできたか」


 尋ねる風ではなく、肯定を促すように青年が訊いた。


「しかし、我が君――イルドラーツェン王太子」


 呼ばれて、青年が振り返る。屈強そうな体格をした兵士たちは横に並び、うずくまるように大きな体を可能な限り低くした。仕えている相手に対して異を唱えることに気が進まないという様子で、ひざまずきながらひとりが言った。


「もう残り少なく、貴重な火薬です。それに、ここらの柱や壁には何やら強固な護りのまじないがかかっていると、魔法にいくらか詳しい者が申しております。物理的な損傷を与える火薬のようなものでは、壁をくだき穴を通すことは叶わぬかと」


「だから、わざわざこうしてこの剣で壁に割れ目をつけたのではないか。魔法陣というものは、一部を断ち切れば全体が消失するものだ。もはやここの護りのまじないとやらはその役目を終えているはずだろ」


 聞きようによっては気楽とも思える口調で、青年は断言した。部下を見やり、言葉を続ける。


「どの道、出航できなければ火薬など無用の長物。外の魔獣をぶちのめし、ミストーナの港まで無事行き着くために必要というのだろうが、とりあえず船を修繕するための材を探すことが先決なのだ」


 きっぱりと言い切られてしまっては、部下の者にはこれ以上反対できるはずもなかった。


「もう反論するものはいないか? いないな。ではおまえら、よく見ておけ」


 青年は胸の隠しから小さなはこをひとつ取り出した。魔法にあまり馴染みのない国柄とはいえ、便利なものは迷わず使う。それはそれ、これはこれというようにすっぱりと割り切った考えなのが、島国が持つしたたかさの理由のひとつであった。


 はこのなかから指先につまみあげられた小石は、『発火石』と呼ばれる魔法の品だ。旅の空の下ではき火を熾したり、毎日の煮炊きの火種にすることもある。主に貿易相手国であるソサリア王国から持ち込まれるものだ。


 青年は後ろに下がって壁から距離を開け、小石を握りこんだ手を振り上げた――。





 テロンは戸惑ったように青い瞳を見開き、目の前の白きものを見つめた。


「どうして姿を現してはいけない? 俺たちとはこうして逢っているのに。もしかして魔法を信じない者たちと幻精界の住人が出会うことが禁忌であるとか――」


 エトワは瞳を微笑ませた。そうではない、と首を振る。


「もしかして、あなたがたがこの世界に渡ったとき大勢の死者を出したことと、関係があるのですか?」


 テロンの横から、ルシカが訊いた。その問いの言葉に、読んでいた文献の内容がテロンの記憶のなかから少しずつ思い出される。


 文献には、かつて幻精界から渡ってきた種族がこの現生界に定住しようとして、とある場所に都を築いたと綴られていた。けれど環境に適応できず、数多くの犠牲を出してこの地を去ったというのだ。伝染病なのか、あるいは空気そのものが原因なのか、何故去らなければならなかったのか……そこまで書かれてはいなかった。


「我らはかつてメロニアと呼ばれた都の跡地に降り立ち、そこに定住するための場所を建造した」


 水宝玉アクアマリン色の瞳に悲しみを宿して、遠くを見つめる目つきでエトワは語った。


「我らは『夢見る彷徨人(フラウアシュノール)』と呼ばれている、定住の地を求める流浪の民。けれど我らは、そのような放浪の暮らしにみ疲れていたのだ……」


「あのような素晴らしい技術を持ちながら、放浪していたじゃと?」


 グリマイフロウ老が口を挟む。


「我らの技術は、安寧と知恵の産物。定住の地を求める為に特化されたものにあらず。だが、ようやく適した場所を見つけたと思った。当時あの場所は遺跡と化し、打ち捨てられた土地であった。なかば森に埋没し、なかば河と海の流れに沈んだ状態であったのだ」


「そこに王宮なる建物を造ったけれど、住むことは叶わなかった……?」


 テロンは、エトワが浮かべていた表情のなかに秘められた、想像を超えるほどに深い悲しみを見て取った。


「……我らが世界に適応できないのは、魔力マナの濃度なのだ」


 エトワは震えそうになる唇を励ますように顎に力を込め、語り続けた。


「かつて魔導の力で現生げんしょう界の全土を統べていたグローヴァー魔法王国の都が存在していた場所には、多くの魔導の残滓が残されていた。我らの技術があれば、その魔力を掻き集めて充分に濃いものとし、安らぎと願いに満ちた永遠の都として叶うはずであった」


「それがいまの『千年王宮』だというのか……」


 クルーガーがつぶやくように言い、様々な思いに揺れる青い瞳をエトワに向けた。


「――しかし我らは失敗した。定住するに充分な魔力を集めきれず、我らは結局諦めざるを得なかったのだ」


「それで、この魔の海域に移動したのですね」


 ルシカの言葉に、エトワは頷いた。が、すぐに首をゆるゆると横に振った。


「けれど、ここでも願いは叶わなかった。我らすべてを受け入れられるほどに濃くはなかったのだ。――願いと憧れをもつに至ったとき、我らは本来の世界での生活を続けることができなく名なった。ここにたどり着く前も、そしてたどり着いた後であっても、次々と同胞が死んだ。残っているものは、もういない。我らが最後の群れなのだ」


「ちょっと訊くが……『群れ』とは何なのだ。『我ら』というのもわからない。他の場所に仲間がいるのか?」


 クルーガーが疑問を口にする。その答えはテロンだって聞きたかったものだ。ルシカも身を乗り出さんばかりである。彼女にも答えられない疑問だったらしい。


「我らは本来、このような姿かたちではない。話せば長くなる……まずはそなたらを、そなたらが求める場所に案内したい」


 そのとき地面が揺れた。同時に凄まじい轟音が響き渡る。


「何だッ!?」


 一行は咄嗟に姿勢を低くした。周囲に視線を走らせたテロンは、まさかと思いエトワに眼を向けた。だが、彼すらも驚いているようだ。不安と戸惑いに、水色の瞳が激しく揺れている。いや、地面全体が激しく揺れているのだ……!


「きゃっ!」


 ルシカが揺れをこらえきれず、段を踏み外した。テロンは慌てて足を踏み出し、倒れこむ体に飛びつくように腕を伸ばした。危ないところで間に合う。


 テロンの腕のなかで、ルシカの瞳があがった。力を込めた眼差しで階段の上をじっと見つめている。その目がハッと見開かれた。


「そんな……まさか!」


 つぶやくと同時に、テロンの腕を振り解いてルシカが飛び出した。


「ルシカ!?」


 テロンは焦り、妻の名を叫んだ。急ぎ立ち上がり、まろぶような背を追って階段を駆け上がろうとする。そのとき、また激しい揺れがあった。よろめいたグリマイフロウ老の体がテロンの行く先を塞ぐ。


 よろめいたルシカはきざはしに手をつき、姿勢を低くして段を駆け上がった。何が見えているというのか、その瞳に浮かんでいた焦燥の様相は尋常ではない。


「駄目……いけない! やめなさいッ!!」


 前方に向かい、彼女が叫ぶ。――何かが居るのか、何かが起ころうとしているのか? テロンは心臓を掴まれたかのような不安を感じ、言い知れぬほど怖ろしい予感に総毛立った。


 テロンは階段を一気に駆け上がった。王宮の広間にある段のように、低く幅の広いきざはしに足を取られそうになる。だが、文句を口にする余裕もない。ルシカが段を上りきっていた。


 立ち止まった彼女は左側の壁に向けて腕を突き出した。魔導の技を行使しようとする――ところまではテロンの眼にも見て取れた。


 その一瞬後。


 ドオオオォォォォン……!


 再び凄まじい音と衝撃が、テロンの鼓膜を打ち据えた。一瞬、聴覚が飛ぶ。もうもうと巻き上がった大量の砂が吹き寄せ、せるような火薬の煙が渦を巻き、白い闇のなか完全に視界が閉ざされる。


「……ルシカ……!」


 彼女は爆発するように舞い上がった砂の真ん中に立っていたのだ。そのことに思い至ったテロンは戦慄し、つんのめるようにルシカの姿があった場所を目指して煙の中に飛び込もうとした。だが――その足元に地面がないのに気づいて、危ういところで立ち止まる。


「テロン!」


 クルーガーが追いつき、足元にぽっかりと開いた穴に驚き、彼もまた立ち止まらざるを得なかった。


「テロン、ルシカはどうしたッ?」


 周囲の状況を見て取り、クルーガーは動揺したように大声で訊いた。だが、テロンに応える余裕はなかった。


 吹き払われるように、砂と煙が完全に晴れた。左側を覆いつくし、閉ざしていた六角柱の壁とともに、地面がすっぽりと抜けている。馬車一台分が落ち込むほどの広さだ。ルシカの姿はどこにもなかった。


「……まさか……下に……」


 テロンは意識を穴と周囲に集中させたが、ルシカのものと思われる気配を探り当てることはできなかった。


 代わりに、壁に開いた穴の向こうから複数の人間の気配がした。ざわめくような声も耳に届く。壁と床が割れ崩れた場所の向こうに現れたのは、屈強そうな体躯の兵士たちであった。船上で動きやすいように作られた印象の鎧と衣服の胸に、ラムダーク王国の紋章がある。


 壁からこちらの空間をおそるおそる覗き込んでくる人間たちを目にして、クルーガーが静かに口を開いた。その口調には、ふざけたようないつもの余裕は微塵も感じられない。


「悪いが……グリマイフロウ老。これは王命だ。あの者たちを俺たちの船に導いてやってくれ。そして待機していてくれ。あとの判断は任せる。俺たちは――」


 テロンが先を続けた。この上もなく力強い輝きに青い瞳をぎらりと光らせて、きっぱりとした声音で。


「ルシカを、救う!」



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