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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【番外編2】 《白き闇からの誘い 編》
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2章 魔の海域 外2-3

 空は高く、晴れていた。竜のウロコのような白い雲が、透きとおるような青い色のなかで切り絵模様のように見事な広がりを見せている。


 海から吹く風はひんやりと冷たいが、降りそそぐ陽光のもとではすがすがしく心地よいもの。テロンは胸いっぱいに吸い込んでみた。体の隅々まで、清冽せいれつな水がひたひたと潤おしてゆくような爽快感がみわたる。


「――船出には最高の天気だな」


 感じたことを口に出してから、歩きはじめる。身に纏った胴着は旅着であり、体術で闘うものにとって動きやすい仕立てであった。腰に刃物のような武器のたぐいはない。彼は、格闘の技の遣い手であったから。


 目の前にあるのは、マストを二本有している帆船だ。ただし、かいも備えられている。同型船がもうひとつ隣にあり、どちらもすぐに出航できるよう準備が整っていた。


 船団というにはほど遠い規模だが、魔法での護りを固めるためにはこれが限界であった。


 テロンは内心ため息をついた。おおやけにしていないとはいえ、これに国王自らが乗り込むというのだから、無茶も良いところである。しかもルーファスには出発するまでは内緒だということだから、あとでどんな怨みつらみを言われるのか考えるだけでも頭が痛かった。


「まあもちろん、無事に帰ってくるつもりではあるが……何かあったらどうするんだ。まったく兄貴は……」


 高く晴れた空のいろまで、恨めしく思えてくる。だが、双子であるだけに兄の気持ちも良く理解できるので、反対などできるはずもない。


「自分が言い出したことだ。他の者に危険を押し付けたくはないのだろう。それにおそらく――」


 俺とルシカだけを魔の海域に送り込むという命令を下すのは、自分が許せないのだろうな……テロンはつぶやいた。家族を、仲間を、危険の渦に放り出すようで落ち着かないのだろう。兄はそのようなところが、王位を継いでもまだ割り切れないのだ。けれど国と民のことを思えば、個人の感情で動くのは今後控えてもらうべきなのだろう――。


「テロン、こっちよ!」


 彼の思考は、その呼び声で中断されてしまった。目を上げると、旅装束に身を包んだルシカの姿が目に入る。船の上で魔導の結界でも張っていたのだろうか、腕を振り上げていた姿勢からそのまま、彼に笑顔を向けていた。彼女の周囲に渦巻いていた、陽光の下でもはっきりとわかる魔導特有の緑と青の光が船全体に定着し、魔法陣を形成していた残りの光がほわほわと消えゆくところであった。


「ルシカ。今、行くよ」


 返事をしたテロンは、ルシカの横に現れた老人を見て驚いた。頑丈そうな革の上着を身につけ、さまざまな道具――スパナやトンカチ、その他細々としたものをポケットのあちこちから覗かせている職人然とした出で立ちの姿を。グリマイフロウ老である。実に嬉しそうな笑顔だ。


「王弟殿下、わしも同行して良いとのことでな。仲間入りじゃ」


「あたしは、留守の間の王都の工事をお任せしたかったのに、クルーガーが許可しちゃったの。まあ、船上でゆっくりお話が聞けそうだけれど」


 ルシカがそう言って、両腕を真横に広げた。円を描くようなその動きとともに、今度は緑の光がはしり、幾何学的な紋様を描きながらその身を包み込む。ふわりと金の髪が持ち上がり、次いでルシカの体が宙に浮かんだ。まるで背に翼を有した飛翔族のように苦もなく空中を移動し、ルシカはテロンの眼前に降り立った。


 ルシカ自身は、グリマイフロウ老の同行を歓迎しているようだ。テロンは頷き、口を開いた。


「そうか。――ところで兄貴は?」


「まだここでは姿を見ていないわ。ぎりぎりに抜け出してくるつもりなんじゃない?」


「やはり本当に来るつもりなんだな」


「言い出したら聞かないわよ」


 ルシカも困ったようにため息をついたが、その表情は笑いをこらえているかのように明るいものである。


「テロンが小さい頃からクルーガーに振り回されて苦労してきたっていうのが、わかる気がするわ」


「そうだろ?」


 親しげに腕を絡められ、テロンも微笑して応えた。ルシカの共感に、心がずいぶんと軽くなった気がする。


「どちらの船にも、気配減じと警告のまじないをかけておいたわ。こっそり魔獣が乗ってくるのも嫌だし、できるだけ戦闘も避けたいから」


「気配減じ?」


「うん。――あたしたちは通りすがりの波間の木切れなのよ。気にしないで、構わないで放っておいて頂戴……って感じで、魔獣の興味をできるだけ惹かないようにするの」


「ずいぶん大きな木切れだな」


 テロンが船体を見上げて笑った。「その通りだけどね」とルシカも笑い、ふと真面目な表情になって言葉を続ける。


「魔導の気配があると、それに興味を示して近寄ってくるのが魔獣に多い習性だから」


 その言葉通り、濃い魔法の気配というものは魔獣の注意を惹きやすい。それは、ルシカが標的になるということを意味する。テロンの脳裏に一瞬、怖ろしい光景がひらめく。彼は思わず目をぎゅっと閉じ、隣に寄り添っている細い肩に腕を伸ばした。


「……俺が護る。ルシカ、無茶ばかりしないで、傍から離れるなよ」


 抱き寄せられ、吃驚びっくりしたように目を見開いたルシカが頬を染める。どこか痛んでいるかのようなテロンの表情を戸惑ったように見上げ、そして瞳を伏せて静かな表情で頷く。


「うん。……ごめんね」


「……何故、謝る?」


「あ、ううん。つい」


 ルシカはそっと体を離して微笑んだ。爪先立ちをするように伸び上がって腕を持ち上げ、まだ物言いたげだったテロンの唇にそっと細い指を当てた。囁くように、だがきっぱりと言葉を続ける。


「約束するわ、テロン。無茶しない、あなたから離れないと」


「ああ」


 テロンはその手をそっと握り、ルシカのオレンジ色の瞳を見つめた。そして兵士たちが呼ぶ声に向き直り、ルシカを伴って準備の整った船に向かって歩き出した。





 テロンとルシカが船に乗り込んだとき、クルーガーも無事に合流を果たした。彼はもちろん王衣ではなく、軽鎧と上着サーコートを纏って、腰に愛用の魔法剣を帯びていた。背には最低限の荷物もある。


 二隻の戦闘用帆船ブリガンティンは帆を張り、風を受けて三角江エスチュアリーを抜けた。北に進路を取ってしばらくは帆走して進み、『竜の岬』を通り過ぎるあたりから北東へと進路を変え、魔の海域であり捜索範囲となっているグリエフ海南東域を目指すことになる。


 メインマストの横帆に風を受け、船は滑るように順調に進んだ。海鳥が飛び、近くを小型の海洋動物の群れが泳いでいる。先に進む船の上、海を活動の場としている兵たちが作業する甲板に、ふたりの青年とひとりの娘が風に衣の裾をなびかせていた。


 ルシカは風に乱される髪を押さえながら立っていた。両方の船に展開されている魔導の結界がきちんと機能していることを確認すると、その場でおもむろに精神集中をはじめた。まるでゆったりと踊るように腕を振り上げ、体を回し、指で印を組む。周囲に魔導特有の緑の光がはしり、空中に魔法陣を展開する。


 振り上げた腕先から宙へと光が消えると、ルシカは動きを止め、握りこんでいた手のひらを開いた。そこには小さな円盤状の魔石があった。透明な石のなかに、光を放つ金色の針のようなものが閉じ込めてある。それはまるで方位磁針のように一定の方向を指し示していた。


「――ルシカ、これは?」


 その魔石を手渡され、クルーガーが訊いた。


「それは王宮――つまり、王都ミストーナの位置を指し示すものよ。魔の海域では磁力が狂うから、それを参考にして方角を見定めてね。あたしに何かあったときのために、その魔石に『方向察知インファーディレクト』の魔法効果を閉じ込めておいたの。効果は二週間は続くと思うわ」


「何かあったときのためというのは同意しかねるが、ありがとう、海図とともに使わせてもらうことにする。それから、危険な箇所に着くまでルシカは休んでいてくれ。――顔色が悪いぞ」


「うーん……そうね、何だかぐらりと目眩めまいみたいなものがあるのは認める。何だろうなぁ……」


 言葉と同時に、ルシカの足元が揺れる。


「おいおい……。危なっかしいなァ」


 クルーガーが咄嗟とっさに倒れかけるルシカの腕を掴み、テロンに託した。テロンは頷き、ルシカの体を抱き上げた。テロンは体格が良いこともあり腕力もあるので、身長差があるところを無理に支えて歩くより都合が良いのだ。夫に抱えられ、ルシカもおとなしく動きを止めた。


「問題の海域に到達するまでは、しばらくかかる。それまでに倒れてもらっては困るからな」


 クルーガーが、真面目とも冗談ともつかない口調で言った。次いで、ニヤリと笑ってさきほどの魔石を眼前に掲げる。


「これがあるし、試用がてら俺が指揮を取っておく。まあ、見張りの兵たちに探るのはしばらく任せておけ」


「うん。わかった」


 ルシカは素直に頷いた。


「テロン、おまえもだ。ルシカについていてやれ」


 クルーガーが顎でしゃくると、テロンは驚いたように眼を見開いた。


「俺も?」


「そうだ。どうせルシカはおとなしく眠ってなどいないだろうし、監視の意味も含めてだ。それから、グリマイフロウの爺さんも喋りたそうにうずうずしてたぞ」


「――わかった」


 テロンは頷き、船室への扉を開けた。肩越しに振り返ると、クルーガーが後ろ向きにひらひらと手を振っていた。――何か気を使わせるようなことがあっただろうか。テロンは首をひねった。





 外洋とはいえ、半日ほどは穏やかな海が続いた。船は何ものにもおびやかされることなく『竜の岬』を過ぎ、遠く『無踏の岬』を右舷側に眺める地点まで進んでいた。


 そこから先に進むと、順調に吹き続けていた風が弱まり、出航から一日経った頃にはすっかりなくなってしまった。まるでなぎのように静かな大気ではあったが、海はうねり、渦を巻き、海流が安定しないものになっている。


 船室で気分の悪さと戦いながら文献を開いていたルシカは、読んでいたページから眼をあげて書物を閉じた。


「――きっと魔の海域に入ったのね」


 目眩めまいは一向に治まらず、胃のあたりも落ち着かなかったが、ルシカは固定された寝台から立ち上がった。外が肌寒そうなのを感じ、肩に掛けてあった毛布の代わりにケープを羽織る。扉を開き、薄闇に沈む船内の通路に出る。


 ルシカはふらつく足元に注意しながら、薄闇のなかを歩いた。体の内部に膨れあがった風船でもつっかえているようで、ふわふわと頼りない。壁に手をつきながらゆっくりと移動する。そういえば、テロンやクルーガーたちはどこに居るのだろう。甲板だろうか。


 手探りで進み、目の前に現れた扉をとりあえず開ける。甲板ではないようだ。その先も闇に沈み、正体のわからない様々な音が聞こえてくる。


 扉の先は下に向かって段がつき、一段ずつ確かめながら足を降ろしていくと、そこには驚くほど大きな空間が広がっていた。軋むような音、掛け声――そこには漕ぎ手たちがずらりと並んでいたのである。暗くてよくわからないが、何十人かいるらしい。


 そこには熱気がこもっており、潮の匂いと汗の匂いが入り混じっていた。どの漕ぎ手たちも真剣な様子で櫂を握っている。ギイギイと鳴り響く櫂の音、ロープが軋む音、外から聞こえる海面を割る波音。自分の小さな靴音は容易に掻き消されてしまう。


「大変そう……手伝えるかしら」


 ルシカは魔導を行使しようと腕を伸ばした。指先に緑と青の光が灯る。


「止めろ!」


 そのとき、鋭い制止の声がルシカの耳を打った。ビクリと思わず動きが止まってしまう。腕先に灯った魔導の光が霧散する。


「要らぬことをするな、魔法使い」


 一番近くに座っている男だった。ひどく暗いので顔までは判別できない。ルシカは戸惑い、思い切って尋ねた。


「ごめんなさい。大変な作業だと思ったから、手伝いたかったの。要らないことだった?」


「俺たちは自由民だ。ひと昔みたいに、漕ぎ手っていうのは奴隷じゃねえ。高額の報酬をもらってこの仕事に就いている。余計な手出しはむしろ邪魔だ、いつものペースが崩されちまう」


 ルシカは男を見つめた。無骨な髭面のなかから真っ直ぐな眼差しが返ってくる。後ろ暗いところはない。 


「俺たちには俺たちの為すべきことがあるってことだ」


「そっか……。うん、ごめんなさい」


 ルシカは素直に返事をした。


「――ルシカ。ここに居たのか」


 上から聞き慣れた声が降ってきた。漕ぎ手の男はすでに櫂を操るほうに集中を戻している。


「テロン。ごめんね、迷ったみたいで。今行くわ」


 ルシカはふらつく足元に意識を向け、階段を戻った。テロンが腕を伸ばし、扉の場所まで支えるように導いてくれたので、危なげなく扉まで戻ることができた。扉を閉め、通路に戻る。


 その扉の下では、さきほどの漕ぎ手の男がひとりつぶやいていた。


「あの魔法使い……あれが王弟殿下のお相手の宮廷魔導士様だったのか。あんなちっこい娘っこだったとは。チッ、ずいぶん分不相応な口をきいちまったぜ」


 聞きとがめた隣の男が、口を開く。


「もしあれが宮廷魔導士様なら、気にしちゃいないだろうさ。噂どおりのお方ならば」


 彼は頷き、再び櫂を握る手に力を籠めるのであった。





 テロンが船室に戻ったとき、ルシカの姿が消えていることを知って焦った。すぐに船内の気配を追ったのである。


 無風状態といえども、海はひどく荒れている。ルシカは青い顔色をして、胃のあたりを押さえながらそろりそろりと歩みを進めている。ケープを羽織っているのに唇は色を失い、横に固く引き結ばれている。支えている肩が僅かに震えているが、額には汗がうっすらと浮かんでいるのであった。かなり辛そうに見える。


「無理に動かずとも、まだ休んでいてくれて構わないんだぞ」


 テロンは何度もそう声をかけたが、ルシカはもう何度も同じ言葉を繰り返して答えていた。


「平気よ、テロン。動いているほうが苦しくないの」


 それは船酔いというものだ――そう指摘すれば悪化してしまいそうで、テロンはそれ以上は何も言わず彼女を支えていた。


 ぎいぃぃぃっ! 嫌な音が響き渡り、床と壁がひときわ大きく傾いだ。ルシカが短く悲鳴をあげ、テロンはルシカの体を片腕で抱えこみ、もう一方の腕を突っ張って姿勢が崩れるのを防いだ。


「奇妙な揺れだ」


 テロンがつぶやくと同時に、ルシカが顔をあげた。さきほどとは全く違う、力強い瞳だ。


「気配が――魔獣が近くに居る!」


 彼女が叫んだその言葉に、テロンの表情も緊迫したものに変わる。ルシカはもがくようにしてテロンの腕から抜け出し、甲板に出る扉に走りだした。しかし再度大きく揺れたので、壁に叩きつけられるようにして体をぶつけてしまう。


「無理をするな、ルシカ!」


 テロンは慌ててその腰を抱き、そのまま足を速めて扉から外へ出た。ルシカが指し示す船の左舷側の手すりに駆け寄り、一緒に海面を覗き込む。


 海面が乾留液タールを流し込んだかのような闇色に変わっている。奇妙な白く泡立つ小波が、そこかしこに立っていた。


「いけない……漕ぐのを一時的にストップさせて! 今すぐ向こうの船にも伝達を!」


 走り寄ってきた兵士に指示を出し、ルシカは緊迫した表情をテロンに向けた。


「下に居るわ……。あたしたちの船よりも遥かに大きい――戦闘になったら全滅よ。今はまだ気づかれていないけれど」


「何ッ……!」


 テロンはもう一度海面に眼をやった。船の真下が黒くなり、あちこちに不気味な波や渦ができているのは、海に潜ったまま進む何かの海獣の背があるからに他ならない。見張りをしていた兵たちも事態を理解したらしい。引きつるような悲鳴がいくつも聞こえた。


「気配減じの結界のおかげで気づかれていないの。でももし今、浮上してこられると終わりだわ」


 ルシカはごくりと喉を鳴らし、祈るような視線を海面に投じた。その押し殺した恐怖の表情に、すぐにテロンは理解した。文字通り、船がひっくり返されてしまうのだ。


 伝達が無事伝わったのだろう、やがて船が減速した。船体の下にあった黒く巨大な影が、先へと進んでいく。船の下から影が完全に抜けるまで、時間がかなりかかったような気がした。


「もう魔の海域に突入したということか……」


「そうね。――あたし、このまま気配を探ることにする。舳先に居るね」


 にこりと微笑み、ルシカは揺れが穏やかになった甲板を走っていった。舳先にほど近い木の床に膝をつき、祈るような姿勢で瞳を伏せた。クッと顎を持ち上げると同時に彼女の周囲の空間に、青に輝く魔法陣が展開される。複雑な紋様を描いた魔法陣は、甲板に触れるか触れないかぎりぎりの高さの空中に落ち着き、そのままそっと輝き続ける。


 船は再び動き出し、遥か遠く離れた海上で小山のようなものが浮かび上がった。海面が沸き立ち、その中から大きな扇状の影が空中に持ち上がる。空に向かって巨大な水飛沫が立ちのぼり、気がつくと影は見えなくなっていた。


「ルシカは始めたのか。すぐに探している船の気配が見つかるといいな――でなければ彼女の魔力マナが維持できなくなるかも知れん」


 声に顔を向けると、クルーガーが立っていた。うな垂れるように流れる金の髪と白い光の明滅するオレンジの瞳を目の当たりにして、厳しい表情になっている。


「兄貴……」


「はてさて。知らせを受けて出てきたのだが、魔獣を見学し損ねてしまったようだ。――デカかったんだって?」


「呑気だな。戦闘になる前に、浮上されただけでこちらが藻屑と成り果てるほどの規模だったんだぞ。二百リールは越えていた」


「そりゃあ、釣り上げるってわけにはいかない大きさだな」


 テロンは眉を互い違いにして、あきれたように双子の兄に眼を向けた。クルーガーはニヤリと笑って肩をそびやかし、それから真剣な面持ちになって言葉を続けた。


「ルシカの体調は大丈夫なのか? とはいえ、もう魔の海域に入っちまったんじゃあ、休んでいろとは言えないな」


「そうだな」


「苦労が絶えないなァ、おまえも」


 横で発せられた言葉に、テロンは「まったくだな」とため息混じりに答えた。つい言外に、兄貴と一緒にいるときもな、という想いも含めてしまう。


「――悪かったよ」


 やはり双子だ。正しく想いを汲み取ったクルーガーが低い声を発する。予想外の反応に、テロンは意外そうに目を見張った。


「悪かった、なんて返されると思っていなかったな」


「槍でも降るかもしれないと?」


 クルーガーの軽口に、テロンはようやく笑みを浮かべる。そのとき、ルシカがふいに立ち上がった。振り返った緊張の面持ちに、テロンとクルーガーはさっと表情を引き締めた。彼女は言った。


「――何かの気配を、確かにこの先から感じるの」


「魔獣か? それともラムダークの船か?」


 テロンは眼をすがめ、進行方向を見つめた。海上には、いつの間にか景色が霞むような白い霧がかかっている。あまりに唐突な環境の変化に、不気味な兆しを感じてしまう。


「まだはっきりとはわからないわ。あまりに遠すぎて――かなり進んだ先だわ。これ以上の気配を探るには、もう少し近づいてからでないと。でも、何だか変なの。あまりにも大きすぎる……」


「では、また魔獣なのかも知れないな」


 さきほど、巨大な魔獣を目撃したばかりなのだ。だが、ルシカは首を縦に振らなかった。


「いいえ、そうではないと思う。もっとずっとずっと大きなものよ」


 重苦しく垂れ込める雲の地平に近い部分が、蒼と橙の入り混じった不気味な色に染まっている。そろそろ陽が沈む刻限を迎えているのかもしれない。船は時折海流に弄ばれながらも、ルシカの指し示す方向に進んでゆく……。



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