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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【番外編2】 《白き闇からの誘い 編》
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1章 始動 外2-1

「ティアヌたちが旅立ってから、どうもがらんと静かでいかんな」


 クルーガーは執務机に肘をつき、青い瞳を明るい窓の外に向けてつぶやいた。はたから見ればその仕草は鷹揚おうようとしてひとの上に立つ者に相応しい落ち着きを思わせたが、それは見せかけに過ぎないものであった。歳若くして国王の座を継いだものの、好奇心も活動意欲もまだまだ血気盛んな若者のそれ。さきほどからうずうずと腿のあたりが落ち着かなげに動いている。


 だが、そのまま立ち上がろうものなら、ましてや塔のごとく目の前に積まれた書類の束を放り出して部屋から駆け出そうものなら、隣で目を光らせている騎士隊長兼幼少からのお目付け役に、延々と小言を言われ続けることになるだろうとは、彼とてよく理解し熟知しているのであった。


「陛下。手が停まっておりますぞ」


 さっそく飛んできた鋭い指摘に窓から室内へ顔を戻すと、瞑目めいもくしてたたずんでいたはずの武人が片目をあげてこちらを睨んでいるのであった。


 クルーガーはため息をつき、羽根ペンを握ったままの右手に視線を落とした。剣を握るときとは関係のない箇所に、肉刺まめができかけている。


「わかっている」


 うめくように応えてから、ちょうど目の前にあった書類に手を伸ばし、目の前に持ち上げる。


「だがな、ルーファス。ちょっと細かすぎやしないか? どこそこで集会だの会議だのはまだいい、なぜ柱一本の設置にまで俺に書類を回してくる」


 不機嫌そうな声で言いながら、騎士隊長に鋭い視線を向けた。


「昔から陛下の許可をいただくのが習わしでしたので」


「では、今こそまだるっこしい習わしを改変するタイミングだということだ。考えてもみろ、こんなことをしていたら、いつまでたっても工事は進まんぞ」


「そ、それは――おっしゃるとおりだと思いますが」


「おまえはこの俺をこの席に縛りつけておきたくて、わざとこのような書類まですべて回してきているわけではないだろうな」


 クルーガーがぎろりと睨むと、騎士隊長は肩をすくめた。


「そのような理由ではありません。確かに、陛下が目の届くところに座っていてくだされば安心していられるのは事実ですが」


 お目付け役の本音に、クルーガーは思わず苦笑した。


うそぶくな――と言いたいところだが、そうなのだろうな。だが、この体制はすぐにでも見直す必要がある。王都の建て直しの遅延を引き起こしている原因のひとつだ」


 書類をパンパンと手で叩き、若き国王は再び窓の外に目を向けた。王宮内は、静かであった。彼の双子の弟も、もうひとりの友人も、昼間はほとんど外に出払ってしまっているがゆえに。


「今日も忙しく駆け回っているのだろうなァ……」


 各方面の調整や交渉で動いているだろう弟と、今この瞬間も変わらずその傍らに寄り添うようにして尽力しているだろう友人のことを思い描く。強大な魔導の力を行使しては、その力に見合う魔力マナを消耗しきって昏倒してしまうこともしばしば。実に頼もしくも危なっかしい、金の髪とオレンジ色の瞳を持つ魔導士の娘のことを。


「まあ、いい。見直しのために大臣たちを集めてくれ。できるだけ早いほうがいいが――」


 クルーガーがそう言いかけたとき、扉が叩かれる音がした。力の入れ具合からして女官ではない。それに近衛兵でもない。特徴的な叩き方からして大臣のひとりだろう。


「ニアルード大臣ですな。まさかもう召集されることに気づいて駆けつけたというわけではないでしょうが」


 ルーファス騎士隊長も音で察したようだ。


「どうかな。だがあいつら大臣というものは狡猾に目を光らせて、国王がどこで何していようともお見通しだからなァ。あり得ぬことではないぞ、ルーファス」


 ニヤリと愉しげな笑いを向けられた騎士隊長は、「まさか」と鼻白んだ顔つきになった。


「冗談さ、気にするな。――入れ」


 言葉の最後は、声を大きくしてあった。扉の前で待っているだろう大臣に向けた言葉だからだ。


 入室が許されるや否や慌てた様子でどすどすと執務室に踏み込んで来た大臣は、予想していた通りの人物だった。だが携えてきた知らせは、ルーファスにはもちろん、クルーガーでさえ予想もしていなかった内容だったのである。





 王都の一角、港にほど近い区画に、あざやかな色彩が動いていた。


 そこは、新たに大量の住居を用意するため、重点的に力を入れられている区画であった。そのために毎日工事が続けられている場所だ。


 周囲には杭を打つために巨大な槌を振り下ろす音が無数に響き、石を運ぶごろごろという荷車の音、地面をならし道として固める機具の稼動する音などが途切れる事なく響き続けていた。


 その土色の風景のなかにあって、あざやかな色彩は離れた場所でもよく目立っていた。忙しそうに周囲の作業場を覗き込み、その場で働いていた者たちとひとしきり話をしたあと、すぐに次の場所に移動することを繰り返している。ときおり何かにつまずいたように揺れる、危なっかしげな様子で。


 降りそそぐ太陽の光をいっぱいに浴びて輝いているのは、長い金の髪だ。結い上げるわけでもなく自然に流されており、海風の吹くまま娘の肩でゆったりと踊っている。身に着けている薄桃色の衣服が、動きに合わせてせわしなくひるがえっている。


 顔をあげたとき、耳に飾った貴石と首飾りが陽光を反射してきらめいた。耳を飾るものは誕生日に双子の王子から贈られたもの、首飾りは宮廷つきの魔法使いである証だ。証は、彼女の前任者であった魔術師であり恩師でもあるダルメスから受け継いだものだ。身を飾る宝飾品としては、それらが全てである。


 けれど宝石よりも目を惹くのが、その大きな両の瞳だった。あざやかで暖かなオレンジの色彩は、昇りたての太陽のいろであり、夜闇にあった地表が最初に染め上げられる温もりに満ちた光のいろである。


 娘は手に携えた分厚いノートに、携帯用のペンを使って盛んに何かを書き付けていた。周囲で作業している者や街の人々、警備として巡回している兵士たちと挨拶を交わし、最近の状況や要望などを話されると、またペンを走らせる。街の人々も兵士たちでさえも、愛想抜きの本物の笑顔で親しげに話していた。オレンジ色の瞳を微笑ませ、娘も素直な笑顔で応じている。


 そのとき、低音がかすれたような印象の声が、その娘の名を呼んだ。


「ルシカ殿!」


 呼ばれて娘が、くるりと振り返る。固める作業途中の基礎部分の向こうから、ひとりの老人が手を振っていた。老人にしては肌の色つやが良く、かくしゃくとした動きだ。


「グリマイフロウ老」


 ルシカはそれまで話していた周囲の者たちに微笑みながら頷くと、すぐに老人に駆け寄った。


「――どうでした? 見通しは立ちそう?」


「計画通りなら、もちろん。じゃがのう、現状これではまだ足りんのぉ。圧倒的に人手が不足しておる」


 機械に注す油のような染みをつけた作業着の老人は、白髪の目立つ頭に手をやり、長いため息をついた。ふたりは歩きながら、把握できている現状について話しはじめる。


「やはり人力だけに頼っては限界がある。とはいえ魔術もこの際にはあまり役に立たん。岩を割ったり持ち上げたりする作業に魔術師の若いもんが来てくれておるが、敵を打ち倒す魔法も、本来細かな作業向きではないからのぅ」


「それはそうよね。魔法は消耗も激しいから、あまり作業効率も良くないだろうし……」


 いろいろ試しているのは、それほどに皆が焦っているためだ。冬が来るまでに、必要な数の住居を必ず間に合わせなくてはならない。工事に携わっている者たちも市民たちも明るい表情だが、よくよく話を聞くと、希望の奥底に不安が滲んでいるのがルシカにもよくわかった。


 なんとか現状を変えたくて、良い案がないか話し合っているのである。


 老人は建築家だ。けれど趣味で機械をいじっていることから、街では変わり者で名前が知れ渡っていた。彼の弟も化学実験と称して爆発を起こしたりしている。ふたり合わせて『ソサリアのグリマイ兄弟』といえば、奇特で常人には理解しがたい論理と技術で世間を驚かせる、天才天災コンビなのだ。


 だがこれからの世界に、魔法と並んで必要になっていくと思われる、科学の技の第一人者たちだ。少なくともルシカはそう思っている。


 地位的には歳若いルシカのほうが遥かに上であり、歳はもちろん老人のほうが遥かに上である。だが、ふたりには何か相通じるところがあるらしく、議論を闘わせるときにも、また結託して無謀な――もとい斬新な新技術の実験をするときにも、遠慮容赦がない物言いであるのが常であった。


 影のように遠くに付き従っている宮廷魔導士の警護兵たちも彼女たちの性分を熟知しているので、老人に控えるよう口出しをすることはしない。ただ、いつでもあるじの御身を護るために駆けつけることができるよう、神経を張っているのみである。


「大昔の魔法王国でやっておったような、召喚したものを使役させれることができれば話は早いんじゃがのぅ」


「うーん、それはできないの。幻精界から呼び出して従わせるということは、力尽くでこちらの思い通りに動かすということ。それでは奴隷と同じだわ」


 ルシカは困ったように優しげな弧を描く眉を寄せ、言葉を続けた。


「押し潰され折られたこころは憎しみを生むわ。幻獣や魔神だって自我じががある存在だもの。あたしはそんなことしたくない」


「そうじゃろうの。まぁ、わしはひとつの提案として出してみたまで。おぬしの心優しさを試すこととなってしもうたようですまない」


 老人が肩を落とす。その様子に、ルシカは言葉をかけようと口を開きかけた。途端に、土くれや小石が落ちたままになっていた地面につまずき、見事なまでにばったりと地面に転んでしまう。


「だ、大丈夫かの、ルシカ殿」


「う……いたたた。へ、平気です」


 鼻と額を打ったらしい。真っ赤になっている。手に携えていたノートとペンはそれでも手放さずにしっかりと握ったままだったが。ルシカは立ち上がり、衣服の汚れを空いたほうの手で払った。


「いつもは支えてくれる王弟殿下がいないからのぅ。しかしまぁ、ルシカ殿はよく転ぶのぉ」


「うぐぐ……テロンはいま、あたしと同時に別の場所の状況を見に行ってくれているから」


「そういえば、かつての魔法王国の技術はどうなのじゃろ。伝え聞いたところによれば、雲まで届かんばかりの建造物をも揺るぎなく設計したというが」


「グローヴァー魔法王国の、文献にも記されている『魔導の塔』のことね。魔法の使用状況を監視する役割があったとかいう」


 ルシカは長いまつげをしばたたかせた。


「――残念ながら、その当時の建造物を再現するには文献が少なすぎるし、作ったときにどのような技術や道具を使っていたかもわからないんですもの」


 ふむぅ、と老人がうなる。


「それにもし、道具自体が魔導で使いこなすようなものだったら、いまの世では使えないわ。……魔導士は少ない。この大陸に、もう十も残っていないくらいだし。将来、誰も居なくなったら……再びその技術は失われることになる。できれば、今後ずっと誰にでも扱える技術を提案したい」


「類稀なる魔導の血、かのぉ」


 老人は目をすがめた。


「それは、お主たちが子を成して増やせば良い話ではないか。どんどん増やせば解決じゃろうて」


 ルシカが口をまるく開けて動きを止め、でられたように耳まで真っ赤になった。ふしゃふしゃと笑う老人の様子に、からかわれたのだとようやく気づく。


「ひ、ひひひひとの一生で何人産めると思っているんですかっ」


「グリマイフロウ老」


 そのとき、進む先の路地から別の声がかかった。ルシカが口を押さえ、次いでパッと顔を輝かせ、足早になって声の主のもとに急ぐ。


「テロン! どうだった? 南の区域の進捗状況は――」


「駄目だな……南だけではなかった、どこもかしこも人手不足だ。作業効率の問題だな」


「そっかぁ……そうだよね」


 ふたりして肩を落とす。グリマイフロウ老はそんなふたりをあたたかな眼差しで見つめ、ふぅーっと長いため息をついた。


「やはり新しく効率の良いものを開発するしかないのぉ」


 老人の言葉に、テロンが眉を互い違いにしてルシカを見る。


「新技術の開発の話になっているのか、ルシカ」


「うん。けれど、学ぶべきところがどこなのか見当もつかなくて。機械技術が発展している国もそうそうないだろうし」


「そもそも、測量の技術からして見直さなければいかんだろうしのぉ」


 真剣な様子でそれぞれの考えに沈みこむ娘と老人を交互に見つめ、テロンもまた考え深げな表情で空を振り仰いだ。


「……そうだな。『千年王宮』が造られたときの技術でも、残っていればいいんだろうけど」


 テロンの言葉に、ルシカがはっと彼の顔を見上げる。


「それだわっ! 充分に使える技術なのかもしれない! だって、魔導の技がなくなったあとに建造されたものなんだし」


「でも、全体に魔法陣が施されているはずだろ。今必要だと話しているのは――」


「違うの! ――造った技術自体は魔導の技術によるものじゃない。設計と建造が素晴らしかったのよ。柱や造形、そのひとつひとつを正確に組み上げることで、設計していた魔法陣の紋様を形成したんだもの」


 ルシカは瞳をきらきらと輝かせてテロンに詰め寄った。


「だから建造した技術自体は、魔法や魔導の技によるものではないのよ! すごいすごいっ、テロンってばさすが! 目の付け所が違うっ」


「そして設計ももちろんじゃが、その設計どおり寸分の狂いもない素材を正確に配置したこともまたすごいのじゃ。実際に人の手だけを使ったものではなさそうじゃのぉ」


 老人は続けて言った。


「はてさて、おふたりは、その『千年王宮』を造った者たちが去った場所を告げる昔語りがあるのをご存知か?」


「うそッ!?」


 ルシカがすっとんきょうな声をあげる。テロンも目を剥いている。老人はふたりの様子をみて、愉しそうに笑いながら先を続けた。


「確かな話じゃあない。文献にも残っておらん。じゃが、何の根拠もないわけではないかもしれんのが、昔語りってものじゃろう? いまでも建築家たちは、その優れた奇跡の建造物を完成させたあとの技術が去ったという、北の海の方向を向いて工事の無事を祈るんじゃ」


 老人はからかうような微笑を浮かべ、歳若いふたりの顔を交互に見上げた。


「ふたりとも、知識は深く見聞を詰んでおろうとも、民衆の伝承には疎いところもあるようじゃな。あぁん? まぁ、年寄りのこんな話でも、何かヒントになるといいと思うてのぉ」


「――意外と近くに謎の答えが、そして現在の状況を打開する知識があるのかも!」


 ルシカが、大きなオレンジ色の瞳をらんらんと輝かせはじめた。


「さっそく海図やら北の海域に関する記述がないか、確かめてみなくっちゃ! ね、テロン、図書館棟に戻ったらさっそく――」


 言い掛けたとき、テロンが顔をあげた。視線を追ったルシカと老人も、王宮の方向からひとりの青年が走ってくるのに気づいた。


「兄貴」


「クルーガー……? 何やってんのかしら、こんなところで」


 テロンがクルーガーを見間違うはずはない。彼らは双子なのだ。しかし、国王である彼がここまで駆けてくるとは、何か重大なことでもあったのだろうか。ただ単に、書類を相手にするばかりの公務に嫌気がさして、ルーファスの監視の眼をくぐり抜けて脱出してきたという可能性もあったが。しかし今の彼は国王だ。気ままな王子の身分ではない。


「――テロン、ルシカ。話がある。どうやらまた困ったことになりそうだ。急ぎ、船を出さなくてはならん」


 追いついてきたクルーガーは息すら乱していなかったが、緊迫した様子で語った。グリマイフロウ老が心得顔に一礼して、数歩下がる。


「下手をすればラムダーク王国との外交にヒビが入るやもしれん。すぐに王宮へ戻ってくれ。歩きながら話をしよう」


「他の者に聞かれたくない内容ってことなのね。あなたがわざわざここまで駆けてくるんだもの」


「まあ、俺が来たのは外の空気が吸いたかったって理由もあるんだがな」


 しれっと続けた兄の言葉に、弟夫婦――テロンとルシカは思わずジト目になった。知ってか知らずか、顔色ひとつ変えずクルーガーは言葉を続けた。


「それはおいといて。急ぎ決断をせねばな――ただでさえバタバタとしているところにすまんが、早急に北の海域の探索のために船で出向いてもらうことになりそうだ」


「北の海域?」


 テロンとルシカは思わず互いの眼を見交わした。さらに後ろでは、その話を耳に入れてしまったグリマイフロウ老までもが、目をきらきらと輝かせているのであった。



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