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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
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エピローグ ハッピーエンドを迎えし物語

 『打ち捨てられし知恵の塔』は、今はもうその名で呼ばれていない。――十五年前から、その塔は『約束の塔』と呼ばれている。


 巨大な円筒形の建造物は、ところどころ補修のあとが見られるが、変わらず美しくも不思議な光沢を放っていた。塔の外壁を取り囲む中空に具現化されている赤、青、緑の魔法陣は、ゆるやかに回転しながら塔を守護し維持しつづけている。


 めぐる季節のほとんどを雪に埋もれて過ごす塔の周囲も、いまは夏の季節を迎え、雪はその姿を消していた。花嫁のかぶるヴェールのような雲が、穏やかな風に乗ってなだらかな斜面を掠めるようにゆったりと移動していく。


 その向こうには、霊峰ザルバーンの堂々とした姿が見えていた。何処までも青い空にはっきりと見える白い尖鋒がくっきりと映えるさまは、空の果てに届くのではと思わせるほどに雄大な眺めであった。


 ふいに、その塔の近くの開けた場所に、緑と青の魔導特有の輝きがきらめいた。輝きは魔法陣を大地に描き、ひとつの人影を結ぶ――。


 空と同じ色彩をもつ青い瞳が上がり、落ち着いた眼差しで天に近いその光景を眺め渡した。遠くから運ばれた白い粉雪とともにかすかな風が吹き、長く背を覆う金色の髪がさらりとひるがえる。連れはいない。ただひとりきりである。


 王族のまとうたっぷりとした上質な布地の外套マントを背に払い、足元に描かれた『転移テレポート』の魔法陣を歩み出る。


 青い瞳がまぶしそうに細められ、その口元がほころぶようにひとつの名前を囁く。


「マイナ」


 クルーガー・ナル・ソサリアは微笑みながら、片腕に抱えた荷物に視線を向けた。それは帰りに必要となるはずの着替えの衣服である。ちなみに、それは彼の為のものではない。この日の為に彼自身が、綺麗で肌触りの良い布を選び、王宮で召し抱えている仕立屋したてやに可愛らしく縫製し仕上げてもらったひと揃えだ。


「気に入ってくれるだろうか?」


 心配そうにつぶやいてから目元をわずかに染め、コホンと咳払いをしてから正面の扉に立つ。そうして一度、振り返って景色を瞳に映した。この塔に何度も通っている彼にとって、それは馴染んだ眺めであった。


「けれど、この眺めも今日で見納めだな」


 クルーガーはつぶやき、前に向き直って扉を押し開けた。その扉は塔の外殻の入り口だ。彼が目指す扉はさらにその奥にある。


 装置は、十五年前のあの日と変わらずそこに在り続けている。


 数日前に、点検の為に一緒に来ていたルシカによると、稼働状況はすこぶる順調だということなので、予定通り、今日で塔はその役目を終えることになるはずだ。


 きれいに片づけられ、清められて塵ひとつ落ちていない装置の周囲は、薄闇に沈んでいた。いくつかの小さな光が灯っているだけだ。


 クルーガーはゆっくりと装置に歩み寄り、光の灯るパネルのひとつを覗きこんだ。『真言語トゥルーワーズ』の表記文字が、かなり短い間隔で明滅を繰り返している。


 口の中で何事かつぶやくと、その文字が意味のある言葉として彼の頭のなかに染みこむように理解されていく。それは魔術の詠唱だった。宮廷魔導士の成し遂げた偉業のひとつ、『読解リーディング』という新魔法である。ほんの数日前に完成したばかりのものだ。


 読み解けた文字が示していたのは、装置の行っている作業工程が、もう間もなく全て完了するということだった。


「さすがはルシカだ。よく読める。戻ったら報告しないとな」


 口元を微笑ませながら、クルーガーが装置の周囲をぐるりと回り込む。そこには、十五年前に閉ざされたままの扉があった。


 プシュ、とどこかで音がした。


 クルーガーは目の前に聳える塔のような装置に視線を巡らせた。ひとつ、ふたつと、残っていた装置の光が次々と消えていく。


 ――とうとう時が来たのだ。


 高鳴る胸を抑え、クルーガーは背筋を伸ばした。まるで、王都の祭りの日にはじめて出逢った時のように、心が躍る。


 最後の光が消え失せるのと同時に、その扉がゆっくりと開いていった。


 亜空間を満たしていた魔導特有の緑の光は急速に色を失っていき、扉口にひとつの人影がシルエットのように現れた。


 背の低い、ほっそりとした小さな人影。目が闇に慣れ、手元の小さな光でその人影を判別する。長い黒髪、紅玉髄カーネリアンの瞳、ほの暗いなかにあってもくっきりと際立っている白磁のようにすべらかな肌――。


 すらりとした健康で伸びやかな足が、装置の扉を抜け、正面に立つクルーガーに向かっておずおずと進み出る。


 知らず、クルーガーの頬に笑みが広がっていく。青い瞳がこの上もなく嬉しそうに細められ、その名前を唇が紡いだ。


「――マイナ、おかえり……!」


「……来て……くださったの、ですね?」


 震える声が訊き、最後に見たときと変わらない小さな腕がゆっくりと上がる。


「夢じゃないですよね。とうとうわたし、戻ったんですよね……?」


 装置の中では『時』は止まったままだったのだろうか。それとも何度も夢を見ていたのだろうか。少女はまだ夢見心地にぼうっとした面持ちで、足を踏み出した。ひやりとした冷たい床に乗り、小さな悲鳴とともにぐらりと倒れかかる。宮廷魔導士から言われていた通り、靴も衣服も失われていた。


 クルーガーは駆け寄り、急いで自分の外套マントを肩から外して相手の体を包み込む。そうして愛する娘をしっかりと抱きしめた。腕のなかのぬくもりを感じる。


「クルーガー……クルーガー!」


 マイナの瞳がはっきりと焦点を結び、抱きしめてくれる腕の主を真っ直ぐに見上げた。美しい瞳がみるみる潤んでゆく。


「本当に、本当に逢えた……! うれしい……ずぅっと、ずぅっと逢いたかった」


 抱きしめたクルーガーの胸にまで、頬を染めた娘のどきどきと高鳴っている胸の鼓動が響いてくる。それは生きている証拠、命の証だ。


「――胸、苦しくないか?」


 それでも心配になったクルーガーが、思わず眉を寄せてマイナの顔を覗きこむ。マイナは涙を手で拭い、一点の曇りもない笑顔で元気いっぱいに応えた。


「はい!」


「そうか……良かった」


 今度こそ心の底から安堵し、クルーガーは長く息を吐いた。


「心配おかけしました。自分でもわかります。もう、わたしのなかに『従僕の錫杖』の存在がなくなっていることが」


「装置が、本来の生命として存在するもの以外を排除するのだと言っていたからな。それで――これ。気に入ればいいんだが」


 手にしていた荷物をマイナに押しつけ、少し視線を逸らしたクルーガーが頬を掻いた。マイナはぱちぱちをまばたきをして荷物の中身を引っ張り出し、嬉しそうな笑顔になる。その手に広げられたものは、シンプルながらも上質な素材で作られたドレスや靴だ。


「女性の間でいま流行っているデザインだそうだ」


 マイナの笑顔を見つめながら、クルーガーもまた幸せそうな表情になった。


「これから王宮に戻るから、着ていたほうがいいだろう? 俺とだけ居るなら別にどちらでも構わないが」


 照れ隠しにうっかり口から滑り出た軽口に、マイナが頬を染めてクルーガーの胸にこぶしを突き当てた。


「クルーガー、変わりませんね」


「マイナが変わっていないのに、変わってたまるか」


 笑いながら反論する。ふたりは話せば話すほど、隔たっていた時間が埋められていくのを感じていた。


 それに、ふたりは安堵していたのだ。多くのことを知り合っていく為の時間は、これからたっぷりとあるのだから。





 ふたりが手を取り合って帰還した『千年王宮せんねんおうきゅう』では――。


「うわぁ~!」


 トルテが手を打ち合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


「クルーガーおじさまも隅に置けませんね! 素晴らしく可愛らしい女性ひとじゃないですかっ」


 その横ではリューナが口をぱくぱくと開け閉めしながら、言葉もないようだった。やっとのことで声を絞り出す。


「じ、じゃあ、今まで国王が結婚しなかったのって……」


「ハハッ! 心に決めていた相手がいるからに、決まってるじゃないかァ」


 クルーガーは言葉と同時に満面の笑顔のまま、年下の青年の背を力任せに叩いた。


「ぶは! テテテッ……しかし、よく見れば、今の俺と同じくらいの年齢じゃないか。何がどうしていつからそんな」


 頭の上に疑問符がずらりと並びそうな表情でマイナを見つめ、リューナは首をひねった。


 マイナは驚き顔ながらもにこにことして、クルーガーに寄り添うように立って言った。


「いろいろ、あったんです。本当にいろいろと――」


「そう、とても長い話なのよね。リューナの話が終わったから、今度はそっちの話で盛り上がれそうかなぁ」


 ルシカが微笑みながら言い、「でも」と言葉を続ける。


「そろそろ到着する頃だから……そのあとで、かな?」


「到着?」


「え」


「誰が、ですか?」


 マイナと同時に、リューナとトルテの怪訝そうな声があがる。ルシカは部屋から続いているバルコニーに出た。その向こうには王都の街並みと、隣接する大きな港が広がっている。


「ほら!」


 ルシカは手すりから大きく身を乗り出すようにして手を振った。海からの風が吹き、やわらかそうな金の髪をふわりと持ち上げる。その風は嬉しそうなき声を運んでくる。


 ウルゥルルルルルル――。


 ルシカの視線の先、広大な三角江エスチュアリーと穏やかな海にひらけた王都ミストーナの港に、一隻の帆船トップスルスクーナー――リミエラ号がしずしずと入ってくるところだった。白亜の船体に繋がれた鎖を引っ張っているのは、『海蛇王シーサーペント』ウルだ。巨大な首をいっぱいに伸ばし、この『千年王宮』に向かっていているのだ。


 テロンがルシカに続いてバルコニーに出た。なぁんだ、と納得したように笑うトルテとリューナが後を追う。さらにその後に、ゆっくりとシャールを伴ったメルゾーンが続く。


「我がソサリアの同盟国ターミルラ公国からの客人、カールウェイネス閣下が公女マイナ様のご帰還を祝いに到着されたってわけだ」


 バルコニーへと恋人を誘いながら、クルーガーがニヤリと微笑んで言った。


「えっ?」


 明るい陽光のもとに出てきたマイナの前に、クルーガーは慇懃いんぎんに膝をついて胸に片手を当てた。そうして、マイナの顔を真っ直ぐに見つめる。


 どこまでも澄み渡った夏の青空――今日の空の色彩そのままの瞳、真剣そのものの面持ちで。


「ターミルラ公国、マイナ公女殿下。改めて――」


 クルーガーはおもむろに手を差し伸べた。この世界で最も愛している女性に向けて。


「俺と結婚してくれ。一生をかけて君を護りとおすことを誓う。ともに時を重ね、ともにふたつの国を平和に治めていこう」


 紅玉髄カーネリアン色の瞳がいっぱいに見開かれる。その瞳に喜びの涙がいっぱいに溢れ、微笑み、マイナはゆっくりと頷いた。


「……はい」


 次いでくしゃりと顔を歪め、目の前に膝をついていている男性に駆け寄って首に抱きつき、泣きむせぶように、だがこの上もなく嬉しそうな声をあげた。


「はい! クルーガー、喜んで!」


 クルーガーが優しく微笑み、嗚咽を繰り返す背中をしっかりと抱きしめる。ふたりは見つめ合い、笑い合い、ゆっくりと唇を重ねた。


 周囲は一斉に拍手をした。恋人たちは寄り添い、すこし照れたように微笑みながら、幸せいっぱいの表情で友人たちに応えた。


 クルーガーは腕の中のマイナを見つめた。じわりと心に広がってくる喜びと幸せに、彼はとうとう我慢しきれなくなり、叫んだ。


「これからはずっと傍にいる。もう離れないぞ!」


 吃驚びっくりしたマイナが目をぱちぱちとしばたたかせ、次いで弾けるように笑い出した。そうして、胸の衣服に顔をうずめてぎゅっと掴んで囁くように言う。


「やっと逢えたんですもの……もう離れたくないです」


 手すりの傍で振り返っていたルシカは、目の端に滲んだ涙の雫をそっと払い、太陽のような瞳をきらめかせて笑った。


「良かったぁ。本当に……」


「……ああ、そうだな」


 その肩を夫であるテロンが抱き、自分の胸に引き寄せる。広い胸に頬を押しつけ、ルシカは心の底から安堵したようにあたたかい吐息をもらした。やわらかな金の髪を手で除け、微笑んだテロンが妻の頬に唇をつける。


 トルテとリューナは互いに手を取り合い、にっこりと微笑みあった。


 茶目っ気を起こしたメルゾーンが、腰からいくつもの魔石を床にばら撒いて呪文を唱える。たちまち色とりどりの光が弾け、たくさんの花びらが舞い散った。


 手を打ち合わせたトルテも騒ぎに加わり、空中に光り輝く魔法陣を具現化させ、巨大な虹を空に描き出す。ルシカも一緒になって魔導の花火を盛大に振り撒いた。


 顔を上げたマイナが微笑み、クルーガーと目を見交わして明るい笑い声を響かせた。


 王宮からルーファスやメルエッタ、マルムをはじめ兵や大臣、侍女や使用人たちが何事かとバルコニーに集まってくる。


「もうっ、すっかり大騒ぎね!」


「何ですかぁ~! 僕たちの到着を待ってくださいよ」


 別大陸を巡る旅から戻り、今着いたばかりのリーファとティアヌが息を切らしながらお祝いの輪に加わる。すっかり立派に成長したプニールも飛んできて、ますます騒ぎは大きくなった。


 クルゥエエエェェェー!!


「プニール! こんなに大きくなったのですね!」


 笑顔を弾けさせたマイナが駆け寄る。バルコニーの端っこに爪をかけて首を伸ばしたプニールの顎を、クルーガーに抱き上げられ、腕いっぱいに抱きしめる。


 テロンがルシカを抱き、トルテの手をリューナが握り、まるで宮廷舞踏会でも催されているときのようにくるくると踊った。


 たいそう賑やかで嬉しそうな大騒ぎは、王都の何処からでも、港に着いたばかりの船の上からも眺められたという。





 永き平和と数々の奇跡、白亜の『千年王宮』で知られるソサリア王国。


 善政とたたえられる王の治世を支えた陰に、双子である彼の弟の類稀なる外交手腕と、絶えなく続く魔導の力を受け継いだ娘たちの存在があったと伝えられている――。





――従僕の錫杖 完――


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