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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
132/223

10章 願いから続くその先に 5-29

「あなたはまだ、手に入らないものを願うというの?」


 ルシカは問うた。あえて訊き、その事実をもう一度考え直して欲しいのだと伝えるかのように。


「ルレアの心は手に入らない――あなたはそれを理解しているはず。そして、完全なる支配などというものが、叶わない夢、実現されることのないまぼろしであること。ラミルターの悲劇を繰り返すことになるだけだと……あなたほどの頭脳と洞察力があるならば、わかっているはずだわ」


「……叶わない……まぼろしだと?」


 ハッ、と短く息を吐いてうつむいたロレイアルバーサが、肩を震わせる。


 呻き声が低く発せられ、かすかな声はさざなみのように高まり……それはだんだん大きくなっていった。最後には狂気じみた哄笑となって響き渡る。


「う……は……ふはは……ウァハハァハハハハッ!!」


 その場にいる全員の呆気に取られたような視線が、床にくずおれそうになりながらもわらい続ける男に集まる。男は風化した石の表面を擦るようなザリザリする声でひとしきり嗤うと、ぜいぜいと息を切らしながら唇から血を滴らせた。


 全身を襲う痛みに耐えているのか、食いしばった歯の隙間から唸るように言葉を発する。


「儂は幼き頃、戦乱のなかで親を失い、住む家を奪われた……。戦争は全てを焼き尽くし、全てを奪い尽くし……そんな世界が互いに孤独な儂らを引き逢わせた」


 ロレイアルバーサは続けた。長い時間のなかを生きて心の内によどめてきた闇を、吐き出すように。


「そう……儂が望むは完全なる支配ッ! かりそめの平和などに用はない。真の平和というものは、完全な王による完全なる統治の先にこそ見えてくるもの。かつてラミルターがそう願ったように……!」


 ルシカとテロンは、静かな視線で男を見つめた。クルーガーも言葉を発しなかった。


 男の願いの先にあるものが、自分たちも目指している平和な世に他ならないことを理解し――だが、到達する道としてはあまりに違いすぎ、決して自分たちが通ることのないものだということをはっきりと認識したので。


 真にひとの幸せを願い、平和な世界を創る者としては、あまりにかなしい考えだと感じたがゆえに……。


「あんた、まだマイナやルシカを狙ってるっていうの!?」


「へん! すでに決着はついているぞ。悪は必ず滅びる、最後には正義が勝つのだッ!」


 挑むようにリーファが、ふんぞり返ったメルゾーンが大声を響かせる。老いた魔導士はゆっくりと顔を動かし、彼らに向けてゾッとするほどに冷えた声で言った。


「ほほぉう……。儂が悪で、おまえたちが正義というわけか? 浅はかで傲慢なる青二才どもが。おまえたちは何もわかってはおらぬ。種族はいろいろでも全てに通ずる……ひとという存在は、決して争いや競うことを止めぬ生き物よ」


 ロレイアルバーサは顔を上げた。王であるクルーガーに、抜き身の刃物さながらの挑むような視線を向ける。


「ソサリアの王……。それでもおまえは、自分が平和な世を創ってゆけると言い切れるのか? どうなのだ、答えてみよ。できるはずはない。自らが正義だと思い込んだ者は、その正義をこそやいばに変えて相手に裁きを下す――相手を躊躇ちゅうちょなく完全に滅するのだ! 儂とどこが違うッ!」


 言葉の終わりは、激昂するような声音になっていた。


 熾火おきびのように燃える視線を向けられたクルーガーの傍で、マイナが青年の心を案じて寄り添うように体を寄せる。クルーガーは唇を引き結び、真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま、ロレイアルバーサの視線を受け止め、静かに口を開いた。


「今まで俺は、多くの敵と戦ってきた。そして多くのことに気づかされたと思っている。敵となった者にも、抱えている強い想いがあった、願いがあった――」


 クルーガーは自分のなかの心を見つめながら、言葉をゆっくりと紡いだ。心が決まると、胸の内にある思いが自然に口をついて出てくる。


「どれが悪でどれが正義だという定義など存在しない。正義と、反正義……それは自分たちがどちらを選ぶかで正義と悪に決定されるものだ。だから、俺は――」


 クルーガーは息を吸い込んだ。――ルシカが指し示した、尊き命へ向けた願い。テロンが真っ直ぐに貫いている、大切な者を護り通すという姿勢。そしてマイナと出逢ったことが『王』というものに対する彼の心の迷いの霧を晴らし、彼の生きる道をきっぱりとひらいてくれたのだ。


「ひとも魔獣も生命いのちだ。生命いのちは自由だ。力で無理に従わせることはできない。国はひとで構成されている、国の正体は民――『王』は導く者でなければならない。


 俺は全ての考えを尊重し、話し合いたい。それがたとえ理想論で、決してひとつになれない考えであろうとも、あきらめなければ――まずたゆまず話し合いわかり合うことができれば、争う事なく共存し生きてゆけるはずだ。俺の為すべきことは、そのような『王』となって平和を実現し維持し続けることなんだ」


 きっぱりと言い切った若き王を、ほう、という目で、本来の老いた姿に戻った魔導士が見つめた。


「その目……その考え、まさにあやつと同じだな。ヴァンドーナという、かつての友に。あやつは戦乱をしずめ、全ての考えや存在を尊重することで平和を維持していこうとしていた」


 だが……、と男は言葉を続ける。


「儂は打ち捨てられたのだ。全ての存在を尊重すると語っていたあやつ本人に。ないがしろにされた痛みは、衝撃は、傷は――今も癒えてはいない!」


 祖父の名と、その言葉を聞き、ルシカはオレンジ色の瞳を微かに揺らした。


 祖父の書き遺した手帳に綴られていた、若き三人の魔導士たちの想い――寄り添いあうように世間の狭間で懸命に生きていた頃の、願い。


 幸せに、ただ普通に大切なものと共に平和のなかで穏やかに暮らしてゆけるように。たとえこの先で道をたがうことになろうともどうか変わらぬ友情が続くようにと……。


「ヴァンドーナとルレアはあなたとの友情を大切に想っていた。でも愛する気持ちというものは、抑えることができないもの。ふたりはとても悩んでいた……互いの気持ちも、あなたへの友情も、とても大切であったがために。あなたはふたりにとって家族も同然だったから」


「……か、ぞく……だと」


 ロレイアルバーサの肩がびくりと震えた。虚ろな視線が床に落ちる。


「儂はいつわりの家族などと欲しくない。あやつのぬくもりなぞ要らぬ。ただ儂はルレアに認められ、儂だけを見つめていて欲しかったのだ。なのにあやつは――ルレアの心を独り占めにしたあやつは、儂を打ち捨てたのだぞ!」


 言葉を叩きつけ、ロレイアルバーサは天を振り仰いだ。


「――あなたを打ち捨てたのは、あなた自身なのかもしれないわ」


 ずきりと響くルシカの言葉に、男は自身の胸と喉を掴んだ。燃えるような黄金色の瞳を目の前の娘に向け、殺意にも似た気配を突きつける。


 容赦なく、怯むことなく、ルシカは言葉を続けた。


「長年ずっと、あなたは逃避していたんだわ。例えようもない淋しさを、孤独を、行き場のないひとりぼっちの心を持て余して。自分を追い詰めた戦乱を憎悪して真の平和を求める心に置き換え、やっと巡り会えた友人に落ち着く場所を奪われたという錯覚に囚われて」


「黙れッ!! ――わかったふうな口を利くなよ、娘。ルレアと同じ顔をして、ルレアと同じその唇で儂を拒むというのか。ルレアはきっと儂に賛同してくれる……ルレアはきっと、儂のしたことを認めてくれる。あやつに惑わされておっただけなのだから」


「……それでは、ルレアに直接訊いてみたらいかがですか?」


 ルシカは強く響く、だがとても静かな声で言った。みなが息を呑む。もの問いたげに彼女を見つめる仲間たちを振り返り、ルシカは語った。


「一度見た魔導の力の行使、その魔法構造を、あたしは完全に再現することができる。これから為すことが、全てのものに決着をつけることができると、あたしは確信しているの」


 彼女がよろめいたとき、すぐに手を差し伸べようと隣に立ってくれている愛する夫に、ルシカは視線を向けた。その大きな手を握り、相手の青く澄んだ優しい瞳をじっと見つめ、言った。


「テロン、信じていてね。あたしは大丈夫よ。約束するわ――あたしは自分の命もきちんと大切にすると」


「えっ……」


 掛けられた言葉に戸惑ったテロンだったが、すぐにルシカの手を握り返し、しっかりと頷いた。


「信じている、ルシカ。君は、君の為すべきと思ったことをやってくれ。何かあれば俺が君を支えるから、君は遠慮なく前を向いていてくれて構わない」


「ありがとう、テロン」


 ルシカは手を離し、仲間たちの顔を見回してにっこりと微笑むと、ロレイアルバーサに向き直った。そのまま天へ差し伸べるように腕を掲げ、口の中で決然とつぶやく。


「――あたしは信じてます。おじいちゃんが愛した女性を。おばあさま。託します、あたしの命を、存在を、どうぞつかって。そうして、あなたたちの大切なひとを、どうか救ってあげてください……!」


 太陽のような瞳を伏せ、腕を掲げたまま、迷いのない表情で、ここではない場所に語りかける。そうしてルシカは自分自身に聞かせ、諭すように言葉を続ける。


「あたしは不可能を越える『万色』の魔導士。自分に限界を作らない……願いを叶える力を! ――失われた魂よ、心よ、ここへひとたびの降臨を――!!」


 時空の壁を越えて凛と響き渡ったのは、ルシカの『真言語トゥルーワーズ』であった。


 『降霊ネクロマンシー』という、魔導のことわりによってのみ紡ぎだされる大術。


 たおやかな体を包み込むように展開された魔法陣の発する光は、先ほどのような禍々しい赤い光ではない……何処までも澄み切った、生命の営みそのもののように紅く美しい光であった。


 やわらかそうな髪がふわりと空中に持ち上がり、金色の翼さながらに輝いた。


 美しく光を帯びたすべらかな頬と瑞々しい唇は、ルシカ本人の感情を消し、ただ一面の海原のようにどこまでも静かにたいらかにいだものになり……次いでこの上もなくあたたかく穏やかな笑顔を浮かべる。


 伏せられていたまぶたが開かれ、瞳が見えた。澄んだ夜明けの太陽のような、あたたかくも澄んだオレンジの色彩。最初に地表を染め上げる温もりに満ちた光のいろ――。


 テロンにはわかった。いま目の前に立っている存在が、すでにルシカと呼ばれている人物ではなくなっていることが。そしてクルーガーやリーファ、ティアヌやメルゾーン、出逢ってそれほど経っていないマイナにも、それは容易に理解できたのである。


 光のなかに浮かび上がるような姿をした娘が、華奢な腕を差し伸べるようにそっと動かし、ふっくらとした唇を微笑みのかたちに開く。


「ロレイ」


 発せられた声は甘く、ルシカよりも年上の女性であるような熟した響きを持っていた。親しいものに語りかける、耳に心地の良い優しげであたたかな呼びかけ。


「……る、れあ……? ルレアなのか……?」


 ロレイアルバーサの乾ききった唇が開き、おずおずのその名を呼ぶ。がくがくとこらえようもなく震えだした手が持ち上がり、目の前に立つ女性の姿を映した黄金色の瞳はゆるゆるとうるんだ。透明なしずくがあとからあとから零れて、冷たい床を濡らしていく。


「ずぅっと待っていたのよ、ロレイ」


 優しく叱るような、微笑みながらも諭すような声音で、ルレアは言った。静かに老人に歩み寄り、その頬にほっそりとした指を触れさせる。


「ヴァンもずっとあなたのことを気に掛けているわ。あなたの身に良くないことが起きたのではないかと、あのひとは本当に思い悩んでいたの」


 発せられたその名を聞いてぷいと横向けられた顔に、ふわりと手のひらをあてがい、やんわりと戻して瞳を合わせ、ルレアは微笑んだ。


「不貞腐れないで、ロレイ。ごめんね……わたしはあなたの待ち人ではないけれど、きっとあなたもあなたの愛するものに巡り逢えるときは来るのよ。わたしはその相手ではないわ。だからわたしのために、どうか進むべき道を間違えないで」


 揺れる視線を受け止め、ルレアは包み込むような笑顔を浮かべた。


「今からでも遅くはないわ。わたしたちが導いてゆくから……ね?」


 ルレアは床に膝をついて丸くなっていた男の手を握り、離してかがめていた上体を起こした。すがるような瞳になった男を安心させるためにもう一度微笑むと、ルレアはおもむろに天へ向かって腕を伸ばした。


 あたたかく白い光が周囲の空間から生じた。衝撃で崩れた外壁からわずかに見える空から差し込んできた薄明るい光の筋に、ふたりを包み込んだ白い光が溶け合うように繋がる。


 それは、天の梯子はしごとも呼ばれる、次元を渡る光の道であった。


 光の先を見上げたロレイアルバーサが全身をわななかせ、むせぶように言葉を発する。


「……儂はおまえが羨ましかった。おまえに何かを手伝ってもらうたび、おまえが何かを成し遂げるたび、身を焦がすほどの羨望を覚えた。儂はおまえになりたかった――おまえに認めてもらいたかったのだ」


 ヴァンドーナ、友よ……。ロレイアルバーサは最後にそうつぶやいた。彼が光の道の先に見い出した姿は、かつての親友――ヴァンドーナであったのだろうか。


 ルレアがそんな彼をなだめるように背中を撫でるうち……ふたりの周囲の光が強まり、まばゆいほどの光となってその場を満たした。


 仲間たちが掲げた腕や手のひらで目をかばう。


 光の中でルレアが振り返り、オレンジ色の瞳を真っ直ぐに向けた。少し離れた位置に立ち、強い光のなかにあってもなお彼女を見守リ続けている青年に。


 転がる鈴のように遠ざかっていく、澄んだ声が青年に届く。


「孫は、あなたという素適なひとに巡り会えたのですね。……ルシカのことどうかよろしくね。大切な体を貸してくれて……ありがとうと……伝えて……」


 まるで翼のように広がっていた髪が、細い肩にふわりと流れ落ちる。内側から光を発していた白い肌が寒さに少し赤く染まった健康な肌へと代わり、細い体が支えを失ったようにがくりと仰け反った。


 駆け寄ったテロンが広げた腕の中に、華奢な体が寄りかかる。世界の何よりも大切な存在を胸に抱きしめたテロンは、穏やかな瞳で目の前の光に応えた。


「――はい、ルシカに必ず伝えます」


 光の道は、微かなきらめきを残して消えゆき、あとにはあたたかくも静謐な気配だけがその場に遺された。


「長い年月、ひとが生きる寿命のほとんどをかけて……」


 マイナが胸に手を当て、そっと言う。


「ただひとりのひとを愛し続けることができるなんて。ひとって、すごいですね……」


 クルーガーは顎に手を当て、厳粛な面持ちで無言のまま立っていた。その視線の先には、塔のような装置がある。


「認め合う必要性……か」


 メルゾーンが自分の足先に視線を落とし、つぶやいていた。その顔には、彼らしくないと言われそうな思慮深い表情が浮かんでいる。


 いつもなら軽口で突っ込みそうなリーファも、深く息をつきながら佇んでいるのみ。その隣にはティアヌが立ち、その少女の傍に居られるだけで幸せだとでも語りそうな顔でにこにこと微笑んでいるのだった。


 カールウェイネスは瓦礫に手をついてよろけながらも、だがしっかりと自分の足で立ち上がっていた。


 テロンの腕の中では、ルシカが目を開いたところだった。


「ルシカ……」


「……テロン」


「信じてはいたが、魔力マナの使い過ぎでルシカが倒れてしまうのではないかと、正直不安だった」


 素直に発せられたその言葉に、ルシカは握り込んでいた手のひらを開いてみせた。いつの間にか、そこには魔晶石があった――いつぞやのミディアル防衛戦のおり、テロンが押しつけるようにルシカに手渡した、魔力マナを蓄えた輝石が。


「……えへ。何だか使っちゃうのがもったいなくって、そのままお守りにしていたの」


 テロンは思わず吹き出し――次いでルシカをぎゅっと抱きしめた。


「もう無茶は許さないぞ。君の体は、もう君だけのものじゃないんだ。それに、君たちを失ってしまったら……俺は生きてゆけないぞ」


 体を離したテロンが、ルシカの下腹にそっと手を置く。心配、怒り、悲しみ、安堵――さまざまな想いに揺れる表情のまま、ルシカに微笑んだ。彼女もまた瞳をうるませ、彼を見つめていた。


「これからはあなたに心配をかけない。約束したもん……命は大切。あなたとふたりで、いいおとうさんとおかあさんになろうね」


 テロンは安堵のあまり目に涙を浮かべたままルシカの瞳を覗きこみ、そっと顔を近づけた。慌てた仲間たちが、あさっての方向に顔を向ける。


 ようやく唇を離し、言葉を継げるようになって、テロンが応えた。


「なれるさ、きっと。俺は、妻も家族も王国の未来も、全てを護るぞ……!」


「一緒に、よ」


 さりげなくルシカが言葉を修正して微笑みながら、今度は自分から、テロンの口に想いを込めて唇を重ねた。


 少しの時間を使ったあと、ルシカがテロンの手を借りて立ち上がる。最後の課題に挑むために――もうひと組の願いを、叶えるために。



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