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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
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9章 打ち捨てられし知恵の塔 5-25

「……ルシカ……?」


 テロンはふと、顔をあげた。名前を呼ばれたような気がしたのだ。仰向いた瞳に上空を流れていく幾筋もの流星の軌跡が映る。立ち止まって耳を澄まし……やがて頭を振って小道の前方に視線を戻す。


 ほっそりと、ひっそりと、朽ち果てる時間の行き着く先のように、緑のなかに埋もれた小道はごく自然に終わりを告げていた。


 ティアヌの灯した青白い魔法の明かりが、様々にグラデーションを成す緑の壁を鮮やかに照らし出す。進み出たクルーガーが剣の鞘先で植物の一部を持ち上げると、その下のなめらかな岩肌にくっきりと彫られた魔法陣があるのが見えた。足先で地面をこすってみると、周囲もまた継ぎ目ひとつない不可思議な材質で作られていることが分かる。


 そこは明らかにひとの手の入った空間であった。


 ただし、土埃にまみれつたが半ば覆い尽くし、この場所に隠された秘密を知る者でないとうっかり通りすぎてしまいそうな状態だ。――無理もない。数千年の時を渡ってきたのだから。


「逆にさ、古代王国が終わりを告げてから二千年、しかも建造されたのが王国の繁栄していた中期なんでしょう? よくここまで無事に保たれているなぁって思うよ」


 リーファが半ば呆れ、半ば感心したように声をあげた。


「グローヴァーの遺したものは、古代の書物もそうですが、保存状態に『時』を感じさせませんから。今の技術では考えられません。それをいうなら魔導という名の力もまた然り。いったいぜんたい、どのような叡智が繁栄の根底にあったのでしょうねぇ……」


 ティアヌが感慨深げに言い、自分の手のひらに握り込んだ魔術師の杖の先を見つめた。杖先に『光球ライトボール』を固定し維持しているのだ。小言でひと綴りの魔法語ルーンを唱え、その光を強めて明かりの届く範囲を拡大する。


「まあ、あれだ。ここもすっきりさっぱり焼き払っちまえば、造られた当時と同じ状態に戻るってワケか。どぅれ――」


 メルゾーンが言い、袖をまくりあげ炎の破壊呪文を詠唱しようとするので、テロンは慌ててその腕を取り押さえた。


「おい、冗談じゃないぞ! ここらの緑を全て焼くつもりか?」


「植物も、我々と同じ生き物なんですよ!」


 テロンの言葉に、ティアヌが同意する。ちぇっ、とメルゾーンが舌打ちして鼻を鳴らし、テロンの腕を振り解いてあさっての方向に顔を向ける。仲間たちは一斉にため息をついた。


「フン、言ってみただけだ。『道』を開くために、別に全部を焼き払うことはないのはわかっている」


「わかってんなら、いちいち過激なことを言わないでよ、おじさん!」


 リーファが突っかかるように口を挟むものだから、たちまちいがみ合いが始まってしまう。


「……はあ。先が思いやられるぜ、まァったく」


 クルーガーが片手で額を押さえ、横を見た。傍らではマイナが胸を押さえてハラハラと落ち着かなげに、仲間たちの言い合いを見守っている。さらにその向こうには竜に似た魔獣の姿がうずくまっていた。


「マイナ。そういやさ、プニールは寒い場所は苦手だろう。『道』も抜けられるのかどうかわからないし、ここで留守番ってことになりそうだな」


 青年に指摘され、魔導士の少女はハッと思い出したようだった。


「そ、そうでしたっ。忘れてしまうところでした」


 マイナはわたわたと腕を振り回しながら自分に付き従ってくれる魔獣に急いで向き直り、その大きな頭を撫でながら太い首に腕を回した。魔獣の耳があるとおぼしき場所に口を寄せ、紅玉髄カーネリアン色の瞳を微笑ませて優しく話しかけている。


 プニールに事情を説明しているのだろう、「ごめんね」という言葉がクルーガーの耳に何度も届く。


 クルーガーはそんな少女と魔獣の遣り取りを眺めてフッと微笑んだ。魔獣に歩み寄って手を伸ばし、その頭を撫でてみる。ざらざらとした手触りだが痛いほどではない。噛まれるかと覚悟しつつの行動だったが、プニールはおとなしくじっとしていた。伸ばした首は長身のクルーガーよりも高いのだが、今は小柄なマイナの背丈に合わせるように身を縮こまらせている。


「いじらしい……なんだか可愛いな」


 クルーガーの言葉に、マイナはとても嬉しそうに笑った。魔法の光源に照らされ、きらきらと輝く澄んだ瞳でクルーガーを見上げる。


「そうでしょう? とっても可愛いです。それに何度も助けてくれて――クルーガーもプニールも、わたしにとって命の恩人ですね」


 『使魔』の魔導の力によって少女と繋がっている魔獣にも人語が伝わるらしく、プニールはなんとも嬉しそうに爬虫類めいた大きな目を細め、クルルと得意げに喉を鳴らした。


「今回また置いてけぼりにしちまって、悪いなァ。だが約束するよ。必ず、マイナは無事に連れ帰ってくる」


 クルーガーはプニールの瞳を見つめ、きっぱりと言った。その言葉を横で聞いていたマイナが目をうるませ、そっと身を寄せてくるのを、クルーガーはしっかりと受け止め、抱き寄せた。


「……カーッ、とうとう苦労症で不運な国王にも、春が来たかぁ」


 そんなふたりを目の端で眺めていたメルゾーンが吐き捨てるように言い、リーファがすかさずその足先を踏みつけた。


「なんて言い方してんのよ、信じらんないっ!」


 メルゾーンはぴょんと飛び跳ね、年下の少女に涙の盛り上がった目を向けた。相当痛かったらしい。


「にゃろーっ、おまえ、ルシカみたいだなッ!」


「ルシカが居ないぶん、あたしが締めるところは締めないと。お願いね、って言われてるんだもん!」


「ちっ、ルシカのやつ」


 ぶつぶつとつぶやきながらも、メルゾーンは胸のポケットから磨かれた丸い輝石を取り出した。ルシカから預かった『道』を開くための魔道具マジックアイテムである。『万色』の魔導士の力と知識の結晶だ――つまり、ルシカのお手製である。


「――これまた丁寧で正確無比な魔法陣を用意しやがって。あいつの実力は底なしかよ」


「ほう、珍しいなァ。誉めているのか」


 クルーガーが茶化すように口を挟むと、メルゾーンは肩を怒らせて地団太を踏み、声をあげた。


「断じて違ァうッ!」


「あーっ、もう。いいからおじさん、やっちゃってよ。お手並み拝見っ!」


 れたリーファが手を叩き、その隣にはワクワクとなんとも興味深げに見守るティアヌの姿があった。


「フン、ではじっくり見てろよ。――ゆくぞ」


 注目されてまんざらでもないメルゾーンは芝居がかった所作で腕を掲げ、右手に握り込んだ輝石に精神を集中させた。目を閉じ、詠唱を開始する。力ある言葉が紡がれ、ひと続きの音楽のように周囲の空間を満たしていく。


 魔術師は魔導士と違い、瞬時に魔法効果を具現化することができない。魔法を行使するためには、物理的な魔法陣を描くか、魔法効果を封じ込めた魔道具を使ったり、魔法語ルーンと呼ばれる言語を駆使することで、魔法を具現化させるための力場を形成してゆくのである。


 メルゾーンの魔法詠唱は、リーファが思わず感嘆のつぶやきを洩らすほどに、少々甲高い声ながらも朗々と力強いものだった。


 言葉が進むほどに、周囲には目に見えない濃い魔力マナの気配が満ちはじめ、自然ではない風が生じる。握りこんでいた輝石が、まるで水のごとく地面に滴り落ち、魔術師の足元に緑と青に輝く魔法陣を具現化した。


 目の前のつるりとした岩肌に刻まれた魔法陣が、足元の魔法陣と呼応するように脈動し、共鳴しはじめる。


「『道』が開きます!」


 メルゾーンに次いで魔力マナの扱いに長けているティアヌが声をあげ、壁の魔法陣を指差した。その言葉の直後、白くまばゆい光が周囲を圧する。


 仲間たちは見た。目の前の魔法陣がその場にぽっかりと穴を生じ、虹色に輝く亜空間へと一行をいざなうのを。


 『道』は静止して待ってはいなかった。亜空間は広がり、たちまちのうちに仲間たちを呑み込む。一瞬、見当識が失われ、空間がぐにゃりと歪んだ感覚に、仲間たちはバランスを崩し、ゆらりとよろめいた。だが、すぐにその不思議な感覚も消え失せる。


 まず感じたのは、寒さ――そして、頭の奥のズキンと鈍く突き上げられたような痛みだった。同時に耳にも奇妙な感覚が生じる。


 周囲の様子もすっかり変化していた。どこかの洞穴のようだ。自然のものと思われる岩肌がぼんやりと見える。すぐ傍に入り口があり、太陽の光が差し込んでいるので明かりに困ることはなかった。


「俺たちが立っている位置……ここはすでに四千リール(メートル)に達する高さに違いない。標高が――変わったんだ」


 テロンが冷静な声で告げる。


 気圧が変わり、大気は薄く、体中の血潮が沸騰したかのように一行の心臓を激しく揺さぶった。しかしその感覚も痛みも、マイナの『治癒ヒーリング』を受けるとまるで潮が引くように落ち着いた。


 だが、そんな状況の中で魔導の力を行使したマイナ自身がふらりとよろけ、心臓のあたりを抑えるようにしてあえいだ。広げられたクルーガーの腕に倒れこみ、ようやく呼吸を整えて、ふぅ、と息をつく。


「大丈夫か? マイナ」


「は、はい。空の上のほうっていうのは、こんなに空気が薄いところなんですね」


「――落ち着いたんならば、さっさと防寒着を着込んだほうがいいぞ」


 腕を掲げたままのメルゾーンが、ぶっきらぼうに言う。


「いま物理的な防護結界を張っちゃいるが、あんま長くは維持できねえんだからな。消える前に用意を整えておかないと、解けた瞬間凍えちまう」


 その言葉を聞いた仲間たちが思わず周囲の空間に目を向けると、なるほど、薄い虹色の膜のようなものが自分たちを取り囲んでいるのが見える。まるで巨大なしゃぼんの泡の内に入り込んだかのようだ。


 リーファが琥珀色の目を見開いて、派手な濃い赤の衣服を着込んだ魔術師に目を向ける。


「おじさん……ちょっと見直した。さすが魔術師!」


「さすが、ルシカが推薦した魔術師だけはありますね。僕にはここまで完璧なものは張れませんよ」


 少女からの感嘆の言葉にまんざらでもない表情になるメルゾーンだったが。


「えーっ」


 正直なティアヌの言葉に、リーファが不服そうな声をあげる。エルフの魔術師は苦笑した。


「はいはい。僕もこれから、もっともっと頑張りますから」


 とにもかくにも、一行は背負っていた荷物から防寒のために特別にあつらえられた上着と外套を取り出し、羽織った。


「おじさんは?」


 問うリーファに、メルゾーンは胸を張って答えた。


「俺様が着ているのは、気温差を軽減する魔法効果もある服だからな。デザインや色は同じようでも、機能は様々あるものが屋敷にはずらりとある」


「あ、そう」


 半眼になったリーファが唇を突き出すと、丁度のタイミングでメルゾーンの防護結界が消失した。途端に、くしゅんとマイナがくしゃみをする。


「さ、さむい、です、ね」


 たちまちカチカチと歯の根が合わなくなったマイナが言い、リーファも震えながら無言で頷いた。襟巻き(マフラー)に顔をうずめる。


 洞穴を出ると、そこには見渡す限りなだらかな斜面が続いていた。遠く霞むように見えるのは、まるで砂場に尖った石でも落とし、上から粉砂糖でもふりかけたかのような断崖絶壁の突起――最高峰ザルバーンであった。


「この辺りはかつて山岳氷河が覆っていた場所らしい。いまはこうして岩肌が出ているが、当然冬には雪が覆い尽くす、一面白の世界だ。ここはザルバーンの麓ともいえる。ここの北も南も、地表まで本物の絶壁になっているんだ」


 テロンが説明しながら、内側に毛を張った革手袋で地図を広げる。


「そして目指す塔は、ここから半日ほど歩けば着く場所にある」


 言いながら頭上を見上げ、高く昇った太陽の位置を確認する。そして「やはり、そうなのか」とつぶやく。


「俺たちが『道』を越えたときに、『時』も越えたと言いたいのだろう? テロン」


 クルーガーが双子の弟に顔を向けて訊いた。仲間たちも、ハッと気づいて目を見張る。


「そうか、さっき、ここに着くまでは夜だったのに――」


 ティアヌの言葉に、正解だと応えるようにテロンは深く頷いた。


「ルシカが、その可能性について指摘していた。もしかしたら『道』で半日分ほど時間を消費するかもしれないと。だから深夜に出立することにしたんだ」


「『転移テレポート』の魔法が確立されたのは、魔法王国期の中期以降だからな。目指す塔は、中期に建てられたものなんだろ?」


 メルゾーンは驚くこともなく言った。


「魔導において、魔法陣を具現化するときの即発動の技術や、場所移動にかかる時間をほぼゼロに抑える技術というのは、長きに渡って大きな課題だったようだ。末期近くになってようやく『時間』の魔導士たちの研究が一気に開花したらしくてな」


「さすが、魔術学校の学園長をやっているだけはあるなァ。博識だ」


 クルーガーは素直に感心して声をあげたが、メルゾーンは何故か憮然とした表情になってしまった。


「『時間』の魔導士……か」


 テロンが難しい表情で口を開いた。


「あのロレイアルバーサも『時間』の魔導士だ。見掛けの年齢はどうみても壮年のものだったが……おそらく肉体の時間をさかのぼれる魔導の技でもあるんだろうな。ヴァンドーナ殿と同年齢くらいだとするならば――」


「もうポックリ逝っちまっててもおかしくない年齢だということか」


 クルーガーが頷きながら言葉を継いだ。リーファが弾かれたように驚きの声をあげる。


「そんな魔法があるの? みんなが使えるようになったら大変だね」


魔力マナは半端なく消耗しそうだけどな。――さあ、塔はこっちだ」


 地図を確認しながら歩き出したテロンに続いて、クルーガーが、マイナが続く。立ち直ったメルゾーン、ティアヌとリーファがさらに続いた。


 大気が薄いからなのか、太陽から照りつける日差しは容赦のないものだった。寒さは防げているといったメルゾーンも、上からマントを被ることになった。


 空気が薄いので休憩しながら歩くこと数刻、天候が急に変わりはじめた。さぁっと箒で掃いたかのように厚い雲が直接地表を覆い尽くし、太陽の光を遮ったためか急に気温が下がりはじめる。


 カタカタと震え出したマイナをかばうようにクルーガーが抱き支え、寒さに弱いティアヌがくしゃみを繰り返して鼻をすすった。


「もうすぐだ。この辺りから見えてもおかしくないはずなのだが――」


 テロンが伸び上がるようにして前方を透かし見た。


「隠されていて見えないんじゃねぇのか? 雲に、というより魔法に。俺たち魔術師にはうかがい知れないけどな」


 メルゾーンの指摘に、マイナが顔をあげた。


「魔導の力が眠る塔、ですよね。方向だけでもわたしに判断できるかもしれません」


「では頼む。やってみてくれ」


 テロンが言った。いつもなら、誰が何を言わなくてもルシカが率先してそのような気配を探ってくれていた。傍に居ないことを改めて痛感し、テロンは口元を引きしめた。


 マイナが地面に両膝を落とし、目を伏せて精神を集中させる。動きを止めたことでこらえようもなく震えだしたその小さな体を、自分の外套で覆うようにしてクルーガーが寒さから守る。


 しばらくして、マイナが顔をあげた。


「――近いです。ほんとに、もう見えてもおかしくない距離です」


 指先で示す先に、丁度雲が流れ途切れた場所があった。鈍く光る円盤のようなものがチカリと光る。一同はその場所へ急いだ。


「間違いないな、ここだ」


 直径一リール(メートル)の円盤を調べたメルゾーンが言った。すべらかな表面は、金属のようだが判然としない材質でできている。指を触れ、走らせると、そこに複雑な魔法陣が浮かび上がった。


「ではまず、ひとつめの結界を解除するか」


 メルゾーンが言い、両腕を掲げた。複雑な音程を持つ魔法語ルーンを詠唱しはじめる。高く、低く、言葉が進むにつれて、視界を閉ざしていた雲に変化があった。


 ばふっ! と、突然激しい風に吹き払われたように雲が割れた。乳白色の闇が後退し――円盤の正面、十|リールほど離れた場所に、何やら巨大な建造物が現れた。


「では次の結界を――」


 メルゾーンは言い掛け、次いで絶句した。


「どうしたんです?」


 ただならぬ様子にティアヌがいぶかしげに訊くと、メルゾーンは信じられない事実に気づいたかのように口をぱくぱくさせ、ようやく立ち直って言った。


「……まだ幾重にも張られているはずの結界が、残りの全てが消失している。明らかにこの数時間以内に解除されたものだ……!」


「何ッ!?」


「まさか、敵か? あいつらが先回りしているのか!」


 クルーガーとテロンが、緊迫した声を押し殺す。周囲に油断なく目を走らせるが、建物の外にはそれらしい姿も気配もないようだ。内部は――わからない。


「装置を壊されたらまずいぞ」


 テロンの言葉に、マイナが不安げな視線をクルーガーに向けた。


「大丈夫だ。そんなことさせやしない」


 クルーガーは剣の柄を確かめるように手をやり、目の前の建物に向けた目をすがめた。


「行こう! ただし、警戒を怠るなよッ!」


 クルーガーが低く仲間たちに告げる。仲間たちが頷き、それぞれの武器や魔法を確かめつつ、塔に向かって走りだした。



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