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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
126/223

8章 動きはじめた思惑 5-23

 ミディアルの都市が受けた襲撃の痛手は、相当に大きなものであった。


 急ぎ近隣の町や村から救助や片づけに駆けつけてくれた者たちは、みな一様に呻き声をあげた。通りには腐肉と骨が散り、魔獣の屍が累々と転がり、数多くの犠牲者たちのなきがらが横たわっていたのである。


 怪我人の数も相当数にのぼっており、また『従僕の錫杖』によって精神に極度のストレスを強いられ回復に時間のかかりそうな者も数多くいた。


 王都からも急ぎ編成された救援隊が到着した。仮ごしらえの救命施設として開放された都市管理庁や神殿などの建物には『癒しの神』ファシエルの神官たちが忙しく走り回り、怪我の手当てや神聖魔法での癒しを行っていた。


 その騒ぎのなか、庁舎の上階、市長であるリヒャルディアが用意してくれた一室にルシカが運び込まれていた。


 ルシカは意識を失ったあとも苦しそうな呼吸が続き、今はファシエル司祭と王宮から駆けつけた医療学者がその容態を診ている。


 『治癒ヒーリング』が使えるマイナと、その付き添いであれこれと手伝っているリーファとティアヌは、万一の奇襲を警戒しつつ階下の救命活動で忙しく動いていた。プニールは混乱を避けるため隠れている。クルーガーもまた国王としての役回りで都市のあちこちを飛び回っていた。


 廊下にあった椅子に座って待機しているのは、ルシカの夫であるテロンのみ。立ち上がっては座り、下を向いては上を向き、手を組んでは解き……非常に落ち着かなげな様子であった。


 さきほど、王宮から到着した侍女頭のメルエッタが部屋に入っていった。彼女はミディアルに親類が居るので『転移』のための手段を持っていたのである。テロンも一緒にと立ち上がったのだが、そっと押し止められてしまった。


 廊下にある窓の外は、もう暗くなっていた。襲撃を受けたミディアルの都市はいつもより明かりが減っているので、星が多く目に映る。今宵はナウルの三連星がはっきりと見えていた。流星群が極大期を迎えるのは、確か今宵ではなかっただろうか。


 星の読み方、星座の巡りを語って教えてくれたのは、ルシカだった。王宮の東棟の屋上にある天体観測ドームのテラスを、ルシカはとても気に入っていた。


 テロンとともに星を眺め、甘やかな語らいもあった――テロンは幸せな時間をいくつも思い出し、次いで『浮揚島』で受けた衝撃をも思い出した。


「…………ッ!」


 額にこぶしを当てテロンがうつむいたそのとき、扉が開いた気配があった。テロンが急ぎ顔をあげると、部屋から司祭や学者が出て行くところであった。


 思わず立ち上がったテロンに、司祭たちの後から部屋を出たメルエッタが近づいていった。


「テロン様、お知らせがございます」


 メルエッタはすでに若いとはいえぬ歳であったが、きちんと手を前で組み、背筋を伸ばして立っていた。厨房頭のマルムと同じく、侍女頭のメルエッタもまた幼少の頃のテロンとルシカを知る数少ない人物である。


 メルエッタはテロンの腕にそっと触れ、椅子にもう一度座らせて自分も身をかがめ、その瞳と視線を合わせてゆっくりと口を開いた。


「――おめでとうございます、テロン様。ルシカ様は……ご懐妊かいにんであらせられます」


 テロンは目を見開いた。


「いま、何と――?」


「ご懐妊です。ルシカ様のおなかには、赤ちゃんがいるのですよ」


 テロンの顔がみるみる輝きかけ……だが、すぐに曇った。


「ですが……ルシカの容態は――?」


 喜んで良いのか心配するべきなのか――テロンが迷う瞳でメルエッタのはしばみ色の瞳を見つめる。


「ええ、喜んでばかりはいられません」


 メルエッタは頷き、固い声で言葉を続けた。


「このままではルシカ様もおなかのお子も、取り返しのつかないことになります。今までも無理をなさっておいででしたが、今度ばかりは……」


 その言葉に受けた衝撃に、テロンの上体がぐらりとかしいた。青い瞳が、その感情にぐらぐらと揺れる。


「そんな……ルシカを失う……? 授かった命までも? 俺は……いったいどうすれば」


「――しっかりなさいませ、テロン殿下!」


 メルエッタはテロンとクルーガーが幼少の頃のように、叱咤するような厳しい声を出した。悪戯をしたとき、勉強の時間を抜け出したとき、いつもその言葉でたしなめられたものだ――テロンは知らず背筋を伸ばしていた。


 幼少の頃の教育係の婦人は、そんなかつての王子に、この上もなく優しげな瞳になって微笑んでみせた。


「いまのテロン殿下は、王弟として……そして他でもない宮廷魔導士となった奥方のルシカ様とともに、このソサリア王国を支える柱でもあるのですよ。ふたりはお強い。いままでもたくさんの困難を乗り越えられてきた。だから、ふたりのお子であるおなかの赤ちゃんも、きっときっと大丈夫です……!」


 メルエッタはそう語り、涙を浮かべながらしっかとテロンの手を握りしめた。


 テロンは深く息を吸ってから意識して瞳に力を込め、顔をあげた。


「ルシカ……。会えますか? いま」


 問うテロンに、メルエッタは「もちろんですよ」と答えて自分の涙を拭いた。そして立ち上がったテロンを扉の向こうへ導いた。


 テロンは部屋のなかへ進んだ。背後でメルエッタが一礼して、部屋を出てそっと音立てずに扉を閉める。


 ――ルシカは寝台に横たわっていた。


 憔悴している様子で、深くベッドに沈み込むようにして目を閉じている。呼吸は落ち着いていた。やわらかな金の髪はふわりと広がって彼女の白くすべらかな頬を縁取り、枕もとに灯された暖かなオレンジ色の明かりに照らされて絹糸のように煌めいている。


 近づく夫の足音に、ルシカはゆっくりとまぶたをあげた。明かりと同じ色の瞳がテロンの顔を捜して横に向けられ、その青い瞳と合う。


 テロンを真っ直ぐに見つめるルシカの瞳は、この上もなく美しかった。かけがえのない、世界にただひとつしかない命が、こんなにも大切なものであると――今ほどに思い知ったことはないとテロンは感じた。


「……テロン……」


 ルシカが乾いた唇を開き、おずおずと細い手を伸ばした。


 テロンは急ぎ歩み寄ってその手を握り……そのままルシカに覆いかぶさるようにしてその髪を、すべらかな頬を、細い肩を抱きしめた。


 自分でも意識せぬうちに涙があふれ、静かにテロンは泣いた。ルシカもまたうるむオレンジ色の瞳を伏せるようにしてテロンの抱擁に応え、腕を持ち上げて夫のくびにそっと回した。


 ふたりはしばらく、そのまま動かなかった。


 ようやく落ち着き身を起こしたテロンが、ベッドの傍にある椅子に腰掛け、ルシカの頬にかかる髪をそっと取り除けて頬に触れる。


 ルシカが唇をすぼませ、囁くように声を落として言った。


「ごめんなさい……無茶ばかり。いつも心配かけてばかりで……」


「――いや、ルシカのせいではない。ルシカは誰かのために……この王国のために、頑張っていただけだ」


 すまない、と低く言葉を続け、テロンは顔を伏せた。


「ねぇ……テロン」


 そんな夫に、ルシカは優しく微笑むように語りかけた。テロンが思わず顔をあげると、ルシカが手を伸ばしテロンの腕にそっと触れて言葉を続ける。


「……どっちだろうね、赤ちゃん」


「え?」


 突然の問いに戸惑うテロンに、ルシカは頬を染めてくすりと笑った。その目の端に残っていた涙が、まばたきとともに散ってきらりと光った。


「……男の子かな、女の子かな」


「ああ……そうだな。どっちだろうな。……どっちでもいいさ、きっと可愛いんだろうなぁ……」


 また涙がこみあげてきたのだろう、テロンが目を伏せるように逸らした。ルシカは伸ばしていた手を戻し、胸の上に置いて天井に瞳を向け、ぽつりと言った。


「……旅は……続けられないのかな?」


 せつなげな瞳を一度伏せ、そっと上目遣いのような視線で夫の表情を窺った。


「駄目だ」


 テロンはきっぱりとそう答え、顔を戻してルシカを真っ直ぐに見た。


「でもこのままじゃ、マイナが……」


「気持ちはわかる。だが、ルシカとおなかの子どもを失う危険を冒してまで……俺は賛成するわけにはいかない」


 ルシカは目を伏せた。彼女にもテロンの気持ちが痛いほどによくわかっている。テロンもまた目を伏せ、自分の握りしめたこぶしを見つめる。


 上質な素材の寝具がさらさらと音を立てた。ルシカが起き上がろうとしているのだ。テロンは顔を上げて腕を伸ばし、ルシカの細い肩を掴んだ。


「どこへ行くんだ、ルシカ。今はここでじっとしていてくれ」


「どうすれば……いいか、みんなに相談したいの。きちんと。……これは、あたしが強情に行くっていっても解決する問題じゃないもの……」


「わかった。ここで待っていてくれ、みんなを呼んでくるから」


 テロンは急いで言い、ルシカが起こしたからだをベッドに戻して寝具をかけ直した。丁寧に整えてやってから、有無を言わさぬくらいに必死な気持ちを込めてルシカの瞳を覗きこむ。


「動くんじゃないぞ。いいな、ルシカ」


 素早く唇を重ね、テロンは廊下に飛び出した。





 クルーガーはじっと床に目を落として立っている。マイナがその隣に立って胸の上で手を組み、同じように床を見つめていた。


「――気持ちはありがたいが」


 クルーガーは口を開いた。


「俺もテロンと同意見だ。これ以上、君に無理をさせるわけにはいかない」


「……でも」


「でもも何もなしだ!」


 クルーガーは厳しい声を出した。いつになく激しい物言いに、ルシカが目をまるくしてクルーガーを見つめる。


 テロンが仲間たちを見つけて声を掛け、何とか事態を落ち着かせた全員がルシカの居る部屋に集まったときには、すでに深夜を越えていた。誰もが顔に濃い疲労の影を落としていたが、ルシカのことをテロンから聞き、それでも急いで駆けつけてきたのである。


 部屋の片隅にあるテーブルの上にはメルエッタの配慮で飲み物や軽食が用意されていたが、今だに誰も手を伸ばそうとはしていなかった。


「――ルシカ」


 金髪を背に流し、青を基調にした衣服をまとったすらりとした体格の青年は、握ったこぶしに力を込めた。奥歯を噛み、こぶしを震わせながら床を見つめていたが、突然その膝を折り床につけて叫ぶように言葉を発した。


「すまない、ルシカ……!」


 驚き立ち尽くした仲間たちの目の前で、クルーガーは心の内を吐露するように続けた。


「おまえにこんな重圧を、苦労をかけているのは――この俺なのだ。このソサリア王国に他ならない! 俺は国王だが、大事なもの何ひとつ、自分だけの力では支え守ることもできない……!」


 ルシカはベッドの上に横たわったまま、オレンジ色の瞳を動かさずじっとクルーガーに向けていた。


「ルシカには今までも、命の選択をさせるような決断を何度も迫ってきた。魔導の力に頼りっぱなしで……王宮に来たことでおまえの寿命を縮めてばかりで――」


「それは違うわ!」


 ルシカが叫ぶように声をあげ、思わず上体を起こした。途端に下腹を押さえて痛みに顔を引きつらせる。


「うッ――いたた……」


「ルシカ!」


「大丈夫か!?」


 テロンが、クルーガーが寝台に駆け寄り、ルシカを案じて腕を伸ばした。左右からふたりの青年に抱えるように支えられて、ルシカは「ふふっ」とやわらかな微笑みを浮かべた。


「なんだか、はじめてあったときのことを思い出しちゃった。……転びかけたとき、ふたりが支えてくれたときのことを」


 双子の《かつての》王子たちは目を見開いて一瞬動きを止め――ああ、とふたり同時に、記憶の中で思い当たったかのような表情になった。


「あったなァ、確かに。そんなことが」


 クルーガーが口元を緩めた。


「出逢ったときには、転ぶばかりで何とも頼りなさそうな魔導士だったのにな。――思えば、宮廷魔導士に任命されたときから、ルシカは自分に対して厳しく戒めるようになり、他人に甘えることがなくなった。その『地位』こそが、ルシカを縛る『鎖』になってしまったんだ」


「……宮廷魔導士に任命されたこと、あたしは世界で一番の幸運だと思ってる」


 ルシカは小さい、だがはっきりとした声で言った。


「だってそうでしょ? あたしの生きる場所が、見つかったんだもの。……おじいちゃんとダルメス様がきっかけをくれて、クルーガー……あなたやテロンと出逢えた。あたしの世界でただひとつの居場所が見つかったのよ」


 すぅっと、ルシカの頬に透明な雫が一筋、流れた。昇りたての太陽のようなオレンジ色の瞳が、若き王の、どこまでも澄んだ夏の空のような瞳を真っ直ぐに見つめる。


「だから……だから」


 ルシカは、クルーガーを見つめて言葉を紡いだ。「ありがとう」、と。


 クルーガーの瞳が揺れ……そして少しずつ力がこもるように揺るぎないものへと変わっていった。


 それを見届けたルシカの体が、くたりと弛緩した。その背に腕を添えて支え続けていたテロンがゆっくりと体を寝台に戻してやると、ルシカは深く息をついた。


「それでね……これからの旅についての、妥協案なんだけど」


 ルシカが言葉に力を込めて口を開いた。思わず仲間たちが耳を傾ける。


「あたし抜きで『道』を進んで『打ち捨てられし知識の塔』へ到達して欲しいの。そこで、『転移』のための門を開いてもらいたい――」


 『万色』の魔導士は語った。


 塔の結界を解くことは魔術師でもできる――その方法さえ知っていれば。この王国内で、それを可能とする実力のある者がひとりいる。ただ、性格に難があるかもしれないが――。


 そうして『反転せし光の錫杖の解除方法』の実行には、『転移』でルシカが現地まで一気に飛ぶ。徒歩の移動で体にかかる負担を可能な限り減らし、魔導の力が必要な部分だけを執り行う。


 それがルシカの妙案だった。


「だが、性格に難のある魔術師というのは――? ん……あァ。何となく、誰のことかわかったぞ」


 クルーガーが腕組みをして言った。眉が互い違いになっている。


「確かに、そうだな。いつもルシカにやられてばかりだから、目立たないけど」


 テロンも頷きつつ応えた。頭痛でもしているような顔つきになっている。


 マイナはキョトンとした表情でそんなふたりを交互に見つめ、次いで後方に立っていたエルフの青年とフェルマの少女を振り返った。ふたりが肩をすくめて首を横に振る。


「メルゾーン・トルエラン。今のファンの魔術学園の学園長よ。いろいろ貸しもあるし動いてもらわなくっちゃ」


 その瞳にちょっぴり悪戯いたずらっぽい光を浮かべ、ルシカが微笑んだ。





「ルシカ、久しぶりですね」


 次の日の朝早く、連絡を受けてすぐにシャールが夫のメルゾーンとともに駆けつけてくれた。寝台に起き上がっていたルシカを、ふわりと軽く抱きしめる。


「おめでとう、ルシカ! あなたもとうとう母になるのですね」


「シャールさん」


 ルシカは頬を染め、はにかんだように笑った。そして少し心配そうな表情になって言葉を続ける。


「ごめんね。リューナちゃんが生まれて一歳になる前なのに」


「いいんですよ、こちらは大丈夫です。お父さまが孫を独り占めできると喜んでいましたから。たまには良いと思いますよ」


 『癒しの神』ファシエルの高司祭になり、昨年第一子を出産したシャールが、変わらぬほんわりとした微笑みで言った。少し肩を越えた黒く艶やかな髪が、さらりと揺れる。


「それにお留守番とはいえ、ふたりは王宮にいるのですから。周囲がなにやと世話を焼いてくれるに決まっていますし」


 シャールの父というのは、ソサリア王宮の傭兵隊長ソバッカ・メンヒルのことである。かつての戦乱の時代に、先王であるファーダルスと組んで冒険者として大陸を回っていたこともある武人だ。


 そのとき組んでいたもうひとりが、かつての宮廷魔術師ダルメス・トルエランである。メルゾーンの実の父親であり、昨年、孫を見る前に亡くなってしまった人物だ。


 王都の受けた損傷といい、ルシカの祖父である『時空間』の大魔導士ヴァンドーナの犠牲といい、一年前の『きょく』と『神の召喚(サモンゴッド)』の痛手は計り知れないほど大きいものであった。


「ふっふっふ。ついにこの俺の魔術が、王国にとって必然となったか」


 赤っぽい金髪を束ね、派手めの衣装、指や腰にジャラジャラと魔石の類を身につけて、甲高い声なのは相変わらずだ。ちなみにミディアルに残るルシカと、付き添うシャール以外の全員が、すでに旅支度を整えていた。


「はいはい、メルゾーン。よろしくお願いしますね」


「なんだその投げやりな態度はっ!」


 ちなみに、勝手にルシカのことをライバル視しているので、当然ルシカも朗らかに対応というわけにはいかない。ふたりは犬猿の仲であった。――まあ、出逢いかたも悪かったので無理もないだろうが。


「ちょっと、唾を飛ばさないでよ、おじさん」


 リーファが迷惑そうに言った。メルゾーンがヒクッと頬を引きつらせる。


「お、お、おじさんんんんんん!?」


 どうやらもうひとり、犬猿の仲が増えそうな勢いだ。


「あっ、あの……よろしくお願いします」


 マイナだけは礼儀正しく挨拶をしていた。


 そんな光景を見つめ、クルーガーとテロンは嘆息していたのであった。これから目指すのは、今は人外魔境と化している天然の要塞、『大陸中央』フェンリル山脈の最高峰ザルバーンにあるという『打ち捨てられし知恵の塔』へ至るための『道』だ。生半可な場所ではない。


「――大丈夫かしら」


 計画した張本人なのに、ルシカは不安になって小首を傾げたのであった。



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