6章 想いが導くもの 5-18
『大陸中央都市』ミディアル――。
その都市は、まさに大陸交易の要であり中心地であった。大陸中央街道からソサリア王国の南街道へ繋がり、そして同国の北街道との接点として発展してきた、大陸内でも有数の陸上交易の拠点である。
訪れる隊商はもちろん住む者たちの種族も多種多様で、アーストリアで主要な五種族のみならず、珍しいとされる少数種族の姿もよく見られた。
ちなみに五種族とは、人間族、飛翔族、竜人族、魔人族、エルフ族のことである。
ミディアルは、領土的には人間族の統べるソサリア王国に属するが、南隣の国の民である飛翔族の数も多い。飛翔族とは、人間族とほぼ変わらぬ体格をしており、背中に鳥のような翼を持つ種族のことだ。
テロンやルシカ、クルーガーたち一行はミディアルの北側から都市に入り、振興住宅地区を歩いていた。
「すごいひとの多さですね。それに、背中にきれいな翼を持つひとたちがたくさん」
マイナは顔をあちこちに向け、くるくると体を回すように周囲を珍しそうに眺めながら歩いていた。まるで全ての光景を目に焼きつけておこうとしているかのように。
「おっと。あまり余所見ばかりしていると迷子になるぞ」
ひとにぶつかられてバランスを崩したところを隣を歩く青年に助けられること数回、その度にマイナは赤くなりながらクルーガーに謝っている。ちなみに魔獣であるプニールは王都からの『転移』にすら乗れなかったので、今頃は大森林アルベルトの中をこちらに向かって驀進中だということだ。
マイナの熱心な観光熱に、後方を歩くティアヌが水を得た魚のように次から次へと語っていた。
「テミリアと比べて背の高い建物が多いのは飛翔族が多いからですし、通りの交差の複雑さは、この街が中心から次々と外側へ広がっていったからなんですよ。新興住宅街の広がりは、まさに迷路同然の勢いです!」
「ティアヌだともうまず間違いなく、迷子決定! ――の街ってことよね」
リーファがエルフの青年の横から口を挟む。その合いの手に、くすくすとマイナが楽しそうに笑っている。
クルーガーはそんな少女の笑顔を横目で見て、嬉しく思っていた。
ミルトの村で馬を調達し、この商業都市まで街道を飛ばしていたとき、マイナと交わした会話を思い出す――。
ティアヌとリーファはいつの間にか馬術を身に着けていた。旅の間に覚えたのだという。
魔導士の娘ふたりは単独で馬を乗りこなすことができず、クルーガーとテロンがマイナとルシカをそれぞれの馬に同乗して駆けてきたのであった。
夕暮れに空が染まり、周囲が刻々とオレンジの色彩と闇の織り成す夜影に沈みゆくなか、街道沿いをひた走っていたときのことだ。
「――クルーガー、もしかして……ルシカさんのことが、好きなのではありませんか……?」
それは小さな声ではあったが、訊かれた瞬間クルーガーの心臓がごとりと鳴った。
力強く疾走する馬上で、自分の前に座るマイナの黒髪がハタハタと彼の胸鎧の表面を叩いていた。
「ルシカは俺の友人だ。そして弟テロンと結婚したパートナーだ」
「はい。でも――」
「どうしてそう思う?」
内心の動揺を押し隠し、低い声音でクルーガーは問うた。自分では、声は少しも震えていないという自信はあったが。
「さっきのお屋敷でも、ずっと気にしていましたから。何か言いかけては止め、また言いかけては止めて……ずっと見つめていました」
マイナはそこまで言葉を続けたが、ふいに「ごめんなさい。もし違っていたら、本当に……」とうなだれた。
クルーガーは手綱を握る手に、無意識に力を込めながら答えた。
「――いや、違ってなどいないさ」
前方を見つめる青い瞳を、僅かに伏せて囁くように言う。
「ルシカのことが、友人以上に大切だった。だがそれは過去のことだし、決してテロンを上回れるほどではなかった。……俺にルシカは護れない」
手綱を持つ手の感覚が失せたクルーガーは、喉が絡まるような声で続けた。
「現に今も、あのふたりは俺に――俺たちに、自分たちの重荷を背負わせることのないように考え行動している。……ふたりというより、ルシカが、なんだろうな」
自分の声が、自分の胸に突き刺さるようだ。それでもクルーガーは言葉を続けた。
マイナは黙って聞いている。クルーガーの前に座っているので、その表情は見えない。
「あいつは出逢ったときから、自分自身を甘やかさない、他人に頼ろうとしない。本音を全てさらけ出す相手がいるとすれば……ただひとり、テロンにだけだ」
だが、ルシカにそんな重荷を背負わせているのはソサリア王国そのもの。すなわちそれは、国王であるクルーガー自身に他ならない。彼女を縛る鎖は――宮廷魔導士、そして陰の王国の護り手という『立場』だ。
「しかし今回、テロンも焦れているようだ。それでもテロンは……ルシカの抱えこんでいる全てを――その強さも弱さも、全てを受け入れようと足掻いているが」
双子だから――いや、同じ相手を気に掛けていたからこそ、その気持ちが手に取るようにわかる。
けれど今、状況は変わっている。運命はクルーガーにも、同じ思いを抱かせる相手――マイナを引き合わせたのだ。少なくともクルーガーはそう感じていた。
「俺にはそこまでの覚悟はない。それに――今は護りたいと思う相手が、俺が護れると思う相手が目の前にいるのだから」
その言葉に、マイナがハッと振り返った。大きな紅玉髄色の瞳が、間近で見開かれたままクルーガーの顔を見上げる。
クルーガーはちらりと目を合わせ、微笑んでまた進行方向に視線を戻した。
「ひとの思いは隠せるようなものではない。特に近しい者には。――俺はマイナに隠し事はしたくない」
だから話した、とクルーガーは言葉を続けた。
マイナは自分の手元を見つめた。その手を動かし、自分の体の前で手綱を握る手の上に移動させた。
クルーガーは刹那目を見開いて驚いたように緊張したが、すぐに表情を緩めた。手綱を握る力も自然に抜ける。
ふたりを乗せ馬は走った。後方に続くの3頭の馬も頼もしく力強いリズムで大地を蹴っている。
途中休憩を挟みながらも夜通し街道を走り続け、次の日の午後を迎える前に、一行はミディアルに到着したのであった。
都市の北入り口で馬を降りて街に入った。都市の中央まで続いているメイン通りと商店の連なり、そして新興住宅街だ。
ミディアルが興された歴史は古く、当時の街を取り囲んでいた城砦はすでに都市の内側に埋没している。ソサリア王国の兵たちが主に詰めているのは、この城砦跡に設けられた詰め所だ。
だが一行はそこを避けるように城門を抜け、本来のミディアルの都市内部に入った。
「なんたって国王陛下がここにいらっしゃるんですものね。王宮を離れてうろうろしてるなんてばれちゃうと、いろいろ面倒ですから」
宮廷魔導士のルシカが、冗談めかして眉をぴくぴくさせながら腰に手を当て、今しがた通り抜けてきた背後の城門に目を向けた。
都市の中、メイン通りの中途に設けられた城門である。王国兵は立ってはいるものの、常に緊張して見張っているわけではない。問答なく通り抜けるのは簡単だった。
「まあまあ、それを言うなよ。ここにいるのは一介の剣士ってことで」
悪びれもなくクルーガーが笑い、ふたりを眺めつつテロンが苦笑している。いつもの光景だ。
長身の双子と魔導士、エルフ族とフェルマの少女――何かと目立つ一行だが、翼を持つ飛翔族や大柄な竜人族たちに埋もれ、周囲の活気や華やかさに呑まれて、注目を集めることはない。
とはいえ、どこかに黒革鎧の男たちがいるかもしれない。用心するに越したことはなかった。
「俺とルシカはこの先にある図書館へ向かう。身分を明かすことになるから、その場に兄貴が居るのはさすがにまずいだろう」
「魔法語の魔術書や歴史書とは扱いが異なる、『真言語』で書かれた魔導書の保管部屋って、普通は入れないの。どうしてもあたしの名前が必要になるから」
テロンとルシカの言葉に、クルーガーは頷いた。
「わかっている。目立つ行動は避けたほうがいい。テロンとルシカはこのまま図書館へ――残るみなで、目指す塔に向かうのに必要な準備を整えておこう」
「目指す塔は、きっと寒いんでしょうねぇ」
あまり寒さが得意ではないティアヌが、都市の南側に延々続く壁のようなフェンリル山脈の、白い頂を眺めつつ言った。
目指す高峰ザルバーンは見えない。吹雪なのか雲なのか、ザルバーンがあるとおぼしき山脈の中心部分は白いもやのようなものにすっぽりと覆い隠され、またここより遥かに高い場所にあるため眺め渡せなかった。
「そうだな。標高の高い場所を目指すのだから、体温を確保できる装備も必要だ。俺たちはこれから必要な品を買い集めにいこう」
「この街の規模ですから、必要なものはすぐに見つかりそうですね」
マイナが周囲に並ぶ商店の品揃えをざっと眺め回しながら言った。マイナムはもちろん王都の商店よりも、近隣諸国からの品もあふれかえっていて豊富にみえる。
「しっかりした品が必要になりますよ。僕たちには峠越えの経験がありますから、必要なものを見定める目が利きます。装備のほうは僕とリーファに任せてください。ギルドに相談がてら、ターミルラでの報告もしておきます」
「そうだな、手分けするか。そっちはリーファ、ティアヌのことを頼んだぜ」
ティアヌの方向感覚のなさを思い出し、クルーガーは意地悪そうな笑みを浮かべつつ片目を閉じた。リーファが盛大に吹き出し、ティアヌは降参とばかりに両手を挙げてみせた。
「あはは、りょーかい! 集合は――例の宿屋?」
「そうだな、それがいいだろう」
「じゃあ決まりだね!」
リーファが声をあげ、テロンとルシカも頷いた。
「じゃあ、そちらも気をつけてね。ティアヌ、冒険者ギルドに行ったら、ディドルクさんにありがとうって――」
「伝えておきますよ、大丈夫です。ルシカたちもどうか気をつけて。『真言語』が相手でしょうから、どうか無理しすぎないでくださいね」
ティアヌの言葉に、ルシカはにっこり頷いた。
「大丈夫よ。だって背後にテロンがついてるんだもの。無理しすぎる前に怒られちゃうから」
「冗談ごとではないぞ」
「はぁい」
コツンと叩く真似をしながら、テロンがルシカに釘を刺した。照れたように笑うルシカとふたり、連れ立って歩いて行った。
「さて、こちらも行動しよう。こちらは旅に必要な水と食料などの物資だな」
クルーガーとマイナ、そしてティアヌとリーファは互いに数言交わした後に手を振り、それぞれの目指す場所に向かって歩きはじめた。
その頃、ミディアルの南、フェンリル山脈の険しい斜面が始まる場所と大森林アルベルトの間隙となる剥き出しの岩肌では――。
昼下がりの穏やかな陽光の下にはおよそ似つかわしくない、張り詰めた空気が漂っていた。
「――大規模であるならあるほどに、混乱もまた際限なく膨れあがるものだろうよ」
ある筈のない風に衣服の裾をはためかせながら、男は眼下に広がる墓の群に視線を投じていた。同時に、その向こう大森林アルベルトの中に拓かれた都市を『視て』いるのであった。
遠く離れた場所の映像を捉えることのできる魔導の目、『遠視』を行使しているのだ。
これだけ離れた場所からの行使が可能なのは、男が『魔術師』ではなく『魔導士』であるからに他ならない。
白髪が踊るようにざわりと揺らめき、黄金の瞳に踊る粒のような白き光が明滅している。
その肉食獣を思わせる色の瞳には、今彼にとって一番の獲物であるオレンジ色の瞳の娘と、もうひとり古代魔法王国の遺産を体の内に持つ少女の姿が映っていた。
「ここで、どちらも手に入れてみせるぞ」
低くつぶやき、片目に当てていた手を下ろした。太陽の光のなかにあってもなおまばゆく輝いていた魔導特有の緑の光が、男の周囲から消える。
そのタイミングを見計らっていたのか、背後に黒と銀の色彩を纏う影がひとつ、何もない空中から忽然と現れた。
「ルシファー……今度こそ、しくじるなよ」
氷よりもなお冷たい声が、振り返ることなく背後の影に叩きつけられた。
「承知しております」
影は抑揚の無い声で答えて消えた。そこに現れたことが幻のように、大地には窪みひとつ、砂の乱れひとつ残ってはいない。
「――たったひと振りの錫杖のために都市ひとつ壊滅させるとは。本気か、ロレイアルバーサ?」
もうひとつ、別の声が問う。背後から歩み寄ってきたのだ。こちらは砂を蹴立てて、土埃を巻き上げている。実体があるのだ。
「全てを手中に収めるためなら、悪魔に魂を売っても惜しゅうはない。――そう、そなたこそが悪魔であっても今さら儂は驚きはせぬぞ」
毒を含んだ声で嗤い、ロレイアルバーサが振り返った。
「絶対的に平和な世界が待っているのだぞ。その為には多少の犠牲は仕方あるまい? 相手が強大なのだからこちらもその覚悟で挑まなければ、欲しいものは手に入らないと思わぬか?」
相手からの返答はない。
人間族の男だろうと見当をつけたものの、年齢すら判然としない低い声で喋るので、正体が全く知れない相手だ。種族すらわからない。目の前に現れるときには、闇よりなお黒いマントで身を覆っている。体内の魔力の正体も見定められず、背が高いことくらいしか判別がつかない。
ロレイアルバーサは黒い頭巾の奥を覗き見ようと目を凝らしたが、相手の全身から殺気が立ち昇ったのでやめておく。
すぐに揶揄するような声が飛んできた。
「……どうした、私の正体が知りたくなったか。欲望ばかりだな、ロレイアルバーサ」
「知恵と魔力を提供してくれるのはありがたい。だがしかし、儂に意見するとは約束違いであろう」
「そうだったかな。意見したつもりはないのだが」
黒衣の男は嘯いた。感情を省いたような声で、淡々と言葉を続ける。
「この世界を手に入れてみせると言い切ったおまえの欲望の奥底を知りたいだけだ。こちらの真意なぞに興味を持たなくてもよい。――行き過ぎた好奇心は容易に破滅を招くことになる」
ロレイアルバーサは忌々しげに舌を鳴らした。だが、その音が相手に何の感慨も与えないことは承知している。
顔をしかめ、噛みしめた歯の隙間から相手に問う。
「魔獣は? 戦力は借り受けられるのか?」
「そなたの『付与人形』には荷が重過ぎるだろう。魔獣ならば周囲に広がるアルベルトからいくらでも呼び寄せられる。大森林アルベルトはまさに魔獣の宝庫だ」
黒衣の男はそう言うと、話はこれで終わりだとばかりに身を翻した。ロレイアルバーサに背を向けたまま三歩ほど歩き、腕を振って『転移』の魔法陣を具現化させる。
その姿が完全に消えたのを見て、ロレイアルバーサは長く息を吐いた。
「いったい何者なのだ……」
六ヶ月ほど前に、取引を持ちかけてきた男。冬の猛烈な吹雪のある日、大臣の執務室に忽然と現れた男は、益体もない報告書をまとめていた彼に問うたのである。
おまえに命を賭してでも叶えたい願いがあるか? ――と。
世界を我がものにしたいと、彼は即座に答えた。
穏やかで民の機嫌ばかりを窺うような王や、他国との親善やら外交やら、彼を忙殺して魔導研究の暇すら与えてくれない物事全てを、彼はひどく憎んでいた。
かりそめの平和などに用はない。彼はただ、完全統治された真の平和な世界が欲しかったのだ――かつてラミルターがそうしたように。
そこで彼は『ラミルター機関』なるものを立ち上げ、殺戮や暗殺を日常的にこなしてみせる手駒も掌握していた。
男が眼前に現れたのは、古代魔法王国の遺した宝物『従僕の錫杖』の行方を掴んだタイミングだった。錫杖を体の内に受け継ぎ、かつて異国の地に逃れた公女が、幸運にも娘を出産して杖を伝え遺していることを知り、機関の者を差し向ける直前であったのだ。
願いを聞いた男は頷き、彼に約束した。叶えたいのならば力を貸そう、と。
そうしてその日、彼が仕えていた王が死んだのだ。塔から落ち、事故ということだったが、彼にはそれが男の仕業だとわかった。
黒衣の男は狡猾で、かつ優れた策士であった。
騒動を起こし、様々な理由をでっち上げ、公国の有力者たちを根こそぎ投獄していった。彼以外の有力者はほとんど排除され、あるいは消された。王以外ほとんど血は流されずに事は進行していった。
おかげで王国を手に入れるのは容易いものであった。
「――さあ、あとは『従僕の錫杖』のみだ。それで世界が手に入る」
そうして……公女が逃れた先というソサリア王国で、あの娘を見つけたのだ。
彼は目的を忘れそうになるほどに狂喜した――かつて世捨て人となって世界を放浪した原因となった、魂を捧げるべくして出逢った相手と同じ娘を見出したがために。
思えばそこから、彼の歯車は狂いはじめていたのかもしれなかった……。




