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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
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5章 邂逅のその果て 5-13

 城の内部で、最も豪奢できらびやかな部屋。


 扉や柱にはもちろんのこと、家具には優美な細工が施され、金や銀があちこちを飾っていた。部屋の中央の卓は希少な銘木を多数使った、どっしりと大きい見事な品だ。その周囲に十脚、美しい形状の椅子が円状に並べられている。


 ターミルラ公国において海の産業以外の名産、それは森の恵みと工芸の技によるものであった。


「……来たか」


 その部屋の最も奥まった場所、ひときわ大きな椅子に座し、目を閉じていた男が静かな声でつぶやいた。


 身を起こし、窓から街と海に続く眺望に目を向ける。広がる景色は、オレンジ色の屋根が連なる石造りの城下の街並み。急激に深さを増す海の青、両脇を埋める斜面の緑。


 男は立ち上がり、たてがみめいた豊かな白髪を振り絹の長衣を引きずりながら、窓に歩み寄った。がっしりとしたたくましい体つき、浅黒い肌、動きは俊敏で獣めいている。


 その肉食獣を思わせる黄金の瞳の見つめる先には、一隻の船があった。


 三本の帆柱を持つ帆船だが、不思議なことに帆は張られていない。白亜の船体には、横腹に何やら面妖な装飾めいた器具が艤装ぎそうされている。


 この街の港に停泊している船のうち、最も不思議な船であった。


 だが男にとっては、船の形状など目に入っていない。彼が興味があるのは、その船に乗ってきただろう、ただひとりの人間である。


 いや――もうひとり、その人間を手に入れる為にどうしても必要なもうひとりの人間も乗っているはずだった。本来はそちらが狙いだったはずなのだが、彼にとってそれはすでに『手段』に過ぎないものと化していた。


 彼の読みが正しければ――。


「……フフ、ハハハッ!」


 この上もなくたのしそうにわらい、卓上に飾られていた硝子ガラス細工の器から白く可憐な花を一輪、つまみあげた。


 ふわりとした花弁を持つ、はかなげにも精一杯に咲くその花を、男はしげしげと眺めた。


 男が指に力を込めると、花はあえなく潰れた。はらはらと薄衣のような花弁が床に散る。


「今になって身を焦がすほどの想いを感ずることになろうとは……運命というものはかくも粋なはからいをするものなのか」


 感慨深げにつぶやくその背後で、静かに闇がわだかまり、こごって人の形を成した。


 黒に染めた革鎧をまとうその影が立ち上がる。あまりにも整った容姿は人間離れしていて、この世の物とは思えないほどに冷徹な印象だが、それゆえにひどく妖しく美しかった。


 銀の長髪が揺れ、さらりと流れる。紫水晶アメシストのような紫の瞳が窓からの陽光に触れ、ギラリと光った。


「――閣下かっか、もしやとは思いますが、別の狙いに移行されたわけではありますまいね」


「なにをいう」


 配下の者が発した疑いに満ちた問いに、強い口調で男は応えた。


「目指すものは『完全支配』だ。……金の娘のことは余禄に過ぎぬ」


「ただの娘でしょう。何故にそうご執着なされるのか」


 理解いたしかねます――言外にそう語るように、銀の男は忠誠を捧げたはずの相手をめ付けた。


「類稀なる魔導を体に宿す娘だぞ」


 激昂したように声をあげ、男はむぅと唸った。


「まぁ、その価値は知らずとも良かろう。おまえには関係のない話だ」


 邪険に手を振り、相手に下がるように促しながら言葉を続ける。


「おまえは儂の命令にだけ従うておればよい。余計なことは考えるな」


「……御意……」


 銀色の髪が魔力マナの風に巻き上げられ、翻った。瞬きをする間に、配下の男の姿は魔法により消え失せてしまっていた。


「ふん、まがい物が……言いおるわ!」


 男は吐き捨てるように言い、忌々しげに舌打ちをした。だが再び窓の外に目を向け、停泊している船を視界に収め――にやにやと笑み崩れるのであった。





 船から桟橋に降り立ったのは、ふたりの人間だ。


 ひとりは背の高い戦士風の男だ。頭に異国風の布を巻いて、細かな紋様で縁取った衣服にサーコートを羽織り、腰に長剣を吊るした若者である。


 もうひとりは金髪で顔の半分を隠した若い女だ。白と金の上品な長衣は体の線に沿うように仕立てられており、胸の部分は大きく開かれている。唇には紅を差し、目の上には翠玉エメラルドの粉を刷いた妖艶な美女であった。結い上げた長い髪は白い薄布の中に仕舞ってある。


「――なんだか、本当にあのふたりとは思えませんね。さすが、リーファの見立ては素晴らしいです」


 ティアヌが手すりに片肘をついて頬を支えながら、そのふたりの後ろ姿を見送っていた。


「あぁあ……僕も行きたかったんですけどねぇ」


 大仰にため息をつくエルフの青年の背後で、リーファは鼻を鳴らして腰に手を当てた。


「んもう、今さら言わないの! ティアヌが行ったら街で迷子になるに決まってるじゃないの」


 的を射た発言に、ティアヌは「トホホ……」とつぶやき、苦笑した。


「けど、ルシカたち……大丈夫かなぁ」


 リーファはティアヌの隣に立ち、遠ざかっていくふたりの背中を見つめた。


「まぁったく、デートにでも向かうみたいね。ふたりとも気楽そうに見えるんだから、もうっ」


「いいじゃありませんか。自然なほうが」


「そうそう。下手に構えているよりもいつもの力が出せるんじゃよ。冒険者の心得のひとつじゃ」


 ふたりが振り返ると、甲板にグリマイフロウ老が立っていた。担ぎ上げるように、巨大なスパナを携えている。


「陛下がお呼びじゃ。戦闘の準備を整えよと、な。――しかしまぁ、この国の連中はなぁにをおそれておるんじゃ。こちらが討って出るとでも思うておるのか?」


 港のそこかしこに、物々しい出で立ちの憲兵たちが立っているのだ。周囲を他にも数隻の船が停泊していたが、ひっそりと怯えたように静かで、どの船上にも動きはなかった。だが、憲兵たちの数は確実に増えている。


「それはまだわかりませんが、あのふたりで危険だというのでしたら、僕たちだと生きては帰れませんねぇ~」


 いつもと変わらぬのんびりした口調に、フェルマの少女は唇を突き出した。くるりと体の向きを変え、手すりにもたれかかって空を見上げる。


「まあ……わたしたちも強くなっているとは思うけどね、あの頃よりは……」





 その頃、テロンとルシカのふたりは目を見交わしあっていた。


「何だか戦争でもやっているみたいな印象ね」


 港周辺の、警戒態勢に対する感想だ。ルシカは被った白い薄布の具合を確かめるように引っ張りながら、また周囲に視線を走らせた。


「そのような相手国はいないんだろう?」


「うん。この二週間で事態が変わったっていうんなら別だけど……この荒れようだと、半年か一年は経っていそうよ。ターミルラ公国は豊かだけれど、陸も海も天然の砦に守られているゆえに攻め込まれにくく、永く戦乱はなかったと聞いてるのに」


 テロンは腰の剣のさやが脚に当たるのに慣れないらしく、しきりに気にしていた。金具の具合を確かめようとするものだから、ふたりに向けられる憲兵たちの視線が剣呑なものになっている。


 騒ぎを起こしたくなくて、ルシカが歩きながらテロンの腕にするりと自分の腕を絡ませた。落ち着かせようとしてやったことだが、テロンは顔を赤らめてびくりと緊張した。


 妻はしばし呆気にとられ、夫を上目遣いに睨み、ぷーっと頬を膨らませた。その様子はずいぶんと幼く、とてもではないが今の妖艶な扮装に似合わないしぐさだ。


「もぉ。何でそんなに緊張しているのよ?」


「い、いや。感じがいつもと全然違うからさ。どうも落ち着かなくて」


 船室でふたりの変装を見たとき、整えてくれた本人であるはずのリーファがティアヌと共に笑い転げていたことを、ルシカは思い出した。クルーガーは目をむき、手に持っていたカップを落としかけたほどだ。


「むー……そんなに変かなぁ……」


 しょんぼりしたルシカの様子に、慌てたテロンがもごもごと弁解した。


「――いや、そうじゃないんだ。すごくきれいで、何ていうかその……すごく魅惑的で、外ではして欲しくないような格好というか」


 そんな遣り取りをしているうちに、ふたりは港地区を抜けて、城下の街に入っていた。


「それはそうと……テロン、気づいている?」


「ああ。ふたりだな。今またひとり増えた――三人だ」


 ルシカのさりげない問いに、テロンは気を引きしめた。彼の鋭敏な感覚は、街の入り口から背後に尾行がついたことに気づいていた。


「さすが。あたしには何となくしかわからないのに」


 ふたりは警戒しながら、しかし見た目はただ仲良く睦まじく、歩き続けた。


 整えられた区画が続き、道は真っ直ぐに伸び、交差し、また伸びていた。住居となっている建物の屋根はオレンジ色で、横目でちらりと覗いただけでも住みやすそうな造りであるのが見てとれる。


「……平和できれいで、気持ちの良さそうな街だったのね」


 だが今は、どこの家にも人の気配は感じるのに通りに出ている者はなく、通りのそこかしこにゴミが落ち、植えられていたであろう花は枯れるままに放置されていた。


 いつもと変わらない日常を過ごしていた街が、ある日突然状況が変わり、慌てて何もかも投げ出して家に逃げ込み閉じこもってしまったかのように……。


 住宅街と分けられた商用地区は、もっと閑散としていた。


「へんね」


「そうだな」


 ルシカはテロンと目を見交わし、首を振った。商用地区には人の気配が全くない――背後につけてきている尾行者たちを除けば。


「何をこんなに怯えているんだろう?」


「わからないわ……襲撃の跡も、潜む魔獣の気配だってないのに。どうしてこんなに状況が変わったのかしら……」


 そのまま商用地区を通り過ぎ、図書館とおぼしき建物に着いた。


 テロンが先に立ち、重々しい扉を押し開く。鍵もかかってはいないようで、微かに軋みながら簡単に扉が開いた。


「ここも……」


 ルシカがつぶやき、建物の内部に進んだ。本を並べている棚にも床と同じように埃が大量に積もっている。被っていた薄布を下げて口鼻を覆い、ルシカは左右の本を眺めながら歩き続けた。


「手掛かりはありそうか?」


「ここに並んでいるのは普通の本ばかり。奥に古文書や魔導の書があるのかな?」


 ルシカは奥へ奥へと進んでいった。周囲の気配を窺いながら、テロンがルシカのあとに続く。


「ああ、やっぱり。あそこの扉のところに『許可なき者の立ち入りを禁ずる』って書いてある。持ち出しの許されない文献とかがあるのかも」


 ソサリアの図書館棟を思い出しながら、ルシカが言った。


「――ルシカ」


 テロンが声を掛け、扉に手をかけていたルシカを引き戻した。代わりに自分が前に出て、扉を開く。幸い罠や警戒の類は仕掛けられておらず、中の小部屋にはルシカの予想通り古代王国のものと思われる文献がずらりと書棚に収められていた。


 本の背に軽く指を走らせ、ルシカは片腕を動かした。床に魔法陣が展開され、部屋中の本の背文字に青い燐光が浮かび上がる。


 ルシカは目を伏せ、しばらく精神を集中させていた。やがて顔を上げ、腕を掲げ爪先立ちになり、棚の上部に手を伸ばした。


 背の高いテロンが歩み寄り、「どれだ?」と訊きながら数冊の本を降ろしてくれた。


「ありがとう」


 微笑んでテロンから本を受け取ったルシカが、一冊ずつぱらぱらとページを繰り、『従僕の錫杖』に関する事項を探す。


 そのとき、テロンがハッとしたように入ってきた方向――図書館の正面入り口に鋭い視線を向けた。ルシカは何も訊かず、頷き、静かにテロンの背後に回り込んだ。


 何やらガシャガシャとうるさい音が聞こえる。


 バアァァンッ! 正面入り口が蹴りつけられて乱暴に開かれた騒音と衝撃が、ふたりのいる奥部屋にまで伝わってきた。





 剣で武装した憲兵たちを引き連れたリーダーの男は、図書館の正面入り口の前に立っていた。


「ここに……例の男と女が居るのだな」


 リーダーの男はつぶやき、続く言葉は周囲の憲兵たちにも聞こえるように声を大きくした。


「――人間族の渡航人ふたりを確保せよとの命令を受けている。抵抗するなら男のほうは生死を問わず、女のほうは生きたまま無傷で捕らえよとのことだ。いいか? 決して間違うなよ!」


 自分自身を含め、部下たちに言い聞かせた。腰から剣を抜き放ち、左右に広がって建物を包囲しつつある兵たちに手で合図を送る。


 そうして背筋を伸ばし、乱暴に扉を蹴り開けた。鎧を鳴らし足音を響かせ、図書館内部に踏み込んだのである。


 目的の人物の姿を探しながら奥に進むと、古代の文献を収集し保管してある部屋の中でその相手を発見した。


 男だけかと思ったら、女もその背後に立っていたので、ホッと安堵する。すぐに表情を引きしめ、相手を威圧するように剣を突き出し、告げた。


「おまえたち! ロレイアルバーサ様がお呼びだ。一緒に来いっ!」


 その言葉と同時に、周囲の憲兵たちの剣の切っ先が、ふたりの体に突きつけられる。


 一歩動いただけでも触れるほどの距離に、剣の切っ先が並ぶ。男がかばったつもりの女の背中にも、冷たい刃先がきちんと向けられていた。


 女がため息をつき、太陽のように不思議なオレンジ色をした瞳に力を込めた。唇から、低いつぶやきが洩れる。


「……本を納める空間は特別な場所。大切な知識の宝庫で抜き身の剣を振り回すなんて……」


 金の髪で隠されて片方しか見えないが、女は可憐で美しかった。だがその顔に、怒りといえる表情が現れているのを目にして、リーダーの男はゾクリと身を震わせた。武器も持っていない小娘なのに、途方もない深淵を覗き込んだかのような冷たい感覚が背筋を走ったのである。


 前に立つ男が、一度だけ女を振り返った。女は、わかってるわよ、というようにほんの少しだけ唇を尖らせた。


 少しだけ微笑したあと、男は自分たちを取り囲む数多くの剣を前に少しも動じず、低く静かに声を響かせた。


「――嫌だ、と言ったら?」


「み、港に待機している憲兵たちが、おまえたちの仲間たちの乗っている船を破壊する」


「船ごと人質にとるとは、豪儀だな」


 男の、青く澄んでいる穏やかな瞳が揺るぎなく、リーダーの男の目を――憲兵たちを、余裕たっぷりにゆっくりと見回した。


 剣を抜かずとも不敵で威圧的な迫力に押され、剣を突きつけていた憲兵たちのほうがたじろいでしまう。


 自分の立場を思い出したリーダーの男は、ことさらに乱暴な口調で声をあげた。


「もう一度言おう、我々と一緒に来るのだ!」


 黙っていた女が肩をすくめ、金の髪で覆っていない片方の瞳を危険な感じにきらめかせた。


「あっ、そう。じゃあ案内していただこうかしら」


 たのしそうに、挑むようにはっきりと声を発する。そしてスッと、何の躊躇も見せずに足を前に進め、扉に向けて歩き出してしまう。そのすべらかな肌に刃先が触れそうになり、部下の憲兵たちが慌てて剣を引いた。


 男は女が腹を立てているのがわかっているらしく、苦笑した。そうして自分も背を伸ばしたまま、鷹揚に頷いてみせた。


「こちらから訊きたいこともあったしな」


 そして、女と同じようにスタスタと歩き出す。剣を突きつけていた憲兵たちは思わず跳び退すさり、剣を床に下げる。


 自ら出向いていこうとする相手を縛り上げる訳にもいかず、憲兵を率いていたリーダーは安堵と同時に、心底悔しそうに息を吐いた。


 リーダーの男は奥歯を噛みしめ、思った。――これではまるで私が無能者だと見られてしまう。これ以上に道化めいた醜態を晒してなるものか。


 彼は口の端を曲げて剣を鞘に戻し、憲兵たちを連れてふたりの後を追いかけた。





「思ったより、動きが早かったわね」


 ルシカは、追いかけるようについてくる憲兵たちを肩越しに振り返りながら、言った。


「ああ。だが気を抜かないように、くれぐれも気をつけるんだぞ」


 慎重な性分のテロンが注意を促し、ルシカは素直に頷いた。ふたりが向かう先には、塔が幾つもそびえている、大きな建造物がある。


 目指す場所――ターミルラ公国の城だ。



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