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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
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3章 手掛かりを探して 5-7

 テロンたちが部屋を出て半刻ほど経った頃、東のゾムターク山脈の上から片割月かたわれづきが昇ってきた。


 魔法によって作り出された室内の青白い光と、月のあおい光とが混じり合い、静かに溶け合う。


 クルーガーは指を組み、椅子の背にもたれかるようにして身じろぎひとつせず、静かに瞑目していた。


「……ん……」


 微かな呻きが聞こえ、物思いに沈んでいたクルーガーは顔を上げた。椅子から立ち上がり、少女の様子を見ようと寝室の中を覗きこむ。


 天蓋つきのベッドは広く、横たえられている小柄な少女はいっそう小さく見えた。黒い髪がゆるやかに流れ、白いシーツの上で綺麗な渦を描いている。


 時折イヤイヤをするように首を振っているので、苦しいのだろうかと心配になったクルーガーは、そっとベッドの側まで歩み寄った。


「……う、さん……」


 少女の唇が動き、何かの言葉を繰り返していた。


 繰り返されているのは、呼び掛けだった。……途切れるばかりの言葉だったが、聞き取ることができた。黄泉への旅路にある父へ宛てられた、決してもう届きはしない呼び掛け――。


「……『おとうさん』か。……無理もない。亡くしたばかりなのだからな」


 夢にうなされているこの様子だと、おそらく目の前で殺されたのだろう――クルーガーは、その瞳に静かな怒りの炎を宿した。


 ――またまええることになろう。そう言って転移の魔法で消えた男たち。ひとりは異形に変化した正体不明の存在、もうひとりは油断のならない気配を纏った黒い魔導士だ。


「あいつら、いったい何者なんだ……」


 クルーガーが顔をしかめたとき、少女が動いた。


「……あ……」


 ふいに耳を打つ、小さな叫び。少女の手が持ち上げられ、掛けられていたシーツが乱れた。


 虚空に伸ばされ震える白い繊手を、クルーガーは迷いながらも自身の手を伸ばし、そっと握った。大きな手が、小さな手を包み込む。


 しなやかな感触に、クルーガーは目を細めた。


「父を失い、ここまで来たのだな。クラウス殿を頼り、はるばる王都まで――マイナムからここまでは、さぞ遠かっただろうに」


 馬を飛ばしたのだろうか、それとも途中まででも転移してきたのだろうか。――北の街道沿いにある港の村マイナムまでは、徒歩で進めば数日はかかる道のりのはずだ。


 いずれにしても、ともがあったとは思えない。出逢ったときの様子から、誰かが一緒にいたとは思えなかった。


 あんな手強い追っ手たちを相手に、よくここまで無事にたどり着けたものだ……。クルーガーは静かに息を吐いた。


 彼が握る少女の手はすべらかで、丁寧に整えられた爪はほんのり淡い桜色をしていた。ほっそりとした握り心地で、ひどくやわらかく、温かく……そして少しだけ荒れていた。


 冬が終わって春になったとはいえ、まだ水は冷たい。父親とふたり暮らしだったと言っていたから、マイナは家事もこなしていたに違いない。グリエフ海に臨む海沿いの村では、朝夕はさぞ冷え込むことだろう。


 見つめる先――少女の頬に、月明かりにきらめく珠が転がり落ちた。クルーガーはもう一方の手を伸ばし、濡れた頬にそっと触れて涙のしずくを払った。


 そのとき、少女の目が開いた。


 月明かりのなかで宝石のようにきらめく瞳を戸惑いがちにぱちぱちとまたたかせ……少女はまだ焦点の定まらぬ目をクルーガーに向けた。


「……だれ……わたし、どうしたの……?」


「俺はクルーガーだよ。――覚えていないか? 君は奇妙な異形の男に襲われ、そのあと胸の痛みに気を失ってしまったんだ」


 少女は「あ」とちいさく声をあげ、上体を起こした。あまりに慌てて起き上がったため、痛む頭を手で押さえようとして――その手が握られていることに気づいた。


 ふたりの視線が握り合う互いの手に注がれ――クルーガーとマイナは目を合わせ、照れたように急いで手を離した。


 少女の顔が、薄暗い光のなかでもそれとはっきりわかるほどにポワッとあかく染まり、つられるようにクルーガーの頬にも血が集まる。


「あ、いや、つい……すまなかった」


 クルーガーは慌ててかがみこんでいた身を起こし、取り繕うように言った。もう少しましな言葉はなかったのかと心の内でつぶやき、クルーガーが頬に熱を感じながら口元を曲げる。


 マイナは顔を上げ、クルーガーを見つめた。マイナムの村男たちとはまったく違う、清潔で上質な服装、上品そうな物腰――だが気取ったところはなく、いかにも歳相応の元気がありあまっていそうな様子が窺える。


 頬を染め、困ったように頭を掻きながら、への字に曲げてしまった口元をみると、マイナは何故か父のことを思い出してしまった。


 照れたとき、父はいつもそれを隠すようにわざと難しい顔をする。それは生来のつつましさに裏打ちされた実直さであり、好感をいだかせる快活さでもあった。


 マイナはくすりと微笑み、目の前の男性にぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます。助けてくれて。危険で恐ろしい相手だったのに、あんなに真っ直ぐに立ち向かってゆけるなんて……すごく勇敢で、強いんですね」


 誉めたはずのマイナの言葉だったが、クルーガーは表情を引き締め、真顔になった。窓から差しこむ月明かりに顔を向け、静かに口を開く。


「――いや、俺は強くはないさ。正直、いつも周囲のみなに助けられていると思っている。それに……相手を捕らえることができず、逃がしてしまった。……すまない」


「えっ、いえ、そんな」


 マイナは慌てたように両手を振った。そして、身を乗り出すようにして必死に言葉を続けた。


「……あのひとたち人間じゃないみたいにものすごい魔力を宿していて……恐ろしい魔法を使って……あまりに残酷でした。こうして今、無事に命があるだけでも、本当に感謝しています」


 クルーガーはマイナの手を見た。シーツを掴むようにきゅっと握られている。そのこぶしは、血の気を失って白に近い。


 親を殺され、自分も命を狙われている。その相手に対する恐怖と怒りと憎悪がどれほどのものなのか……クルーガーは唇を噛んだ。


 マイナが自分の手元に目を落として、はっと気づいたように目を見開いた。


「ああっ! ご、ごめんなさい。しわくちゃにしてしまいました。――そういえば、ここはどこですか?」


 くしゃりと皺を寄せてしまったシーツを指で伸ばそうとしながら、取り繕うようにマイナが問いかけてきた。


 その所作にクルーガーは思わず微笑み、答えた。


「シーツのことは気にするな。それから、ここは王宮の三階にある客間のひとつ、さらにいえば寝室だな」


「……おう、きゅう……?」


 クルーガーの言葉を反芻するように舌に乗せ……少女はハッとしたように目を見開いた。


 寝台から床に華奢な足を降ろし、素足のままふらりとよろけつつも広い窓に駆け寄り、巨大なガラス窓にもたれかかるようにして外を見る。


 外の景色を――大樹と並木の黒々としたシルエット、そして魔法の灯りに照らされ、夜の紺闇のなかに幻想的に浮かび上がる白亜の王宮を内部から眺め渡し、マイナはポカンと口を開いた。


 この客間からは、ゾムターク山脈から王都の高級住宅街が並ぶ東部分、そして中央広場までを窓いっぱいに見渡すことができる。


 人の世に属さぬ自然の雄大さと、高度な技術の結晶である荘厳華麗な奇跡の建造物、そして人々の暮らす無数の灯火とが共存し、世界に存在している巡り合わせを感じさせる眺めなのだ。不可思議で、そして壮大で、見る者の心がしみじみと重く温かくなる……。


 クルーガーはマイナに歩み寄り、横に並んだ。


「――気に入ったか? 俺もここからの眺めは好きなんだ」


 微笑みながら言い、自然に傍らの少女に目を向けた。目をいっぱいに見開いて感動に瞳をきらきらと輝かせている少女の横顔に……クルーガーは思わず息を呑んだ。


 黒い髪が流れ、小さな白い顔を縁取っている。感動を言葉にしようとして途中で止めた唇は半ば開かれたまま、瑞々しく艶めいてみえた。月の光が瞳の奥にまで届き、本物の宝石を霞ませるほどに美しくきらめかせている。


 自分を見つめる視線に気づいたマイナが、ゆっくりとクルーガーに顔を向けた。――その瞳の煌めきに、クルーガーは真っ直ぐに心を射抜かれたのである。


 本人は至って無邪気そうな笑顔のまま、その胸に手を押し当て、この上もなく嬉しそうに声をあげた。


「ここが、『千年王宮』と呼ばれたあの王宮なのね。ああ! すごい……嬉しい……! ずっとずっと、大聖堂の渡り廊下から眺めて憧れていたから」


「……そっ、そうか」


 クルーガーはようやく我に返り――何とか笑顔を返した。悲しみに沈んだ痛ましい表情より、笑った顔のほうが何千倍も好ましいな、と思いながら。


 景色を堪能したマイナは息を吸い込み、ひとまず浮き立つ心を静め、考えこんだ。


「でも、どうして王宮に……?」


 マイナは続けて何か言いたげに唇を動かしたが……なかなか言葉にならないらしい。


 クルーガーは頭を掻き、重要なことを伝え忘れていたことに気づいた。


「そういえば……きちんと名乗っていなかった。俺の名はクルーガー・ナル・ソサリア。この国を治めている王だよ。だから、この王宮に住んでいるんだ。来る前に、王宮へ向かうとは言った覚えがあるが、君は苦しそうだったからそれどころではなかったよな。……すまなかった」


 少女はポカンとして、目の前に立つ男性を見つめた。


「……国王……?」


 おそれたように、囁くように、おずおずと言葉を紡ぐ。次いでその表情が、みるみる驚いたものに変わった。


「――え、えぇぇぇぇぇっ!? わ、わたし国王さまに助けて頂いたり危険な目に合わせたりとか、な、なっ」


 パニックを起こしかけ、わたわたと両腕を振り回して慌てたマイナは――バランスを崩してふらりと倒れかけた。


 クルーガーが慌てて腕を伸ばし、危ういところでその体を抱きとめた。信じられないほど細くやわらかな感触が手に伝わる。


 戸惑いもがいて腕からすり抜けようとする少女に、クルーガーは焦り、呼び掛けた。


「――マイナ、マイナ。……りぃ、俺が驚かせてしまったならば、謝る。どうか落ち着いてくれ」


 クルーガーは小さな手を取り、その宝石のような瞳を覗きこんだ。青と紅、ふたつの瞳が、ふいに間近で出逢った。吃驚びっくりしたように見開かれた互いの瞳には、途方に暮れたような相手の戸惑い顔が映っている。


 思わずふたりは動きを止め……長くその姿勢で見つめ合った。


 先に我に返ったのはマイナだった。ふいに金縛りが解けたように、そっと身を離す。


「あ、は……はい……ごめんなさい、あまりに驚いてしまって、取り乱してしまいました」


「いや、こちらこそ、驚かせてすまなかった」


 クルーガーはゆっくりと身を起こし、窓の外――夜空に昇った輝く月を眺めながら、躊躇ためらいがちに言葉を続けた。


「クラウス殿には話し、こちらも事情を聞いた。君の体内に、古代王国の秘宝が封印されているんだな」


 顔を上げ、目を見張る少女に、クルーガーのほうが驚いた。


「もしかして……知らなかったのか?」


「うん……。わたし、父からは『その身を保護してもらわなければ、世界が大変な代償を払うことになる』とだけしか聞いていなくて。もっと言いたかったみたいだけど、そのすぐ後に……」


 マイナの声が震えた。


「そうだったのか……」


「わたし……あいつらが襲ってきて、父を――教会を、全てを壊して焼き払ってしまってから、胸が苦しくなったの。そんなものがあったなんて知らなかった」


 マイナは顔を上げ、クルーガーの目を真っ直ぐに見つめて訊いた。


「わたしの中にあるものが欲しくて、あいつらは父を殺してわたしを狙っていると? じゃあ、父はわたしのせいで……死んだのですね」


「君のせいではない。君にはひとかけらも責任はないさ。父親を亡くし……ここまで、ひとりで?」


 マイナはコクリと頷いた。その瞬間、こらえていたと思われる涙がぽとりと床に落ちた。嗚咽を押し殺そうとした少女の喉が、ひゅうと微かな音を立てる。


 その肩が震えているのに気づいたときには、クルーガーの腕が動いていた。――マイナの肩をその胸に引き寄せたのだ。


 マイナが驚いて小さく声を洩らし……腕を動かした当人もあっけにとられていたが……すぐにクルーガーは我に返り、腕に力を込め、マイナの小さな肩をしっかりと抱きしめた。


「――つらかったな。だが、よくここまで頑張った」


 腕のなかで震える少女に、クルーガーは自然に言葉を紡いでいた。


「……君のこと、これからは俺にまもらせてくれ」


 マイナの両目から涙が溢れた。


「もう何度も……護ってもらってます。ありがとう……ございま……」


 目の前にある、広く逞しい胸に顔をうずめるようにして少女は泣き出した。――昨夜、父を失い、王都に向かい必死で先を急いだときには、泣く余裕すらなかったことを思い出しながら……。


 碧い光に優しく照らされ、自分の腕のなかで静かに泣きじゃくる少女を支えるように抱きしめて、クルーガーはようやく自分の気持ちに思い当たっていた。


 それまでには判然としなかった想いが、ふいに形をして空いていた心の隙間にストンとまり込んだのである。


「――おそらく、これがひとめ惚れってやつなんだろうなァ」


 クルーガーは口の中でつぶやきながら、泣き止むまで少女の黒髪をそっと撫で続けた……。





 暗くなり、昼間とはまた別の雰囲気になった街並み。


 静かな場所では、恋人たちが腕を絡めながら歩き、微笑みあっている。賑やかな場所では、「乾杯」の声と一緒に音高くさかずきが打ち合わされ、仲間たちと共に美味い酒を酌み交わす光景が見られた。


「――祭りはうまく行ったようだ」


 テロンは満足そうに目を細め、その口元を緩めた。


 クラウス最高司祭を送り、崩れ落ちた外壁補修の騒ぎでごった返すラートゥル大聖堂から出てきたところだ。


 大通りをざっと見回しただけでも、この盛り上がりなのだ。


 子どもたちも遊び疲れて家に帰り、よく眠っている頃だろうかと思いつつ、テロンは王宮とは反対方向になる中央広場の方向に目をやった。


「ルシカと一緒に夜の広場に行く約束をしていたが、今夜は果たせそうにはないな」


 テロンは申しわけなさそうに……少し残念そうにつぶやき、王宮の正面門に足を向けた。


 魔法で生み出された輝きが幾つも浮かべられ、門の周囲はひときわ明るい場所となっていた。その手前で立ち止まり、互いを肘でつつき合っている、ちょっと珍しい組み合わせのふたりに目が留まる。


 魔術師の長衣を着た、ひょろ高い背のエルフ族の青年と、いかにも活発で俊敏そうな人間族の娘――ティアヌとリーファだ。


 テロンが歩いていくと、青年の尖った耳がひくりと動き、その整った容貌がこちらを向いた。この雑踏のなかでテロンの足音を聞き分けたのだろうか。


「――あぁ、丁度良かったです。テロン王弟殿下、今晩は」


 ティアヌは一年前と変わらない穏やかな笑顔をテロンに向けた。


「門番のひとに忘れられていたら、どう説明しようかなって、ティアヌと話していたところなのよ」


 冗談めかして肩をそびやかしたリーファに、傍で遣り取りを聞いていた門番の衛兵が思わず背筋を伸ばした。テロンと同世代の若者だ。


「大丈夫です。この王都を護った御仁の顔を忘れられる筈がありません!」


 しゃちほこ張って声をあげる衛兵に、ティアヌは大仰にホッと息をついた。


「ああ良かった。まったくもう……リーファが僕をいろいろ脅かすんですよ。取り次いでもらうまでに苦労しそうね、とか。逆に気さくに通されて中で迷子になって――」


「あらぁ、いつわたしが意地悪なことを言ってあなたをイジメたっていうの?」


 リーファがつま先立ちをして、背が高いエルフ族であるティアヌの顔の前に、グイと自分の顔を突き出した。


 ティアヌが顔を染め、体をらせた。降参したと言わんばかりに両手のひらを眼前に掲げている。


「い、いえ、そういうわけでは――」


 相変わらずのふたりの様子に、テロンは吹き出してしまった。仲の良さそうなふたりの掛け合いの切れ目を狙って、素早く声を掛ける。


「――さあ、どうぞ入ってくれ。ルシカは今、理由あって図書館棟に居るんだ。ふたりに会うのを楽しみにしているからさ」


「そうね、ここでは何だし」


 リーファがにっこりと笑い、ティアヌの腕に自分の手を滑り込ませて「行こう」と笑いながら引っ張った。


「は、はいっ」


 ティアヌがびくりと背筋を伸ばし、耳の先端まで真っ赤に染まる。


 先に立つテロンに続いて、ティアヌとリーファは一年ぶりになる懐かしいソサリアの『千年王宮』に入り、敷地内の東エリアに建っている図書館棟に向かった。



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