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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第五部】 《従僕の錫杖 編》
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2章 受け継がれしもの 5-4

 次々と繰り出される魔法攻撃に、周囲の人びとを護るため過剰なほどの防護魔法を張り、または魔法効果を完璧に打ち消し――ルシカは防戦一方だった。


 そこへテロンが駆けつけ、相手の精神集中と魔法を封じようと何度も攻撃を繰り返してくれたので、ふたり揃って反撃に出た。


 相手の気力も魔力も、無限ではないはず。ルシカが見たところ、魔力マナを補充できる魔晶石の類は持っていないようだ。


 次々に繰り出される至近距離からの攻撃に、相手はじわじわと後退を続け……都市を囲む外壁と街の間に確保されている広場までたどり着いていた。


 そして今――相手は壁を背に、テロンとルシカのふたりを相手に真っ向から対峙しているのだった。


「――大通りはみんなの安全が確保できなかったわ」


 ルシカは無意識に手のひらを握ったり開いたりしながら口の中でつぶやいた。


「けれど、ここの壁上の通路には花火が山積み……結局こちらに都合が悪いわね」


 何故、今日なの――と唇を噛みたくなる思いをルシカは感じていた。今日は……お祭りなのに。この特別な一日くらい、街のみんなに――そして周囲の大好きなひとたちに不安のない楽しい時間を過ごして欲しいのだ。


 ルシカはオレンジ色の瞳に力を込め、相手を睨みつけた。


 黒い髪は人間族には珍しい色ではない。だが、まるで紅玉髄カーネリアンのごとく赤く燃え立つ瞳の色は、人間にはほとんど見られない色だ。エルフ族には多く見られるが、生命の放つ気配からして目の前の男は人間だ。


 何かそれなりに由縁のある、例えばいにしえより伝わる力のしるしなのかもしれなかった。――ルシカ自身の瞳のように。


 奇妙なのは、相手の男が恐れ気もなく、また顔を隠すでもなく、堂々と立っていることだ。


「ルシカ。あいつは――俺の気のせいでなければ、ここまで意図してたどり着いたように思える」


 テロンが、ルシカにだけ聞こえるように小声で囁いた。


「気のせいではないと思うわ。あたしもそう感じたから」


 ルシカは頷いた。大通りでの戦いを思い出す。こちらからの攻撃をかわし、また攻撃を繰り出すごとに、男はみずから後退していったのだ。


 それは、あたかもこちらが優位に立っているかのような錯覚を起こさせ、自身が追い詰められているように装ったものだろうが……どうやら別の意図も隠されているようだ。


 テロンは全身に力を篭めながら、低く静かに声を響かせ相手に問うた。


「おまえは何者だ。何を狙っている? 王国そのものを相手に仕掛けてきているようには思えない」


 黒髪、黒衣の男は薄く笑った。白い肌以外ではただひとつの鮮やかな色彩である、紅い瞳を抜け目なく光らせて。


「我が目的は破壊ではない――殺戮さつりくでもない。ただひとつのものを、捜し求めているのみ」


 男の語る言葉は大陸共通語であったが……どこか発音がずれている。


「だから敵に回したくなかったが、致しかたあるまい。格闘の技で戦うソサリア王宮の陰の護り手、そしてヴァンドーナの孫娘……『万色』の魔導士」


 殺意はないが強い意思が込められた、冷たい視線だ。向けられたテロンとルシカ、ふたりの目が細く狭められる。


「捜しもの……とは?」


 ルシカの問いに、相手は答えなかった。ただ、静かに名乗った。


「我が名はカーウェン。どうしても逃せぬ品なのだ。だから手に入れる為の手段は……選ばない」


 ヒョウ、と風が鳴り広場を吹き抜けていった。夕闇の訪れを知らせる、冷たい風が。


 いつの間にか西の空が赤く染まりつつあった。頭上に流れる雲も、様々な赤からオレンジ、青や紺に染まりながらたなびいている。


 大陸の北部にあるこの国は、春先である今の時期、日が落ちるのが早いのだ。


「る、ルシカ様っ!」


 突然、狼狽したような、取り乱した声が上から降ってきた。ルシカが上を振り仰ぐ。テロンは敵から目を離さないままだ。


 白い石造りの都市外壁の上から、こちらに気づいた兵のひとりが声をかけてきたのである。他にも何人もの警備兵が、その背後――壁上の通路をバタバタと走り回っていた。


「大変です! 外壁の上に大量の火薬が!」


 花火の火薬――ではない。警備兵たちはもちろん、祭りの為の花火の火薬が仕掛けられているのは先刻承知のはずだ。


 カーウェンと名乗った相手の男から目を離さずにいたテロンは、見た。兵士の言葉に、その男の唇がニヤリと持ち上げられるのを。


「まさか――おまえが!?」


 テロンの言葉と同時に、相手の男が走り出した。素早く反応したテロンが追いすがるが、彼我ひがの距離がありすぎる。


 男は身をかわし、背後の壁に開いた入り口に飛び込んだ。そのまま中にある折り返しの石階段を一気に駆け上る。


 黒衣が広がり、後を追うテロンの視界を一瞬ふさいだ。


「クッ!」


 それは相手のマントだった。めくらましに咄嗟に脱ぎ捨て背後に投げたのだろう。


 振り払ったテロンは階段を駆け上がり、外壁の上に出た。


「無駄だ、逃げられないぞ!」


 テロンは言い放ち、こぶしを握りしめて相手に向けて突き出した。


 気合いを込めて撃ち出したのは、衝撃をもたらすものより遥かにちいさくこごった、遥かに威力の高いもの――『聖光弾せいこうだん』だ。


 ガツッ! それは男が振り上げようとしていた腕の付け根に当たった。ガクッと音がして肩の関節が外れる。


 相手が呻き、だらりと腕が下がる。魔導の技を封じたも同然だ。


「どんなつもりか知らないが、この王都で好き勝手はさせない」


 テロンは警告の意味を込めて低く告げた。今、相手が具現化しようとしたのは炎の魔法だったのだ。


 幅広い壁上の通路には、配置され夕刻の打ち上げを待っている花火。そこに巧妙に仕掛けられている大量の火薬。


 火薬の扱いには素人であるテロンの目にも、それに火が放たれれば、相当な破壊力を持つ炎が外壁と周囲の建物を吹き飛ばし、居合わせた者たちをも焼き尽くすことが容易に想像できた。


「敵意や殺意がなくても、目的のためには手段を選ばないというわけだ」


 容赦はできないな――テロンはつぶやき、身構えた。


「今のうちね」


 ふたりが下の広場から駆け出したとき、ルシカは別の階段に向かっていた。階段から壁上に出た場所は、男の背後から少し離れた位置だった。


 宮廷魔導士に気づいて駆けてきた警備兵が、火薬が仕掛けられたことに気づかなかったことに対して詫びるのを制し、ルシカはまず必要なことを訊いた。


「火薬が仕掛けられている範囲は?」


「この周囲全体、花火を並べてあるほぼ全てです」


 何故気づかなかったのか、実際に仕掛けを目にしたルシカは思わず疑問に思ってしまう。それが、あまりにも大量で大掛かりなものだったからだ。


 だが、目くらましも同時に仕掛けられていた可能性もある。王都の警備体系に、魔術師も入れなければならないなという考えも新たに頭の隅に留めておく。とりあえず今は――この危機を回避しなければ。


「仕掛けを解除することは、できそうにないわね」


 慎重に見極め、ルシカは言った。横に立っていた兵士が首を振る。


「グリマイスクス老なら、あるいはできるかもしれませんが――」


 それは王都で一番の腕を持つ花火師の名前だが、ここには居ない。下手にいじられなくてよかったと思う。


「いいえ、これは魔導の技で仕掛けられたものです。簡単に解除はできません。すぐ避難を――周辺の住民を誘導し、移動に不自由なひとは運んであげて。ひとり残らず、確実にね。あなたたち警備兵も花火師たちも、全員の避難を命じます」


 ルシカはてきぱきと指示を飛ばした。


「すぐに伝えて。それから絶対に、仕掛けには誰も触ってはなりません」


 ――花火だけなら問題ない。安全面には十分に配慮している。だが、新たに仕掛けられている火薬の量はかなりまずい。しかも、魔石による発火装置がその火薬に直接繋がれているのだ。


 おそらく……いや、間違いなくあの魔導士によるものだろう。これほどのものを用意できる魔導士が何人もいてはたまらない。怖ろしくよくできている……下手に解除しようとすれば、全てが連動して一気に爆発するのだ。


 ルシカは、カーウェンと名乗った男の後ろ姿にちらりと目をやった。


「……何者か知らないし、何を捜しているのか知らないけど、あなたの好きにはさせないわ」


 周囲はだんだん暗く闇に沈みつつあった。力を込めたルシカの瞳に、白い無数の光がきらきらと現れた。オレンジ色の瞳が、鮮やかに夕闇に浮かび上がる。


 周囲の動き――あるいは音に、相手は注意を向けているようだ。それに気づいたルシカは眉をひそめた。


「何かを待っている。あるいは狙っている――?」


 テロンも同じことに気づいていた。距離はあったが、ふたりは目を合わせて互いの意図を確認しあった。






 全力で駆け続けていたので、心臓がドキドキばくばくと太鼓のように鳴り乱れ、吐き気がこみあげた。しかも、喉に入る空気が冷たくて苦しい。


 マイナは走りながら痛む喉を押さえ、喘ぐように呼吸を繰り返していた。太陽が傾くにつれ、空気がひんやりしたものに変わったのだ。時間など、すでにわからなくなっている。追い掛けてくる男から逃げることで精一杯だった。


「あっ!」


 マイナは小さな段差につまずき、つんのめるように地面に倒れ伏した。脚はすでに膝がガクガクとわらっている状態だ。無理もない、ずっと走り続けているのだから。


 迷い込んだのは石造りの緩やかな坂、小さな路地だ。近所に住まう人たちが、近道に使うような。


「……はぁ……はぁ……」


 マイナはごくりと喉を鳴らし、気配を感じて弾かれたように後ろを振り返った。その喉が引きつるように「ヒッ」と短く悲鳴をあげる。


 まるで幽鬼のように、銀と黒に染められた影が立っているのが、その目に映った。


 男の、衣服をはだけた胸には赤く光る禍々しい魔法の紋様――残虐で非道だがあくまで人間だと思っていたけれど、そのしるしから禍々しい気配が解放されてから、全く異質な『何か』に変貌している。


 男はマイナをじっと見据え、そのまま目を逸らすことなく突っ込んできた。掲げた腕がまるで鉤爪のように変化して、怯えて目を見開いたままの少女の心臓に向けて突き出される。


「いやぁっ!」


 マイナは悲鳴をあげた。


 その瞬間、男とマイナの間に飛び込んだ者がいた。クルーガーだ。


 魔法の輝きを帯びた長剣がひらめき、鉤爪を弾いて相手を後ろに押し戻(ノックバック)した。体重をかけた重い一撃だ。


「――無事か?」


 クルーガーは相手を牽制しながら、背後の少女に問いかけた。


「あなたは」


 口を開いたマイナだったが、呼吸がなかなか整わないままだ。


「ちょっと訊くが、こいつは知り合いなのか?」


 クルーガーの問いに、少女が何かが喉に引っかかったように短く叫んだ。


「おとうさんのかたきよ!」


 悲痛な声と言葉を聞いた瞬間、クルーガーの表情が変わった。


「――なら遠慮は要らないな!」


 踏み込むと同時に、剣を突き上げ、ギィンと音を立てて相手の鉤爪を弾く。むろん、それでひるむ相手ではない。


 常人の目には留まらないほどの速さで繰り出された腕をかいくぐり、あるいは剣で軌道を逸らしながら、クルーガーは相手を少しずつ少女から遠ざけるよう巧みに動いた。


 十分に離れたことを確認し、クルーガーは一旦剣を引いた。まるで突撃する前の騎士のように真っ直ぐに剣を立て、目の前に掲げる。


「貴様、何故邪魔をするのだ」


 銀の髪と人の肌をかぶった異形のモノが、喉から異質な音を立てて訊いてきた。


「か弱い女性を助けようとするのは、男として至極当たり前だと思うがね」


 青い瞳は笑わせることなく、クルーガーは口元だけニヤリと微笑ませた。


「そう問うおまえはどうなのだ。何故に、この女性を狙う。相手には武器もないぞ。あまりに卑怯だとは思わないのか?」


 クルーガーは剣に手を沿わせ、唇をかすかに開いた。自分の耳にすら聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声で、詠唱を試みる。


「――その娘が、我々の捜しているものを受け継いでいるのだ。それが手に入れば娘に用はない……」


「そんなっ。わたし、何も持ってないわ!」


 マイナが叫ぶように応えた。男の視線がちらりと少女に向けられる。


「黙って私に身を任せれば、すぐに終わる、楽になる。だが無駄に抵抗をすれば――痛みを感じ苦しむことになる」


 クルーガーはクルリと回転させるように手首を回し、流れるような動きで体の正面に剣を構えた。相手の隙を誘うように、からかうように言葉を発する。


「なんか、ものすごくいやらしい響きに聞こえるんだが――気のせいかな?」


「ハッ……俗物が!」


 怪物は地を蹴り、信じられない速さで間合いを詰めてきた。


 クルーガーは魔法剣を頭上に掲げ、全身をバネのようにして上から振り下ろされた相手の両腕を受け止める。


 ガツッ! という鼓膜に響く音と同時に、ゴオオォォッと凄まじい烈風が吹き上がる。剣に風の属性を付与していたのだ。


 相手のゴツゴツと化け物じみたからだ躯が石畳から離れ、宙を舞った。その表情が驚きに歪む。


「な、なんだ――!?」


 キリキリと空中で独楽こまのように激しく回転した相手は、壁と地面に激しく叩きつけられた。その全身が風に生じた真空の刃に切り裂かれ、あけに染まっている。


 相手は起き上がり、顔をあげた。瞳の周囲に赤い血管が走っている。悪鬼のような表情になった男が、血を吐くように叫んだ。


「我の邪魔を……するなぁぁぁぁああ!!!」


 刹那、空間が歪み、きしんだ。


 クルーガーが地面を蹴り、空中高く跳ぶ。危ういところで亀裂のはしった空間を逃れ、ほっとしたのも一瞬のみ。


 直前まで立っていた地面とその空間が、同時に爆発した。空中にいたクルーガー、そして離れていた少女までが衝撃に薙ぎ払われる――。





 ズウゥゥンッ!!


 壁上の通路で男を挟み、対峙していたテロンとルシカは、ハッと緊張した。


 都市を囲む外壁からほど近い場所で爆発があり、土くれや石の破片が空中に巻き上げられたのだ。火による爆発ではない。足元までグラグラと衝撃が伝わってきた。


 爆音が響いたその瞬間、男がにやりとわらった。無事なほうの腕の指先をパチリと鳴らし、『真言語トゥルーワーズ』を声高に叫ぶ。


「点火!」


 ――声と同時にテロンが動き、ルシカが動いた。


 ルシカが立っていたのは、弧のラインを描く壁上に花火が並べられていた真ん中だ。そして、行使する魔導の力の効果範囲に全ての花火と火薬が入る真の中心――空中に、その身を投じたのである。


 極限まで高められていたルシカの魔導の力が、瞬時に解き放たれる。


「――なっ!?」


 男が目を見張った。空中に飛び出した魔導士が、空を抱きしめんとするかのように素早く両腕を広げた瞬間を、その瞳に焼き付けた。


 まばゆい光が炸裂する――緑と青の光がはしると同時に、積み上げられていた花火と火薬がひとつ残らず空中高く跳ね上げられた。


 ドオォォォォォオオン!!!


 一斉に、大輪の可憐な花が幾重にも咲き誇るがごとく、花火が爆発した。瞬時に空中高く放たれ、本来計画されたより僅かに低いほどの位置で。


「なんという……!」


 常軌を逸した速度と数の『遠隔操作テレキネシス』だ。男は絶句し、むしろ感嘆するような眼差しを『万色』の魔導士に向けた。


 王都にいた人々は突然の大音響と、空中をビリビリと伝わってきた振動に驚き、空中を振り仰いだ。……そして、空いっぱいに広がった艶やかで豪華絢爛なその数瞬の夢の光景に心奪われ、誰もがほうっとため息をついて眺めたのである。


 ルシカは空に広がった光景を目にして微笑み、そのまま意識を失った。――先に地面に降り立っていたテロンが腕を広げ、ルシカの体を包み込むようにしっかりと受けとめる。


「いつもながらに無茶するよ、ルシカ」


 そう語りかけて微笑みながら、テロンは愛おしそうにそのまぶたにくちづけした。


 目を上げて壁上に目をやると、そこに男の姿はなかった。だが、相手の思惑はくじくことができた。


「狙っていた爆発騒ぎは陽動……か。あの男が語っていた目的を遂げるためと、逃亡を容易にするための計画だったのだろうな」


 テロンはつぶやき、決然と顔をあげた。


 周囲に駆け集まってきた兵士たちに指示するための声を張り上げながら、テロンはルシカを抱いてその場から離れた。


 彼らの狙う、もうひとつの目的を阻止するために。



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