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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第四部】 《歴史の宝珠 編》
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7章 真実を見るもの 4-21

「このままでは、世界のすべてが呑まれてしまう……」


 トルテの言葉に、呆然としていた者たちが我に返り、互いの顔を見合わせた。光の柱の中央に、何か人影のようなものが膨れ上がり、形を成しつつあったのだ。それに眼を向けるだけで、どきどきと鼓動が激しく高鳴り、胃がよじれるような本能的恐怖を感じてしまう。


「あれが……『邪悪の主神』ダルフォース……?」


「この世界に具現化したら、我らももう助からんぞ……五つの世界はバランスを失い、現生げんしょう界だけではない、幻精げんせい界も、神界ですら『無』にするだろう」


「――方法はあります」


 ハイラプラスが落ち着いた声で言った。ルエインとふたり、『浮揚島』を制御するための集中を続けている。


「リューナ、私のポケットから筒を出してください。上着の左です」


 名を呼ばれたリューナは戸惑いながらも、指示に従った。動くことで集中が乱れてしまうハイラプラス本人に代わり、彼の上着の左ポケットを探ると、手のひらに収まる大きさの筒が出てきた。


「ペンケースみたいだ。――これをどうする?」


「トルテちゃんに渡してください」


 リューナから筒を受け取ったトルテは、もの問いたげな視線をハイラプラスに向けた。


「それで『送還センドバック』の魔法陣を描くのです。ただし、五人の術者が使える規模のものを。――あなたなら判りますね?」


「――はい」


 トルテは筒を握りしめ、しっかりと頷いた。


「知識として習得しています。魔法のことはルシカかあさまから教わりましたから」


「魔導とは知識だ。自分の頭の中に、完璧に世界の構造とことわりを理解して組み立てることができてはじめて、使うことができる技なのだ。魔法陣を具現化することができるのも、頭の中でしっかりとイメージができているからこそだ」


「そうです。それには深く広い知識と完璧な記憶力が必要不可欠なのですよ。類稀なる魔力というのは余禄に過ぎません。今までにトルテちゃんは、一度見た魔法を完全に再現してみせてくれました」


 ダルバトリエとハイラプラスが、まるで教師のような口ぶりで重々しく言った。


 リューナは何故か、父親のことを思い出した。父親が忙しくしているのは、自ら教鞭を振るっているからでもある。幼い頃から、両親が忙しすぎて自分が放っておかれているのだと感じていたが……もしかして自分が逃げ出していたからではないか……?


「わかりました。さっき地面に描かれていた魔法陣の逆作用をする『送還センドバック』の魔法陣を描くんですね」


 もの思いに沈んでしまったリューナだったが、トルテのはきはきした声に我に返った。


 トルテは青と緑の魔法陣が描かれた場所から、空いている地面に歩いていった。『浮揚島』を維持しているふたつの魔法陣は、ハイラプラスとルエインの魔法だ。重なり合って邪魔するわけにはいかない。


 一同が乗っている『浮揚島』――大地から切り離された岩石のかたまりは、かなりの広さだった。まさに『島』という名で呼ぶに相応しいものだ。


 巨体を縮めるようにしておとなしく座っていた『月狼王』が立ち上がり、トルテの歩みに合わせてソロリソロリと後退さるように歩いて場所を空ける。


 少し離れた場所で、トルテは筒の蓋を開けた。中身をざっと散らしながら、片足でステップを刻み、両の腕を振り上げる。こぼれ落ちた細かな発光する砂は糸のように連なり線となって地面をはしり、魔法陣を描いた。直径十リールほどの五芒星だ。


「――五という数字は、魔導にとって特別な数じゃ」


 ダルバトリエが言いながら、頂点のひとつに座した。


「ゆえに私たち王は、五つの種族の五人の王としてグローヴァーを統べてきた」


 フェリアが歌うように語り、同じように頂点のひとつに膝をつく。


「急がないと、ダルフォースがこの世界に完全に渡ってしまう。均衡が傾き、それぞれの世界が転覆しちゃうよ」


 ディアンがリューナに向けた瞳に力を込め、励ますように言って頂点のひとつに歩いた。


 傍にいたトルテがリューナの手を握った。瞳と瞳が合うと、リューナは堪えきれなくなり、上擦った声で不安を打ち明けた。


「でも、俺は魔導の知識なんて無いんだぞ。俺のせいで失敗したら――」


「大丈夫。リューナに相応しい勇気、そして知識を――」


 トルテは微笑み、背を伸ばして自分の唇をリューナのそれに押し付けた。軽い衝撃とともに、膨大な知識が彼の頭の中に流れ込んできた。ハイラプラスから『物質生成クリエイト』を伝授されたときのように。


 くらくらする頭を振り、リューナは額を押さえた。『送還センドバック』の方法が頭に思い描けるようになっている。


「――便利だけど、何度も受けると脳が破裂してしまいそうだな」


 リューナは強がりながらトルテに微笑んでみせ、頂点のひとつに向かった。


 光の柱は輝きを増し、もう大陸は半分以上が呑みこまれていた。眼下で、飴のように奇妙に伸びた森や山脈が今なお引きずられるように動いており、海が渦巻いているのも見える。


 空は色を無くし、闇夜のように暗かった。光を放つものといえば、光の柱と中心の胎動する光、そして自分たちのいる『浮揚島』に輝く魔法陣のみだ。


「――さあ、押し返すのです!」


 ハイラプラスの声が響く。リューナは目を閉じ、魔法の理を思い描いた。トルテの思考が導くとおりに、皆は精神と魔力を集中させた。


 漆黒の馬に跨った黒衣の騎士が見える――手にしているのは幅広の巨大な剣だ。これは『邪悪の主神』ダルフォースの姿なのだろうか。人間が偶像化しているイメージなのか?


 足元の魔法陣が光り輝いているのが、まぶたを透かして感じられた。 


 黒衣の騎士は戸惑ったように顔をこちらに向け、ゆっくりと、いぶかしげに首を傾けてみせた。


「そう、間違いなんだ。このままでは神界まで消えてしまう――戻って欲しい、るべき場所へ」


 リューナは集中を続けながら、囁くような声で呼び掛けた。周囲には仲間たちの存在を感じる。


 黒衣の騎士は手綱を引き、馬首を巡らせた。そうして後ろを向き、元来た方向へ歩み去っていく……。


 リューナは目を開いた。光の柱が勢いを失い、ほろほろと端から崩れ去るように消えていくのを見た。山ひとつ分ほどに成長していた数え切れないほどの数の柱は、中央へ向けて倒れこむように、波が引くように、縮こまっていく。


 その中心にあった塊は、もう居なくなっていた。


「成功したんだ!」


 思わずリューナが声をあげると、他のみなも閉じていた目を開いた。にっこり微笑むトルテと目が合う。ディアンも笑顔になり、ダルバトリエとハイラプラスは片目を閉じて寄こした。


 柱が急速にしぼんでいくにつれ、周囲の空気が渦を巻きはじめた。突風にあおられたルエインがバランスを崩し、案じて視線を投げかけたハイラプラスと、ふたりの精神集中がわずかに乱れて島がグラリと傾いた。


「うわぁっ」


「きゃああぁぁ!」


 皆は転げ落ちないように必死で這いつくばった。斜めになった地面に堪え切れず、ずるずると滑り始めたトルテとフェリアの体を、爪を立てて素早く移動したスマイリーが支えた。


 トルテが手を滑らせたとき慌てて駆け出そうとしたはずみで……リューナのポケットから飛び出し、転がり落ちた物があった。


 キィン……。


 軽やかな音を立てて斜めになった地面に弾んだそれは――。


「『歴史の宝珠』!」


 リューナが叫び、トルテが目を見開いた。


 ハイラプラスが魔力を注ぎ込み、『浮揚島』の傾きを修正した。だが、リューナが宝珠を掴もうと手を伸ばしたときにはすでに遅く、間に合わなかった。


 オレンジ色に輝く球は、ますます激しくなる風にさらわれ、天高く吹き飛ばされた。


「どうしよう、リューナ!」


 トルテが手を伸ばすが、僅かに『遠隔操作テレキネシス』の効果範囲を越えていた。


 風に弄ばれながら、『歴史の宝珠』は徐々に崩れゆく光の柱の中心へと運ばれていく。


「リューナ、トルテ! 跳ぶんです!」


 きっぱりと言い切った声の主は、ハイラプラスだった。


「あんな距離、いくらリューナでも無理だよ! あれが何なのか知らないけど自殺行為だ――」


 ディアンが叫ぶように言った。


「――あれが、時を超えて俺たちをこの時代に運んできた装置なんだ」


 リューナの言葉に、トルテとハイラプラスを除く全員がハッと息を呑んだ。


 ハイラプラスが、珍しく怒鳴るような大声で、繰り返した。


「あれを失ったら取り返しが付きませんよ! スマイリーなら跳べます。さぁ、早く!」


 スマイリーが駆け寄り、トルテがリューナを振り返った。


 リューナは下を向いて痛いほどに唇を噛み締めたが、すぐに決然と顔を上げた。


「――俺は、ここに残るよ」


 トルテがオレンジ色の目をいっぱいに見開いた。リューナはその表情から目を離さず、決意を込めて頷いた。


「り、リューナ?」


「約束したんだ。人間族の王として、新天地でみんなが無事に移住して暮らしが落ち着くまで、俺はみんなを――民を導かなくてはならない」


 その言葉に、取り乱しかけていたトルテは自分の胸を押さえ、呼吸を鎮めた。目に涙を浮かべ、リューナの瞳を見つめる。口元が震え、微笑みを形作る。


「あたしとの約束は――きちんと守っていただけるのですか?」


「ああ……。必ず君のもとに帰るよ。先に戻って、待っていてくれないか」


 トルテは、リューナがそう言いだすのを感じていたのかもしれない。目にいっぱいの涙を溢れさせながらも、はっきりと頷いたからだ。


「リューナ……あたし、あなたが戻るのを、ずっとずっと待ってるね」


 リューナもまた涙がじわりと滲むのを感じたが、瞳にグッと力を込め、押さえ込んだ。


「――約束だ。トゥルーテ・ラ・ソサリアに誓う。俺、リューナ・トルエランは必ず君のもとに戻ると」


「……はい!」


 トルテは泣き笑いの顔でリューナに体をぶつけるように抱きつき、その首に腕を回した。ふたりの顔が近づき、互いの唇が押し付けられた。


 トルテの唇は涙で少ししょっぱく、そしてとても甘く、優しかった。


「さぁ、急いだほうがいい。長くは持たなさそうだ」


 ダルバトリエの励ますような声に、ふたりは顔を上げた。


 『歴史の宝珠』は光の本流に向かい、渦巻く風に小突かれ、吹き上げられ、ふらふらと宙を舞っていた。確実に、少しずつ中央へと引き寄せられている。まもなく崩れゆく光の本流に呑まれて消え失せてしまうだろう。


「さあ、行け、スマイリー! トルテを送ってやってくれ」


 リューナの声に『月狼王』はトルテを傷つけないようそっと咥え、全身をバネに変えたように、かつてないほど見事な跳躍をしてみせた。


 集中を続けながらハイラプラスが腕を伸ばし、宝珠の『小型化ダウンサイジング』を解除する。


 『月狼王』はトルテをきっちりと『歴史の宝珠』――装置の椅子の上に乗せた。そのまま、自分は渦の中心へ向かって落ちていく……。


 トルテが転がり落ちそうになりながらも座席に掴まり、パネルを叩いた。光が装置を包み込む瞬間、振り向き、リューナとトルテの視線が一瞬交わった。


 そして。


 バジュウゥゥゥンッ……。


 装置は魔導の光の残滓を残し、宙に消えた。術者との繋がりが途切れ、『月狼王』――スマイリーの体が赤く輝く光の粒となって分解し、本流に呑まれる前に幻精界へ戻っていった。


「ありがとな、スマイリー」


 もう届かないかもしれないが、感謝を込めてリューナはつぶやいた。


 ハイラプラスは足元の魔法陣に手をついた。制御を強め、島を高く上昇させ移動を開始させた。


 『浮揚島』は、眼下で本流に呑み込まれていく大陸の上を飛び、次元の亀裂が閉じる影響範囲から離れ、難を逃れた。大陸を全て呑み込んだタイミングで亀裂は完全に塞がれ、バシンという激しい衝撃が時空を震わせた。


 リューナ、ハイラプラス、ディアン、ダルバトリエ、フェリア、そしてルエインを乗せた『浮揚島』は飛び続けた。


 やがて、トリストラーニャ大陸北部の海上、今はすでに無いミッドファルース大陸と繋がっていた名残であるクリストア列島の最北端に、たどり着いたのである。



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