07 初めてのお買い物
翌日、家から西へ少し歩くと、森の出口に接する細い街道には一台の馬車が停まっていた。
その馬車の前には五十代ほどの女性が待っている。白いブラウスに、揃いのシンプルなジャケットとスカートを纏う姿は品が良い。
グレンが、レティーシャと女性の間に立った。
「レティ、彼女はメリー。俺の生活の協力者で、食材を定期的に森の家に届けてくれる人だ。今日はメリーから市場での買い物のコツを学んでもらう。メリー、急に悪いな」
「メリー様、レティです。よろしくお願いします!」
レティーシャが頭を下げると、メリーは柔らかく微笑んだ。
「グレン様の頼みですもの、お気になさらずに。レティさんもよろしくね。さぁ、良いものが売り切れる前に行きましょうか」
挨拶もそこそこに、三人は馬車に乗り込み街へと向かう。
エデルトリア帝国の通貨と物の相場をメリーから教えてもらいながら馬車に揺られ、到着したのは首都の一角にある繁華街だ。
メリーおすすめの市場が並ぶ通りに入るなり、レティーシャは目を丸くした。
「わぁ! たくさんの人!」
幅広い通りの両端にはたくさんの露店がずらりと並び、肉や野菜、果物といった食材が売られていた。香ばしい小麦の香りも漂っていることから、近くにパン屋もありそうだ。
そして露店の多さに負けないほどの多くの人々が行きかい、市場を賑わわせていた。
思わず魅入ってしまいそうになるが、レティーシャはすぐに気を引き締める。
(これは油断したら迷子になるパターンだわ。迷惑をかけないよう、メリー様から離れずついていかないと!)
レティーシャは有言実行のため、ぴったりとメリーの後ろに張り付く。
「ふふ、では野菜から買いましょうね」
「はい!」
少し離れたところからグレンに見守られつつ、鮮度の良い野菜の見分け方や、季節の旬を教えてもらいながら買い物を進める。
グレンから聞き及んでいるのか、レティーシャが世間知らずということを前提でメリーは丁寧に教えてくれるから有難い。
レティーシャはしっかり聞き、メリーの教えをメモしていく。
「羊の肉があるなんて知りませんでした」
「首都の市場ですからね。エデルトリア帝国は多くの国との貿易を盛んにさせているから、珍しい食文化の食材も手に入りやすいの」
「さすがエデルトリア帝国。活気が凄いですね」
「民のため、国のため、大陸の未来と平和を常に考えている王家のお陰よ」
メリーの誇らしげな眼差しには、活き活きと買い物をする帝国民が映っていた。
エデルトリアの皇家は、国民から慕われているらしい。
そんな素晴らしい皇家を騙しているリズのことを、保身のために黙認していることが少し申し訳ない。
「レティさん、グレン様との生活はうまくいっている? 大丈夫?」
「え?」
気付けば、メリーの視線はレティーシャへと向けられていた。
メリーはそっと顔を近づけ、グレンに聞こえないよう声を落としている。
「そうですね……」
自信を持って大丈夫と応えたいところだが、実際は怪しい状況だ。
あまりにもレティーシャがポンコツで、いつもグレン様を怒らせてばかり……という意味で。
でも、心配からくる態度だと知っているレティーシャは、自然と微笑みを浮かべた。
「とても善くしてもらっています。世間知らずな私でも家事が習得できるよう本を貸してくれたり、見本でご飯を作ってくれたり、お世話になりっぱなしで……命を助けてくれたこともありますが、グレン様は私の救世主です。早く恩返しができるようになりたいです」
レティーシャは力強く言い切った。
するとメリーは目を細め、顔を綻ばせた。
「グレン様が不器用な方ということを、レティさんはちゃんと分かっているのね」
「むしろ分からない人なんていますか? きっと世界一のお人好しですよ!?」
「ふふふ、そうね。私も世界で一番心優しいのはグレン様だと思うわ。だからレティさん、グレン様のことお願いね。生活を彩ってあげて」
「はい! 頑張ります」
家政婦としてレティーシャが立派になれば、グレンの生活が豊かになるからだろう。メリーの言葉を『期待』と受け取ったレティーシャは、胸の前で拳を作った。
こうして買い物を終えると、所用があるからとメリーとは街の中で解散となった。
帰りの馬車はレティーシャとグレンのふたりきり。出発のときと同じ森の出入り口で馬車が停まった。
「買い物は大丈夫だと信じて良いんだな?」
「はい! お金の計算なら得意ですし、食材も次回までにメモを見て覚えますので」
王女の公務のひとつで、寄付金の計算をしていたことが役立ちそうだ。
レティーシャはようやく即戦力になりそうな仕事が見つかったことが嬉しく、胸を張って応えた。
「なら、馬車を週二回、朝ここに停まるようにする。不要の場合は、その前の利用の時点で御者に知らせること。俺が個人で雇っている馬車だから、首都の中なら市場以外に行くのに利用してもかまわない」
「わかりました」
確認が済むと、グレンは先に馬車を降りていった。
追いかけるように、レティーシャもステップに足を出す。その瞬間――
「きゃっ」
レティーシャは足元を滑らせてしまい、体勢を崩してしまう。すぐにやってくるであろう痛みを覚悟して身構えた。
だが、レティーシャの体は大地に打ち付けることなく、グレンによって抱き留められる。予期せず彼の胸に飛び込む形で助かった。
「ちっ、危なっかしいな」
スラリとした見た目の割に、グレンは逞しいらしい。ふらつくことなく、レティーシャを難なく受け止めた。
ふわりと、自分ではない香りがする。家族にすら抱き締めてもらったことのないレティーシャの心臓は、相手の体温もあってドキンと反応してしまう。
「も、申し訳ございません」
「足は捻ってないか?」
「はい、大丈夫です」
「なら良い」
グレンは、そっとレティーシャを解放する。そして当たり前のように買った食材を入れたバスケットをふたつとも抱えた。
「グレン様、ひとつ持ちます」
「阿呆。ステップを踏み外すってことは、歩き疲れている証拠だ。自覚しろ」
譲る気はないようで、グレンは歩き出してしまう。
でもその歩調は、馬車乗り場に向かった朝よりも遅い。久しぶりにたくさん歩いたレティーシャの足を気遣うペースだと、すぐに気付いた。
(本当に、どこまで優しい方なの?)
グレンの気遣いが、改めて胸を打つ。じわじわと熱を持ったように温かくなる。
彼の隣を歩くレティーシャの鼓動は、家に着いてもしばらく速いままだった。







