34 皇太子の願い
即断、即行動、そして大胆かつスマートに物事を解決していくフィリップが悩むなんて珍しい。
一分、二分と過ぎていくにつれて、とんでもない願い事をフィリップが考えているようにレティーシャは思えてきた。
「グレン様、私……大口を叩いてしまったでしょうか」
万が一叶えられないことだったらどうしよう。と不安になって、コソッと小声で相談する。
「今さらか、阿呆」
「!!」
「まぁ、墓には一緒に入ってやる」
無情なのか、義理堅いのか。いまいち分からないが、たとえ一緒でもまだ墓には入りたくない。
もっと人生を謳歌してから頼みたいところだ。
(お忍びデートしてみたいし、もっと食べてほしい料理もあるし、ピクニックも行ってみたいし、旅行も魅力的だし! まだ死ねないわ!)
と決意しつつも、フィリップが神託の乙女と側近の魔術師を同時に墓に入れるようなことはしないと分かり切っている。
これはグレンなりの冗談で、不安を和らげようとしているのだろう。
レティーシャが肩の力を抜いたタイミングで、フィリップが口を開いた。
「神木の花を摘んでも良いかな?」
浄化された神木は祈りの力で今も満開状態で、薄桃色をした八重椿のような大輪の花を咲かせている。
祈るたびに散った分が咲くので、問題ないはずだ。
「ちなみに、何に使うかお聞きしてもよろしいですか?」
神木に関する権限は現在、皇家から神託の乙女に譲渡されている。管理者として、許可を出す前に一応目的を聞いておこう、そんな軽い気持ちで聞いたのだが……フィリップは気まずげに眉を下げながら指先を擦り合わせた。
「えっと、フィリップ殿下が言いにくければ聞きません」
「いや、言うよ。いざとなったらレティーシャとグレンに骨を拾ってほしいから」
「ほ、骨!」
帝国の皇太子が骨になる覚悟をする事態とは一体なんなのか。
グレンが言った「一緒の墓に入ろう」が冗談では済まないかもしれない。
だって、フィリップの考えていることを察したらしいグレンが隣で「まさか……」と固い声色で呟いたのだ。
(もしかしたら三人で墓に入ることに?)
戦々恐々とした面持ちでフィリップの言葉を待つ。
「私には政略で選ばれた婚約内定者がいたのだけれど……その令嬢と、もう一度正式に婚約したいと考えているんだ」
「――!」
今思えば、二十歳を越えた皇太子に婚約者がいないほうがおかしい話だ。
しかも政略で選ばれた相手となれば高位貴族の生まれというのは当然で、個人的な能力を見ても優秀な令嬢だったに違いない。
フィリップの表情を見れば、神託の乙女を好条件で帝国に連れてくるために、断腸の思いでその令嬢との婚約内定を白紙にしたのが分かる。
そして腹を括って新しい花嫁を据えたはずだったのに……レティーシャがグレンを選んだため、皇太子妃の座は空席になってしまった。
直ちに新たな婚約者を探さなければいけない状況。フィリップが再びその令嬢を求めるのは理解できるのだが……。
「どうしてまた、神木の花をお望みで?」
「元婚約内定者――アリシアは、公爵が溺愛する令嬢でね。彼女の次の相手は、彼女の自由にさせると言っているんだ。アリシアが好ましいと思ったら、極論平民でも良いらしい。つまり、皇太子が相手でも気に入らなければ断られるってこと」
皇家はアリシアと公爵家に借りがある状態。
大陸の平和を守るために仕方なかったとはいえ負い目があるのだろう。
頷かせる自信がないのか、フィリップは「はは」と苦笑を挟んで言葉を続ける。
「皇家の都合でアリシアを振り回し、深く傷つけてしまった。でも少しでも可能性が残っているのなら、次はきちんと私の口から求婚した上で婚約したいと思っている。そして、求婚するなら最高の贈り物と一緒が良いと思わない? 神木の花で求婚するなんて歴史上で初めてだろうし、世界一の花を詰め込んだ花籠は世界一美しいに決まっている。神木の花を通じて、私に勇気を分けてほしい」
フィリップはレティーシャに向けて、つむじが分かるほど深く頭を下げた。
その真摯で切実な態度に、レティーシャの胸が震えた。
(政略だったとしても、殿下はアリシア様を愛していらっしゃるのね。だから求婚を断られたら、骨を拾ってほしいと……。それほどお心はアリシア様にあるのに、殿下は神託の乙女との婚約を選択した。帝国のため、大陸のために本心を殺してきたんだわ……!)
年頃も変わらない青年の肩には、どれだけの重荷が乗っているのだろうか。
エデルトリア帝国を統治し、大陸の秩序を守るためには個人の感情は後回し。生半可な覚悟ではやっていけないのは理解しているが……それならなおさら、心許せる人が隣にいた方が良い。
愛する人がそばにいるだけで、強くなれることをレティーシャはよく知っている。
「フィリップ殿下、何輪でもご用意いたします! グレン様、魔術で花を集めていただけますか? はしごでも届かないくらい、できるだけ上からで!」
「かまわないが、どうして上?」
「花を観察して分かったのですが、散るのは地面に近いところばかりで、半分より上の花が散る瞬間をまだ見たことがないのです。神官によると、穢れに触れる根から離れているため祈りの力が濃く残っているかららしいのです。末永いお付き合いを、ということで花も長持ちする方がよろしいでしょう?」
「確かに。よし、てっぺんの花を取ろう! 殿下、何輪いりますか?」
レティーシャとグレンが揃って確認の視線を向ければ、フィリップは嬉しそうに顔を綻ばせた。
こうして後日、神木の花をたっぷり入れたバスケットを抱えてフィリップはアリシアのもとへ足を運んだのだった。
***
「神様、どうかフィリップ殿下に幸運を――!」
フィリップを見送ってから数時間、レティーシャは神木の前で両膝をついて切ってしまった花を復活させつつ、求婚の成功を祈りつづけていた。
「レティ、結果が届いたぞ」
「――!」
そうしてしばらくした頃、後ろからグレンに声をかけられた。
慌てて立ち上がったレティーシャが後ろを振り向けば、フィリップが黒髪の令嬢――アリシアを伴い神木の間へと入ってくるところだった。
レティーシャは初めてアリシアを見たが、フィリップに負けず劣らず麗しい女性だ。少し勝ち気な印象を与える目元だが、今は柔らかく細められている。
そんなアリシアの手は、しっかりとフィリップの腕に添えられていた。
まさか、こんな風に報告がいただけるとは。
「フィリップ殿下、アリシア様、神託の乙女レティーシャがお祝い申し上げます。おふたりに輝かしい未来があらんことを」
レティーシャが感激の涙を浮かべて告げれば、フィリップが幸せそうにはにかんだ。顔をくしゃっとさせるような笑みは、これまでに増して美しい。
「ありがとう。神託の乙女を大切にしたら、幸福が訪れるという伝承は本当だったらしい。君たちに負けないくらいの夫婦になってみるよ。ね、アリシア?」
「フィル様ったら」
婚約者を愛称で呼び、恥じらうアリシアがとんでもなく可愛い。そんな彼女を見るフィリップの視線は愛に満ちてものすごく甘い。
お似合いのふたりが眩しい。
たまらずレティーシャは両手で顔を覆った。
「うわぁぁあん! よがっだですぅぅううう! 本当に、本当にお幸せにー! その勝負お受けいたしますぅー!」
「おい、勝手に巻き込むな」
そう眉間に皺を刻んで文句を言いつつも、グレンはハンカチを渡してくれる。そっと頬に当てる手つきは優しい。
レティーシャは心の中で何度も「好き!」と連呼した。
明日、最終話となっております!
最後までよろしくお願いします!







