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33 因果応報


 メーダ王国の本城の裏には、王家の問題に関わる重要人物を収容する塔がある。

 たいていは重罪を犯した王族の幽閉に使われる場所で、どの部屋も質素ながら綺麗に整えられている。


 しかし地下牢だけは例外で、平民の重罪人向けの牢と変わらない水準。床と壁は石材がむき出しのままで、頼れる灯りはロウソクのみ。日の光が入らず風通しも悪いため、空気は澱んでかび臭い。



「そこに直れ」



 ダリウスは顔を顰めながら鉄格子の前に立ち、帝国に引き渡されたばかりのリズ・ギレットへ床に跪くよう命じた。

 つい数時間前、()()が美しく着飾っていた姿を見たせいもあるかもしれない。

 妹レティーシャの影武者として何度も隣に立たせたことがある女だが、本当にこれで周囲を騙せていたことが不思議なくらい貧しい姿に見える。

 質素なワンピースを着たリズは石造りの冷たい床で膝を揃え、怯える眼差しをダリウスに送っていた。



「王太子殿下、どうかお許しくださいませ。私は、姫様に騙されただけです」

「騙された?」



 今更だが、レティーシャの弱点を握れるかもしれない。

 皇太子フィリップと魔術師グレンは心底レティーシャを大切にしている様子だったから、内容によっては利用価値が出てくる可能性も無きにしも非ず。

 興味本位でリズの言葉に耳を傾けてみる。



「私が成り代わったのは、自由になりたかった姫様が命じたからです! 皇太子妃の荷を重く感じていたのと、前から市井の生活に強い憧れを抱いていたようで……身代わりにならなければ、皇太子妃になったあと虐げると脅され――ひっ」



 ガシャンと、ダリウスが鉄格子を勢いよく蹴り上げた音が響いた。

 あまりにも下手な言い訳だ。耳を傾けたことが愚かに感じ、この程度で騙せると思われたことが腹立たしい。



「私を舐めているのか? 成り代わるにしては、レティーシャの慎ましさを意識した様子もないのによく言う。嘘ならもっと上手くつけと身代わり教育で教えたはずだが、やはり田舎から拾ってきた下賤の血では無理だったか」

「……え?」

「エデルトリア帝国から、お前が使い込んだ皇太子妃の費用が請求されたが、随分と楽しんでいたじゃないか。なんだあの金額は……どうしてお前のしでかした尻拭いで、メーダ王家が大金を払わなければいけない!」



 皇太子フィリップの怒りは、レティーシャとグレンの婚約を認めただけでは収まらず、メーダ王国に対して多額の賠償金が請求された。

 リズが通った店は、エデルトリア帝国の上位貴族も懇意にしている高級店が多かった。店側が未来の皇太子妃に安物など紹介できるはずもなく、自然とリズが購入したのは値が張る物ばかり。

 その合計金額だけでも相当なものになるのだが、フィリップは容赦なかった。


 請求額はブティックなど各工房が『皇太子妃御用達』として得られるはずだった機会損失額も含まれており、ダリウスの個人支出の数年分に匹敵する額にまで膨れてしまっていたのだった。

 存在を見せつけるように買い物をする姿をリズは頻繁に公にし、新聞にまで載っているので隠すこともできない。

 ここでメーダ王国が拒絶すれば『侍女の教育を失敗した』という醜聞だけでなく、『後処理もできない無能』や『帝国を軽視する愚者』という泥も上塗りすることになる。

 メーダ王国の名誉をこれ以上落とさないためにも、エデルトリア帝国の請求を飲むしかなくなっていた。



「皇太子妃として得られる富と名誉より自由を選ぶほど、レティーシャは愚かではない。王家を馬鹿にしているのか? たとえ本当に成り代わりを命じられても、無視しておけば良かったのだ。そうすれば、お前が虐げられただけで済んだというのに! ふざけやがって!」



 リズのせいで『皇太子妃の兄』の座も、多額の資産も失った。

 それだけでなく、グレンからはアシュバートン侯爵家で生産している数品目の価格を引き上げることも告げられ、周辺国との輸入競争でも不利な立場に追い込まれることが確定した。



(上流階級向けの鎮痛剤の原材料として輸入していた貴重な薬草の生産地が、帝国のアシュバートン侯爵領だったのが特に痛い。愛用している貴族や医者が多いというのに……このままでは反発も必至。ちくしょうっ、どうして私が非難されなければならない)



 来年、国王に即位することが決まっているダリウスであるが、本来必要のない苦労を背負った状態でスタートを切らなければならなくなった。



「で、殿下! それでは私が掴んだ帝国と神殿の裏話があります。その弱みを利用すれ――」

「黙れ! 帝国の弱みだと? それを利用しようとした瞬間、あの魔術師に国ごと滅ぼされる!」

「ひっ」



 もう一度鉄格子を蹴り上げて、リズを恐怖で震え上がらせても怒りは鎮まらない。

 グレンが魔術師として圧倒的強者ということは、あの一瞬だけで理解するのに十分だった。

 レティーシャの弱みを握り裏から操作するのと、帝国そのものを相手するのでは全く違う。

 そもそもリズは、浅はかな欲望のために王族のレティーシャを嵌めた。

 先程も己が助かりたいがためにダリウスにも嘘を告げようとしていた。今後どのような内容だとしても、リズの言葉はすべて妄言として処理していこうと決める。



「リズ・ギレットに処遇を告げる。生涯に渡り、この地下牢での幽閉に処すことにしよう」

「お願いです! 私はこれまで王家に貢献してきました。それを加味し、どうか慈悲をくださいませ」

「だから黙れ! 私に命じるな!」



 忌み姫と言えど、レティーシャは王家の人間。そんな彼女を害したのなら処刑も当然であるが、簡単に殺すのも惜しいくらいに、怒りが溜まっていた。



「あれを」



 ダリウスが催促すれば、騎士が台車に載せて金属製の大きな箱を運んできた。その中では木炭が真っ赤に燃え、鉄の棒が突き刺さっていた。

 リズはこれから何をされるか察して後退ろうとするが、牢に入ってきた騎士たちによって鉄格子に押し当てられてしまう。偽の六花の痣が露わになるように、襟元を引っ張られた。

 ダリウスはそれを認めると、木炭から鉄の棒を引き抜く。先についた焼印には今では廃止された奴隷印が彫られ、赤々とするまで熱せられていた。



「そんな小さな花の印では物足りないだろう?」

「そ、それだけは――!」

「本物の罪人の証をつけてやろう」



 奴隷印が、リズの肩に押し付けられた。

 直後、地下牢には絶叫が轟いたのだった。




***



 

 メーダ王国との会談は、終始エデルトリア帝国有利で進められた。

 序盤で見せたグレンの魔術にすっかり恐れをなしたのか、それともフィリップの話術になすすべがなかったのか……出発前、グレンは多額の資産を渡してまでレティーシャとの婚約を認めさせたいとまで言っていたはずなのに、蓋を開けてみれば逆にお金を巻き上げる結果になっていた。


 これからのメーダ王家はエデルトリア帝国への賠償金の支払いと、アシュバートン侯爵家との貿易交渉、国内貴族に対する名誉回復のために奔走することになる。

 長きに渡って気苦労が絶えないだろう。



 そして帰国後、早々にレティーシャがグレンと婚約を結んだことがエデルトリア帝国民に向けて発表された。

 同時にこれまで婚約者として振舞っていた姫が偽物だということも公表され、帝国内には衝撃が走った。

 偽物がレティーシャに成りすませられる状況を作ったメーダ王国に怒りを向けるだけでなく、見抜けなかったエデルトリア帝国に対しても不信感を露わにする声が国民から上がり、しばらくは騒ぎとなった。


 しかし、新たな婚約に関してはほとんど異論が上がることはなかった。

 神託の乙女として神聖視されているレティーシャが命を狙われたことに心痛め、命を助けてくれた恩人を慕うのは自然の流れ、と思った貴族と帝国民が多かったのだ。


 加えて神託の乙女の新たな婚約者は災害や事故が起きた際に多くの帝国民を助けてきたとして、密かに英雄視されていた帝国魔術師グレン。

 神託の乙女まで救うとはさすが。姫様も惚れて当然――と評されたほど。

 グレンの人徳が素晴らしい。

 有難いことに、レティーシャとグレンの婚約に関しては祝福ムード一色だ。


 レティーシャの居住場所をアシュバートン侯爵家の敷地内にある来賓用の別邸に移せば、近所の貴族たちからたくさんのお祝いを頂いてしまった。

 ちなみにグレンは本邸に引っ越し、森の一軒家は別荘として所有していく予定である。

 ここまで上手く支持を得ることができたのも、当然あの御仁なくして実現しなかっただろう。



「フィリップ殿下にお礼をしたいのですが、私に望むことはありませんか? 何でもどうぞ!」



 グレンに頼んでフィリップの執務室を訪問したレティーシャは、単刀直入に訊ねた。

 今は次期侯爵夫人として資産を手に入れ、神託の乙女としてあらゆる権限も手に入れた。

 できることが増えたと実感しているレティーシャは「遠慮なくどうぞ!」と言いたげに目を輝かせた。隣でグレンが呆れた視線を送っているのも気付かずに。



「望み、ねぇ~」



 正面に座るフィリップは腕を組むと、真剣な様子で考え込み始めた。


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