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32 敵に回してはいけないふたり


 数時間後、エデルトリア帝国とメーダ王国の会談が開かれた。

 シャンデリアが燦々と輝く下に置かれた長テーブルで、両国の代表が顔を合わせる。

 レティーシャは、グレンとフィリップがいるエデルトリア帝国側に着席した。メーダ王国側の国王やダリウスからは冷たい視線をもらったが知らん顔をする。

 そうしてフィリップが火蓋を切ったのを皮切りに、影武者リズが起こした事件がメーダ王国に説明されれば、国王とダリウスの顔はすぐに強張った。



「リズ・ギレットが本当に? 影武者として仕事をこなしていたさなかでの勘違いや事故という可能性は……?」



 ダリウスがフィリップに問いかける。

 現国王の父は、来年王位を譲渡する息子に本会談を任せるようだ。

 帝国皇太子といえどフィリップがダリウスの八歳年下とあって、渡り合えると踏んでいるようだが……。



「リズ・ギレットの右肩を見れば良い。レティーシャとまったく同じ模様の入れ墨が彫られていた。帝国のドレスのデザイン上、公然で見せることはないから六花の印まで真似る必要はないのに……ですよ?」

「レティーシャの指示ではなく?」

「では、さらに見ていただきたいものがある」



 フィリップが側近に目配せをすれば、メーダ王国側のテーブルに一着のワンピースが置かれた。

 紺色の旅装束の生地はところどころ裂けてしまい、穴が開いて二度と着られない状態。一緒に出された皮のブーツは水シミがついて変色し、岩にぶつかった装飾のボタンはひしゃげていた。



「見覚えがあるでしょう? これはレティーシャがメーダ王国を出国したときに着ていたもの。リズ・ギレットの魔の手から逃げる際に渓谷に落ち、川に流されたときにこうなってしまった。こんな危険な演出と賭けをしてまでリズ・ギレットを身代わりに立てて、最高の条件を提示した私の花嫁になるのを嫌がったと?」

「それは……」

「レティーシャは社交界に出ておらず、恋仲の令息も婚約者もいなかったのは調べがついている。互いに久々の再会を喜ぶ素振りもないことから、家族と離れがたいという線もなさそうだ。レティーシャの指示なんてあり得ない。そちらの侍女は、本当に余計なことをしてくれたよ……ねぇ?」



 フィリップは冷ややかな笑みを浮かべ、好戦的な態度で頬杖をついた。エデルトリア帝国の皇太子とはいえ、関係国の国王の前で取る行動としては傲慢すぎる。

 だがメーダ国王本人も非難できないほど、流れはフィリップが支配してしまった。

 反論できないダリウスは押し黙り、奥歯を噛み締める。



「分かってくれたようで何より。レティーシャが命の危機にさらされ、我々帝国は神託の花嫁を失うところだった。皇帝陛下もご立腹さ。グレンが奇跡的に保護してくれて本当に良かったよ。だから功労者には、とびっきりの褒賞を与えようと思っているんだ」

「――それでレティーシャをグレン・アシュバートンに下賜すると!? 我々は皇太子妃にしていただけると思ったからこそ、無条件で送り出したのですよ。レティーシャを助けてくれた御礼は我が国から別にアシュバートン殿に用意する。皇太子妃の座はそのままレティーシャにお与えください。そうでなければ、妹は帝国にお渡しできません」



 やはり名誉を重んじるダリウスは、妹を嫌っていても『帝国の未来の王妃の兄』という肩書を諦められないらしい。

 早々に身柄の権利を主張し、駆け引きを始めようとした。



「レティーシャ殿下以外の見返りは受け取りません。俺は、レティーシャ殿下を伴侶にと望んでおります」



 即座にグレンが応える。

 すると数時間前に煽られたことを根に持っているのか、ダリウスはすぐに目を吊り上げた。



「レティーシャの婚姻は、メーダ王国の権威を左右する重要なこと。軽んじられるのはやめたまえ」

「アシュバートン侯爵家は帝国序列五位に位置し、歴史の長さと総資産を見ても、貴国に引けを取らない名家と自負しております。格式と血筋は保証しましょう。そんな侯爵家の夫人および魔術師の妻という地位を用意しても、軽んじていると?」

「それは……っ! だ、だが、皇太子妃の座を越えることはない。メーダ王国の事を考えたら貴殿にレティーシャは――」



 ダリウスの反論を遮るように、会場を照らしていたシャンデリアの火が一瞬で消えた。残ったのはテーブルに置かれた燭台の明かりだけで、部屋に闇が落ちる。

 一体何が起こったのか――国王やダリウスを始め、メーダ王国側は弱々しい明かりを頼りに周囲を見た。


 シャンデリアは揺れることなく、静かに天井から吊るされたまま。壁の燭台も同じく、最初から火が付いていなかったようにロウソクが佇んでいた。

 窓はすべて閉まっており、火が消えるほどの風も吹き込んでいない。

 このような超常現象を起こせるのは、稀有な才能を持つ一握りの魔術師のみ。

 詠唱もせず、予備動作もせず、息をするように魔術を使う実力者が本気を出したらどうなるか。


 メーダ王国一同は敵意を剝き出しにしているグレンを凝視し、恐怖で顔を強張らせた。

 そんなメーダ国を相手に、フィリップが笑みを深める。


「ダリウス殿、声を荒らげて帝国一の魔術師の機嫌をあまり損なわないでくれる? 皇太子である私の肩書と血筋はグレンより上でも、非力だから止められないからね。王城が吹き飛んでも、自己責任で頼むよ」



 フィリップの言葉が脅しのための誇張でないと、現状が物語っている。弱い灯りの中でも分かるほど、国王とダリウスたちは顔色を悪くした。

 けれどフィリップは手を緩めずに、言葉を続けていく。



「そもそもさ、メーダ王国の侍女の質が悪いせいで起きたことなんだよ? 私としても、本当はレティーシャを娶りたかったというのに、分かる? 偽物に煮え湯を飲ませられ、ようやく見つけた本物の婚約者を失い、今も後始末をするために国を留守にしてさ……誰が一番割りを食っていると思う?」

「……っ」

「そちらが交渉材料に使おうとしている王女は、グレンが助けなければ生きていなかったのは理解しているかな? 最悪亡くなっていて、あとから偽物が嫁入りしていたなんて発覚していたら、メーダ王国の立場なんて言っている場合じゃなかったはず。帝国は甘くないよ? この交渉も、神託の乙女の故郷に対する敬意と慈悲ということを察してほしいんだけど? 難色なんて示せると思っているのかな? ん?」



 刺々しい嫌味と裏腹に、平然と完璧な微笑みを浮かべているからこそ恐ろしい。温度差が酷すぎる。

 いつもニコニコと余裕があるように見えて、フィリップもかなり鬱憤を溜めていたようだ。

 彼に倣うようにグレンや帝国関係者も容赦なく殺気を放つ。

 黙って見守っているだけのレティーシャですら、痛みがあると錯覚するほどピリピリした空気を肌で感じる。

 矛先を向けられたメーダ王国関係者の勢いは、あっという間に削がれてしまった。

 あまりにも打ち合わせ通り。

 ダリウスがチラッと父を見て助けを求めれば、国王は久方ぶりに口を開いた。



「エデルトリア帝国皇太子との婚約は白紙とし、アシュバートン侯爵家グレン殿と新たに婚約を結ぶことを認めよう」



 苦渋が滲む声はかすれているが、しっかりとレティーシャとグレンを認める宣誓がされる。

 一瞬にてシャンデリアに灯りが戻り、再び部屋を燦々と照らした。

 まるで魔術師の気分を表しているようだ。



「グレン様……」



 眩さを感じつつレティーシャが隣を見れば、膝に乗る手の上にグレンの手が重なる。

 彼は表情を緩め、手に力を込めた。



「レティ、一緒に帝国へ()()()



 帰ろうという言葉が、なんの違和感もなくストンとレティーシャの心に落ちた。自分の本当の居場所はどこか自覚する。

 それがなんともくすぐったくて、当然のように言ってくれたことも嬉しくて……レティーシャが花を咲かせたような笑みを浮かべて頷けば、フィリップたち帝国関係者からの拍手が送られたのだった。



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