31 見切り
レティーシャの部屋の中で、バチっと弾ける音が響く。
「――いっ」
ダリウスはレティーシャの髪から手を離して、後ろへとよろめいた。
火花が当たったのか、手を押さえ痛みで顔を歪ませる。
一方で、バランスを崩し倒れそうになったレティーシャの体は、グレンが肩をしっかりと抱いて支えた。
「グレン様!?」
「レティ、大丈夫か?」
「は……い」
髪が引っ張られた以外、怪我は負っていない。しっかり頷けば、グレンはホッと小さく安堵の表情を浮かべた。
それも数秒だけで、グレンはレティーシャを腕の中に庇ったまま青筋を立ててダリウスを睨む。
「ダリウス殿下、何をなさったかお分かりですか?」
「妹の躾だが?」
「……メーダ王国の躾は、随分と野蛮な方法のようですね」
「魔術師殿こそ、関係国の王太子に攻撃するなど常識がないようだ。国際問題にしてやろうか」
ダリウスは少し赤くなってしまった手の甲を見せ、ニタリと悪い笑みを浮かべた。
だがグレンは挑発に乗ることなく、冷たい眼差しを返す。
「ご自由にどうぞ。我が主フィリップ殿下は聡明な方なので、正しい判断を下すでしょう」
「神託の乙女がそんなに大事か」
グレンが挑発に乗らなかったからか、面白くないと言わんばかりにダリウスは舌打ちをした。忌々しく思う気持ちを隠すことなく、そのまま八つ当たりのようにレティーシャに蔑みの視線を送る。
そしてレティーシャと彼女の肩を支えるグレンをじっくり見比べ……口元に歪な弧を描いた。
「なるほど、魔術師殿はフィリップ殿下にレティーシャを押し付けられたか? 自分はいらないが、神託の乙女だから代わりに大切にしろ……と。忠誠を示すために大切に扱う演技までして、魔術師殿も大変だな」
「自分の意思で大切にしておりますが?」
「冗談はよせ。それとも神託の妄信者なのか? 特に秀でた特技もなく、血筋のお陰で顔は良いが陰湿な表情ばかり。最低限人前では微笑むが、愛嬌とは無縁の寡黙な女だぞ。息が詰まるだけさ」
「愛嬌が、ない?」
疑問を呈するように、グレンは眉間に皺を寄せてレティーシャを見た。本気で分かっていない顔だ。
(知られたくなかったのに……っ)
グレンが好きになってくれた明るい姿とは、真逆の暗い自分を知られてしまった。
隠せなかった悲しさと、否定できない悔しさと、情けない姿を知られてしまった恥ずかしさが複雑に入り混じる。
合わせる顔がなくて、レティーシャはグレンから顔を逸らした。
すると、肩を支えているグレンの手に力が込められた。
「ダリウス殿下……もし王国での姿がダリウス殿下の言う通りでしたら、余計にレティーシャ殿下を大切にしたくなりました。メーダ王国には絶対にお返ししないので、そのおつもりで」
「ほう? 強気のところ悪いが、フィリップ殿と婚姻を結んでいないレティーシャはまだメーダ王国の王女。身柄の権限は我が国にあることを忘れるな」
ダリウスは王太子とあってプライドが人一倍高い。一国の王族に対して生意気な態度のグレンが気に入らないのは当然だろう。
意趣返しができるのなら、忌み姫であっても手元に置きたくなったらしい。あるいはレティーシャを引き渡す条件に、無理難題を吹っ掛けるつもりなのか。
「また会おう」
ダリウスは醜悪な笑みを浮かべ、部屋をあとにしたのだった。
「グレン様、ごめんなさい」
兄を上手くあしらえず、秘密にしていた婚約の件が知られてしまった。
グレンとフィリップがメーダ王国と交渉を有利に進めるために準備をしていたというのに、余計な火種を作ってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになったレティーシャは、扉が閉まるなり顔を俯かせた。
だが、すぐに顎に手を添えられ上を向かされた。
「メーダ王国には、痣に関する古い迷信があると聞いたが……もしかして王家では風化することなく、レティは今日みたいな扱いをずっと受けていたのか? リズ・ギレットという影武者は王女の安全のためではなく、レティを隠すためだったのか?」
憂いを帯びたオレンジ色の瞳と視線が重なる。
教えてくれと、答えを強く求める眼差しにレティーシャの胸は軋む。
しかし今さら隠しても無駄だろう。ぞんざいに扱われている姿も、軽んじている言葉も聞かれてしまっている。暗い自分を知られてしまった。
唇をかすかに震わせ告げる。
「……はい。私は忌み姫として、物心ついたときからこの部屋に隠されて生きてきました。怪我をするような暴力を受けることはありませんが、扱いは先ほどの通りです」
「なら、病弱で表にあまり出られなかったというのも嘘か」
「えぇ。外に出られず、人より体力がなかったのは事実ですが……」
「家事を教えるときに気になっていたが、女性と考慮しても非力すぎる理由に納得した。それに……保護したとき頼れる家族がいないって言っていたが、それもようやく理解した。リズ・ギレットがレティに成り代わっても、こんな家族じゃ助けなんて求められないよな」
グレンはレティーシャを優しく両腕で抱き締めた。
「ずっと、ひとりで頑張って耐えてきたんだな。さすが、俺が惚れた女性は美しくて強い」
憐みでも同情でもなく、グレンがくれたのは褒め言葉だった。
じわりと、目頭が熱くなる。
(見せたくなかった、人生を諦め足掻くこともできずにいた過去の私を認めてくれたの? 頑張ったと、言ってくれるの? 暗かった私まで好きでいてくれるの? そんな……そんなこと言われたら――)
胸の奥から熱いものが込み上げる。冷たくなっていた心も指先も温めていく。
レティーシャはグレンの胸元をぎゅっと握ると、額をそのまま彼に押し付けて涙を流した。
「グレン様が好きですぅぅぅう!」
「もっと好きになれば良い。遠慮なく俺を頼れ。いくらでも助けてやる」
「あぁ、もう格好良すぎぃー! 反則ですぅぅううっ」
「はは、いつもの調子が戻ってきたな。そうやって感情に素直になって、辛いことは無理に隠すな。レティのことは、丸ごと抱えていたい」
グレンはそう言うと、レティーシャを横に抱きあげた。
その瞬間、好きな人が男前すぎて彼女の腰が抜けた。下ろしてくださいと頼んでも、立てない自信がある。
顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えた。
「え? えっと? どうして物理的に抱えているのですか?」
「こんなところに置いていけるか。帝国に用意された予備の客室に部屋を移そうかと。でも廊下をこのまま歩いて今の状態のレティを晒したくもないから……窓から飛ぶ」
「と、ぶ……?」
レティーシャのこの部屋は二階の最奥で、エデルトリア帝国に用意されたフロアは離れている上に四階。窓から下りるのも上るのも大変だ。
まったく想像がつかないレティーシャは、コテンと頭を傾ける。
「どうやって渓谷の川からレティを引き上げたと思っているんだ。まぁ、実際に見せてやるか。口閉じてろよ?」
言うや否や、グレンは風の魔術で窓をあけテラスに出ると、屋根に向かって跳躍した。
そして屋根や胴蛇腹の上を軽快に走り、ぴょんとテーブルセットが用意されている豪華なバルコニーに降り立った。
悲鳴を出すまもなく、帝国のフロアに到着してしまったのだった。
しかも、到着先はフィリップの部屋で――
「フィリップ殿下、レティが王太子ダリウス殿下の手でこのような状態に。しかも家族ぐるみで、常習的なものだったようです」
泣き腫らしたレティーシャの顔を見たフィリップは、美しくも冷たい笑みを浮かべた。
「帝国の関係者がいるのに馬鹿な真似をするものだね。グレン……ちゃんと喧嘩売ってきた?」
「抜かりなく。しっかり煽ってきました」
「ふふ、できる男だねグレンは。ということで、レティーシャ? メーダ王国にお仕置きしちゃって良いかな?」
これから悪戯をする少年のような無邪気さでフィリップが誘う。
グレンの顔にも「やる気満々」と書かれている。
ぶっちゃけてしまうと、家族の縁に未練のないレティーシャの答えは決まっていた。
「お好きにどうぞ。お任せします」
そうハッキリと返事をすれば、グレンとフィリップは揃って兄ダリウスを軽く越える悪い顔に転じた。







