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30 忌み姫の立場

 レティーシャを隠すために用意された奥の部屋の前で、彼女は密かにため息をついた。


 

(まさか、またこの部屋に入ることになるなんて)



 皇太子妃になる王女だとしても、それ以上に忌み姫という嫌悪が勝るのだろう。

 いつだってレティーシャを人目につかないところに置いておきたいという、家族の思惑がちらつく。



「端の部屋を用意するなど、王家はレティーシャ殿下を軽んじているのですか?」



 案の定、忌み姫として扱われていたことを知らない帝国の付き人のひとりが、案内人である王国の侍女に抗議をした。

 今回帝国から連れてきた付き人は三人。彼女たちはアシュバートン侯爵家が用意してくれた、レティーシャ専属の侍女たちだ。

 グレンへの忠誠心がそのままレティーシャにも反映されており、わずかな無礼も許せないと言わんばかりの態度。


 だが、相手も抗議を受けるのは織り込み済みだったらしい。王国の侍女は取り乱すことなく背筋を正す。



「レティーシャ殿下は幼少の頃からお体が弱く繊細だったため、落ちつくことができる静かなこちらの部屋でお過ごしになられていました。お疲れの殿下としても慣れた部屋がよろしいかと思ったのですが」



 そうですよね?とレティーシャに確認するように侍女が目を細める。彼女はリズが王宮に連れて来られる前にレティーシャの世話をしていた古参の侍女だ。

 表情は微笑んでいるけれど、眼差しは当時と変わらず王女を従わせることができる自信を帯びているように見える。



(昔のように、この人は監視者としてお父様に逐一報告するはず。本当はグレン様たちの近くのお部屋で過ごしたいと、申し出たいところだけれど……お父様たちの気分を損ねて、このあとの交渉に支障がでるのは避けたいわ。ここは従順な振りをしましょう)



 自分の部屋は、暗い思い出が詰まっているから好きじゃない。が、ここは我慢だ。

 レティーシャは帝国の付き人を安心させるように微笑む。



「気を使ってくれたのでしょう。この部屋で大丈夫よ」

「……レティーシャ殿下がご納得されているのであれば」

「私のためにありがとう。荷物を入れてくれるかしら?」

「承知いたしました」



 そして少し緊張したまま部屋の中に入れば、最後の記憶と様変わりしていた。

 落ち着いたデザインだった調度品は金の装飾がされたものになり、カーテンもフリンジがついた華やかなものに変わっている。天蓋付きのベッドはそのままだが、枕元のクッションは倍に増えているではないか。

 もちろん以前の調度品も安価なものではなかったけれど、先ほど抗議していた付き人の溜飲が下がる程度には、豪華なものに格上げされていた。



(さすがに帝国に私を冷遇していたことは隠すようね。良かった……グレン様に、暗い私を知られずに済む)



 付き人たちが荷物を運び入れる様子を眺めながら、密かに安堵のため息を漏らした。

 滞在は三日間と短いこともあり、荷解きもほどなく終わる。そのタイミングで付き人たちは厨房や水汲み場の説明を受けるため、一旦レティーシャの元を離れていった。



「芸が細かいわね」



 ひじ掛けに残る細かい傷を撫でながら、レティーシャはソファに腰を下ろした。

 新品ではなく使用感のあるところがまた、いかにも王女が長く愛用していた風になっている。

 国内の高位貴族に嫁いだ姉二人のうち、どちらかが残していったものだろう。

 そのとき、訪問を告げるノックがされた。



「私だ」

「――っ!」



 扉の向こうからした声に、レティーシャは反射的に立ち上がった。

 早く開けなければ、何を言われるか分からない。

 顔の強張りを感じつつ扉を開けて、訪問者を出迎えた。



「……ダリウス兄様、いかがなさいましたか?」



 燃えるような赤髪を撫でつけ、金色の瞳を持つ一回り年上の兄――メーダ王国の王太子ダリウスが立っていた。来年、ついに国王に即位することもあって、王族としての風格が増しているように思う。

 そんなダリウスはレティーシャを見下ろしながら、片眉を上げた。



「立ったまま話せと?」

「――どうぞ、こちらに」



 ダリウスは剣を嗜んでおり、逞しい体躯をしていた。まるで大壁のように立ちはだかる存在感に、レティーシャは従わざるをえない気分にさせられる。


 ダリウスを招き入れて、付き人がいつでも飲めるよう用意してくれていたお茶を出した。

 到着したとき、国王もダリウスもレティーシャに声をかけなかった。まるで目に入っていないかのように一言もなく、皇太子の前で緊張して失念していたというわけでもない。

 このまま無関心を貫くと思っていたというのに、わざわざ兄が足を運ぶなんてどういう風の吹き回しだろうか。



「挙式の日程の相談であれば、書簡や使者を通すだけで済む話なのに、どうしてフィリップ殿下は突然の訪問を決めたか知っているか?」



 フィリップの直接訪問の本当の理由――婚約者の変更については事前に通達していない。

 それでも重要な話を持ってきたことは察したのだろう。ダリウスはレティーシャを通して探りに来たようだ。


 しかし、本件はフィリップから切り出す予定になっているため、レティーシャの口から漏らすわけにはいかない。

 しおらしく視線を落とした。



「申し訳ございません。私もフィリップ殿下から詳しく聞かされていないもので……」

「お前は命じられるまま付いてきたと?」

「そう思われても仕方ありません」



 ダリウスは長い脚を組み直し、傲慢な態度でレティーシャの頭から足元まで眺めた。

 以前であれば「王族なのにみすぼらしい。まぁ、お前ならちょうど良いか」と服装を鼻で笑われたものだが、今日は髪飾りもドレスもシューズも上質なもので揃えられている。

 急だったため既製品を手直ししたものだが、皇室専属の衣装係が用意したものだ。

 さすがのダリウスも馬鹿にはできないはず……そう思ったものの、彼は蔑みの眼差しを濃くした。



「教えてもらえない関係……ははっ。お前、まさか皇太子に捨てられたりしないだろうな?」

「え?」

「身なりは確かにどれも高級品だが、フィリップ殿下の婚約者らしくない。相手を彷彿とさせる装飾品もなく、そろいのデザインでもない。公的な場所では、婚約者や夫婦は揃えるというのは大陸共通の貴族文化。そうでない場合は、不仲が多い」

「――っ」



 ダリウスの指摘はもっともだ。

 捨てられるわけではないが、婚約を解消する前提。ダリウスは偶然にも言い当ててしまった。

 数時間後の交渉で出す話題を強く否定することもできないレティーシャは、返答に迷い言葉をつまらせた。



「どこまで役立たずなんだろうなぁ、お前は」



 無言を肯定と判断したダリウスは勢いよく立ち上がり、ツカツカと強い足音をならしてレティーシャに近づいた。彼は真上から、威圧的に妹を睨みつける。

 レティーシャの瞳に映る兄の顔は、怒りに染まっていた。



「痣を持って生まれ、ただでさえメーダ王家の汚点でしかないのに……婚約破棄されるなんて、さらに恥を晒す気か!? しかも多くの目がある前で、フィリップ殿下以外のエスコートを当然のように受け入れるなんて、勝手に婚約破棄に同意したんじゃないだろうな?」

「勝手には、していません……!」

「だが、フィリップ殿下は考えていると……! その上、罪状はまだ伏せられているがリズが捕まったらしいじゃないか! リズを使って、フィリップ殿下の機嫌を損ねるようなことでもしたのだろう!」

「――いたっ」



 ダリウスの右手が、レティーシャの髪を強く掴んだ。ソファから立たせるように、容赦なく上へと引っ張られてしまう。つま先立ちをしても痛みが和らがない。

 レティーシャの目からは生理的な涙が滲んだ。



「前世が罪人なら、今世は厄災だな。どこが幸運を呼び込む神託の乙女だ。我が王家に、次々と災いを持ち込む悪魔め!」

「兄様、お願いです……やめて……痛いっ」



 必死に訴えても、ダリウスは手を緩めてくれない。レティーシャを吊るすように拳を持ち上げたまま、敵意を剥き出しにする。



「どうしてレティーシャが私の血縁者なのだ。お前のような妹さえいなければ、次期国王としての私の人生はもっと順風だったはずなのに!」

「お願いですっ、離してください……! ご迷惑をおかけしないように、メーダには戻りませんから!」

「戻らない?」



 ダリウスが軽く目を見張った。信じられないのか、彼は頭まで傾けた。

 こんな家族がいる国なんて、こちらこそ御免被りたい。ダリウスの怒りを見る限り、両親や他の兄姉も永遠にレティーシャを受け入れることはないだろう。

 互いに関わらないほうが、良いに決まっている。


 メーダ王国を出ていく意思は本気だと信じてもらうためにレティーシャは「本当です!この地は二度と踏みません」とまで言い切った。

 しかしダリウスは納得するどころか、怒りを取り戻した。



「はっ! 王宮の奥で引き籠っていたお前が外で生きられると!?」

「な、なんとかなります」

「王女の身分を利用するつもりか? 皇太子に捨てられるような傷物が受け入れられると!? 婚約破棄の時点で、王族から除籍してやる。そんなお前を拾う風変わりな人間がいるはずが――!?」

「ここにいるんだよ」



 言い争いに割り込む声がした瞬間、ダリウスとレティーシャの間に火花が散った。


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