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03 運命の出会い

 胸が苦しかったのは、この白い小犬が乗っていたかららしい。

 手足は短く丸いシルエットで、ふわっふわの毛並み。非常につぶらな瞳をしている。


 そんな白い小犬はヘヘヘッと嬉しそうな息遣いをしながら、レティーシャの顔をぺろぺろと舐めていく。

 馬以外の動物と触れ合いが初めてだった彼女は呆然としてしまい、小犬にされるがままよだれで顔を濡らした。



「わふ」



 数秒後、もう満足したのか、小犬がレティーシャから降りた。胸がやっと軽くなる。

 新鮮な空気を得た頭が動き出し、ようやく見覚えのない場所にいることに気づいた。


 頭だけ動かして周りを確認すれば、ベッドと机だけのシンプルな部屋だ。広さはレティーシャに与えられていた執務室より少し狭い。

 けれど掃除は行き届いているらしく、清潔さが保たれ、枕元には水差しが用意されていた。



「ここは一体……」



 すると部屋の扉が開いた。



「お、やっと起きたな」



 そう若干気怠そうな態度で入室してきたのは、麗しい顔の男性だった。

 金色の髪はサラリと短く、夕暮れの太陽を彷彿とさせるオレンジ色の瞳と切れ長の目元からは知性を感じる。別の言葉で言えば、若干気難しそうな印象を受ける容姿だ。

 長身でスラリとした体躯のためか、服装はシャツとスラックスというシンプルながらも品の良さを感じられる。



「あなた様は――いっ」



 起き上がろうとした瞬間、レティーシャの全身に痛みが走った。

 特に右肩が痛く、手で触ると服の上からでも包帯が巻かれているのが分かる。服装を見れば、藍色のワンピースからアイボリーの寝間着に替わっていた。

 いつの間に?と思いながら、何とか体を起こす。



「あの、どういうことになっているのでしょうか?」

「俺は魔術師のグレン。ここはエデルトリア帝国の首都郊外の森にある俺の家だ。お前、川に流されていたんだぞ。覚えているか?」

「川に……あっ」



 あの夜のことが脳裏に蘇った。レティーシャはリズに命を狙われて逃げていたところ谷に落ち、冷たい川に流されたのだった。

 どうすることもできず死を覚悟して――――

 悍ましい記憶に耐え切れず、レティーシャの体は身震いをした。



「……この犬“わたあめ”がやたらと吠えるからついて行ったら、お前が流されていて驚いた。こいつに気付いてもらえて運が良かったな。意識もなかったし、そのまま保護させてもらった」

「わふ!」



 白い小犬は“わたあめ”と名付けられているらしい。確かに見た目は、幼少期に一度だけ食べたことのある、砂糖でできた雲のような菓子と非常に似ている。

 そんな小犬はグレンの膝の上に乗り、元気よく誇らしげに鳴いた。



「ありがとうございます。グレン様、わたあめ様」

「家の近くを流れる川に死体が流れ着いたら嫌だっただけだ。そういえば全身に痣があったから一応手当てをしたが、特に痛むところはないか? 見たところ、右肩が一番腫れていたが」

「痛むところ……確かに右肩が、って……あれ?」



 レティーシャは自身の姿を確認し、聞き直す。



「手当はすべてグレン様が?」

「そうだが? この家には俺ひとりだからな。まぁ、安心しろ。医者じゃないが手当には心得はあるから、適切な処置はできているはずだ」



 安心の問題はそこではない。

 どう見てもグレンは立派な男性だ。

 レティーシャの右肩には胸元や脇を通って包帯が巻かれており、服も旅装束のワンピースではなくアイボリーの寝間着になっている。ずぶ濡れになったはずなのに、湿気た不快感がないことから下着も変わっていると思われる。

 これは一度、すべての衣類を取り払わなければできない行為。

 口振りから、グレンがやってくれたのは間違いない。

 そして先ほどは『全身に痣が』とも言っていた。つまり――



(み、見られた! 嫁入り前なのに、旦那様となる方以外の殿方に……!)



 レティーシャは顔を真っ赤にして、思わず自身の胸元を隠すように抱き締めた。

 手当のため仕方なかったと理解していても、恥ずかしいものは恥ずかしい。


 特にレティーシャは痣を見せないよう王宮でも湯あみはひとりで行っていたため、異性どころか同性にも裸体を見せることに抵抗がある。

 言葉にしきれない羞恥が込み上げた。


 同時に、本来最初に全身を見せるはずだった相手――エデルトリア帝国の皇太子フィリップを思い出した。

 自分は彼に嫁ぐ途中だったのだ。



「あの! 今日は何日ですか!? 皇太子殿下の婚約式はいつですか!?」



 俯かせていた顔をバッと上げ、眉間に皺を寄せるグレンに勢いよく詰めた。



「自分の怪我より皇太子殿下のことかよ」

「それで、どうなんですか!?」

「殿下の婚約式は一昨日無事に執り行われたぞ。この目で見た」

「そんな……」

「本当のことだ。新聞にも書いてある」



 面倒くさそうにしながらも、グレンは部屋の外から今日の朝刊を持って来てくれた。

 受け取ったレティーシャは、恐る恐る記事に視線を落とす。


 そこには昨日、皇太子フィリップが神託によって選ばれたメーダ王国の末姫レティーシャを婚約者として迎え入れた特集が載っていた。


 最新の魔道具で記録された白黒の『写真』も掲載されており、バルコニーからフィリップとともに微笑む自分そっくりの女性の姿が載っている。

 印刷の仕上がりが荒くて見づらい部分はあるが、数年そばで見てきたレティーシャが見間違えるはずがない。



(リズ……! 本当に、騙したのね!)



 いかにも幸せそうに堂々と手を振る様子は、本物よりも未来の皇太子妃の風格があるように見えた。


 リズは宣告通りエデルトリア帝国を騙し、レティーシャとして帝城入りを成功させたらしい。大博打に勝った演技力は感服ものだ。

 しっかりと淑女教育を叩き込まれ、メーダ王国の貴族を騙し通したリズだ。彼女はおそらく今後も上手くやるだろう。


 むしろ影武者として社交界で経験を積んでいるため、レティーシャ本人よりも皇室の雰囲気にも早く馴染むかもしれない。



(リズに花嫁の座を奪われてしまった。だったら私はこれから、どうすればいいの?)



 新聞を持つレティーシャの手が震えた。

 エデルトリア帝国は、リズをメーダ王国の末姫と信じてしまっている。

 今からレティーシャが「実は私が本物なのです!」と名乗り出ても、信じてもらえる確証がない。六花の痣を見せても、同じ模様がリズの右肩にもある状態。

 花嫁の座だけではなく、唯一の証明手段まで奪われてしまった。


 今のレティーシャが帝城に向かっても、帝国は取り合ってくれないだろうし、門前払いされるのが目に見える。

 むしろリズの耳に入ったら危険だ。手に入れた権力を使って、次は不敬罪を適用してレティーシャを処刑するかもしれない。



(一度メーダに帰って、本物と偽物を見分けられるお父様たちにリズの裏切りを知らせたら……ううん、これも危険だわ)



 これまでのレティーシャに向けられてきた家族の態度を振り返れば、到底頼れるようなものではない。

 冷え切った態度と視線からも、同じ血が流れていることを嫌悪していることは見え見え。

 家族の情など存在しない。


 影武者のリズで上手くいっているのだから、エデルトリア帝国との間に荒波を立てないよう、再びレティーシャを隠すように王宮の奥に閉じ込めるかもしれない。

 いや、閉じ込めるだけで済むなら幸運なほうで……。

 

 レティーシャは母国を頼る選択肢を振り払った。

 この場を乗り切り生き延びる方法を探そうと気持ちを切り替える。

 この間グレンは怪しむ表情を向けつつ、レティーシャの反応を辛抱強く待ってくれていた。



(そういえば婚約発表会が昨日ということは、私が川に落ちた日から三日も経っている。つまりグレン様は保護しただけでなく、何日も意識のない私を看病もしてくれたということよね。それも素性を知らない私を。口調は粗暴だけれど、すごく良い人なのではないかしら?)



 一縷の可能性を見出したレティーシャは、改めてグレンを見つめる。

 やや口をへの字にした彼の表情は相変わらず不機嫌そうだ。座りながら腕を組んでいる姿勢は高圧的。


 しかし、グレンから向けられる視線は悪意を帯びているようには見えない。

 家族にはよくあった苛立ちや軽蔑の色を、グレンの眼差しからは一切感じられないのだ。

 純粋に、相手の出方を窺う類いの視線。

 それに、わたあめがずっとグレンの足にスリスリと体を擦りつけて甘えている。



(犬は賢い動物だったはず。この甘えっぷり、グレン様を信頼しきっている……つまり優しいと保証されたも同然では?)



 リズの本性を見抜けなかったことから己の人を見る目に自信はないが、わたあめの態度を信じることにする。

 また、何ひとつ持っていないレティーシャにとって、グレンを頼る道しかないのも事実。

 


(ここは、あの手しかない……!)



 腹を括ったレティーシャは、翡翠の瞳にやる気を漲らせた。


本日17時も更新予定!

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