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28 作戦会議

 神木の浄化を終えたレティーシャが案内されたのは、フィリップの執務室だった。



「すごい……」



 レティーシャもメーダ王国では執務室を与えられていたが、比にならないほどフィリップの執務室は充実していた。壁を埋め尽くすほどの本棚に会議用の長テーブル、豪華な応接セットが完備され、この部屋ですべてができるようになっている。

 初めて入った彼女はキョロキョロと見渡してしまった。



「ふたりとも座って」

「失礼します」



 フィリップに促されソファへ腰を下ろせば、当然のようにグレンがレティーシャの隣に座る。

 しかも、脚が触れるか触れないかという近さ。

 もうそれだけで嬉しい。

 メーダ王国には、何が何でも新たな婚約を認めてもらいたいところだ。

 レティーシャは緩みそうな表情を引き締めて、フィリップの説明に耳を傾ける。



「さて、メーダ王国が二つ返事でレティーシャを帝国に送り出してくれたが、それは帝国の皇妃を輩出でき、権威を高められるから――という理由が強いのは分かるね? このまま新たな婚約について申し出ても、メーダ国王は難色を示すだろう」

「レティに値段をつけるわけではありませんが、王女に不自由のない生活を提供できると、誠意を見せるのはどうでしょうか?」



 グレンは指を三本立ててみせれば、フィリップはわずかに瞠目し、そばに控える側近たちにもどよめきが走った。

 分からないのはレティーシャだけ。



「えっと、グレン様、これはいくらくらいなんですか?」

「俺の個人の総資産の半分程度だ」



 そう説明されてもレティーシャにはピンとこない。



「メーダ王国クラスの小国であれば国家予算二年分くらいになるはずだが、分かるか?」

「え!? あの、はい、分かりますが……えぇ!?」



 フィリップが「はは、グレンは働き者でお金に堅実だからね」とフォローしてくれるが、それでも多すぎではなかろうか。個人の総資産としても、レティーシャのために出す金額としても。

 世界でも希少な魔術師で、なおかつ帝国魔術師の筆頭となれば報酬も群を抜いて高いのかもしれない。

 また、ひとりの魔術師に多額の報酬を提供できるエデルトリア帝国の財力にも、改めて感心してしまう。



(私のために躊躇いもなく出そうとしてくれる気持ちが嬉しい、でも、おそらくお父様は――)



 レティーシャは申し訳なさそうに眉を下げた。



「私の父、メーダの国王は何よりも名誉を重要視する人です。個人の才能よりも一族の血統、資産力よりも家門の歴史の長さで良し悪しを判断する傾向が強いように思います。グレン様のお気持ちは嬉しいですが、もしかしたら父は……」

「やはり、そんなに甘くないか。資産があっても、侯爵家の生まれでも、帝国の筆頭魔術師でも……俺個人に爵位がなければ厳しいということか」

「ごめんなさい」

「レティが謝る必要はない。一国の王女の嫁ぎ先に求める条件としては、必要事項だ」



 グレンはレティーシャを慰めるように背中に手を当ててから、フィリップに向き直る。



「殿下、これまでの俺の功績を考慮した場合、どれくらいの爵位を望めますか?」

「そうだね……子爵位なら今すぐに与えられる。大きな任務をあとひとつふたつ成功させれば、伯爵位を与えても国内からの反発はないだろうね。でも、メーダ王国に対してはもう一押したりないように思う」

「リズ・ギレットの件を出しても、厳しいと?」

「最初から伯爵位を持つ筆頭魔術師からの求婚なら飛びつくだろうけど、それよりも先に次期皇妃という旨味を覚えてしまっているからね。言葉は悪いけど格落ち感が否めない。名誉を好む相手ならなおさら」

「――っ」



 表情を硬くしたグレンは、眉間に皺を寄せた。

 だが気落ちしたというわけでなく、何か考えを巡らせているような表情だ。



「グレンは、もっと周囲を頼りなよ。すぐ自分ひとりで抱えようとするのは悪い癖だ」

「殿下には言われたくありませんが?」

「しかし、グレンほどじゃない。今回だって私は手伝ってほしいと協力者にもう頼っているからね――入ってきてくれ!」



 フィリップがそう言うと、入口とは別の扉から男性が入ってきた。

 グレンはその姿を見ると、驚き立ち上がった。



「父上?」

「グレン!」



 アシュバートン侯爵は涙を浮かべ駆け寄ると、勢いよくグレンを抱き締めた。

 グレンは戸惑いつつも、ほんの少し照れ臭そうにしながら父からの抱擁を受け入れる。



「祈りが成功したようだな! もう大丈夫なんだな?」

「はい、父上。ご心配おかけしました」

「お前が無事ならそれで良いんだ。本当に、良かった」



 アシュバートン侯爵はうっすら涙を浮かべながら、健闘を称えるようにグレンの背中を叩く。

 グレンが神木の生贄だと知った日の親子喧嘩でも、アシュバートン侯爵は禁術を使おうとする息子を引き留めようと必死に説得の言葉を重ねていた。それだけグレンに対して深い愛情を持っていた証拠。

 息子が生贄に選ばれたと知ってから十年、アシュバートン侯爵もまた苦しんでいたに違いない。

 レティーシャは改めて神木を浄化することができて良かったと思う。

 するとアシュバートン侯爵はグレンを解放し、レティーシャに深々と頭を下げた。



「レティーシャ殿下、この度は息子を救っていただき感謝いたします」

「先に命を救っていただいたのは私のほうです。グレン様に恩返しができて本当に良かったですわ。頭をお上げくださいませ」

「お優しい方だ。アシュバートン家は、レティーシャ殿下を屋敷にお招きできるよう協力いたしましょう。ポール、グレンにあれを」



 アシュバートン侯爵はやわらかい笑みを浮かべると、執事ポールに命じてグレンに羊皮紙を一枚渡した。

 グレンは羊皮紙に目を通すと、息を飲んだ。



「次期当主の変更届出?」

「我がアシュバートン家は、歴史の長さではメーダ王国に引けを取らない家門。皇家の血筋も混ざっている。グレンが侯爵になれば、メーダ王国との交渉もしやすくなるだろう」

「父上、本気ですか? キースはなんと?」



 アシュバートン侯爵が渡した紙には、侯爵家の次期当主を次男キースから長男グレンへと戻す旨が書いてあるらしい。

 信じられないのか、グレンは父に詰め寄った。


 グレンが当主の座を弟に譲ってすでに十年。キースは跡継ぎとして準備を進め、彼の婚約者も未来の侯爵夫人として心づもりをしていたはずだ。

 心優しいグレンが、大切な弟が築き上げていたものを壊したくはないと思っているのは想像できる。


 しかし侯爵家の当主になることができれば不安要素は減り、交渉の有力な武器になるのも事実。

 グレンは分かりやすく葛藤の表情を浮かべた。

 そんな息子の両肩にアシュバートン侯爵が手を乗せた。



「安心しなさい。もし奇跡が起きてグレンが希望するのなら当主の資格を戻したいと、以前からキースは決めていたんだ。神託の乙女が帝国にきた三か月前にも、心変わりしていないことは再確認できている。もちろんキースの婚約者も承知の上。グレンが後ろめたく思うことは一切ない」

「父上……キース……っ」

「もう最初から諦める必要はない。これまで我慢していた分、ほしいものはほしいと願いなさい。フィリップ殿下に啖呵を切ってまで、レティーシャ殿下を望んだのなら、私たちは全力で応援するさ」



 とても頼もしそうな笑みをアシュバートン侯爵は浮かべた。

 グレンは大切そうに羊皮紙を持つ指先に力を込めた。



「父上、ありがとうございます。キースにもお礼を言わないといけませんね」

「そうだな。あとフィリップ殿下にも感謝しなさい。私がグレンにこのことを伝えるよりも先に、当主資格について相談してくれたんだ」

「――はは、殿下には敵いませんね。確かに俺の方が悪い癖を持っているようです。ありがとうございます、フィリップ殿下」



 グレンが眉を下げて顔を緩めれば、フィリップは「気合を入れて訪問したら、もう侯爵が決断していて肩透かしを食らったけどね」と苦笑してみせた。

 それから重かった執務室の雰囲気は一気に和らいでいった。

 以前より、挙式の延期について相談するために、翌週メーダ王国に使者を送る予定だったらしい。その相談内容を婚約者変更の申し出に変え、ついでにリズも王国に送還することになった。

 さらに万が一もないように、皇太子であるフィリップが直接説明のためにメーダ王国へ足を運ぶとまで言ってくれて、非常に心強い。



(さすがグレン様の人徳!)



 神託の乙女と言えど、レティーシャのためだけだったら周囲はこんなにも一生懸命にならないはずだ。不器用でも、隠しきれないグレンの優しさの賜物だろう。

 打ち合わせに耳を傾けながらグレンを称賛した。

 爵位問題が解決し、心強い味方もいる。メーダ王国との交渉も上手くいくに違いない。

 レティーシャは不安が軽くなっていくのを感じた……のだけれど。



「交渉するのは私だけれど、本人たちの意思を証明するためにもグレンとレティーシャの姿もあったほうが説得しやすいかな。同行の準備を頼むよ」



 フィリップは作戦会議の終盤に、そうレティーシャへ求めたのだった。


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