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27 溢れる思い

「つ……ま?」

「はい。俺と結婚してください」



 求婚の言葉が嘘ではないと証明するように、レティーシャに向けるグレンの笑みは蕩けるように甘い。恋をしているのだと、ありありと伝わる熱を帯びている。

 それはレティーシャも恋をしているから、よく分かってしまう。

 レティーシャは震える手で口元を押さえ、翠の瞳にたっぷり涙を溜めた。



(グレン様が、私を愛してくれるなんて――っ)



 ずっとほしいと恋焦がれていたグレンの愛が目の前にある。手を伸ばせば届く距離に幸せへの切符がある。

 このままに彼の手を取りたい。



(でも……でも、これではグレン様が――?)



 レティーシャは、本来の婚約者フィリップを見た。

 なぜならグレンは、皇太子本人の前で婚約者を奪うような発言をしたのだ。不敬で罰せられてもおかしくはない状況。

 ここにはエデルトリア帝国の重鎮と神殿関係者が証人として残っており、なかったことにすることもできない。

 レティーシャは相手の出方を窺う。



「グレン、本気なのかい?」



 フィリップは感情の読めない眼差しのまま問いかけた。



「はい。自惚れでなければ、俺はフィリップ殿下よりもレティーシャ殿下を幸せにできると思っています。もちろんフィリップ殿下が認めてくだされば、より皇家に忠誠を示しましょう。俺の魔術は、この命尽きるまで殿下のために捧げます」

「君の魔術がずっと利用できる……それは魅力的だね」



 フィリップは腕を組み逡巡すると、満面の笑みをレティーシャへと向けた。



「ということだから私とグレン、どちらを夫にしたいか好きな方を選べばいいよ」

「えっ!?」

「神託の乙女は自分の幸せを選ぶ権利があるのだからね。皇太子の私でもそれは止められない。君の自由さ」



 あまりにも軽い調子で言われ、レティーシャは呆気にとられる。

 その上フィリップは「ほら、グレンが返事を待っているよ」と言いたげな視線まで投げかけてくる。

 この聡明な皇太子は完全に見抜いている様子だ。

 それならもう迷う必要はない。

 レティーシャは改めてグレンに向き直る。



「私は、グレン様の不器用ながら優しいところに助けられてきました。分かりやすい家事の本も、ハンドクリームも、お褒めの言葉も、お叱りの中に含まれる気遣いも、全部素晴らしい宝物のように思っています」

「それは良かった」

「でも、優しすぎるがゆえに利他的すぎるところが心配です。神木の浄化という難しい問題を抱えていたから仕方ないのかもしれませんが、何も相談せずにお別れしようとしたこと、本当に悲しかったんですよ」



 涙声で訴えれば、グレンは眉を下げた。



「すまない。二度とそんなことはしないと約束する」

「もちろんです!」



 レティーシャは強く言い切ってから、そっと手を伸ばした。

 ふたりの手がゆっくりと重なり合う。

 グレンの目にも、涙の幕が張った。



「私もお慕いしております。グレン様とずっと一緒にいさせてくださいませ……!」

「レティ、ありがとう。絶対に幸せにすると誓う」



 レティーシャの手の甲に、グレンの唇が落とされる。

 その瞬間、レティーシャの瞳からは、歓喜の涙が溢れ出した。

 神木の浄化を成功させなければいけないと張っていた緊張の糸が切れ、リズという不安要素が解消され、グレンの命を無事に救えた安堵もあって感情が抑えきれない。



「グレン様、大好きですぅー! ほんとに、本当に好きぃぃぃいい! わぁぁぁああん!」

「お、お前……王女の仮面取れてるぞ」

「そんなこと言われても、嬉しすぎて。だって、グレン様と両思いなんて夢みたいなんですもの。ぐす、それにいつものグレン様の喋り方だぁ~ひっく、最近は余所余所しくて寂しかったから、また嬉しくなっちゃいますぅ~~!!」

「――っ、仕方ないやつだな」



 グレンは立ち上がると、泣きじゃくるレティーシャを抱き寄せた。

 小柄な彼女の体は、すっぽりグレンの腕の中に収まってしまう。ギリギリ苦しくない程度の力加減は、馬に相乗りしたときの以上の密着度。互いの鼓動も分かるほど。

 グレンの温もりと香りに包み込まれ、天にも昇るような気持ちだ。不思議と涙が止まった。



「落ち着いたか?」

「幸せですっ」



 そう言ってレティーシャもグレンの背に手を回した。



「俺もだ。レティ、もう放してやれないからな。覚えておけよ」



 まるで脅すようにグレンは告げる。

 そのとき、また神殿の中に風が吹いた。神木に咲いた桃色の花が散って、天井高く巻き上げられる。

 そして風が止まると、祝福するかのように花弁が舞いながら抱擁するふたりに降り注いだのだった。




***




「ごめんね。続きはあとでやってもらっても良いかな?」



 花吹雪が落ち着いたタイミングで、フィリップが手を叩いて注目を促した。

 グレンの腕の力が緩み、顔を出したレティーシャは人前で大胆なことをしていることにようやく気付く。



「……す、すみません」



 慌ててグレンの胸元を強く押して体を離した。



(大声で泣いちゃったし、好きって叫んじゃったし、抱きついちゃった……!)



 感極まった勢いがあったとはいえ、色々と恥ずかしい姿を晒してしまった。穴があったら入りたい。

 レティーシャは赤く染まった頬を隠すように両手を当て、顔を伏せ気味にすっとグレンと距離を開けた。



「グレン、レティーシャが離れたのが寂しいからってそう睨まないでよ」

「殿下、俺は元からこういう顔です」

「数分前にあんな顔を見せられた後に言われてもね。とにかくレティーシャが君を選んだ以上、早々に動かないといけないよ。いつまでもレティーシャが私の公的な婚約者でいる状態も嫌だろう?」

「もちろんです。最短でメーダ王国と話をつけましょう」



 グレンは至極真面目な顔で即答した。

 その迷いのなさにレティーシャはまた舞い上がりそうになるが、母国の名前を耳にしたら冷静さが上回る。


 レティーシャの婚約は、メーダ王国とエデルトリア帝国の間で結ばれた国際的な契約に基づいている。格上であってもエデルトリア帝国の一存で婚約内容を変更するのは、近隣諸国から悪質な契約違反とみなされる可能性がある。

 帝国の信用と威厳を守るためにも、筋を通す必要があった。



「さぁ、ふたりとも。作戦会議と行こうか」



 そう誘われたレティーシャとグレンは、フィリップとともに神木の前をあとした。


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