25 本当の気持ち
片膝をついたフィリップは、神妙な表情を浮かべてレティーシャを見上げた。
「神木を救ってくれたこと、エデルトリア帝国を代表して感謝する。そしてこれまで側にいる者が偽物だと見抜けず、あなたの保護が遅れてしまったことを詫びたい」
「いいえ。私の影武者を務めていた者の犯行ですもの。見分けるのは非常に難しいのは理解しております。私もなかなか名乗り出ることができずに、ご迷惑をおかけしましたわ。お互い様ということで、いかがかしら?」
重鎮たちの前でレティーシャは神託の乙女の力を発揮し、帝国の皇太子も彼女が本物と認めて頭を垂れた。
重鎮たちには十分な証明になっただろう。
レティーシャがニッコリと微笑めば、フィリップも甘い表情を返す。
「それは、ありがたい。で、偽物への処遇に希望はあるかな? 我が国を欺いたのはもちろん、至宝の乙女であるあなたを危険な目にさらしたことは許しがたい。あなたの思うままにするよ?」
フィリップはおもむろに立ち上がり、縄で縛りあげられたリズを冷たく見下ろした。
リズはビクッと体を強張らせる。
「わ、私を愛してくださったではありませんか。どうかご慈悲を」
「神託の乙女だから、婚約者の務めを果たしていたまで。で……お前は裏切った夜、主だったレティーシャに慈悲を与えたのか? リズ・ギレットよ」
「そ、それは――っ」
「聞いたところによると慈悲を与えるどころかわざと裏切りを明かし、怯えるレティーシャの姿を見て嘲笑ったんだって? 騎士を使って最後は殺そうとしたらしいじゃないか。あぁ、言い訳は無用だよ。さすがお前に買収されるような騎士は忠誠心の欠片もないクズだった。すぐに口を割ってくれたおかげで、証言は取れている」
「――な!」
弁明の機会を完全に潰されたと分かったリズは、ギリッと音を立てて奥歯を噛んだ。
もう可憐な末姫の仮面を被るのは諦めたらしい。目を吊り上げたリズの顔は、髪と瞳の色が同じでも、レティーシャとは明らかに別人の顔になった。
「姫様は、どうして生きていらっしゃるのですか」
「運が良かった、としか言えないわ。リズ……私、あなたが好きだったのに残念よ」
裏切りを知る直前まで、レティーシャがリズを気に入っていたのは事実。
態度はともかく、侍女の仕事は手を抜いていなかったように思うし、自分のかわりに社交界での苦労を味わっていた。
だから仲良く手を取り合って支えあえて行きたいと思っていたのだが……一方通行だったようだ。
レティーシャが寂しそうな微笑みを返せば、リズは悔しさで顔を歪ませた。
「だったら、どうしてずっと私のために名乗り出ないでくださらなかったのですか! そうすれば魔術師ひとりが犠牲になるだけで、私が皇太子妃のままでいられたはずなのに……!」
「その魔術師が犠牲になるのが嫌だったの」
「はは、そんなきれいごとを言って、やっぱり皇太子妃の地位がほしくなったのでしょう! 新聞を見て、私の生活が羨ましくなったのかしら? それとも姿絵で見た麗しい皇太子殿下が忘れられなかった!? 罪人の前世を持っているくせに欲張りね! やっぱり卑しい思考は、魂に引き継がれるのだわ!」
自分のことは棚に上げて主を裏切ったリズと、命を救ってくれたグレン。
どちらを選ぶかなんて考えるまでもない。
「リズこそ、どうしてそこまで私を目の敵にするの? あなたが嫌がることを強要した覚えはないのだけれど」
裏切りの夜にリズは「頑張った私がご褒美をもらえるはずですのに!」と言っていたけれど、単に皇太子妃の座に目が眩んだだけとは考えられない。
不意打ちで暗殺してしまえば楽に殺せたのに、わざわざレティーシャを突き飛ばし、たっぷり蔑み、相手の反応を見てから手をかけようとする方法は回りくどかった。
もし自分が知らずにリズを傷つけ、追い詰めていたとしたら……レティーシャは努めて落ち着いた口調で問いかけた。
「……だったのよ」
「え?」
「姫様の笑みを見るのが嫌だったのよ! そばにいるだけで腹が立つ!」
予想もしていなかった幼稚な答えにレティーシャは面食らう。
「そ、そんなに私の顔を見るのが嫌なら、帝国にまでついてこなければ良かったのではないの?」
「はぁ? 見た目も似ている。年齢もひとつしか違わない。性別だって同じ……なのにどうして! どうして忌々しい姫様のほうが幸せになろうとしているのよ! 見過ごせるはずがないではありませんか!」
「……っ」
「姫様が輿入れした後、普通の使用人ではいただけない退職金をいただけることになっていたけれど……帝国の皇太子妃になって得られる額と比べたらずっと少ないわ。私が得られないものを、どうして姫様が手に入れるのかしら!? メーダ王国に残っていては願いが叶わないから、花嫁の座を奪ったのよ!」
生まれが違うこと、容姿が似ていたこと、痣を持って生まれたこと、どれもレティーシャにはどうにもできないことだ。
あまりにも理不尽な訴えに言葉を失う。
その間もリズは瞳を嫉妬で塗り潰し、遠慮なく悪意をぶつけてくる。肩で息をしながら、唾を飛ばすように言葉を続けていった。
「本当、姫様は私を不幸にするばかり! 穢れた魂持ちのくせに仕えさせて惨めにさせ、次は皇太子妃の座から私を引きずり落とすなんて! 最悪よ!」
リズは反省も後悔もする様子を見せない。レティーシャを裏切ったことや、エデルトリア帝国を騙したことへの謝罪の言葉もない。
ここまでくるといっそ清々しい。お陰で罪悪感を抱かずに済みそうだ。
「フィリップ殿下、リズの処遇について私から希望はありません。帝国のやり方にお任せしますわ」
「承知した。今すぐ汚い口を閉じさせ、本物の罪人である女を牢に入れておけ」
フィリップの命令に騎士は素早く動き出す。
「私が……! 私の方が皇太子妃になれるはずだったのに――むぐっ、む、むー!」
口に布を巻かれたせいで、発するリズの声はくぐもる。それでも叫ぶのを止めようとしない姿は滑稽だ。屈強な騎士の手で引きずられるように神殿の外へと連行されていった。
(終わった……)
咎人が去った神殿には束の間の静寂が訪れる。
神木になっていた穢れの実は祝福の実になり、魔術師グレンは犠牲にならずに済んだ。
裏切り者のリズは捕まり、ようやくメーダ王国の第六王女の立場がレティーシャに戻ってきた。
問題は解決した……はずなのに、レティーシャはまだ肩の力を抜けずにいる。
偽物花嫁が退場した今、皇太子フィリップの婚約者の座もまたレティーシャに戻ってくるのだから。
「帝城に戻ろうか」
そっと手を差し出したフィリップを、レティーシャは見つめた。
サラリとした銀糸のような髪と、アメジストのように透明感のある紫の瞳は神秘的。姿絵に描かれていた以上に容姿は精悍で、おとぎ話に出てくる妖精のような儚げな美しさもある。
政治の手腕はすでに証明されており、国民や臣下からの信頼が厚い次期国王。
実際に会話してみれば物腰が柔らかく、女性の扱いに慣れつつも紳士的。
若き二十二歳の彼は、大陸一の嫁ぎ先と言っても過言ではないだろう。
フィリップと結婚すれば最上の権力も、潤沢な財も手に入る。神託の乙女として大切にされ、故郷のように王宮の奥で寂しく過ごすこともない。
その上結婚後も難しい公務をする必要はなく、仕事は神託の乙女として定期的に神木に祈りを捧げるだけで良いのだとか。
『神託の乙女はエデルトリア帝国の至宝。皇帝ほどの権限は持つことはできないけれど、存在価値は皇帝よりも高い。私たち皇家は、囲い込んだあなたを幸せにする責任がある。だから好きに甘えて良いんだよ』
そうフィリップは、受け取れる恩恵の多さに驚くレティーシャに丁寧に説明してくれた。
だから彼の手を取れば、多くの女性が憧れる夢のような、理想の結婚生活が約束されたも同然。
しかしレティーシャは、なかなかフィリップと手を重ねられずにいた。
胸に痛みを感じながら、視線を横に向ける。視線の先には、神託の乙女の祈りを見守っていた生贄の魔術師グレンがいた。
(理解している……私はフィリップ殿下へ嫁ぐためにエデルトリア帝国へやってきた。これは神託で決められたことで、小国の姫である私が覆すことはできない。フィリップ殿下は、私にはもったいないくらい素敵な御方というのも知っている。でも……私が好きなのは……心より本当に一緒になりたいのは――)
楽しかった森での生活が脳裏に浮かぶ。
失敗ばかりで怒りつつも、与えてくれたハンドクリーム。
体調を案じてカーディガンを貸してくれたときに感じた温もり。
しっかり伝えてくれる誉め言葉。
いつの間にか買ってくれていた可愛いワンピース。
どれもが大切な思い出で、それを手放す覚悟が持てずにいた。
鮮明に記憶が蘇ってしまったレティーシャは、涙ぐんだ瞳で求めるようにグレンを見てしまう。
すると視線がぶつかった瞬間、グレンは表情を引き締めて強い足取りでレティーシャの方へと向かってきた。
足音が近づくにつれ、レティーシャは自身の心臓の音が大きくなっていくのを感じる。
グレンはふたりの前に立つと片膝をついて頭を垂れた。
「エデルトリア帝国皇太子フィリップ殿下に、グレン・アシュフォードより提言したいことがございます。お許しいただけないでしょうか?」
フィリップの返事を求めるように顔を上げたグレンの目は射貫くように鋭く、瞳の奥に覚悟を宿していた。







