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24 真の祈り


 レティーシャが披露した礼は、高位の令嬢でも難しいとされている最敬礼にもかかわらず、一寸の隙も無い優雅なものだった。

 登場に対してか、それともお辞儀の出来栄えについてか――リズは、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。



「あ、あなたは」

「ごきげんよう、リズ。元気そうね」



 レティーシャがわざとらしく余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせれば、リズは怒りで一気に顔を赤くした。



「私の名を間違って呼ぶなんて不敬でしてよ! フィリップ様、この無礼者をすぐに追い出してくださいませ!」

「こんなに礼が美しいレディが、理由もなく無礼を働いているとは思えないんだけど」

「なっ!?」



 聡明なフィリップらしからぬ強引な根拠にリズは一瞬呆けるが、たちまち敵意を露わにしてレティーシャを睨んだ。

 どうしてマナーの勉強で苦労した自分よりも、練習姿を見せたことのないレティーシャのほうが完璧な礼ができるのよ――とリズは言いたげにしている。



(私は隠された忌み姫だけれど、血筋はれっきとした王女。むしろ王家の汚点をこれ以上増やさないためにも教育は厳しめに進められ、リズが雇われる前に終わらせていたのよね。ただ……披露する機会が一度もなかっただけ。本当にリズは、私をきちんと見ていなかったのね)



 レティーシャが担ってきた公務のことすら知らない態度でリズが「努力が報われるべきなのは私よ」と言い放ち、命を狙ってきたあの夜が思い出される。

 けれど、もう恐怖で震えることはない。

 レティーシャは今日、すべてを奪い返しに来たのだ。堂々とリズの睨みを受け流した。



「――っ、フィリップ様! お戯れはよしてくださいませ。私がいるではありませんか!」



 リズはそう吠えるが、フィリップは飄々とした態度を崩さない。



「だって、私が本物です……って、神託通りの乙女がもうひとり名乗り出たんだからね。条件が一致する乙女がふたりもいて、私は驚いたよ。でも君が本物なら、慌てる必要はないだろう? ついさっき、神木の前で誓ったじゃないか」

「それは……っ」

「追い出すのは、彼女の祈りを見届けてからにしよう。ということで、頼めるかい?」



 台本通りに、フィリップがレティーシャに問いかけた。




 二日前、レティーシャが本物の王女だと打ち明けたその日に、グレンは内密にフィリップを屋敷に招いていた。

 通された部屋にいた婚約者そっくりのレティーシャを見ただけで、フィリップは強引に呼び出された理由を察した。



「グレン、まさか……彼女が本物?」

「俺はそう判断しています。話を聞けば、以前神殿に立ち寄った際、神に祈ったところ皇家から寄贈された神木のリースが白く変化したようですよ」

「お初にお目にかかります。メーダ王国第六王女レティーシャでございます」



 レティーシャは敬意を示すために、精一杯の優雅な礼をした。

 フィリップは値踏みの視線を隠すことなく彼女をよく観察してから、深いため息をついた。



「なるほど……帝城にいるのは偽物の可能性が極めて高いようだね。だがこの帝国を騙す存在がいると分かった今、申しわけないがすぐにあなたを本物として扱うのは難しい。まずは、どこで成り代わったのか詳しく教えてもらえないだろうか」

「かしこまりました」

「協力感謝する。そして挨拶が遅れた。私はエデルトリア帝国の第一王子で皇太子のフィリップ。よろしくね」



 それからレティーシャは、リズに裏切られた夜のことを包み隠さず語った。

 幸いにもフィリップは信じ、「大変だったね。グレンが保護してくれて良かった」と深く同情してくれた。リズを脅威に感じ、名乗り出られなかったことまで理解してくれた。


 たが、リズはすでに大々的に顔を見せて活動しており、周囲は彼女が本物だと信じている。

 あとから登場したレティーシャが本物だと主張するには、まずは重鎮たちに証明する必要があるとフィリップに告げられた。

 その舞台に選ばれたのが、まさに浄化という『本物の神託の乙女』にしかできない奇跡を起こすことだった。



 フィリップとアイコンタクトをとったレティーシャは、表情を引き締めて頷いた。



「神木に祈りをささげる機会をくださること、感謝いたします」

「さぁ、場所を空けて」



 これ以上の抵抗は不利になると判断したらしい。リズは不服そうにしながらも、フィリップに従った。

 レティーシャは入れ替わるように、祭壇の前で両膝をついた。

 あと数歩前に出れば手が届きそうな距離に穢れの実がある。よく見れば種皮に小さな裂け目ができていた。

 伝承によると、一か月以内に種が弾けてしまうほどの成熟度に達しているとのことだったが、間違いないらしい。グレンが焦っていたのも納得だ。



(これがグレン様を殺そうとしている実なのね)



 神木の力を持っても浄化しきれなかった穢れが濃縮されてできた塊だ。対峙しているだけで、鳥肌が立つほど不快感に襲われる。

 浄化しきれるのだろうか――と、一抹の不安が芽生えそうになった。

 そんな弱気になりそうな気持ちを抑え込むように深呼吸したレティーシャは、胸の前で強く両手を組む。

 改めて穢れの実を見上げて狙いを定めてから、ゆっくりと瞼を閉じた。



(お願い……私が神託通りの花の乙女でありますように。穢れを浄化させる力がありますように。グレン様を死なせたくないの……好きなの……好きな人を助けたいの)



 瞼の裏に、楽しかった同居生活を浮かべる。

 グレンは見ず知らずの自分を保護し、手厚く看病してくれた。

 厳しく叱る態度を取りながらも、言葉の端には気配りが詰まっていた。

 クールな表情を崩したときの笑みは、太陽のように眩しかった。

 どんなに苦しくても他人のために命をかけようとする勇敢さには、敬意を抱いた。

 レティーシャにとってグレンは、この世で一番尊い存在だ。



(神様、どうか私に祈りの力を授けてください。愛する彼と、彼が愛する世界を守りたいのです)



 活気ある市場に、可愛くて頼れるわたあめ、空気が美味しい豊かな森、それらもまとめて守りたいと懇願するように祈りを込めた。

 すると六花の印がある右肩が熱くなり、連動したように胸の奥からじわりと温かいものが湧き上がるのを感じた。

 レティーシャの胸元から金色の光が溢れ、糸となって神木へと伸びていくのが目を閉じていても分かる。

 繋がった瞬間、神木の状態が自分自身の体のように感じた。そのままレティーシャは隅々まで糸を巡らせるイメージを広げ、胸から溢れる温もりを分け与えていった。


 白かった神木は黄金の輝きを放ち、黒かった穢れの実すらも金色に染めていく。

 誰もが目を奪われ、美しい光景の前に立ち尽くす。



『あなたを待っていました。祈りをありがとう、我が愛し子よ』

「え?」



 突然頭の中に声に驚き、レティーシャが目を開けたと同時に神木に数多の桃色の花が咲き誇った。



(今の声は、あの夢のときの……)



 グレンに保護され、起きる直前に見ていた夢は朧気だったはずなのに鮮明に蘇る。

 幹も葉もすべてが白い木の前に立ち、慈愛に満ちた声をかけてくれた美しい女性。夢にまで出て語りかけてきたことから、切にレティーシャの訪れを待っていたのだろう。



(あなた様は、神木の女神様だったのですね。参上が遅くなり申し訳ございません。大変お待たせしました)



 屋内にもかかわらず、風で揺らされたように葉がそよいだ。どうやら許してくれるらしい。

 レティーシャは立ち上がり、笑みを浮かべて輝く神木を見上げた。



「あなたが、本物の王女レティーシャですね」



 女神の相手をするようにフィリップがレティーシャの横で片膝をついた。

 レティーシャが神託の乙女であり、リズが成り替わっていたことが証明されたのだった。


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