23 裏切り侍女の誤算
帝城の庭園の一角には、厳かな神殿が建てられている。
白亜の石を円柱状に積んで造られたそこは礼拝のためではなく、神木を管理しつつ守るための場所だ。
扉の向こう側は開放的なホールのようになっており、中央には幹も葉もすべて真っ白な神木が生えている。
白だけでできた空間の中で、真っ黒な穢れの実だけが異様な存在感を放っていた。ドングリのような形をしたそれは人の頭の大きさほどに育ち、重々しく枝から垂れている。
見ただけで、本能的に危険を感じるほどの禍々しさがあった。
そんな穢れの実の前に作られた祭壇では、ひとりの乙女が両膝をついて祈りを捧げていた。
「神よ、エデルトリア帝国をお救いください。どうか……どうか……!」
レティーシャに成りすましているリズは胸の前で両手を組み、切実そうな声色で祈りを紡ぐ。
「祈りをお受け取りください。私の声に、耳を傾けてくださいませ……!」
しかし、いくら祈っても神木や実に変化はない。
祈りの儀式は、皇太子との婚約式を執り行った翌日から、数日おきに試してきた。それから三か月以上、一度も祈りが成功したことはなかった。
(祈り以外は、すべて順調なのに!)
リズは内心で舌打ちをする。
本物のレティーシャを排し、目論見通り自分が皇太子の婚約者になり替わることができた。
最新のドレスも煌びやかな宝石も自由に買えるようになった。誰もが恭しく傅き、至宝のように扱ってくれる。
欠点のない素晴らしい生活が始まると心躍っていただけに、祈りの失敗が鼻につく。
穢れの実のように、失敗の汚点だけが黒く目立つように見えて苛立ちが止まらない。
(どれだけやっても無駄なのに、まだ試させるなんて。穢れの実を前にしただけでも気分が悪くなるのに嫌だわ。生活は素敵だけれど、エデルトリアの信仰心の強さには呆れる。まぁ、失敗しても優しいフィリップ様が慰めてくれるなら我慢するけど)
リズは組んでいた両手を胸に当て、申し訳なさそうな表情を意識し、後ろで見守っていたフィリップへと振り向いた。
「フィリ――」
「浄化されないね」
フィリップが呆れたような視線を向けながら、冷ややかに呟いた。
なんだかいつもと様子が違うと感じつつも、リズは用意していた台詞を紡ぐ。
「も、申し訳ありません。頑張っているつもりなのですが……やはり浄化の力の感覚が分からなくて。私も、どうしたら良いのか」
リズは肩を小刻みに震わせつつ、軽く視線を落として謝罪する。
こうやって健気さをアピールすれば、いつものフィリップだったら柔らかく微笑んで、優しい声色で慰めてくれる。「もっと我が国への愛着が湧いたら大丈夫。何が欲しい? ケーキでもドレスでも、国一番のものを用意するよ」と甘やかしてくれる瞬間は、最高に気分が良い。
だから今日も――そう思っていたのに。
「本当に、心から祈ってくれている?」
「――っ!?」
「帝国を、少しも愛せていない?」
フィリップはリズが望むような甘い言葉ではなく、疑心をたっぷり込めた言葉を投げかけた。
リズが恐る恐る視線を上げてフィリップの顔色を窺えば、相手の表情は見慣れた美しいほほ笑みを浮かべているのに、眼差しだけが鋭い。
ひやり、とリズの背筋に寒気が走った。
(どうして優しくしてくれないの? 祈りが成功しないのはこれが最初じゃないし、私が失敗しても保険があるじゃない。生贄にする魔術師はもう用意しているから大丈夫なのに、なぜ私を責めるような目で見るのよ!?)
自分に向けられるプレッシャーを理不尽に感じて、リズの反抗心が膨らみそうになる。
だが、周囲はフィリップから寵愛を受けているからリズに善くしてくれている面が強い。フィリップの機嫌を損ねて、皇太子妃が持つ影響力まで落ちることは避けたい。
リスクを冒してまで手に入れた、理想の楽園を手放すわけにはいかないのだ。
「これほど親切にしてもらって、慈しまないなんてことはありえませんわ。祈りだけで判断されるなんて……っ」
影武者として培った演技力で目に涙を浮かべてから、両手で顔を覆った。
(さぁ、今度こそ私を慰めてくださいな)
リズはフィリップからのお詫びの言葉に期待する。
この機会に、男女の仲を進展させたいと強請るのも良いかもしれない。フィリップの態度は柔らかく甘いものの「君を大切にするためにも順番を守りたいんだ」と言って、未だに頬に口付けすらしてくれない。
美しいドレスや宝石を手に入れた次は、美しいフィリップがほしいというのに。
浅ましい気持ちを抱きながらリズは相手の反応を待つが……。
「ねぇ、レティーシャ・ルイ・メーダ。私に隠していることはないかな? 君は本当に私が愛すべき運命の姫?」
先ほどよりもぐっと低くなった声で問われる。
わずかにあった笑みさえ、フィリップの顔から消えていた。
「も、もちろんですわ! だってこの髪と瞳の色に、肩にある花のような印は神託通りでしょう?」
今着ている祈祷用のドレスは首回りが大きく開いており、右肩がしっかり見える。
リズは手を添えて、入れ墨で模倣した六花の痣を必死にアピールした。
「神木の前で、君は自分が本物であると誓うんだね?」
「はい! ですから、私を信じてくださいませ!」
リズはたっぷりと涙を溜め込んだ瞳で見上げ、情に訴える。
するとフィリップは体を横にずらし、手のひらを扉のほうへと向けた。
「では、今から確かめさせてもらおう!」
フィリップの宣言で開かれた扉から、神木を管理している関係者たちが入ってきた。
宰相をはじめとするエデルトリア帝国の重鎮たちに、神殿長が率いる神官たちの集団だ。
中には、生贄になるはずの魔術師グレンの姿も確認できる。
(仰々しい面々が集まるなんて、今から禁術で浄化を始めるつもり? でも確かめるって?)
リズが訝しげに動向を眺めていると、途中で足を止めた集団の中から白いローブを纏った小柄な人物だけが前に出てきた。
その者はリズとフィリップのそばで立ち止まると、深く被っていたフードを頭から外した。
「――え」
リズは零れ落ちそうなほど目を見開く。
腰まである長い髪は桃色で、見つめてくる双眸は若葉のような翠。ローブを脱いだことで露わになった右肩には六花の印が浮かんでいる。
リズと瓜二つの女性はシンプルなドレスのスカートを摘まみ上げると、優雅に腰を折った。
「ごきげんよう。メーダ王国の第六王女レティーシャ、ただいま参りました」
リズは、ひゅっと息を飲んだ。







